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2 再会とトラブルと転機
2-5 知らないうちにバズってた結果
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◇◆◇
一週間ほどが過ぎた。
僕は本来は講義とバイトで毎日けっこう拘束される時間があり、朋美さんとはメッセージでやりとりするか、大学の構内でちょっと会うか、程度になった。
朋美さんは朋美さんで、何かやっていることがあるようでもあった。
女装は、やめないでいる。二・三日はしてなかったけど、ふとした時に女物の服を取り出して眺め――着ていた。
しかもあれから女物は少し増えて、また夜中にこそっと散歩もしていた。
朋美さんに話すと『昼間もしたらいいのに。大学にも』とまた言われ、そこにはまだ踏み出せないでいる。
そんな日々で、朋美さんとの関係にわずかな進展があっただけで結局変わらないのか――と思うようになっていた。
『緊急で相談したいことがあるんだけど、今日の何時か学食来れる?』
雑談とは様子の違うメッセージが来たのは、そんな時だった。
昼一番の講義のあとに、学食へ急ぐ。
この日もやっぱり、女の子モードはしていない。
けっこう待っていたらしい朋美さんが出迎えてくれた学食は昼食時をかなり過ぎて人は少なく、その中でも離れた一角に案内される。
そこには、もう一人男性が座っていた。
日に焼けた、伸ばしてるのか不精なのか判別の難しい髭面で、年上そうだった。シャツの胸ポケットにサングラスを差し、タブレットと名刺入れらしい小さなケースをテーブルに置いている。
朋美さんが僕を連れて行くとその彼は目を丸くして僕を見て、タブレットを取って画面と僕を何度も見比べる。
「朋美さん?」
尋ねるが、朋美さんは彼を促す。
彼はわざとらしい咳払いをしてから「いや、驚いた――」と、名刺を出した。
名刺なんて持っていない僕は簡単に「深瀬樹です」と名乗る。
「――『フィッシングチャンネルサービス』の當、さん?」
肩書はディレクター、となっていた。
「知らない、かな。釣り専門のCS局だよ」
彼――當さんは柔らかめの嗄れた声だった。
「すみません――学生の一人暮らしですし、CSとか見れないので」
それもそうか、と當さんが苦笑する。
僕が腰を下ろし、隣に朋美さんが座る。
當さんは「なるほど、なるほど――」と呟きながら僕たち二人が並んだのを見て頷く。
「何なんですか?」
僕がやや憮然とした声を出すと、當さんは「や、すまない」と軽く謝ってから切り出した。
「君たち、テレビに――ウチの作る番組に出ないか?」
――ええっ?
聞き間違えたのかと思って朋美さんを見ると、僕を見て困ったような顔を向けてきた。
「アタシもさっき言われたばっかり」
いつものギャル調だった。
「あの……全然話が見えないんですけど」
説明を求めると、當さんはタブレットをこちらに向けてくれた。
朋美さんは先に聞いていた様子で「飲み物取ってくるね」と席を立つ。
「この動画がネットに流れてるの、知らないかい?」
當さんがタブレットで再生したのは、一本の動画だった。
それほど長くない。
けど、僕の頭を真っ白にさせるくらいには衝撃的だった。
タイトルは『男の娘がナンパ男撃退!』となっていた。
この前、僕が、ナンパ男に怒鳴りつけた、その、ほぼ一部始終、だった。
「うそ……これ、えっ、誰が――」
思考が途切れ途切れになる。
再生回数は七桁を数えている。その同数に近い親指マークのクリック数も。
焦点が、手が、膝が――震える。
當さんがもう一度再生した。
今度は、コメント表示をオンにしていた。
画面を埋め尽くすほどの文字が流れる。
追える限りのその文字は『痛快!』『可愛い!』『ギャルちゃん守る男の娘とか超カッコイイ』『勘違いチャラ男pgr』『お前の方がキモい』『こんな可愛い子をキモいとか目おかしい』『眼科行け』『それより脳外科』等々――僕への賛辞と、男へのディスりばかりだった。
朋美さんがアイスコーヒーを三つ、お盆に乗せて戻ってきた。
「この子、君だね?」
止めた動画の中央にいる女の子――のような姿を指して訊かれ、僕は無防備にも「そうです」と肯う。
「ウチは釣り専門――ってさっき言ったか――なんだが、この動画見てピンときたんだ。
ギャルと男の娘が釣りするってのが絵になる。この再生数とコメント見る限り、ウケもじゅうぶん見込める。
どうだろう、君たち二人の番組、作らせてもらえないか」
朋美さんと顔を見合わせる。
「緊急で相談、って」
「このこと。ごめんね急に呼んで」
「それは――いいんですけど」
朋美さんと会って話せることが嬉しいから、と言える度胸はない。
當さんが「参考に」と、釣り番組のいくつかをダイジェストで見せてくれる。
一度でも釣り竿を握ったからか、風景を含めた画面の感じか、面白く見ていられる印象だ。
「あの……」
見ていて気になったことを、當さんに言う。
「僕、ほとんど釣りしたことなくて、道具も朋美さん――士杜しもり先輩に借してもらって、教えてもらって、って程度ですよ」
見せてもらった番組は熟練の釣り師がバス釣りや船で沖に出て大物を釣ったりするものばかりだった。中には女の子がメインでキャッキャとしたものもあったが、それでも釣り自体は手慣れている感じがあった。
「それでいいんだ」
當さんが言う。
「ベテランの技はもちろんいいし、コンテンツとしてはそっちの方が多い。でもそればかりじゃ駄目なんだ。
それこそ深瀬くん、君のような釣りビギナーが見て『自分もやってみよう』と思えるような番組も釣り人口の裾野を広げるためには必要なんだ」
言いたいことは解る。
超絶技巧や大物釣りを見るのも面白いけど、初心者が手の届きそうな範囲の釣りを見るのは共感とか興味とか、そういうのを感じそうでまた良さそうに思える。
僕がなるほどと頷くと、身を乗り出してくる。
「君が釣りを始めたばっかりだ、というのはさっき士杜さんから聞いたよ。だからこそ、君と同じような人やこれからやってみたい人向けにレクチャーしていくものを考えてる」
當さんの話は途切れないのに、彼の分のコーヒーは減っていく。
「ギャルで経験の長い士杜さんが、釣りに興味を持った男の娘の深瀬くんに教えていく――どうだろう」
――えっ?
「男の娘の、って」
「あの感じになるんだったら、その方が面白そうだし動画のウケもよかった。あんな失礼な偏見を吹っ飛ばすためにも、深瀬くんにはあっちで出演してほしい」
「それは……」
朋美さんを見る。「朋美さんは?」
「偏見を、って言われると弱いなぁ……」
それ――も、解る。
そんなに大仰なことまで考えていなかったけど、好奇の目に緊張するのと同時に内心どこかで「好きな服装して何が悪い」と対抗心みたいなものも抱いているのも、確かだった。
當さんがもう一度動画を再生する。
コメントを止めて、僕に見せてくる。
『この子誰? 超可愛い』『女の子にしか見えない』『この子の画像他にないの?』『女だけどこの子に圧倒的に負けてる』『ギャルちゃんも可愛い』『俺はギャルちゃんの方がいい』『この子たちと釣り行きたい』『むしろこの子たちに釣られたい』……他にも、僕と朋美さんへの好意的な声がどんどん出てくる。
――求められてる気がして、背筋にゾクリと走るものを感じていた。
女装した僕が、受け入れられている。
不快じゃない。
むしろ……
「朋美さんは――いいんですか?」
「樹くんと、なら」
テーブルの下で、朋美さんが手を重ねてきた。
僕は乾いた口をコーヒーで湿らせる。
「――あの」
當さんを見る。
彼のコーヒーはいつの間にか空になっていて、僕の言葉を待ってくれていた。
僕は少し考えて、彼から見えない角度でスマホを朋美さんに見せて、提案する。
朋美さんが頷く。
一度深呼吸して、もう一度朋美さんと目を合わせて、當さんに言った。
「一回だけなら」
短い相談で出した返答だった。
一週間ほどが過ぎた。
僕は本来は講義とバイトで毎日けっこう拘束される時間があり、朋美さんとはメッセージでやりとりするか、大学の構内でちょっと会うか、程度になった。
朋美さんは朋美さんで、何かやっていることがあるようでもあった。
女装は、やめないでいる。二・三日はしてなかったけど、ふとした時に女物の服を取り出して眺め――着ていた。
しかもあれから女物は少し増えて、また夜中にこそっと散歩もしていた。
朋美さんに話すと『昼間もしたらいいのに。大学にも』とまた言われ、そこにはまだ踏み出せないでいる。
そんな日々で、朋美さんとの関係にわずかな進展があっただけで結局変わらないのか――と思うようになっていた。
『緊急で相談したいことがあるんだけど、今日の何時か学食来れる?』
雑談とは様子の違うメッセージが来たのは、そんな時だった。
昼一番の講義のあとに、学食へ急ぐ。
この日もやっぱり、女の子モードはしていない。
けっこう待っていたらしい朋美さんが出迎えてくれた学食は昼食時をかなり過ぎて人は少なく、その中でも離れた一角に案内される。
そこには、もう一人男性が座っていた。
日に焼けた、伸ばしてるのか不精なのか判別の難しい髭面で、年上そうだった。シャツの胸ポケットにサングラスを差し、タブレットと名刺入れらしい小さなケースをテーブルに置いている。
朋美さんが僕を連れて行くとその彼は目を丸くして僕を見て、タブレットを取って画面と僕を何度も見比べる。
「朋美さん?」
尋ねるが、朋美さんは彼を促す。
彼はわざとらしい咳払いをしてから「いや、驚いた――」と、名刺を出した。
名刺なんて持っていない僕は簡単に「深瀬樹です」と名乗る。
「――『フィッシングチャンネルサービス』の當、さん?」
肩書はディレクター、となっていた。
「知らない、かな。釣り専門のCS局だよ」
彼――當さんは柔らかめの嗄れた声だった。
「すみません――学生の一人暮らしですし、CSとか見れないので」
それもそうか、と當さんが苦笑する。
僕が腰を下ろし、隣に朋美さんが座る。
當さんは「なるほど、なるほど――」と呟きながら僕たち二人が並んだのを見て頷く。
「何なんですか?」
僕がやや憮然とした声を出すと、當さんは「や、すまない」と軽く謝ってから切り出した。
「君たち、テレビに――ウチの作る番組に出ないか?」
――ええっ?
聞き間違えたのかと思って朋美さんを見ると、僕を見て困ったような顔を向けてきた。
「アタシもさっき言われたばっかり」
いつものギャル調だった。
「あの……全然話が見えないんですけど」
説明を求めると、當さんはタブレットをこちらに向けてくれた。
朋美さんは先に聞いていた様子で「飲み物取ってくるね」と席を立つ。
「この動画がネットに流れてるの、知らないかい?」
當さんがタブレットで再生したのは、一本の動画だった。
それほど長くない。
けど、僕の頭を真っ白にさせるくらいには衝撃的だった。
タイトルは『男の娘がナンパ男撃退!』となっていた。
この前、僕が、ナンパ男に怒鳴りつけた、その、ほぼ一部始終、だった。
「うそ……これ、えっ、誰が――」
思考が途切れ途切れになる。
再生回数は七桁を数えている。その同数に近い親指マークのクリック数も。
焦点が、手が、膝が――震える。
當さんがもう一度再生した。
今度は、コメント表示をオンにしていた。
画面を埋め尽くすほどの文字が流れる。
追える限りのその文字は『痛快!』『可愛い!』『ギャルちゃん守る男の娘とか超カッコイイ』『勘違いチャラ男pgr』『お前の方がキモい』『こんな可愛い子をキモいとか目おかしい』『眼科行け』『それより脳外科』等々――僕への賛辞と、男へのディスりばかりだった。
朋美さんがアイスコーヒーを三つ、お盆に乗せて戻ってきた。
「この子、君だね?」
止めた動画の中央にいる女の子――のような姿を指して訊かれ、僕は無防備にも「そうです」と肯う。
「ウチは釣り専門――ってさっき言ったか――なんだが、この動画見てピンときたんだ。
ギャルと男の娘が釣りするってのが絵になる。この再生数とコメント見る限り、ウケもじゅうぶん見込める。
どうだろう、君たち二人の番組、作らせてもらえないか」
朋美さんと顔を見合わせる。
「緊急で相談、って」
「このこと。ごめんね急に呼んで」
「それは――いいんですけど」
朋美さんと会って話せることが嬉しいから、と言える度胸はない。
當さんが「参考に」と、釣り番組のいくつかをダイジェストで見せてくれる。
一度でも釣り竿を握ったからか、風景を含めた画面の感じか、面白く見ていられる印象だ。
「あの……」
見ていて気になったことを、當さんに言う。
「僕、ほとんど釣りしたことなくて、道具も朋美さん――士杜しもり先輩に借してもらって、教えてもらって、って程度ですよ」
見せてもらった番組は熟練の釣り師がバス釣りや船で沖に出て大物を釣ったりするものばかりだった。中には女の子がメインでキャッキャとしたものもあったが、それでも釣り自体は手慣れている感じがあった。
「それでいいんだ」
當さんが言う。
「ベテランの技はもちろんいいし、コンテンツとしてはそっちの方が多い。でもそればかりじゃ駄目なんだ。
それこそ深瀬くん、君のような釣りビギナーが見て『自分もやってみよう』と思えるような番組も釣り人口の裾野を広げるためには必要なんだ」
言いたいことは解る。
超絶技巧や大物釣りを見るのも面白いけど、初心者が手の届きそうな範囲の釣りを見るのは共感とか興味とか、そういうのを感じそうでまた良さそうに思える。
僕がなるほどと頷くと、身を乗り出してくる。
「君が釣りを始めたばっかりだ、というのはさっき士杜さんから聞いたよ。だからこそ、君と同じような人やこれからやってみたい人向けにレクチャーしていくものを考えてる」
當さんの話は途切れないのに、彼の分のコーヒーは減っていく。
「ギャルで経験の長い士杜さんが、釣りに興味を持った男の娘の深瀬くんに教えていく――どうだろう」
――えっ?
「男の娘の、って」
「あの感じになるんだったら、その方が面白そうだし動画のウケもよかった。あんな失礼な偏見を吹っ飛ばすためにも、深瀬くんにはあっちで出演してほしい」
「それは……」
朋美さんを見る。「朋美さんは?」
「偏見を、って言われると弱いなぁ……」
それ――も、解る。
そんなに大仰なことまで考えていなかったけど、好奇の目に緊張するのと同時に内心どこかで「好きな服装して何が悪い」と対抗心みたいなものも抱いているのも、確かだった。
當さんがもう一度動画を再生する。
コメントを止めて、僕に見せてくる。
『この子誰? 超可愛い』『女の子にしか見えない』『この子の画像他にないの?』『女だけどこの子に圧倒的に負けてる』『ギャルちゃんも可愛い』『俺はギャルちゃんの方がいい』『この子たちと釣り行きたい』『むしろこの子たちに釣られたい』……他にも、僕と朋美さんへの好意的な声がどんどん出てくる。
――求められてる気がして、背筋にゾクリと走るものを感じていた。
女装した僕が、受け入れられている。
不快じゃない。
むしろ……
「朋美さんは――いいんですか?」
「樹くんと、なら」
テーブルの下で、朋美さんが手を重ねてきた。
僕は乾いた口をコーヒーで湿らせる。
「――あの」
當さんを見る。
彼のコーヒーはいつの間にか空になっていて、僕の言葉を待ってくれていた。
僕は少し考えて、彼から見えない角度でスマホを朋美さんに見せて、提案する。
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