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3 キャッチ&ストマック
3-2 女の子のように
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約二時間後。
撮影が再開される。
「それでは二時間経ちましたので――」
アジを揚げて盛り付ける。
冷蔵庫から出した料理済の小魚たちは別の皿へ。
「完成でーす」
カメラに向けて披露したのはできたてのアジフライと、イワシとサッパの南蛮漬けだった。
テーブルに運んで、朋美さんと斜めに――どちらの顔もカメラに入る角度で座る。
朋美さんの前にはビール。僕はジンジャーエール。
朋美さんに言われて、エプロンを取って椅子にかける。
「じゃあさっそく、いただきまーす」
二人で乾杯して、お互いにまずは一口。
サクっっ……と気持ちいい音で朋美さんがアジフライにかぶりつき、僕は気になっていたサッパからいってみる。
数秒後――
「うん、おいしいっ!」
朋美さんが歓声をあげた。
「よかったぁ」
と僕は安堵の息をこぼす。
南蛮漬けは、調合した漬け酢のバランスも初めてやってみたにしては思ったよりまとまっていて、抑えた辛味でさらりと食べられるものになっていた。
これも朋美さんに褒められる。
「ビール案件だわこれ、いっちゃんもどう?」
「未成年ですって」
などと軽く喋っていると、當さんが「オッケー!」と声を上げた。
どっと一気に疲れに襲われたように、僕は姿勢を崩す。
當さんが、僕と朋美さんのテーブルに近寄ってきて、南蛮漬けをひとつ取った。
「おっ、本当に美味い」
他のスタッフもやってきて、賛辞をくれる。
「これ店で出せるわァ」
とはマユミさん。
「じゃああと、エンディング撮ろう」
残り少しだからか、當さんの表情はややくだけてきていたけど、いっとき緩んだみんなの空気がまた「仕事モード」になる。
その切替えに僕は驚く。
スタッフが離れて、僕と朋美さんはテーブルの前に立った。
カメラが回りはじめる。
「いっちゃん、どうだった?」
「楽しかったです。僕的には料理ちゃんとできたからよかったなぁ、って」
簡単に打ち合わせしていた締めのトーク。
「うんうん。そうだよね。
ご覧のみなさんにも、釣りの魅力がちょっとでも伝わったらいいと思いまぁす」
朋美さんが笑顔で言う。
「ここまでありがとうございますっ。
それでは『いつきとトモのキャッチ&すとまっく』また次回~」
「えっ? 一回きりじゃないんですか?」
「言葉のアヤ、ってやつ?」
朋美さんは意識して軽く――ギャルらしく喋っているような気がする。
「ほら、反響高かったら二回目とか、やるかも知れないじゃん?」
「カメラないところで、二人で釣り行きたいです――めちゃくちゃ緊張したし」
「そうね、また行こうね! んでまた、いっちゃんが料理してね!」
朋美さんが手を振り、僕も合わせる。
「じゃあ次回もお楽しみに~」
「だから、次回って――」
と緩い突っ込みを僕が入れたところで、終了となった。
「お疲れさん。よかったよ」
軽い拍手を鳴らしながら當さんが労ってくれる。
数日後に、編集されて完成したものを朋美さんの部屋で見る。
テロップとナレーションとBGMが入り、二人の仕掛けの解説もあり、適度にカットされた四十分くらいのものはいかにも『番組』らしく仕上がっていた。
後半の調理シーンで、バラエティなどでの料理の時によく聞く定番曲が流れてくすっと笑う。
「――『Rag Time On The Rag』だね」
朋美さんが曲名を言う。
はじめて知った。
つり公園の駐車場代からエサ代、料理のレシピから材料費まで細かく『今回の予算』として出てきて、そういえば聞かれてADさんが細かくメモってたなあ……と思い出す。
ともあれ、自分が女装して出ていることを除けば、まとまっていると思える内容だった。
この日は女装してなかったけど、朋美さんとは――何もなかった。
番組はCSで放送されたあと動画サイトの公式チャンネルにもアップされた。
再生数は――また八桁に届く勢いだったらしい。
◆◇◆
それからさらに数日後、僕はマユミさんに連れて行ってもらった店で、マユミさんが『特製』と言っていたエクステを付けてもらう。
指を通せるくらい細かく取り付けられたつけ毛は自然に馴染む感じで、地毛との差がそれほどないように見えた。
急に自分の髪が胸元まで伸びたような気がして、何度もその髪をいじったり手でまとめてみたりする。
「あらァ、いいじゃなァい」
大柄なマユミさんが手を叩いて言う様は、見慣れると不思議と可愛らしくも見える。
メイクとスキンケアも教えてもらうことになって、脱毛エステも紹介してもらって、ふと思い出して尋ねてみる。
「声の出し方、ってどうやるんですか?」
マユミさんは一度目を丸くしてから細めた。
「イイわ。教えてあげる」
と、数時間のエクステ施術を終えたあと戻った、定休日のマユミさんの店で教わる。
この日は女装していなかったから、単に長髪の男のようになっていた。
「裏声出して少し戻して、裏声直前のその状態でキープ。二枚ある声帯の片方を動かさないまま話すイメージよ。基本はこれだけ。普段からそれで声出すのを意識しなさい。
カラオケで練習するのもアリよォ」
何度かやって、その感覚を覚える。
――そういうのもあって、この日だけでも半日たっぷりお世話になってきたオネエのマユミさんになら相談できる気がしていた。
思い切って話す。
「実際のところ、僕の女装ってどうなんですか?」
ずっと、気になっていた。
朋美さんが何も言わないのは見慣れただけかもしれないし、他に本当のところを聞けそうな相手は思い当たらない。
前にナンパ男に言われた『キモオカマ野郎』はまだ、心にこびりついていた。
――浮かれているだけで、実際はただの『女装してる変態』なのか、とかそんなことも時々思っていたり、メイクを落としたあとに見える男っぽさにヘコむこともある。
ずっと『男らしく』と縛られるように躾けられてきた実家のことも思い出す。
この番組をもし親が見たら卒倒するか、縁を切るか、殺されるか――どれだろう、なんてことも思う。
妹はさらに軽蔑するだろうか。
女の子のような服装をしても、こんな風に髪を伸ばしてもらっても、声を作っても、周りは変な目でしか見ないんじゃないか――とも思う。
そんなことをつらつらと吐き出すと、マユミさんは優しい苦笑を浮かべた。
「樹ちゃんは、動画見た?」
僕が首を振ると、マユミさんは自分のパソコンで見せてくれた。
動画サイトのほうだった。
前に當さんのタブレットで見たナンパ男撃退のよりも、さらに多くのコメントが溢れるように流れる。
『俺もトモちゃんに教わりたい!』『いつきちゃんマジ可愛い』『トモちゃんと同じロッド持ってる!』『釣れたおめ!』『サッパおめ!』『ママカリだな。酢漬け激ウマ。外道とか言う関東人は情弱』『これどこ?』『横須賀だろ。最奥から手前10mくらい、たぶん』『特定早すぎww』『いい釣果おつおめ』『料理上手いな』『いつきちゃん女子力高い』『南蛮漬けいいね』『超ウマそう』『いつきちゃんの手料理食べたい』『いつきちゃん食べたい』『俺は食べられたい』『単発なのこれ? もっとやってほしい』『続編希望』『これレギュラーならCS契約する』『いつきちゃんもトモちゃんもおつ!』『また見たい!』『釣り行きたくなった』
いくらでも出てくる中に否定的なものはほぼなかったし、出ても十倍近い反撃に遭っていた。
「自信持ちなさい」
マユミさんがおしぼりをそっと渡してくれる。
僕は――涙を浮かべていた。
「あたしの若い頃と違って、いい時代になってきてるのよ」
そうか。
マユミさんはもっと偏見に満ちた時を経験してきてるんだ。
目尻を拭く。
「ありがとうございます――ちょっと、気が晴れました」
「それならよかったわ」
ごついマユミさんの柔らかな笑顔は、素敵だと思った。
この次の日、僕は初めて『女の子モード』で大学に行った。
撮影が再開される。
「それでは二時間経ちましたので――」
アジを揚げて盛り付ける。
冷蔵庫から出した料理済の小魚たちは別の皿へ。
「完成でーす」
カメラに向けて披露したのはできたてのアジフライと、イワシとサッパの南蛮漬けだった。
テーブルに運んで、朋美さんと斜めに――どちらの顔もカメラに入る角度で座る。
朋美さんの前にはビール。僕はジンジャーエール。
朋美さんに言われて、エプロンを取って椅子にかける。
「じゃあさっそく、いただきまーす」
二人で乾杯して、お互いにまずは一口。
サクっっ……と気持ちいい音で朋美さんがアジフライにかぶりつき、僕は気になっていたサッパからいってみる。
数秒後――
「うん、おいしいっ!」
朋美さんが歓声をあげた。
「よかったぁ」
と僕は安堵の息をこぼす。
南蛮漬けは、調合した漬け酢のバランスも初めてやってみたにしては思ったよりまとまっていて、抑えた辛味でさらりと食べられるものになっていた。
これも朋美さんに褒められる。
「ビール案件だわこれ、いっちゃんもどう?」
「未成年ですって」
などと軽く喋っていると、當さんが「オッケー!」と声を上げた。
どっと一気に疲れに襲われたように、僕は姿勢を崩す。
當さんが、僕と朋美さんのテーブルに近寄ってきて、南蛮漬けをひとつ取った。
「おっ、本当に美味い」
他のスタッフもやってきて、賛辞をくれる。
「これ店で出せるわァ」
とはマユミさん。
「じゃああと、エンディング撮ろう」
残り少しだからか、當さんの表情はややくだけてきていたけど、いっとき緩んだみんなの空気がまた「仕事モード」になる。
その切替えに僕は驚く。
スタッフが離れて、僕と朋美さんはテーブルの前に立った。
カメラが回りはじめる。
「いっちゃん、どうだった?」
「楽しかったです。僕的には料理ちゃんとできたからよかったなぁ、って」
簡単に打ち合わせしていた締めのトーク。
「うんうん。そうだよね。
ご覧のみなさんにも、釣りの魅力がちょっとでも伝わったらいいと思いまぁす」
朋美さんが笑顔で言う。
「ここまでありがとうございますっ。
それでは『いつきとトモのキャッチ&すとまっく』また次回~」
「えっ? 一回きりじゃないんですか?」
「言葉のアヤ、ってやつ?」
朋美さんは意識して軽く――ギャルらしく喋っているような気がする。
「ほら、反響高かったら二回目とか、やるかも知れないじゃん?」
「カメラないところで、二人で釣り行きたいです――めちゃくちゃ緊張したし」
「そうね、また行こうね! んでまた、いっちゃんが料理してね!」
朋美さんが手を振り、僕も合わせる。
「じゃあ次回もお楽しみに~」
「だから、次回って――」
と緩い突っ込みを僕が入れたところで、終了となった。
「お疲れさん。よかったよ」
軽い拍手を鳴らしながら當さんが労ってくれる。
数日後に、編集されて完成したものを朋美さんの部屋で見る。
テロップとナレーションとBGMが入り、二人の仕掛けの解説もあり、適度にカットされた四十分くらいのものはいかにも『番組』らしく仕上がっていた。
後半の調理シーンで、バラエティなどでの料理の時によく聞く定番曲が流れてくすっと笑う。
「――『Rag Time On The Rag』だね」
朋美さんが曲名を言う。
はじめて知った。
つり公園の駐車場代からエサ代、料理のレシピから材料費まで細かく『今回の予算』として出てきて、そういえば聞かれてADさんが細かくメモってたなあ……と思い出す。
ともあれ、自分が女装して出ていることを除けば、まとまっていると思える内容だった。
この日は女装してなかったけど、朋美さんとは――何もなかった。
番組はCSで放送されたあと動画サイトの公式チャンネルにもアップされた。
再生数は――また八桁に届く勢いだったらしい。
◆◇◆
それからさらに数日後、僕はマユミさんに連れて行ってもらった店で、マユミさんが『特製』と言っていたエクステを付けてもらう。
指を通せるくらい細かく取り付けられたつけ毛は自然に馴染む感じで、地毛との差がそれほどないように見えた。
急に自分の髪が胸元まで伸びたような気がして、何度もその髪をいじったり手でまとめてみたりする。
「あらァ、いいじゃなァい」
大柄なマユミさんが手を叩いて言う様は、見慣れると不思議と可愛らしくも見える。
メイクとスキンケアも教えてもらうことになって、脱毛エステも紹介してもらって、ふと思い出して尋ねてみる。
「声の出し方、ってどうやるんですか?」
マユミさんは一度目を丸くしてから細めた。
「イイわ。教えてあげる」
と、数時間のエクステ施術を終えたあと戻った、定休日のマユミさんの店で教わる。
この日は女装していなかったから、単に長髪の男のようになっていた。
「裏声出して少し戻して、裏声直前のその状態でキープ。二枚ある声帯の片方を動かさないまま話すイメージよ。基本はこれだけ。普段からそれで声出すのを意識しなさい。
カラオケで練習するのもアリよォ」
何度かやって、その感覚を覚える。
――そういうのもあって、この日だけでも半日たっぷりお世話になってきたオネエのマユミさんになら相談できる気がしていた。
思い切って話す。
「実際のところ、僕の女装ってどうなんですか?」
ずっと、気になっていた。
朋美さんが何も言わないのは見慣れただけかもしれないし、他に本当のところを聞けそうな相手は思い当たらない。
前にナンパ男に言われた『キモオカマ野郎』はまだ、心にこびりついていた。
――浮かれているだけで、実際はただの『女装してる変態』なのか、とかそんなことも時々思っていたり、メイクを落としたあとに見える男っぽさにヘコむこともある。
ずっと『男らしく』と縛られるように躾けられてきた実家のことも思い出す。
この番組をもし親が見たら卒倒するか、縁を切るか、殺されるか――どれだろう、なんてことも思う。
妹はさらに軽蔑するだろうか。
女の子のような服装をしても、こんな風に髪を伸ばしてもらっても、声を作っても、周りは変な目でしか見ないんじゃないか――とも思う。
そんなことをつらつらと吐き出すと、マユミさんは優しい苦笑を浮かべた。
「樹ちゃんは、動画見た?」
僕が首を振ると、マユミさんは自分のパソコンで見せてくれた。
動画サイトのほうだった。
前に當さんのタブレットで見たナンパ男撃退のよりも、さらに多くのコメントが溢れるように流れる。
『俺もトモちゃんに教わりたい!』『いつきちゃんマジ可愛い』『トモちゃんと同じロッド持ってる!』『釣れたおめ!』『サッパおめ!』『ママカリだな。酢漬け激ウマ。外道とか言う関東人は情弱』『これどこ?』『横須賀だろ。最奥から手前10mくらい、たぶん』『特定早すぎww』『いい釣果おつおめ』『料理上手いな』『いつきちゃん女子力高い』『南蛮漬けいいね』『超ウマそう』『いつきちゃんの手料理食べたい』『いつきちゃん食べたい』『俺は食べられたい』『単発なのこれ? もっとやってほしい』『続編希望』『これレギュラーならCS契約する』『いつきちゃんもトモちゃんもおつ!』『また見たい!』『釣り行きたくなった』
いくらでも出てくる中に否定的なものはほぼなかったし、出ても十倍近い反撃に遭っていた。
「自信持ちなさい」
マユミさんがおしぼりをそっと渡してくれる。
僕は――涙を浮かべていた。
「あたしの若い頃と違って、いい時代になってきてるのよ」
そうか。
マユミさんはもっと偏見に満ちた時を経験してきてるんだ。
目尻を拭く。
「ありがとうございます――ちょっと、気が晴れました」
「それならよかったわ」
ごついマユミさんの柔らかな笑顔は、素敵だと思った。
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