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3 キャッチ&ストマック
3-3 彼女と知り合いみたいな彼は誰?
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シンプルな白ブラウスと、ランダムな大きさのドットが可愛いと思う膝丈のスカート、薄手のカーディガン。
長くしてもらった髪を左右のお下げにして、控えめにリボンで飾る。
塗りすぎないよう気をつけてメイクする。
普通に講義を受けて、お昼もして、午後の講義にも出る。
驚くくらい、何もなかった。
そもそも友達というか普段から話すような相手がいないからかも知れないけど、僕を見る人はいても何か言ってくることはなく、トイレで――女装しても僕は男なので、男子トイレに入っていた――すれ違った人を焦らせてしまったくらいで、他人と接することがほぼなかった。
僕の見えないところで何か言われてるかも――と思って、昨夜マユミさんに『そんなところ気にしちゃダメ、見えないものは存在しない』とも言われたことをあらためて言い聞かせる。
大丈夫。
緊張や不安でざわついていた心が少し軽くなって、そのままバイトにも行った。
さすがに店長や他のバイトさんには驚かれたけど、今までと変わらないように仕事をしている内に何も言われなくなった。
やっぱり、大丈夫だと思った。
自分が気にしているほど、周りは僕のことを気にしていない。
好きなように――着たいものを着ていいんだ、と思った。
『他人に迷惑をかけない』とか『不快にさせない』とかは気遣うべきとは思うけど、考えすぎなくてもいいような気がした。
その日の気分で女装するかしないか選ぼう――そんな風に思うようになった。
さらに次の日に朋美さんと構内で会った時も、女の子モードだった。
「おおっ、イイじゃん!」
朋美さんが拍手する。
二人で学食へ行ってお茶する。
「どんどん可愛くなってくね、いっちゃん」
「そんなことは――」
僕が声を出すと、朋美さんは目を丸くした。
「おお? 声どうしたの?」
「マユミさんに教えてもらって――」
と、簡単に説明する。朋美さんの「へぇ~」と関心したような表情は珍しかった。
「ますます女子だね。
――この調子で、女の子になる?」
それは……
「僕は――男ですよ、やっぱり」
「そっかぁ」
と朋美さんが笑う。
「ま、どんな風にしてても、樹くんは樹くんだからね」
――いつからか、自覚していた。
僕は、朋美さんのことが好きになっていた。
男として、朋美さんが好きだ。
服や、アクセサリーや、可愛いもの――「女性的な」ものが好きな中の根っこに「僕は男」ということを自認していた。
自分の心は女じゃないか――と考えたりもした。
けれども、そことは何か違う、という気がしていた。
しかし、好きという想いを朋美さんに伝える勇気は、まだ持ちきれないでいた。
朋美さんは僕のことをどう思ってるんだろう。
そもそも、年下で小柄な僕をどう見ているんだろう。
そこまで想っていなくて、僕が告白してこの関係が崩れるのが、怖い。
それならもうしばらく、朋美さんの気持ちが判るまで、このままでいたほうがいいんじゃないか――そんな風にも想っていた。
「――ゃん、いっちゃん」
ぼんやり、朋美さんを眺めていたらしい。
目の前で手を叩かれた。
「大丈夫? 熱中症?」
もう梅雨明けしてるんじゃないか、というくらい雨のない、ともかく暑い日々になっていた。
「あ、大丈夫ですっ。すみません――えっと、何です?」
朋美さんはどこか心配そうに僕を見ながら、もう一度話してくれる。
「いっちゃん、しばらく忘れてるけど、自分のロッドとか見に行かない?」
「行きますっ」
即答していた。
朋美さんと一緒にいたい。
道具もだけど、それよりも、だった。
週末、つり公園の近くにある釣具屋へ行く。
朋美さんと初めて釣りに行った日から、一ヶ月ちょっと過ぎていた。
この日も僕は女の子モードだ。といってもTシャツとデニムスカートだけど。
「どんなのがいいかな~」
慣れた様子で僕を案内する。店員も朋美さんのことを知っているのか『ギャルが何故釣具屋に?』といった顔は見せない。
それより、僕たち二人を見て「テレビ見たよ、めっちゃ良かった」と言ってくれる店員さんが何人かいて、朋美さんと顔を合わせて笑い合う。
まずは、竿――ロッドのコーナーへゆく。
種類が多くて何が違うのか、正直なところ解らない。
「基本的には対象とか釣り方で絞っていくといいよ」
教えてもらって、汎用性のある――何か魚種を狙う、という意識はそれほどなかった。釣れるなら何でもということで、五目釣り用の磯竿を選ぶ。
続けてリール。糸の巻かれているものにする。
以上だった。
「これだけ――?」
「仕掛けとか消耗品買っといてもいいし、まだ予算に余裕があるならロッドケースとかウェアとか見てく?」
選んだロッドとリールで一万円強。ちょっと厳しいけど、あと二・三千円くらいなら……。
「無理しすぎない方がいいよ。一緒に行くならアタシの道具あるし」
そう言ってくれて、結局あと千円ほど追加して、針とエサカゴがセットになったサビキの仕掛けと、錘と針のセットの「チョイ投げ」仕掛けと疑似イソメ、十数個パックのスナップ付きサルカン――糸と仕掛けを繋ぐための金具を買うことにする。
会計をしているところで、朋美さんに声がかけられた。
「トモちゃん?」
そろって振り返ったところに、長身の男の人が立っていた。
涼しげな目もとが爽やかな印象で細身の、僕より年上そうな感じの青年だった。
朋美さんよりもう少し背が高い。
肘にかけた買い物かごには細々と物が入っていて、いかにも釣り経験値の高そうな買い物という気がした。
「え……うそ」
朋美さんがふっくら艷やかな唇を丸く開く。
何とも言えない感情が僕に押し寄せる。
――誰?
彼も驚いたような顔をしていたが、すぐに口をほころばせる。
――朋美さんと、どんな関係?
急に現れて親しげな微笑みを浮かべる彼は、僕にも笑顔を向ける。
「えっと――と、もみ、さん」
買ったものを受け取った僕は、朋美さんと距離を詰める。
――それなのに。
「ごめん、いっちゃん、ちょっと待っててもらっていい?」
と、車のキーを渡された。
「すぐ行くからエンジンかけてエアコン入れてて」
早口に言われて、尋ねる間をくれない。
後ろ髪を引かれる思いたっぷりに、でも仕方なしに僕は店を出る。
背中にかすかに「手術したんだ」とか「トモちゃんは変わったね」とか届く。
ずいぶんと馴れ馴れしい――あとで、教えてくれるんだろうか。
頭がモヤモヤする。
やっぱり、僕の早とちりだったのかな……
外気の熱かぐるぐる巡る想像か、少しクラクラした僕は朋美さんの車に乗って、エアコンを回しはじめるしかなかった。
長くしてもらった髪を左右のお下げにして、控えめにリボンで飾る。
塗りすぎないよう気をつけてメイクする。
普通に講義を受けて、お昼もして、午後の講義にも出る。
驚くくらい、何もなかった。
そもそも友達というか普段から話すような相手がいないからかも知れないけど、僕を見る人はいても何か言ってくることはなく、トイレで――女装しても僕は男なので、男子トイレに入っていた――すれ違った人を焦らせてしまったくらいで、他人と接することがほぼなかった。
僕の見えないところで何か言われてるかも――と思って、昨夜マユミさんに『そんなところ気にしちゃダメ、見えないものは存在しない』とも言われたことをあらためて言い聞かせる。
大丈夫。
緊張や不安でざわついていた心が少し軽くなって、そのままバイトにも行った。
さすがに店長や他のバイトさんには驚かれたけど、今までと変わらないように仕事をしている内に何も言われなくなった。
やっぱり、大丈夫だと思った。
自分が気にしているほど、周りは僕のことを気にしていない。
好きなように――着たいものを着ていいんだ、と思った。
『他人に迷惑をかけない』とか『不快にさせない』とかは気遣うべきとは思うけど、考えすぎなくてもいいような気がした。
その日の気分で女装するかしないか選ぼう――そんな風に思うようになった。
さらに次の日に朋美さんと構内で会った時も、女の子モードだった。
「おおっ、イイじゃん!」
朋美さんが拍手する。
二人で学食へ行ってお茶する。
「どんどん可愛くなってくね、いっちゃん」
「そんなことは――」
僕が声を出すと、朋美さんは目を丸くした。
「おお? 声どうしたの?」
「マユミさんに教えてもらって――」
と、簡単に説明する。朋美さんの「へぇ~」と関心したような表情は珍しかった。
「ますます女子だね。
――この調子で、女の子になる?」
それは……
「僕は――男ですよ、やっぱり」
「そっかぁ」
と朋美さんが笑う。
「ま、どんな風にしてても、樹くんは樹くんだからね」
――いつからか、自覚していた。
僕は、朋美さんのことが好きになっていた。
男として、朋美さんが好きだ。
服や、アクセサリーや、可愛いもの――「女性的な」ものが好きな中の根っこに「僕は男」ということを自認していた。
自分の心は女じゃないか――と考えたりもした。
けれども、そことは何か違う、という気がしていた。
しかし、好きという想いを朋美さんに伝える勇気は、まだ持ちきれないでいた。
朋美さんは僕のことをどう思ってるんだろう。
そもそも、年下で小柄な僕をどう見ているんだろう。
そこまで想っていなくて、僕が告白してこの関係が崩れるのが、怖い。
それならもうしばらく、朋美さんの気持ちが判るまで、このままでいたほうがいいんじゃないか――そんな風にも想っていた。
「――ゃん、いっちゃん」
ぼんやり、朋美さんを眺めていたらしい。
目の前で手を叩かれた。
「大丈夫? 熱中症?」
もう梅雨明けしてるんじゃないか、というくらい雨のない、ともかく暑い日々になっていた。
「あ、大丈夫ですっ。すみません――えっと、何です?」
朋美さんはどこか心配そうに僕を見ながら、もう一度話してくれる。
「いっちゃん、しばらく忘れてるけど、自分のロッドとか見に行かない?」
「行きますっ」
即答していた。
朋美さんと一緒にいたい。
道具もだけど、それよりも、だった。
週末、つり公園の近くにある釣具屋へ行く。
朋美さんと初めて釣りに行った日から、一ヶ月ちょっと過ぎていた。
この日も僕は女の子モードだ。といってもTシャツとデニムスカートだけど。
「どんなのがいいかな~」
慣れた様子で僕を案内する。店員も朋美さんのことを知っているのか『ギャルが何故釣具屋に?』といった顔は見せない。
それより、僕たち二人を見て「テレビ見たよ、めっちゃ良かった」と言ってくれる店員さんが何人かいて、朋美さんと顔を合わせて笑い合う。
まずは、竿――ロッドのコーナーへゆく。
種類が多くて何が違うのか、正直なところ解らない。
「基本的には対象とか釣り方で絞っていくといいよ」
教えてもらって、汎用性のある――何か魚種を狙う、という意識はそれほどなかった。釣れるなら何でもということで、五目釣り用の磯竿を選ぶ。
続けてリール。糸の巻かれているものにする。
以上だった。
「これだけ――?」
「仕掛けとか消耗品買っといてもいいし、まだ予算に余裕があるならロッドケースとかウェアとか見てく?」
選んだロッドとリールで一万円強。ちょっと厳しいけど、あと二・三千円くらいなら……。
「無理しすぎない方がいいよ。一緒に行くならアタシの道具あるし」
そう言ってくれて、結局あと千円ほど追加して、針とエサカゴがセットになったサビキの仕掛けと、錘と針のセットの「チョイ投げ」仕掛けと疑似イソメ、十数個パックのスナップ付きサルカン――糸と仕掛けを繋ぐための金具を買うことにする。
会計をしているところで、朋美さんに声がかけられた。
「トモちゃん?」
そろって振り返ったところに、長身の男の人が立っていた。
涼しげな目もとが爽やかな印象で細身の、僕より年上そうな感じの青年だった。
朋美さんよりもう少し背が高い。
肘にかけた買い物かごには細々と物が入っていて、いかにも釣り経験値の高そうな買い物という気がした。
「え……うそ」
朋美さんがふっくら艷やかな唇を丸く開く。
何とも言えない感情が僕に押し寄せる。
――誰?
彼も驚いたような顔をしていたが、すぐに口をほころばせる。
――朋美さんと、どんな関係?
急に現れて親しげな微笑みを浮かべる彼は、僕にも笑顔を向ける。
「えっと――と、もみ、さん」
買ったものを受け取った僕は、朋美さんと距離を詰める。
――それなのに。
「ごめん、いっちゃん、ちょっと待っててもらっていい?」
と、車のキーを渡された。
「すぐ行くからエンジンかけてエアコン入れてて」
早口に言われて、尋ねる間をくれない。
後ろ髪を引かれる思いたっぷりに、でも仕方なしに僕は店を出る。
背中にかすかに「手術したんだ」とか「トモちゃんは変わったね」とか届く。
ずいぶんと馴れ馴れしい――あとで、教えてくれるんだろうか。
頭がモヤモヤする。
やっぱり、僕の早とちりだったのかな……
外気の熱かぐるぐる巡る想像か、少しクラクラした僕は朋美さんの車に乗って、エアコンを回しはじめるしかなかった。
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