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4 JD(女装大学生)生活、はじめます
4-2 ナンパ? じゃなくて仕事
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衣笠駅まで歩く。
ああ言って別れてきたけど、実際のところバイトの時間まではまだまだある。
どうしようかと思いながら、自宅へ向かうのとは反対方向――上りに乗った。
朋美さんにメッセージを送っておいて、横須賀駅までぼんやりと車窓の風景を眺める。
そんなに「イナカ感」はないと思っていたけど、FCSの局がある都内と比べるとやっぱり、高い建物はあまりなく緑が多い。
でもそれはかえって、住みやすい、いい街だなと思う。
着信があってスマホを見る。
朋美さんからの返信だった。
『アタシは興味ないけど、いっちゃんは入ってみたいの?』
釣りサークルのことを書いていたので、そのコメントだった。
気になったことは見透かされているような気がした。
『ちょっと、迷ってます』
と送る。
駅に着いた。
降りると、なおも暑い。
駅からすぐのところにヴェルニー公園がある。
花で彩られ、海を望める公園で、軍艦の記念碑の向こうにイオンが見える。
そのイオンで服を見るか、歩道橋をこえてもう少し、どぶ板通りまで歩いてミリタリー系のショップを覗いてみようか、ミリジャケとスカートを合わせるのも可愛いかもなぁ……とか考えていると、スマホが震えた。
『どっちでもいいと思うよ。サークルなんて、見てみて、違うと思ったらやめればいいんだし』
朋美さんはスタンプを使わない。
文字ばっかりが続く。
『アタシが見た時は磯メインの人はいなかったよ。今いたら参考になるかも知れないけどね』
と、いうことは昔行ってみて、それで興味の対象から外したってことなのかな。
磯メインの人がいない、ということは渓流とかバスとかそっち方面なのかな――釣りのジャンルが違うのは、FCSにお世話になるようになって知った。というか番組の三割くらいはバス釣り関係だ。
何となく、歩道橋を昇る。
上から車の流れを眺めていると、見覚えのある車が目に入った。
小さくて角ばった、ちょっと古そうな軽自動車――あれ、朋美さんのじゃないか?
歩道橋から身を乗り出すようにして見る。
信号待ちで停まった車の助手席に座っているギャルっぽいのは朋美さん?
運転席には男の人――いや、前にイトコって言っていた『もと女性』のユキさん?
その二人が談笑しているように見える。
歩道橋を急いで降りる。
信号が変わり、車がスタートする。
「あ――ぁっ」
車は西――さっき僕が歩いてきたJRの駅の方角に向かって走り、すぐに小さくなってゆく。
訊いてみようか。
僕はスマホを見て――書けなかった。
聞くのが、怖かった。
しばらくそのまま呆然としていると、
「あなたが、いつきちゃんだね――男の娘の」
ハキハキした女の人の声がして、顔を上げた。
僕の目の前にいたのは、脱いだジャケットを肘にかけた、いかにもキャリアウーマンという感じの女性だった。
薄めのメイクと、キリッとした瞳、簡単にくるっとまとめてクリップで留めた茶髪。
僕より、身長がある。
初対面だ――つくづく今日は、僕は知らないけど向こうは知っている人と会う日だな、と熱と不安でぼんやりした頭で考える。
彼女はスマホの画面と僕を見比べているようで、「なるほどね。実物見ても確かに女子だわ。オフショルも似合ってるし」と僕にさらに近寄ってくる。
「あ、あの……」
一歩退く。
彼女はわずかに目を丸くして、ブランド物らしいバッグから名刺入れを出した。
「私はこういう者。不審がらないで」
今日二枚目の名刺には『フックプロダクション プロデューサー 蕪井靖子』とあった。
「プロダクション……?」
「當さんから聞いてない?」
蕪井さんは手で顔を扇ぎながら言う。
「あなたとトモ――朋美ちゃんが楽曲とかグラビアとかそういうことをするにあたって、あらためてちゃんと所属事務所を用意するって」
「あぁ……はい」
「ロケハン前の下見、みたいなつもりで来てみたけど、運がよかったわ」
そう言いながら、蕪井さんは僕にやや疲れたような目を向ける。
「それはいいけど――近くに涼めるところ、ない? 向こうのイオンの中?」
額に汗がにじんでいた。
僕は彼女の背後を指差した。
交差点のところに、カフェがある。
――アイスティーを半分くらい飲んでからようやく落ち着いた調子で、蕪井さんはあらためて話しはじめた。
「能登ひかるちゃんのことは知ってるよね?」
意外な切り口だった。
「一緒に釣りしたことがあります」
「あの子もウチの所属よ。これで安心できる?」
「いや、疑ってるわけじゃないですけど……」
僕が不安そうな顔をし続けているからだろうか、蕪井さんは「そう?」と紅茶を飲み干し、二杯目をオーダーする。
僕はアイスカフェラテをゆるゆると混ぜ続けている。
今の僕は、さっき見た朋美さんのことで気もそぞろな――
「朋美さん――士杜先輩とは、もうお話されたんですか?」
思いついて尋ねてみる。
「まだ」
蕪井さんが肩をすくめる。
「言ったでしょ。下見程度だって。
会うつもりならちゃんとアポ取って来るわよ。あなたは偶然見かけたから声かけたけど、会えるとは思ってなかったし」
早口だった。さっきの手寅さんの慌てたような口調ではなく、もともとこういう速度で話す人のようだ。
それにしても、と僕を覗き込むように見てくる。
「ほんと可愛い。こんなに女の子してるなら、男なの隠した番組にしてもいいだろうに。當さんも正直なんだから……」
「それは――あの、先に動画があったから」
「知ってるわよ。私も見た。今更だったってのも解ってる」
蕪井さんが座りなおす。
「最初の動画、私も良かったと思ってる。コメントにもあったけど、あなたが格好良かったし、痛快だったわ。
あなたたちの番組も最初から見てる。準レギュになってから声変わったけど、手術したの?」
首を振る。
「これはマユミさん――メイクさんに教わって」
「男声は出せるの?」
言われて、んっ、と喉を鳴らす。
「こう――ですか」
久しぶりに出す、自分の男の声だった。
蕪井さんが目を大きくした。
「変な指示してごめん。女の子に戻して」
何度か声を出さずに喉を動かす。
「驚いた。面白いね、男の娘って」
おかわりしたアイスティーも半分くらい減っていた。
「ま、最初から男の娘だって明かしてたら、それはそれでやりようはあるわね。上は脱げるけど、あえて隠すのも面白いし」
ストローでからからと氷を鳴らす。
「彼は編集上手いし、朋美ちゃんとあなたという素材もいいし、釣りから料理という構成もメリハリあるし、よくできてるよ『キャッチ&すとまっく』って」
「あ――ありがとうございます」
「おお、本当に声変えられるんだ」
蕪井さんがバッグからタブレットを取り出す。
「具体的には明後日にするけど、いつきちゃんはどこまでイケるの? 水着はOK?」
「み――水着っ!?」
海とは聞いていたけど、そこまでは初耳だ。
「衣装は手配するわ。九号でいいのよね? 羨ましい身体してるわ」
「えっと、あの……男ですよ僕」
「解ってるってば」
ずっ、と蕪井さんのグラスが鳴る。
「あるの?」
蕪井さんが視線を下げてきて、僕は質問の意図を察して頷く。
「いいわ」
短く言って、グラスの氷をまた弄る。
「目立たないようにしつつ可愛いのにして、男も釣れるような、ね」
と、軽く言って笑った。
女の子の水着――
欲が勝る。
「そうだ、朋美ちゃん呼べる? できたらついでに挨拶しておきたい」
心臓が跳ねる。
いや、でもこれなら――蕪井さんを言い訳にしたら、朋美さんに連絡できる。
「聞いてみます」
通話と迷ってメッセージにする。
『いま偶然、當さんが言ってた芸能事務所の人と会ってるんですけど、来れます?』
場所も送る。
ここのカフェは朋美さんも知っている。
しばらく待つ。
『ごめん、今ちょっと出かけてる。ていうか明後日じゃなかった?』
返信にはそうあった。
やっぱりさっきのは……
『下見とかで横須賀に来たそうですよ』
蕪井さんには「出かけてるみたいです」と報せる。
『なるほどねー。じゃあ明日にでもどんな人だったか聞かせてよ』
朋美さんは顔文字も使わない。
素っ気なく見える――けど、きっと、そうじゃない。
僕は『わかりました』とだけ返して、スマホを置いた。
「それじゃ仕方ないね」
蕪井さんは氷が溶けてきた水を少し飲んで、タブレットをいじる。
さっきので終わりかと思ってたら、僕のスマホがメッセージの着信を知らせた。
『いっちゃん、アクセで持ってない色教えて』
朋美さんだった。
どういうことだろう……ていうか、朋美さんは僕のことをすっかり「女の子」として見ているんだろうか。
妹みたいな感覚なんだろうか。
そう思いつつも答える。
「じゃあ――」
蕪井さんが言いかけた時、今度はスマホが長めに震えはじめた。
通話かと思って飛びつくようにして見る――アラームだった。
「電話?」
「いえ」
僕はアラームを止めた。
「そろそろ、バイト行く時間なんです」
ああ言って別れてきたけど、実際のところバイトの時間まではまだまだある。
どうしようかと思いながら、自宅へ向かうのとは反対方向――上りに乗った。
朋美さんにメッセージを送っておいて、横須賀駅までぼんやりと車窓の風景を眺める。
そんなに「イナカ感」はないと思っていたけど、FCSの局がある都内と比べるとやっぱり、高い建物はあまりなく緑が多い。
でもそれはかえって、住みやすい、いい街だなと思う。
着信があってスマホを見る。
朋美さんからの返信だった。
『アタシは興味ないけど、いっちゃんは入ってみたいの?』
釣りサークルのことを書いていたので、そのコメントだった。
気になったことは見透かされているような気がした。
『ちょっと、迷ってます』
と送る。
駅に着いた。
降りると、なおも暑い。
駅からすぐのところにヴェルニー公園がある。
花で彩られ、海を望める公園で、軍艦の記念碑の向こうにイオンが見える。
そのイオンで服を見るか、歩道橋をこえてもう少し、どぶ板通りまで歩いてミリタリー系のショップを覗いてみようか、ミリジャケとスカートを合わせるのも可愛いかもなぁ……とか考えていると、スマホが震えた。
『どっちでもいいと思うよ。サークルなんて、見てみて、違うと思ったらやめればいいんだし』
朋美さんはスタンプを使わない。
文字ばっかりが続く。
『アタシが見た時は磯メインの人はいなかったよ。今いたら参考になるかも知れないけどね』
と、いうことは昔行ってみて、それで興味の対象から外したってことなのかな。
磯メインの人がいない、ということは渓流とかバスとかそっち方面なのかな――釣りのジャンルが違うのは、FCSにお世話になるようになって知った。というか番組の三割くらいはバス釣り関係だ。
何となく、歩道橋を昇る。
上から車の流れを眺めていると、見覚えのある車が目に入った。
小さくて角ばった、ちょっと古そうな軽自動車――あれ、朋美さんのじゃないか?
歩道橋から身を乗り出すようにして見る。
信号待ちで停まった車の助手席に座っているギャルっぽいのは朋美さん?
運転席には男の人――いや、前にイトコって言っていた『もと女性』のユキさん?
その二人が談笑しているように見える。
歩道橋を急いで降りる。
信号が変わり、車がスタートする。
「あ――ぁっ」
車は西――さっき僕が歩いてきたJRの駅の方角に向かって走り、すぐに小さくなってゆく。
訊いてみようか。
僕はスマホを見て――書けなかった。
聞くのが、怖かった。
しばらくそのまま呆然としていると、
「あなたが、いつきちゃんだね――男の娘の」
ハキハキした女の人の声がして、顔を上げた。
僕の目の前にいたのは、脱いだジャケットを肘にかけた、いかにもキャリアウーマンという感じの女性だった。
薄めのメイクと、キリッとした瞳、簡単にくるっとまとめてクリップで留めた茶髪。
僕より、身長がある。
初対面だ――つくづく今日は、僕は知らないけど向こうは知っている人と会う日だな、と熱と不安でぼんやりした頭で考える。
彼女はスマホの画面と僕を見比べているようで、「なるほどね。実物見ても確かに女子だわ。オフショルも似合ってるし」と僕にさらに近寄ってくる。
「あ、あの……」
一歩退く。
彼女はわずかに目を丸くして、ブランド物らしいバッグから名刺入れを出した。
「私はこういう者。不審がらないで」
今日二枚目の名刺には『フックプロダクション プロデューサー 蕪井靖子』とあった。
「プロダクション……?」
「當さんから聞いてない?」
蕪井さんは手で顔を扇ぎながら言う。
「あなたとトモ――朋美ちゃんが楽曲とかグラビアとかそういうことをするにあたって、あらためてちゃんと所属事務所を用意するって」
「あぁ……はい」
「ロケハン前の下見、みたいなつもりで来てみたけど、運がよかったわ」
そう言いながら、蕪井さんは僕にやや疲れたような目を向ける。
「それはいいけど――近くに涼めるところ、ない? 向こうのイオンの中?」
額に汗がにじんでいた。
僕は彼女の背後を指差した。
交差点のところに、カフェがある。
――アイスティーを半分くらい飲んでからようやく落ち着いた調子で、蕪井さんはあらためて話しはじめた。
「能登ひかるちゃんのことは知ってるよね?」
意外な切り口だった。
「一緒に釣りしたことがあります」
「あの子もウチの所属よ。これで安心できる?」
「いや、疑ってるわけじゃないですけど……」
僕が不安そうな顔をし続けているからだろうか、蕪井さんは「そう?」と紅茶を飲み干し、二杯目をオーダーする。
僕はアイスカフェラテをゆるゆると混ぜ続けている。
今の僕は、さっき見た朋美さんのことで気もそぞろな――
「朋美さん――士杜先輩とは、もうお話されたんですか?」
思いついて尋ねてみる。
「まだ」
蕪井さんが肩をすくめる。
「言ったでしょ。下見程度だって。
会うつもりならちゃんとアポ取って来るわよ。あなたは偶然見かけたから声かけたけど、会えるとは思ってなかったし」
早口だった。さっきの手寅さんの慌てたような口調ではなく、もともとこういう速度で話す人のようだ。
それにしても、と僕を覗き込むように見てくる。
「ほんと可愛い。こんなに女の子してるなら、男なの隠した番組にしてもいいだろうに。當さんも正直なんだから……」
「それは――あの、先に動画があったから」
「知ってるわよ。私も見た。今更だったってのも解ってる」
蕪井さんが座りなおす。
「最初の動画、私も良かったと思ってる。コメントにもあったけど、あなたが格好良かったし、痛快だったわ。
あなたたちの番組も最初から見てる。準レギュになってから声変わったけど、手術したの?」
首を振る。
「これはマユミさん――メイクさんに教わって」
「男声は出せるの?」
言われて、んっ、と喉を鳴らす。
「こう――ですか」
久しぶりに出す、自分の男の声だった。
蕪井さんが目を大きくした。
「変な指示してごめん。女の子に戻して」
何度か声を出さずに喉を動かす。
「驚いた。面白いね、男の娘って」
おかわりしたアイスティーも半分くらい減っていた。
「ま、最初から男の娘だって明かしてたら、それはそれでやりようはあるわね。上は脱げるけど、あえて隠すのも面白いし」
ストローでからからと氷を鳴らす。
「彼は編集上手いし、朋美ちゃんとあなたという素材もいいし、釣りから料理という構成もメリハリあるし、よくできてるよ『キャッチ&すとまっく』って」
「あ――ありがとうございます」
「おお、本当に声変えられるんだ」
蕪井さんがバッグからタブレットを取り出す。
「具体的には明後日にするけど、いつきちゃんはどこまでイケるの? 水着はOK?」
「み――水着っ!?」
海とは聞いていたけど、そこまでは初耳だ。
「衣装は手配するわ。九号でいいのよね? 羨ましい身体してるわ」
「えっと、あの……男ですよ僕」
「解ってるってば」
ずっ、と蕪井さんのグラスが鳴る。
「あるの?」
蕪井さんが視線を下げてきて、僕は質問の意図を察して頷く。
「いいわ」
短く言って、グラスの氷をまた弄る。
「目立たないようにしつつ可愛いのにして、男も釣れるような、ね」
と、軽く言って笑った。
女の子の水着――
欲が勝る。
「そうだ、朋美ちゃん呼べる? できたらついでに挨拶しておきたい」
心臓が跳ねる。
いや、でもこれなら――蕪井さんを言い訳にしたら、朋美さんに連絡できる。
「聞いてみます」
通話と迷ってメッセージにする。
『いま偶然、當さんが言ってた芸能事務所の人と会ってるんですけど、来れます?』
場所も送る。
ここのカフェは朋美さんも知っている。
しばらく待つ。
『ごめん、今ちょっと出かけてる。ていうか明後日じゃなかった?』
返信にはそうあった。
やっぱりさっきのは……
『下見とかで横須賀に来たそうですよ』
蕪井さんには「出かけてるみたいです」と報せる。
『なるほどねー。じゃあ明日にでもどんな人だったか聞かせてよ』
朋美さんは顔文字も使わない。
素っ気なく見える――けど、きっと、そうじゃない。
僕は『わかりました』とだけ返して、スマホを置いた。
「それじゃ仕方ないね」
蕪井さんは氷が溶けてきた水を少し飲んで、タブレットをいじる。
さっきので終わりかと思ってたら、僕のスマホがメッセージの着信を知らせた。
『いっちゃん、アクセで持ってない色教えて』
朋美さんだった。
どういうことだろう……ていうか、朋美さんは僕のことをすっかり「女の子」として見ているんだろうか。
妹みたいな感覚なんだろうか。
そう思いつつも答える。
「じゃあ――」
蕪井さんが言いかけた時、今度はスマホが長めに震えはじめた。
通話かと思って飛びつくようにして見る――アラームだった。
「電話?」
「いえ」
僕はアラームを止めた。
「そろそろ、バイト行く時間なんです」
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