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第四帖 忍戦
4-1 戦(1)
しおりを挟む夜も、更けてきていた。
菊羽の頭巾は剥ぎ取られないまま、男は菊羽の装束を切り裂いていた。
「やめろ――っ」
ふふ、と男は笑う。
「人も呼ばずこうしているのは、何のためか」
「――えっ」
小浦の江戸屋敷の、塀のそばにいた。
低い灌木が等間隔で植えられているだけで、目立つものや隠れられるところは地上には、ない。
建物からはやや離れた地面に、菊羽は組み敷かれていた。
男が刀の柄頭で菊羽の肩口を強く殴る。
「かはっ!」
声をもらした菊羽の背が跳ねる。
男は巧みに菊羽の体の、筋や関節など要となる箇所に時折打撃を与え、菊羽の抵抗を削いでいた。
下卑た笑声を男がこぼす。
「俺ひとりで楽しむためよっ」
と、菊羽の胸に手をおいた。
「嫌っ、やっ――」
男の指が胸から下腹部へ下りてゆく。
「女忍びというものを一度、味おうてみたかったのだ。だから、頭巾は取らずにおいてやっている。
じっくり楽しんでから、お前の正体を暴いてやろう」
男は菊羽の装束をすべて取り去らず、胸から股までのみを夜風に晒す。
「女忍びはこっちの技も、あるのだろう」
にやついた声で、男の手が菊羽の体をまさぐる。
菊羽は腰を左右に振って男の手を抗う。
「もっと肉付きのよいほうが好みではあるが、まあよい」
「なっ、やめろ、いやっ」
男が袴を脱いだ。
片手で自分の股に手を入れ、しゅるりと抜き取った褌で菊羽の手首を縛る。
「まだ若そうだが、どうせ数々の男を知っておるのだろう」
「なっ――そんなこと、っ」
菊羽は否定する。
男とこういう行為に及んだことなど、ない――と云うより、女の体となって、一年も経っていない。
男の手が菊羽の股間を探る。
「どれだけしておるのかはともかく、締まりのよさそうな具合じゃねえか。これも忍びの技のうちか」
「ひっ!!!」
菊羽が引きつった息を吸う。
男の腰が、下りる。
その間にあるものの先端が、菊羽の股間に触れていた。
菊羽が体ごと、頭上のほうへ逃げる。
「逃げても無駄だぞ。ほおれッ」
男が腰で追う。
菊羽はさらに、ずるずると逃げる。
男の手が菊羽の腰をつかんで止め、胸を荒く揉む。
踏み押さえられていた片足が緩み、菊羽が膝を振り上げた。
「んぐぉ!?」
男が妙な声を上げた。
菊葉の膝が、男の股間に刺さっていた。
男は顎をあげて頬を膨らませる。
ごほっと喉から妙な音を立てて口に溜まっていた息を吐き、白目をむいた。
崩れ落ちるのを、菊羽は半身ほど避ける。
手首の拘束を解く。
胸にかかっていた男の腕を持ち上げて、下から抜け出した。
「はぁっ――ぁっ」
何度も息を荒めに吸い吐きして、呼吸を整える。
切られた装束をかき集めて、胸と腰に布を巻きつける。
投げた棒手裏剣を回収してきてから、男の様子を窺う。
腰をぴくぴくと不規則に震えさせ、なおも起き上がる様子のない男の股間は、不自然な格好に歪んでいた。
「――潰した、かな」
そっと菊羽は呟く。
今の体にはないとはいえ、元服前まで菊羽も持っていたものである。修行しても鍛えられない場所のひとつであった。
その痛みは、体が覚えている。
「でも――お前が悪いんだからなっ」
そう言い捨てて、菊羽は一度天を見上げ、地を蹴った。
一足で塀まで跳び、一旦屋敷の外へ出た。
屋敷を背にして走り、ぐるりと回って戻る。
他家の江戸屋敷と近いところから再度敷地の内側に入り、屋根から忍び込んで環の部屋の隣に潜り込んだ。
そこが、菊羽に――環の女中として充てがわれた部屋であった。
行灯に火は点けず、暗闇の中手探りで長櫃を探り、ひとつの袋を取り出した。
その袋から、先の曲がったものを出す。
中に入っていたのは、牛の角であった。
内部が削られ、空洞になっている。
袋からはさらに、別の小袋を出して中身を少量、角の中に静かに入れて蓋をする。
それほど間を置かず、角がぼう、と光りはじめた。
菊羽が長櫃の縁にその角を引っ掛けると、行灯よりも弱い光がうっすらと菊羽の周囲のみを照らす。
水銀と鳥の羽で起こる化学反応で生じる光を用いた、いわば懐中電灯のようなものであった。
これを、義経松明という。
菊羽は装束を解いて長櫃の奥に隠し、女中の寝間着に着替え、髪を結い直す。
長櫃に入れていた二冊の書を出したところで、
「――菊」
奥の間から、小声が届いた。
「環、さま……」
起きていたか、音を立てないように気を付けていた菊羽の気配に気付いたのか、続きになっている襖を開けて、環が顔を出した。
手招きに従って、菊羽はその明かりを手に、環の部屋に入る。
「どうじゃ」
ごく抑えた声で訊く。
菊羽は、小さく頷いた。
その瞳から、わずかにしずくがこぼれるのを、環は見逃さなかった。
「――何があった」
「いえ」
菊羽は首を振る。
一房、結い残していた髪が揺れる。
「酉谷――さまは、殿のことを『治昭のやつ』と」
環は菊羽の腕を引く。
「当たり、であったか」
「断ずるには――材料が足りませぬ」
そう言って、菊羽は唇を噛む。
「察されてしまいました――申し訳ありません」
「そうか。
――これは?」
環が、菊羽の手首に残っていた擦り傷を見ていた。
「油断、しました」
「……菊」
環が、菊羽の首元に鼻を寄せる。
「男に襲われたか」
「うっ――環、さま……」
菊葉が涙をまた落とした。
環は菊羽を抱き寄せ、その背を優しくさする。
「嫌な思いを、させてしまったのじゃな」
「いえ……私が、未熟なのです」
菊羽は強く唇を結び直した。
「男なのに男に襲われるなど、恥辱の極み――」
「させぬぞ」
環の手が、菊羽がいつの間にか握っていた短刀を抑えた。
「菊は妾の女じゃ。勝手な真似は許さぬぞ」
「環さま……?」
「それに、まだ働いてもらわねばならぬ。
今宵で調べきれなかったのであれば、二晩でも三晩でも、従兄どのがまことに兄上を狙っているのか、そうでないのか、見極めねばならぬ。
そうであろう」
環が、菊羽の力が抜けた手から短刀を奪う。
「環、さま……」
「妾には菊しかおらぬ。頼りに、しておるのじゃ」
あまり素材を入れていなかった松明が消えた。
羽根を追加して、ふたたびぼわりと光る角の明かりを環と菊羽で挟む。
「顔は、見られていないのじゃな」
慰めつつも、環が念を押す。
菊羽はどうにか落ち着いた表情で、頷く。
「ここに戻るまで、私の頭巾はそのままでした」
「変わった趣向の男じゃな」
環は嘲笑のように唇の片側だけを上げた。
「まあ、忘れてしまうのが一番じゃ。
そうじゃ、菊――明日はともに、風呂屋へ行くか。
江戸の風呂というもの、旅の土産に行っておくのも悪くなかろう」
「環さま、そんな、呑気なこと――」
「よいのじゃ」
環が菊羽の言葉を遮る。
「妹姫は江戸で遊んでおる、と従兄どのが思えば油断もしよう」
なるほど、と菊羽はうなずく。
「引き続き、頼むぞ」
「はっ」
「ただし、今宵よりもなおいっそう、慎重にな。妾の菊を失いとうない」
環は再度、菊羽を抱き寄せる。
「環さま……」
菊羽は胸の詰まった声を、呟くようにもらした。
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