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01 魔法少女!?

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 かなめ市は、合併や交通網の整備に伴って、ここ数年で新しいベッドタウンという位置を確保しつつある町だ。
 施設も環境も計画的に敷かれてゆくのは機能的でもあり、そこにはどこか無機的な雰囲気も漂うが、一方で昔からの自然や営みには敬意が払われている。
 不用意に、あるいは無配慮に野山が切り払われ崩されることもなく、地図の空白を埋めるように広がる人の町との共存が図られてはいるのだ。
 そのためか、昇の通っている『くさび学園』のすぐ裏にも小高い丘がなだらかな稜線を描いている。
 楔学園はこの新興の町の人口増を見込んで設立された学校だ。
 まだまだ年数も浅く設備なども新しい反面、学校からも行くことのできるその丘――通称『裏山』と呼ばれているそこにはいつの時代からあるのかかなりの古さを感じさせる小さな祠があり、またその山林も維持に努められている。
 町の発展に伴って人口は急激に増えていて、駅周辺の店などもバリエーションに富み、その規模や品の多寡はあれど、おおむね市内でほとんどの用件が事足りる程度にはなっている。
 昇の親もその他多くの人らと同じく、この町の都市化に合わせて移り住んできた。昇が幼い頃のことだったため、昇にとって育ち故郷であるここはある意味、世界だった。
 比嘉昇は、この春に中学二年になったところだ。
 これから成長期といえば聞こえはいいが、平均よりは小柄な体に眼鏡で男性らしい兆しも薄い上に地味な空気を漂わせ、どちらかといえばクラスでも目立たない存在ではある昇には、浅賀くるみはそれこそ陽光のように眩しかった。
 進級してクラスメイトになった浅賀くるみは、すらりとした健康的な肢体が女性らしい柔らかなラインを描き始め、柔和な切れ長気味の目もすっと通った鼻筋もほのかな厚みと艶のある唇も、大抵の人が美少女と形容するに相応しい女子だ。
 長めの髪はポニーテールにして快活な印象を醸しだし、誰とでも明るく爽やかに接する姿は昇もよく目にする。
 特に意識しはじめてから、昇は彼女に関する情報を秘かに集めていた。
 水泳部所属。その上一年の頃から女子のエースとして活躍し、試合などではレギュラーであり、校内や県内の記録を塗り替えることもしばしば。
 クラスメイトとは云っても直接何かの関係が持てているわけではない。クラス委員もしている彼女の姿に隙あれば視線を送っている程度だ。彼女と話をしたことはこの数ヶ月でわずか数えられるほど。それも用件のあるもの――委員の仕事や、日直や、挨拶くらいであり、これだけで昇とくるみの間に昇の望むような関係が築かれた、などと思うのは早計すぎで、昇の夢想でしかなかった。
 ――昇がくるみに慕情を抱きはじめた発端は、ほんの小さなものだった。
 大して言えるほどの取り柄のない昇が、一年ほど前に観た流星群をきっかけに天文部の扉を叩き、それまで解散寸前だった部は首の皮一枚で存続を許されたのだが、そこで得ていたいくらかの知識や道具がくるみに感心された――そんなことが春頃にあったのだ。
 彼女の上辺だけには到底見えない優しさを浴びた昇が彼女に惹かれ、特別な想いが芽生えたのはそこからだった。
 それは挨拶程度の会話も、見ているだけの日々も肥料にしてぐんぐんと生長していた。何かにつけて昇はくるみのことに想いを馳せ、『浅賀さんだったらどう思うだろう』と想像しては鼓動を早め、気がつけば彼女の姿を追っていた。
 その想いは秘めて出さず、悶々とした日常をこれまで数ヶ月送っていた。
 期末テストも終え、夏休みも近くなってきた最近になって、昇はついにその気持ちを手紙にしたため、鞄に忍ばせていた。
 一学期の終業式までには渡したい、そう鞄に入れてからすでに数日が過ぎていた。
 手紙は結局まだ、昇の鞄から出られていないまま、昇は日常を流していた。


 その昇は今、三階分の高さを一気に落ちていた。
 土煙を上げて腰から着地し、派手な音を立てる。
「痛っ……く、ない?」
 腰を上げて尻の砂を払いながら、昇はそう呟いていた。
「ほら、こっちよ、ヘンタイ少年」
 宙に浮いたエリーは昇をやや見下ろす高さから昇に、冷ややかな声をかける。
 エリーは昇の返事を待たずに踵を返し、校門とは反対側に向かって飛んで行く。
「ヘンタイって言わないでよ。っていうか、待ってよ」
 昇は立ち上がって周囲を見回すが、人の来る気配はない。
 じょじょに黄昏時は色濃さを増してきていた。
 昇はエリーを追って走る。
 エリーは校舎沿いに山に向かっていた。校舎と渡り廊下でつながっている視聴覚棟も通り過ぎて更に進む。
「う……裏山?」
 エリーの飛行速度はその図体に似合わず速く、追いかける昇はじりじりと離されていた。それでも、昇はその進行方向から目的地の見当を付けていた。
 昇にとっては幸い、建物の陰になって人目にはついていなかった。
 衣装に戸惑い、靴の厚みにもまだ慣れないままの昇は揺れながら飛ぶエリーを見失わないようにするので一杯の様子だった。
 視聴覚棟の数十メートル先には学校の境を示すフェンスが立っている。ボール等が簡単に飛び越えたりしないよう高さがあるが、地上には施錠されていない扉があり、外へ出られるようになっている。
 そもそも、授業の一環で裏山へ行くこともあるため、校舎脇からここまでは草も刈られて道を成している。
「開けてっ、ヘンタイ少年」
 エリーはその扉の前で昇を待っていた。
 昇が息を切らせながら無言で扉を開けると、すぐにエリーはそこをくぐる。
「近いわねっ」
「ま、待っ……て」
 それほど体力のある方ではない昇だった。
 駆けだした時より格段に足取りもおぼつかなく、時折持っている杖を支えにして転ばないようにしつつ、裏山の勾配を登ってゆく。
「それに、ヘンタイじゃない……し」
「言われたくなかったらちゃんとしなさい」
 エリーは分かれ道も迷うことなく細い方を選び、薄暗くなってきた木々の間を抜けてゆく。
 ゆるやかに登っていった先は小さな広場になっていた。
 照明付きの屋根とベンチが設けられ、多少高いところから町を展望できるようになっている。
 町は夕刻の陽に照らされ、凛とした空気を熱気の中に漂わせていた。
 駅周りから広がる明かりと、緋色に染まる田畑とが微妙なコントラストを生んでいる。
 しかし、昇にはその景観を観賞し、乱れた息を整えきる暇は与えられなかった。
「いたっ、こいつねっ!」
 エリーが鋭い声を発して、斜面側にひそやかに伸びている道の先を向いている影を示した。
 そこには、前述の小さな祠がある。
 影は、その祠の前にいたひとりの少女に襲いかかろうとしているようにも見えた。
 白いブラウスにプリーツスカート、男子の物と違う細長い楕円のブローチで締められたループタイ――昇と同じく楔学園の生徒だろう。
 少女は見るからに怯えた表情でその影を見ていた。
「さ、出番よ」
 いつの間にか昇の背後に回ったエリーが、短い手で昇の肩を押す。
「ええっ?」
 昇は一・二歩その影に近寄ってしまう。
「そこまでよっ!」
 昇の後ろからエリーが言う。
 大きな影は昇に振り返った。
「さあ、今の内に逃げて!」
 エリーは更に、少女に声をかける。
 発した方向を見ていないと、昇が言ったように聞こえなくもない。
 少女は腰が抜けているのか立てないまま後ずさり、昇たちが登ってきた山道に差し掛かったところでようやく立ち上がると、向きを変えて走り去る。
「ひ……」
 昇が声を引きつらせる。
 昇と向かい合った影が、ふわっとそのシルエットを広げた。
 立てられていた照明がちかちかと点灯する。
 紅い陽光と白い明かりに照らされたそれは、高さ一メートルはあろうかという巨大な蛾の姿をしていた。
 蛍光灯にややたじろいだように、巨蛾が下がる。
「こ……これと、戦う、の?」
 昇は震える声で肩の高さ辺りにいるエリーを見る。
「ええ」
 エリーは造作もないようにしれっと頷いた。
「自然則を無視したサイズじゃない、誰かの術が掛かっているとしか考えられないでしょう?」
「いや、ちょっと待っ――」
 昇が淡々と言うエリーに反論しようとしたところに、巨蛾が飛びかかってきた。
 横に転がって何とか避けた昇は杖に縋って身を起こすが、腰が退けて低い姿勢になっていた。
「何やってんのよ、さっきので耐衝撃があるのは判ってるでしょ?」
 エリーは昇のやや後ろに浮いて続ける。
「詳しい説明はとりあえず、目の前のアレをどうにかしてからよ」
 昇は恐れの広がる表情でしかし頷いて、巨蛾をくい止めるように、腕を一杯に伸ばして杖を構える。
 杖の先にある水流状の輪が反射の光を振り撒いていた。

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