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06 女子訓練!?
6-1
しおりを挟む昇が目を覚ますと、身を起こして手を伸ばせば届くくらいの高さの、見慣れた自室の天井が少しぼやけた視界に飛び込んできた。
手癖で枕元を探って眼鏡を取り、焦点を合わせ、手の平を天井に向けてみて呟く。
「……ぼく、は」
その声が覚醒の合図だったかのように昇は目を見開いて、片肘を頼りに半身を持ち上げた。
体に掛けられていたタオルケットを除ける――朝、家を出た時の服装だった。
ロフトベッドから昇が部屋を見下ろすと、椅子にかけられたリュックが目に入った。
「あれ……ど、どうなったの……?」
呟く質問に答えるものはいなかった。
昇はベッドの上をもそもそと移動し、窓に近付く。
身を乗り出して手を延ばして、カーテンを引っ張って外を見る――あれだけ雲霞を成していた虫の群れがすっかり消えて、夏の青空が広がっていた。
枕元の目覚まし時計の針は四時前を指している。
部屋の向こうから、かすかに話し声が漏れ聞こえてきていた。
「母さんと……誰?」
女性二人のようだった。昇は片方は母親だとすぐに判ったが、疑問符付きの独り言を続ける。
昇はベッドをゆっくり降りて、部屋のドアをそっと開けて覗き見るように顔をドアに寄せた。
母親と、見知らぬ女性がリビングでテーブルを挟んで向かい合い、談笑していた。淡く艶のある栗色の髪も端正な顔も記憶にない様子の昇はただ首を傾げる。
「あ、気付いたみたいですね」
その女性が昇を見ていた。
声が昇の鼓膜を揺さぶる。昇は目を丸くして、部屋から出た。
「昇――大丈夫なの?」
母親が振り返って心配でいっぱいだという瞳を見せた。
昇の母・智香子は三十台半ばを過ぎてなお溌剌とした雰囲気を保った女性だ。それは人と接する仕事のためか、彼女の気概が成しているものか。ともあれ息子には手放しで甘やかすこともないが厳格なわけでもない、手綱を離さない放任主義とも言える方針を貫いていた。
出勤前だからかフォーマルなスーツ姿で、テーブルにはスカーフが置かれていた。
「う、うん。大丈夫」
昇は母親に微笑んで見せ、
「えっと、そちらは……?」
と、昇を見てにこやかな笑みを浮かべている女性を見る。
昇よりは年上のようだが、ハイティーンくらいのまだ少女か娘と言ってもいいくらいの年齢に見えた。シンプルなブラウスと、ふわりとしたスカートが柔らかな雰囲気を生んでいる。
「エリノーラ・ウォーキンショーさん。倒れてた昇を家まで運んで下さったのよ。ちゃんとお礼言いなさい」
母親は手招きで昇を呼ぶ。
昇はそれに従ってテーブルに近寄った。
「熱中症で倒れてた、って聞いたわ。ほら」
昇はいまいち合点のいかない表情で、それでも紹介された彼女に頭を下げた。
「あ、あの……ありがとうございます」
「ええ。大丈夫なようで何よりだわ。よかった」
彼女は安堵の微笑を見せて、出されていたティーカップを優雅さの窺える所作で手に取った。
その声が何か心に引っかかるように昇は彼女をしげしげと眺めるが、母に呼ばれて振り返る。
「昇も何か飲む?」
「うん。あ――自分で入れるよ」
昇は起き出した時よりしっかりした足取りでキッチンに向かい、冷蔵庫から作り置きの麦茶を取った。
グラス一杯分を一気に空け、もう一杯入れてテーブルに戻る。
キッチンとリビングの間に、大小二個のトランクがあった。
母親は、エリノーラ嬢に羨むような眼差しを向けていた。
「本当に素敵なお嬢さんね。客間があるから、そこを使ってくれていいからね」
「そんなお気遣い……」
「いいのよ。困っているのを放っておけないわ」
職業病かしらね、と緩く笑う。
「私も留守にしがちだし、主人も……ね。それにこの子の夏休みが近いところで一人にしておくより安心できるわ」
「そう仰っていただけると、助かります」
「節度を守ってくれるだけで充分よ。昇もあなたも、まだまだ若いという、ね」
もっとも、と母は悪戯心を抱くように目を細めて立ったままの昇を見上げてわずかににやりと口角を上げる。
「なっちゃったものは仕方ないから、そうなったら昇はちゃんと責任とりなさい」
「え? どういう……」
「ほら、この鈍感っぷり」
と母は喉の奥で笑う。
「まあ、勉強教えてあげたりしてもらえると助かるわ」
「私でできることなら」
小首を傾げて、エリノーラが微笑む。
母の傍にあったバッグから、アラーム音が鳴りだした。
肩をすくめて母は自分のカップを空け、席を立つ。アラームを響かせていた携帯電話を止めてスカーフを取り、エリノーラの肩を軽く叩いた。
「それじゃ、私は仕事に行くから、後のことは昇に聞いてちょうだいね。緊張しないで、自分の家と思って寛いでもらって構わないからね」
「ありがとうございます。
お茶、ご馳走様です。こんなに美味しいお茶をいただいたのは久しぶりです」
「こちらこそ、昇を助けてくれてありがとう。
昇、あと大丈夫ね?」
頷いた昇の頭をぐっと撫でて、母は小さい方のトランクを取って玄関に向かった。
エリノーラが見送りに、と母を追い、昇がそれに続く。
「娘ができたみたいで嬉しいわ」
そう笑って、母は出かけて行った。
昇とエリノーラがリビングに戻ってしばらくしてから車の排気音がかすかに届く。
「さて、昇――まずは、さっきはお疲れ様」
そう言って、エリノーラは昇に座るよう促す。
「えっ? あの……エリノーラ、さん?」
「まだ判らないの? 今まで通りエリーでいいってば」
と、残っていた紅茶を飲み干した。
「え……えええっっっ!?」
「声大きい」
エリノーラ――エリーは文句を言いながらも微笑んでいた。
「えっ、だって、エリー……嘘」
「嘘言ってどうするのよ。仕方ないでしょ、あの体が破壊されてしまったんだから」
「あ……」
昇は昼のことを思い出したか、血の気が引いていた。
「ど……どう、なったの?」
昇は椅子にすとんと腰を落として、力の抜けた声でエリーに尋ねる。
「昇が勝ったのよ」
エリーの口調は明るかった。
「ハイレイン、と名乗っていた連盟側参加者はその資格を喪失。操られていた協力者の彼は正気に戻って姿を消して、あそこにあった星脈ポイントは昇がリマークして、これで昇の占有エリアは二つになったわ。覚えてない?」
昇はゆっくりと頷く。
「カマキリとムカデから逃げて、エリーが倒れてるのを見たあたりから覚えてないけど……そんなことしてたの?」
「昇が思ってたより素質あることに、正直言って驚いてるわ」
エリーが軽く手を振ると、廊下にあったトランクがごろごろと転がってくる。
「エリー……その姿がエリーの正体なの?」
「ええ。今朝までの格好のほうが楽なんだけどね」
エリーは軽く肩を寄せ上げる。
昇にも少々、落ち着きが戻ってきていた。
「母さんには、何て言ったの?」
「ふふふ。こんなこともあろうかと用意してたのよ」
と、エリーは説明する。
「昇がスクミィになってから、ちょっとリサーチさせてもらったわ。
私は幼い頃に紛争地域の取材に来ていた昇のお父様に助けられたの。
その後命の恩人を探して、ネットの記事とかSNSとかで情報を集めていた私に日本留学の話が来たのよ。一も二もなく飛びついた私の申請は無事通って、後期課程――九月からの編入なのに先走ってこの国に来てしまったのよ」
舌を出して、エリーは続ける。
「それで、せっかく来たんだから、と比嘉さんに会いたくてこの町にまで来たところで倒れてる昇と出会った。偶然ってのはすごいもので、昇はたまたま恩人の息子さんだったのよ! ああ、なんて運命――」
少々劇的な節回しで、エリーは昇の手を握った。
「昇を家まで連れてきて、お母様にお会いしたわ。住む予定の所はさすがにまだ空いてなくて、ホテルも決まってなくて……って話をしたら、まあ、さっきの通り」
昇は呆れたような目つきでエリーを見る。
「よくもまぁ……」
「迫真でしょ」
エリーはにっこりと歯を見せて笑った。
昇は麦茶をすすり、小さく溜息をこぼす。
「ねえ、昇」
「……なに?」
「お母様って、どんな仕事をされてるの?」
今更? と言いたげな瞳をエリーに向けて、昇は答えた。
「マンションコンシェルジュだよ」
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