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34.ある日『テサインクロスの逃亡 ~後編~』
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前回までのオネおじは
「はい、ペンペン決定です!」
「やこくん、そんなこと言うとお尻ペンペンするよ?」
お尻ペンペンが流行ったある日の昼、後輩の飼っている白猫、アツコ・テサインクロスが部屋から逃亡した。
そして、あつ子、俺、後輩、三人がぞれぞれ別の場所を捜索したが結局見つからず、俺は後輩に頼まれて、夜を一緒に過ごすことになった。
「君じゃないとダメなんだ」
日の沈みきった後輩の部屋で今、色んな意味で戦いが始まる……。
(※海外ドラマは……以下略)
結局、後輩は俺を選んだ理由を教えてくれず、そのまま時間だけが進んでいった。何をするでもなく、ベランダに出て景色を見つめる後輩の背中を部屋の中から見ていたり、気まずいっつうか、何話せば良いか分からねぇというか、寒くねぇのかな? とふと思った。
「あんた寒くねぇの? 風邪引くぞ?」
カラカラと窓を開けて後輩の背に声を掛けた。
「ん? あ、じゃあ、お風呂沸かそうか」
振り返った後輩が、またニコっと笑って中に戻ってくる。
全然答えになってねぇし。なんか俺が寒がってるみてぇじゃんか。
全然、落ち込んでる感じがしねぇ。ただ背中は何かに悩んでる感じはしてたけど、俺の前では普通なんだよな。それが逆に不思議っつうか、ちょっと怖ぇ。
「沸くまで少し待ってね」
「いや、別に俺は急いでないんで」
風呂のスイッチを押す後輩に対して言ってやる。別に俺のことなんて気にしなくて良いんだよ。
「やこくん」
「なんすか?」
喋り掛けてもらってるところ申し訳ないが、俺はクッションにうつ伏せで、だらけさせてもらうぜ。
そのまんまの状態で、なんかそこら辺に置いてあった筋トレの雑誌開かせてもらって、なんかよく分からねぇことが書いてあるページを読もうと試みる。
「一緒にお風呂入ってくれる?」
「あー、はいはい」
なんか後輩が言ってるけど、適当に返事をしておいた。大腿四頭筋ってなんだ? どこのこと言ってんだ? 図くらい載せておけよな。
「え? 良いの?」
「あー、はいはい」
なんかさっきも同じこと言った気がするけど、ま、いっか。どうせ、また、あとでゲームしようとか言ってんだろ?
「ほんと、君は猫みたいな子だなぁ……」
「へぇ、大腿四頭筋って、ここのこと言うのか……」
後輩と言葉被ったけど、ま、いっか。海外ドラマとか、よくセリフ被ってごちゃごちゃしてるシーンあるもんな。
数分後……
「やこくん、お風呂湧いたから、先にどうぞ」
雑誌に全神経を集中させていたら、風呂が沸いたらしく、後輩に肩を軽く叩かれた。
「え? 先で良いんすか?」
「うん、ほら、君の着替えとか準備しないとだから」
いや、今までの時間でやっとけよ。あ、でも、この人、それしない人だった。
「あ、そうっすか、じゃあ、先行きます」
ダラダラと移動して、ダラダラと服を脱いで、ダラダラと掛け湯して、ダラダラと身体洗って、ダラダラと一回湯船に浸かって……
「着替え、ここに置くね」
「あ、ありがとうございます」
後輩の声を風呂場の外から背中に受けながら、ダラダラと頭洗って……
ガラガラッ
「え?」
ダラダラと振り向いたら、後輩が真っ裸で俺の後ろに立っていた。
「は? なんで、あんた入って来て……」
――つーか、筋肉やば! バキバキじゃねぇかぁ!
「だって君が見たいって言ってたから」
――ニコニコしながら何言ってやがんだ! この人! 俺がいつそんなことを言ったぁ!?
「いや、言ってねぇ! 言ってねぇ!」
慌てて俺は頭についた泡をシャワーで洗い流した。くそ、今までダラダラしてた所為で全然慌てられてねぇ! 手元がすげぇダラダラしてる! 手がダーラダラ言ってやがる気がする!
「おかしいなぁ、遠回しに見たいって言われたと思ったんだけど」
俺の後ろで掛け湯をしながら後輩が「おかしいなぁ」と何度も言った。もしかして、俺、さっき、これを「はいはい」言ってたのか? 知らねぇ間に了承しちまってたのか? ってことは……、これ、俺、断れねぇやつじゃん。
「言い、ました……」
多分、見たいって言ったんだろうな、数分前の俺……。
言ってねぇていう雰囲気滲み出てっけど、一応肯定してやりました。
「やっぱり、そうだよね?」
後ろで身体を洗い始めた後輩が確認してくる。
「はい……」
――いいえ。いちいち確認すな。
もう出てやる。ぜってぇ、早く出てやるぞ? そう思いながら、先に湯船に浸かる俺。
「君って筋肉好きなんだね」
「はい……」
――いいえ。だが、言うしかねぇだろう。多分、これも認めたんだ、さっきの俺は。
にしても後輩、身体洗うの早ぇな。つか、頭洗うのも早ぇな。
「俺のこと好き?」
「はいえ」
――あっぶねぇ! 湯船に浸かりながら言うのズリぃだろう! 不意打ち、くそかよ?
「そっか、なんか嬉しいな」
俺と向き合って湯船に浸かりながら後輩が幸せそうな顔をしている。
――いや、今、どっちに捉えた? 勝手に答え捻じ曲げてんじゃねぇぞ? まぁ、でも……
「もう勝手にしてください……」
なんか、もう面倒臭ぇからいいや。どうせ、あつ子の心はこの人に向いてるし、この人の心もあつ子に向いてるわけだし。俺じゃないとダメってのは、俺だったら、こうやって風呂に入れると思ったからだろう。弟と同い年くらいだもんな、俺。
「なあ、弟とこうしたかったって言わねぇの?」
兄弟なら小さい頃は仲良く一緒に風呂に入ったりっていうのがあるらしいじゃんか。一緒に数数えたりとか、曇った鏡に絵描いたりとか。
「弟と? うーん、それはないかな」
――なんで“一緒にお風呂”への憧れはねぇんだよ! わっけ分かんねぇ!
「ふーん……」
もうそれしか言えねぇよな。そんで、もう熱いから出ます。
「な、んだ……これ……」
後輩より先に出て、脱衣場で俺は固まった。置かれていたパンツを手に持って、だ。前に後輩が俺にパンツくれるって言ってたけど、これは……
「あ、それね、金――」
「ああああああ!」
ガラガラと扉を開けて、背後から俺にパンツの説明をしようとした後輩の言葉を俺は遮った。
――駄目だ! ぜってぇ、駄目だ! 後輩にそんな言葉言わせるわけにいかねぇ! だって、これ、ぜってぇ、このプリントしてある手、人の金○握り潰すとこにあるもんよぉ!
「え? 金○握り潰すよパンツ、ダメだった?」
「ああああああああ!」
――言っちまったぁぁああああああ! こんなにイケメンなのに! どうして、それ言っちまうんだよぉぉぉおおおおおお!
俺が何を言おうか悩んでいる間に先を越された。死んだ。
俺は黙々と、その股間部分に手がプリントされた白地のボクサーパンツを履き、借りたデカめの灰色スウェットを着て、何も無かったかのように頭にタオルを掛けると、その場から退散した。
そうだ、何も無かったんだ。何も聞かなかった。それで良いじゃないか。
「やこくん、髪の毛乾かさないと風邪引くよ?」
「いや、服着ねぇ方が風邪引くから」
何故か自分の服より、俺の髪を乾かすことを優先させようとする後輩が身体を拭いただけの状態で俺の後を追ってきた。
タオルドライとか自分で出来ますからぁ! 猫とか犬みたいにタオルの上からわしゃわしゃしないでください!
「ドライヤーもここにあるよ?」
徐に俺から離れて脱衣所に戻った後輩が、パカッと開けて、洗面台の鏡の中から何食わぬ顔で黒いドライヤーを取り出した。
「それ、先に貸してくださいよ」
おかげさまで髪の毛乱れまくりなんですけど。
「乾かしてあげようか?」
「先に服着てください」
そう言ったは良いものの、あれ、これ、俺否定してねぇじゃんか! と思った。
「これで良いかな?」
脱衣所から登場した後輩、なんか同じ灰色のスウェット着ててペアルックみたいになってるんですけど。
「あんたが風邪引かなきゃなんでもいいよ」
面倒くせぇ。風呂に入る前と同じ、クッションにうつ伏せになった状態でダラダラと足を伸ばす俺。一体、ここに何しに来たんだっけかな。アツコ、ほんとにどこに行ったんだよ……。
「失礼、します」
俺の横に座った後輩がドライヤーのプラグを延長コードのコンセントに挿したのが視界の端に見えた。そんでそれを見ながら、ふと考える。
アツコって、風呂が嫌いな猫なのかな、それとも風呂好きの珍しい猫なのかな……。
どうでも良いことを考えていたからいけないのだろうか?
「んなっ!?」
急に腰の少し下の方をトントンと叩かれて変な声が出た。
――なんか腰トントンされてる!
「ちょ、ちょちょちょ、なんだよ!」
――なんか激しい……!
どんどん激しくなるトントンに俺は思わず吠えながら振り返った。
「あ、ごめんね、アツコが腰トントンされるの好きだから、癖でつい……」
――猫ぉぉおおお! 尻尾の周りに神経集まってて、気持ちぃぃ、ってなるやつじゃんか! 猫ぉぉおおお!
「馬鹿じゃねぇのか? 俺は猫じゃねぇっての!」
照れたように笑う後輩に俺は文句をぶつけた。だが、それも突然のドライヤーの音で掻き消された。人の話聞けよ。(※お前にだけは言われたくない)
「はぁ……、まったく」
ぶつぶつ言いながら、大人しく髪を手で梳かれる。やべぇ……、髪の毛乾かしてもらってたら、なんかウトウトしてきた。
「今日、歩き回ってくれたから疲れたよね……早いけど、もう寝よう」
俺が眠気と戦っていることに気が付いたのか、後輩が俺の顔を覗き込んで言った。
「俺も髪乾かしちゃうから、ちょっと待ってね」
別にあんたのこと待つ必要なんてねぇだろうとも思ったが、ウトウトしていて気が付いたら俺は意識を手放していた。
◆ ◆ ◆
ハッとして目が覚めた。周りは薄暗くて、月明かりだけが部屋の中を照らしている。
どうして、俺が目覚めたのか……、それは後輩が俺の後ろで泣いていたからだ。昼間見た少し大きめの一組の布団の中、何故か後輩に後ろから抱き締められていて動くことが出来ない。つーか、ここまで、どうやって運んだ?
「……っ、あれ? 起こしちゃった? ごめんね……」
もぞもぞと俺が動いたからだろう。後輩が気が付いた。
「別に、良いけど」
俺は何を言えば良いのだろうか。
「ごめんね」
この“ごめんね”は俺を起こしてしまったことへの謝罪の言葉じゃないと思った。
「なんで謝るんだよ」
「……っ」
俺が少し強めの口調で言うと、後輩がビクついたのが分かった。いつも俺のこと脅かしてくるサイコパスのくせに、こんな時だけ子犬みてぇな反応なんてズリぃぞ?
「あー、もう! アツコのことで泣いてんのは分かってんだかんな?」
頭突きでも足蹴りでも、なんでも良いから喰らわせようと思ったが、後輩が「本当は……」と話し始めたから、俺はピタリと動きを止めた。
「……いつかこんな日が来るんじゃないかって思ってたんだ……。ううん、アツコは本当は最初からこの世に存在してなかったのかな……」
女々しいこと言いやがるぜ。サイコパスらしくねぇ。
「そんなこと言うな。そんなこと言ったら、あいつが可哀想だろうが。あいつ、あんたに会うために生まれてきたのかもしれねぇだろう」
何が起こるか知ってて、それでも生まれてくるやつが居る。一瞬だって好きになってくれる人に出会うために、ってあつ子が前に話してくれたんだ。
「俺……、君と離れたくないな……」
グズグズの声が後ろから俺の肩に埋もれる。その言葉を聞いて、俺は気が付いてしまった。
「あんた……、やっぱりここから消えるつもりだろう? もしかして、会社も辞めんのか?」
じゃなきゃ、そんなこと言わねぇだろう?
「……実は……家を継ぐか悩んでて、一年の猶予を貰ってたんだけど、もう答えを出さないといけないんだ」
くぐもった声が聞こえる。
「それ、敦彦さん、ぜってぇ悲しむぞ? 理由が何であれ、あの人だったら引き止めるに決まってる」
言ってから、この人のことを考えずに発言してしまったな、と思った。でも、後輩が顔を上げたのが分かった。もしかして、ちょっと勇気付けられたのか? そう思ったのに……
「君は?」
「え?」
「君は引き止める?」
俺に聞くためかよ。俺に聞きたいから、わざわざ顔上げたのかよ。でも、ごめんな、もう答えは出てんだよ。
「俺は、止めない。だって、あんた長男だろ? 長男は家を継がないといけないって聞いたし、つーか、俺みてぇな社会も碌に知らねぇやつに何か言われたくねぇだろう?」
俺に引き止める権利なんて無ぇよ。目の前から消えるって察した時、なんか心がすげぇざわついて、落ち着かなくて、一人にしちゃいけねぇ気がして、でも、この感情は意味分かんなくて……。
「そ、っか……」
「……」
耳元で弱々しく囁かれて、俺は何も言えなくなってしまった。
「おやすみ……、やこくん。どうか、今のは全部、忘れて……」
そっと後輩が離れて、俺に背を向ける。背中合わせで、さっきみてぇな温かさはなくて、少しの温もりしかなくて、なんだか心に風穴が空いたみてぇな気分になった。
よく考えろ、俺。この人が消えたら、今まで俺がやられてきたことも無かったことにされるんだぞ?
いじめられたこととか、キ、スされたこととか、いじめられたこととか、キ、スされたこととか……って、そればっかかよ!! なんかムカついた!!
くるりと布団の中で向きを変えて、俺は後輩の肩口に噛みついてやった。
「痛っ! え? やこくん、何してるの!?」
「んはふいははら、はんはのはは、はんへんあお!」
噛みついたまま、喋ろうとしたが上手く音にならない。
「痛ててっ。何言ってるのか全然分からないよ?」
「ムカついたから、あんたの肩、噛んでんだよ!」
痛がる後輩の肩から、ぷはっと口を外して、俺はイライラをぶつけた。全部無かったことにするってのはムカつく。
「なんか、あんた、俺の中では結構存在感強ぇっていうか、よく分かねぇけど……だから、噛みついてやる!」
容赦無く、もう一度噛みつく。
「痛ててて、分かった、分かったから」
後輩が降参したように笑う。仕方ねぇから解放してやると、向きを変えて二本の腕がこちらに伸びてきた。
「ふふっ、よしよし、急に歯が痒くなっちゃったのかと思ったよ」
大きな手がクスクスと笑いながら俺の髪をわしゃわしゃと掻き乱す。
「おい、犬扱いすんな!」
ペシリと俺は自分の頭の上にある手を軽く叩いた。
でも、葬式みてぇな空気の中に居るのは嫌だったから、後輩が少しでも明るく笑ってくれて良かった、と思う。
「いいや、君は相変わらず、猫みたいで犬みたいな子だよ。もしかして、こうしてほしかったの?」
俺の頭を乱すのをやめて、今度は俺の背中に手を回す後輩。
「ちっげぇよ」
これじゃあ、抱き締められてるみてぇじゃんか……。何故か嫌な気持ちはしねぇが。でも、これじゃねぇ感がすげぇ。
「好き――」
「言うな」
あんたが、今、告白しても無かったことになっちまうんだろう? どうせ、何もかも消えちまうんだろう? 最初から何も無かったみてぇに。
「それ言うなら、消えんな」
消えたら死んでも、生きてても一緒だ。俺の中にある感情は未だによく分かんねぇけど、今はこの人のことを離したくねぇと思った。だから……
「やこくん……?」
俺から、抱き締めた。
――あったけぇ……。
「そんなことされたら、俺、勘違いするよ?」
後輩の声が身体を伝って聞こえてくる。
「うっせ……もう黙って寝ろ」
単純に眠たくなって、ほんとにうるせぇな、と思った。
俺はあつ子のことが好、きなんだ。この人のことなんて、全然好きじゃねぇのに……、それなのに、この人のことも放っておけねぇ。これは、きっと恋……じゃねぇはず……――。
◆ ◆ ◆
「んんー……」
ぬくぬくとした空間で、これでもか、と伸びをする。
「ふふ、起きた? おはよう、やこくん」
ああ……後輩か……。俺の額に……キス……して、離れ……
「ん……?」
ぼんやりとする頭で考える。そして、次の瞬間、覚醒した。
「あぁぁあああ!」
頭を両手で抱えながら飛び起きる。
――俺はなんてことをしちまったんだぁああ! 弱ってる後輩を放っておけないからって、思わせぶりなことしちまったぁぁあああ! い、今からでも弁明って出来ますかね!? ダメですかね!?
「朝から元気だね、やこくん。お兄さん、ちょっと寒いな……」
俺が勢い良く起きたことで吹っ飛んだ羽毛布団を引き寄せながら、後輩が笑っている。
「いや、あの、昨日は、なんか、色々とすみませんでした! 昨日のことは全部忘れてください!」
布団から転がり出て、フローリングの上で頭を深々と下げる俺。どうか、イライラして噛みついたことは忘れてくれ。そう思いながら、恐る恐る顔を上げると後輩と視線が合った。
「なんのことかなぁ?」
――ニヤニヤしてやがる! 昨日のしょんぼり後輩どこ行った!?
「あ、あんた……」
ピンポーン
今が何時か知らねぇが急に後輩ん家のインターホンが鳴った。
「君はそこに居て」
後輩がそう言うから、俺はフローリングの上で反省してるやつみてぇになった。
「あ、先輩、おはようございます……って、アツコ! 一体、どこに居たんですか?」
玄関の方で後輩が言ったのが聞こえた。
「え? アツコ?」
そこに居ろ、とは言われたがアツコが見つかったと聞いて、いてもたってもいられなくなり、パタパタと玄関に向かう。
目に飛び込んできたあつ子の姿に、なんだかホッとした。アツコも元気そうだ。
「可哀想に、お腹を空かせて鳴いていたぞ……やこの部屋で」
あつ子が優しく白いフワフワを撫でながら発した言葉、それを聞いて俺はハッとした。もしかして……
「そういえば、俺……敦彦さんに頼まれて、ベランダで干してた布団取り込んでる時に足元を何かが通った気がして、布団持ったままリビングに入ったら自分以外の足音が聞こえて、怖くなって自分の部屋に一回避難して、あ、やっぱ気の所為だって思って、そのあと……、忘れました」
必死に昨日の行動を思い出して、最後、気の抜けた感じで言ってしまった。
「やーこーくーん?」
後輩、ニコニコ笑ってるけど、なんか殺意あるんですけど!!
「いや! でも俺、別に悪気は……」
仕方ねぇじゃんか! だって、このまんまじゃぜってぇ見ちゃいけねぇもん見えちまうと思ったんだもんよぉ!
「まさかアツコの心も奪うなんてね……やこくんの泥棒猫」
あつ子からアツコを受け取って、後輩が殺気のあるニコニコ顔で、こちらを見る。
そんで、後輩の後ろであつ子が「ふっ」と笑ったのが見えた。
「えぇ!? 違っ、いや、合ってんのか? いやいや、違うって!」
意味的には合ってんのかもだけど……あれ? 泥棒猫の語源ってこういうことなのか? 猫泥棒から来てんのか?(※違う)
「俺の色んな気持ち、返してよ」
「え、いや、え……」
アツコを抱っこしたまま、ずいっと後輩に迫られて戸惑う。そして、意地の悪い笑みは俺にしか聞こえないように耳元で囁いた。
「君、昨日、腰トントンされてるとき、ちょっと腰浮いてたね……」
――ひいぃっ! 腰トントンされる! 後輩の気の済むまで腰トントンされて、恥ずかしいこといっぱい言われて、いじめられるに決まってる! ……ドS……、この人、ドSって言ってたもん……。
「すまなかったな、うちのやこが。どうか、許してやってくれ」
急に腕を掴まれて、するりと後輩の横を抜け、あれよあれよとあつ子の前に移動した俺の身体は、そのまま奴の手によってぺこりと頭を下げる形にされた。
「もちろん、許しますよ。やこくんには色々助けてもらいましたし、飼い主である俺にも非はあるので」
頭を下げたまま上目遣いで後輩の顔を確認してみると、アツコの白いモフモフしか見えなかった。小さくアツコが「なー」と鳴く。
そうだよな、あんたも飼い猫がベランダに出てること気付いてなかったんだもんな。俺だけ責められるのはおかしいよな。
「そうか……良かった。ありがとな」
俺の頭を解放しながらあつ子が言った。俺にはなかなか向けないイケメンな顔して穏やかに笑ってやがる。
「こちらこそ、ありがとうございました」
大袈裟だろうってくらい後輩が頭を深々と下げた。別にそこまでする必要ねぇっての。
「じゃあ、またな」
「はい」
この二人のやりとりには俺も少し憧れる。
「……やこ、帰るぞ。皿とか服とか持ってこい」
「ういっす」
ぱたぱたと忙しなく、言われた通りに皿と自分の着ていた服を持って玄関に向かう俺。この時には既にあつ子は扉を開けて、外に出ていた。
「お世話になりました。これ、洗濯して返すんで」
後輩に借りたスウェットのままで靴を履いて、俺は扉を開けて外に出た。
「うん、じゃあね」
後輩の姿を隠すようにゆっくりと扉が閉まっていく。
それが完全に閉まったとき、冷たい風が吹き抜けた――。
この後、あつ子に何か言われるかと思ったが、まったく何も言われなかったし、聞かれなかった。
アツコのことにも触れず、後輩のことにも触れない。俺の失態に触れないでいてくれているのだろうか? 俺が気にすると思って?
「あつ子、俺のこと好きか?」
夜、隣同士でソファに座ってテレビを見ている時にボソリと無意識に尋ねていた。
一瞬、お互いにポカンとした顔を見合わせて、遅れて頭で理解して、一方的にブワッと顔が熱くなった。
「え? なんか今、俺言った?」
「いえ、何も聞いてないわ」
「そうだよな」
スッと立ち上がって、風呂場に向かう俺。
――なぁにしてんだぁ! 俺ぇぇええええ! 後輩に感化されてやがるぅぅぅううう!
洗濯機に寄り掛かって、しゃがみ込んで、心の中で一頻り叫んで、「あ、風呂入ろ、入って忘れよう」と思った。
そして、服を脱いで気が付いた。
――このパンツ、あつ子に見られたくねぇ……!
「俺が! 俺が洗濯すっから!」
初めて自分で洗濯機を回した。ずっと回ってる洗濯機を見張ってたから逆に怪しまれて、あつ子に隣に並ばれた。どきどきと心臓が暴れる。だが、全部の洗濯物をグルグルに丸めてベランダまで運んだため、なんとか回避した。
だが、風で俺のそのパンツだけ、後輩の部屋のベランダに飛ばされた。
『え? 返してくれるの? 君って、そういう趣味なんだ? 変態だね』
後輩の言葉を思い出して、慌てて俺は隣の部屋のピンポンを押しに行った。何回押しても反応が無かった。
全世界の俺が閉ざされた扉の前で立ち尽くして、泣いた。
「はい、ペンペン決定です!」
「やこくん、そんなこと言うとお尻ペンペンするよ?」
お尻ペンペンが流行ったある日の昼、後輩の飼っている白猫、アツコ・テサインクロスが部屋から逃亡した。
そして、あつ子、俺、後輩、三人がぞれぞれ別の場所を捜索したが結局見つからず、俺は後輩に頼まれて、夜を一緒に過ごすことになった。
「君じゃないとダメなんだ」
日の沈みきった後輩の部屋で今、色んな意味で戦いが始まる……。
(※海外ドラマは……以下略)
結局、後輩は俺を選んだ理由を教えてくれず、そのまま時間だけが進んでいった。何をするでもなく、ベランダに出て景色を見つめる後輩の背中を部屋の中から見ていたり、気まずいっつうか、何話せば良いか分からねぇというか、寒くねぇのかな? とふと思った。
「あんた寒くねぇの? 風邪引くぞ?」
カラカラと窓を開けて後輩の背に声を掛けた。
「ん? あ、じゃあ、お風呂沸かそうか」
振り返った後輩が、またニコっと笑って中に戻ってくる。
全然答えになってねぇし。なんか俺が寒がってるみてぇじゃんか。
全然、落ち込んでる感じがしねぇ。ただ背中は何かに悩んでる感じはしてたけど、俺の前では普通なんだよな。それが逆に不思議っつうか、ちょっと怖ぇ。
「沸くまで少し待ってね」
「いや、別に俺は急いでないんで」
風呂のスイッチを押す後輩に対して言ってやる。別に俺のことなんて気にしなくて良いんだよ。
「やこくん」
「なんすか?」
喋り掛けてもらってるところ申し訳ないが、俺はクッションにうつ伏せで、だらけさせてもらうぜ。
そのまんまの状態で、なんかそこら辺に置いてあった筋トレの雑誌開かせてもらって、なんかよく分からねぇことが書いてあるページを読もうと試みる。
「一緒にお風呂入ってくれる?」
「あー、はいはい」
なんか後輩が言ってるけど、適当に返事をしておいた。大腿四頭筋ってなんだ? どこのこと言ってんだ? 図くらい載せておけよな。
「え? 良いの?」
「あー、はいはい」
なんかさっきも同じこと言った気がするけど、ま、いっか。どうせ、また、あとでゲームしようとか言ってんだろ?
「ほんと、君は猫みたいな子だなぁ……」
「へぇ、大腿四頭筋って、ここのこと言うのか……」
後輩と言葉被ったけど、ま、いっか。海外ドラマとか、よくセリフ被ってごちゃごちゃしてるシーンあるもんな。
数分後……
「やこくん、お風呂湧いたから、先にどうぞ」
雑誌に全神経を集中させていたら、風呂が沸いたらしく、後輩に肩を軽く叩かれた。
「え? 先で良いんすか?」
「うん、ほら、君の着替えとか準備しないとだから」
いや、今までの時間でやっとけよ。あ、でも、この人、それしない人だった。
「あ、そうっすか、じゃあ、先行きます」
ダラダラと移動して、ダラダラと服を脱いで、ダラダラと掛け湯して、ダラダラと身体洗って、ダラダラと一回湯船に浸かって……
「着替え、ここに置くね」
「あ、ありがとうございます」
後輩の声を風呂場の外から背中に受けながら、ダラダラと頭洗って……
ガラガラッ
「え?」
ダラダラと振り向いたら、後輩が真っ裸で俺の後ろに立っていた。
「は? なんで、あんた入って来て……」
――つーか、筋肉やば! バキバキじゃねぇかぁ!
「だって君が見たいって言ってたから」
――ニコニコしながら何言ってやがんだ! この人! 俺がいつそんなことを言ったぁ!?
「いや、言ってねぇ! 言ってねぇ!」
慌てて俺は頭についた泡をシャワーで洗い流した。くそ、今までダラダラしてた所為で全然慌てられてねぇ! 手元がすげぇダラダラしてる! 手がダーラダラ言ってやがる気がする!
「おかしいなぁ、遠回しに見たいって言われたと思ったんだけど」
俺の後ろで掛け湯をしながら後輩が「おかしいなぁ」と何度も言った。もしかして、俺、さっき、これを「はいはい」言ってたのか? 知らねぇ間に了承しちまってたのか? ってことは……、これ、俺、断れねぇやつじゃん。
「言い、ました……」
多分、見たいって言ったんだろうな、数分前の俺……。
言ってねぇていう雰囲気滲み出てっけど、一応肯定してやりました。
「やっぱり、そうだよね?」
後ろで身体を洗い始めた後輩が確認してくる。
「はい……」
――いいえ。いちいち確認すな。
もう出てやる。ぜってぇ、早く出てやるぞ? そう思いながら、先に湯船に浸かる俺。
「君って筋肉好きなんだね」
「はい……」
――いいえ。だが、言うしかねぇだろう。多分、これも認めたんだ、さっきの俺は。
にしても後輩、身体洗うの早ぇな。つか、頭洗うのも早ぇな。
「俺のこと好き?」
「はいえ」
――あっぶねぇ! 湯船に浸かりながら言うのズリぃだろう! 不意打ち、くそかよ?
「そっか、なんか嬉しいな」
俺と向き合って湯船に浸かりながら後輩が幸せそうな顔をしている。
――いや、今、どっちに捉えた? 勝手に答え捻じ曲げてんじゃねぇぞ? まぁ、でも……
「もう勝手にしてください……」
なんか、もう面倒臭ぇからいいや。どうせ、あつ子の心はこの人に向いてるし、この人の心もあつ子に向いてるわけだし。俺じゃないとダメってのは、俺だったら、こうやって風呂に入れると思ったからだろう。弟と同い年くらいだもんな、俺。
「なあ、弟とこうしたかったって言わねぇの?」
兄弟なら小さい頃は仲良く一緒に風呂に入ったりっていうのがあるらしいじゃんか。一緒に数数えたりとか、曇った鏡に絵描いたりとか。
「弟と? うーん、それはないかな」
――なんで“一緒にお風呂”への憧れはねぇんだよ! わっけ分かんねぇ!
「ふーん……」
もうそれしか言えねぇよな。そんで、もう熱いから出ます。
「な、んだ……これ……」
後輩より先に出て、脱衣場で俺は固まった。置かれていたパンツを手に持って、だ。前に後輩が俺にパンツくれるって言ってたけど、これは……
「あ、それね、金――」
「ああああああ!」
ガラガラと扉を開けて、背後から俺にパンツの説明をしようとした後輩の言葉を俺は遮った。
――駄目だ! ぜってぇ、駄目だ! 後輩にそんな言葉言わせるわけにいかねぇ! だって、これ、ぜってぇ、このプリントしてある手、人の金○握り潰すとこにあるもんよぉ!
「え? 金○握り潰すよパンツ、ダメだった?」
「ああああああああ!」
――言っちまったぁぁああああああ! こんなにイケメンなのに! どうして、それ言っちまうんだよぉぉぉおおおおおお!
俺が何を言おうか悩んでいる間に先を越された。死んだ。
俺は黙々と、その股間部分に手がプリントされた白地のボクサーパンツを履き、借りたデカめの灰色スウェットを着て、何も無かったかのように頭にタオルを掛けると、その場から退散した。
そうだ、何も無かったんだ。何も聞かなかった。それで良いじゃないか。
「やこくん、髪の毛乾かさないと風邪引くよ?」
「いや、服着ねぇ方が風邪引くから」
何故か自分の服より、俺の髪を乾かすことを優先させようとする後輩が身体を拭いただけの状態で俺の後を追ってきた。
タオルドライとか自分で出来ますからぁ! 猫とか犬みたいにタオルの上からわしゃわしゃしないでください!
「ドライヤーもここにあるよ?」
徐に俺から離れて脱衣所に戻った後輩が、パカッと開けて、洗面台の鏡の中から何食わぬ顔で黒いドライヤーを取り出した。
「それ、先に貸してくださいよ」
おかげさまで髪の毛乱れまくりなんですけど。
「乾かしてあげようか?」
「先に服着てください」
そう言ったは良いものの、あれ、これ、俺否定してねぇじゃんか! と思った。
「これで良いかな?」
脱衣所から登場した後輩、なんか同じ灰色のスウェット着ててペアルックみたいになってるんですけど。
「あんたが風邪引かなきゃなんでもいいよ」
面倒くせぇ。風呂に入る前と同じ、クッションにうつ伏せになった状態でダラダラと足を伸ばす俺。一体、ここに何しに来たんだっけかな。アツコ、ほんとにどこに行ったんだよ……。
「失礼、します」
俺の横に座った後輩がドライヤーのプラグを延長コードのコンセントに挿したのが視界の端に見えた。そんでそれを見ながら、ふと考える。
アツコって、風呂が嫌いな猫なのかな、それとも風呂好きの珍しい猫なのかな……。
どうでも良いことを考えていたからいけないのだろうか?
「んなっ!?」
急に腰の少し下の方をトントンと叩かれて変な声が出た。
――なんか腰トントンされてる!
「ちょ、ちょちょちょ、なんだよ!」
――なんか激しい……!
どんどん激しくなるトントンに俺は思わず吠えながら振り返った。
「あ、ごめんね、アツコが腰トントンされるの好きだから、癖でつい……」
――猫ぉぉおおお! 尻尾の周りに神経集まってて、気持ちぃぃ、ってなるやつじゃんか! 猫ぉぉおおお!
「馬鹿じゃねぇのか? 俺は猫じゃねぇっての!」
照れたように笑う後輩に俺は文句をぶつけた。だが、それも突然のドライヤーの音で掻き消された。人の話聞けよ。(※お前にだけは言われたくない)
「はぁ……、まったく」
ぶつぶつ言いながら、大人しく髪を手で梳かれる。やべぇ……、髪の毛乾かしてもらってたら、なんかウトウトしてきた。
「今日、歩き回ってくれたから疲れたよね……早いけど、もう寝よう」
俺が眠気と戦っていることに気が付いたのか、後輩が俺の顔を覗き込んで言った。
「俺も髪乾かしちゃうから、ちょっと待ってね」
別にあんたのこと待つ必要なんてねぇだろうとも思ったが、ウトウトしていて気が付いたら俺は意識を手放していた。
◆ ◆ ◆
ハッとして目が覚めた。周りは薄暗くて、月明かりだけが部屋の中を照らしている。
どうして、俺が目覚めたのか……、それは後輩が俺の後ろで泣いていたからだ。昼間見た少し大きめの一組の布団の中、何故か後輩に後ろから抱き締められていて動くことが出来ない。つーか、ここまで、どうやって運んだ?
「……っ、あれ? 起こしちゃった? ごめんね……」
もぞもぞと俺が動いたからだろう。後輩が気が付いた。
「別に、良いけど」
俺は何を言えば良いのだろうか。
「ごめんね」
この“ごめんね”は俺を起こしてしまったことへの謝罪の言葉じゃないと思った。
「なんで謝るんだよ」
「……っ」
俺が少し強めの口調で言うと、後輩がビクついたのが分かった。いつも俺のこと脅かしてくるサイコパスのくせに、こんな時だけ子犬みてぇな反応なんてズリぃぞ?
「あー、もう! アツコのことで泣いてんのは分かってんだかんな?」
頭突きでも足蹴りでも、なんでも良いから喰らわせようと思ったが、後輩が「本当は……」と話し始めたから、俺はピタリと動きを止めた。
「……いつかこんな日が来るんじゃないかって思ってたんだ……。ううん、アツコは本当は最初からこの世に存在してなかったのかな……」
女々しいこと言いやがるぜ。サイコパスらしくねぇ。
「そんなこと言うな。そんなこと言ったら、あいつが可哀想だろうが。あいつ、あんたに会うために生まれてきたのかもしれねぇだろう」
何が起こるか知ってて、それでも生まれてくるやつが居る。一瞬だって好きになってくれる人に出会うために、ってあつ子が前に話してくれたんだ。
「俺……、君と離れたくないな……」
グズグズの声が後ろから俺の肩に埋もれる。その言葉を聞いて、俺は気が付いてしまった。
「あんた……、やっぱりここから消えるつもりだろう? もしかして、会社も辞めんのか?」
じゃなきゃ、そんなこと言わねぇだろう?
「……実は……家を継ぐか悩んでて、一年の猶予を貰ってたんだけど、もう答えを出さないといけないんだ」
くぐもった声が聞こえる。
「それ、敦彦さん、ぜってぇ悲しむぞ? 理由が何であれ、あの人だったら引き止めるに決まってる」
言ってから、この人のことを考えずに発言してしまったな、と思った。でも、後輩が顔を上げたのが分かった。もしかして、ちょっと勇気付けられたのか? そう思ったのに……
「君は?」
「え?」
「君は引き止める?」
俺に聞くためかよ。俺に聞きたいから、わざわざ顔上げたのかよ。でも、ごめんな、もう答えは出てんだよ。
「俺は、止めない。だって、あんた長男だろ? 長男は家を継がないといけないって聞いたし、つーか、俺みてぇな社会も碌に知らねぇやつに何か言われたくねぇだろう?」
俺に引き止める権利なんて無ぇよ。目の前から消えるって察した時、なんか心がすげぇざわついて、落ち着かなくて、一人にしちゃいけねぇ気がして、でも、この感情は意味分かんなくて……。
「そ、っか……」
「……」
耳元で弱々しく囁かれて、俺は何も言えなくなってしまった。
「おやすみ……、やこくん。どうか、今のは全部、忘れて……」
そっと後輩が離れて、俺に背を向ける。背中合わせで、さっきみてぇな温かさはなくて、少しの温もりしかなくて、なんだか心に風穴が空いたみてぇな気分になった。
よく考えろ、俺。この人が消えたら、今まで俺がやられてきたことも無かったことにされるんだぞ?
いじめられたこととか、キ、スされたこととか、いじめられたこととか、キ、スされたこととか……って、そればっかかよ!! なんかムカついた!!
くるりと布団の中で向きを変えて、俺は後輩の肩口に噛みついてやった。
「痛っ! え? やこくん、何してるの!?」
「んはふいははら、はんはのはは、はんへんあお!」
噛みついたまま、喋ろうとしたが上手く音にならない。
「痛ててっ。何言ってるのか全然分からないよ?」
「ムカついたから、あんたの肩、噛んでんだよ!」
痛がる後輩の肩から、ぷはっと口を外して、俺はイライラをぶつけた。全部無かったことにするってのはムカつく。
「なんか、あんた、俺の中では結構存在感強ぇっていうか、よく分かねぇけど……だから、噛みついてやる!」
容赦無く、もう一度噛みつく。
「痛ててて、分かった、分かったから」
後輩が降参したように笑う。仕方ねぇから解放してやると、向きを変えて二本の腕がこちらに伸びてきた。
「ふふっ、よしよし、急に歯が痒くなっちゃったのかと思ったよ」
大きな手がクスクスと笑いながら俺の髪をわしゃわしゃと掻き乱す。
「おい、犬扱いすんな!」
ペシリと俺は自分の頭の上にある手を軽く叩いた。
でも、葬式みてぇな空気の中に居るのは嫌だったから、後輩が少しでも明るく笑ってくれて良かった、と思う。
「いいや、君は相変わらず、猫みたいで犬みたいな子だよ。もしかして、こうしてほしかったの?」
俺の頭を乱すのをやめて、今度は俺の背中に手を回す後輩。
「ちっげぇよ」
これじゃあ、抱き締められてるみてぇじゃんか……。何故か嫌な気持ちはしねぇが。でも、これじゃねぇ感がすげぇ。
「好き――」
「言うな」
あんたが、今、告白しても無かったことになっちまうんだろう? どうせ、何もかも消えちまうんだろう? 最初から何も無かったみてぇに。
「それ言うなら、消えんな」
消えたら死んでも、生きてても一緒だ。俺の中にある感情は未だによく分かんねぇけど、今はこの人のことを離したくねぇと思った。だから……
「やこくん……?」
俺から、抱き締めた。
――あったけぇ……。
「そんなことされたら、俺、勘違いするよ?」
後輩の声が身体を伝って聞こえてくる。
「うっせ……もう黙って寝ろ」
単純に眠たくなって、ほんとにうるせぇな、と思った。
俺はあつ子のことが好、きなんだ。この人のことなんて、全然好きじゃねぇのに……、それなのに、この人のことも放っておけねぇ。これは、きっと恋……じゃねぇはず……――。
◆ ◆ ◆
「んんー……」
ぬくぬくとした空間で、これでもか、と伸びをする。
「ふふ、起きた? おはよう、やこくん」
ああ……後輩か……。俺の額に……キス……して、離れ……
「ん……?」
ぼんやりとする頭で考える。そして、次の瞬間、覚醒した。
「あぁぁあああ!」
頭を両手で抱えながら飛び起きる。
――俺はなんてことをしちまったんだぁああ! 弱ってる後輩を放っておけないからって、思わせぶりなことしちまったぁぁあああ! い、今からでも弁明って出来ますかね!? ダメですかね!?
「朝から元気だね、やこくん。お兄さん、ちょっと寒いな……」
俺が勢い良く起きたことで吹っ飛んだ羽毛布団を引き寄せながら、後輩が笑っている。
「いや、あの、昨日は、なんか、色々とすみませんでした! 昨日のことは全部忘れてください!」
布団から転がり出て、フローリングの上で頭を深々と下げる俺。どうか、イライラして噛みついたことは忘れてくれ。そう思いながら、恐る恐る顔を上げると後輩と視線が合った。
「なんのことかなぁ?」
――ニヤニヤしてやがる! 昨日のしょんぼり後輩どこ行った!?
「あ、あんた……」
ピンポーン
今が何時か知らねぇが急に後輩ん家のインターホンが鳴った。
「君はそこに居て」
後輩がそう言うから、俺はフローリングの上で反省してるやつみてぇになった。
「あ、先輩、おはようございます……って、アツコ! 一体、どこに居たんですか?」
玄関の方で後輩が言ったのが聞こえた。
「え? アツコ?」
そこに居ろ、とは言われたがアツコが見つかったと聞いて、いてもたってもいられなくなり、パタパタと玄関に向かう。
目に飛び込んできたあつ子の姿に、なんだかホッとした。アツコも元気そうだ。
「可哀想に、お腹を空かせて鳴いていたぞ……やこの部屋で」
あつ子が優しく白いフワフワを撫でながら発した言葉、それを聞いて俺はハッとした。もしかして……
「そういえば、俺……敦彦さんに頼まれて、ベランダで干してた布団取り込んでる時に足元を何かが通った気がして、布団持ったままリビングに入ったら自分以外の足音が聞こえて、怖くなって自分の部屋に一回避難して、あ、やっぱ気の所為だって思って、そのあと……、忘れました」
必死に昨日の行動を思い出して、最後、気の抜けた感じで言ってしまった。
「やーこーくーん?」
後輩、ニコニコ笑ってるけど、なんか殺意あるんですけど!!
「いや! でも俺、別に悪気は……」
仕方ねぇじゃんか! だって、このまんまじゃぜってぇ見ちゃいけねぇもん見えちまうと思ったんだもんよぉ!
「まさかアツコの心も奪うなんてね……やこくんの泥棒猫」
あつ子からアツコを受け取って、後輩が殺気のあるニコニコ顔で、こちらを見る。
そんで、後輩の後ろであつ子が「ふっ」と笑ったのが見えた。
「えぇ!? 違っ、いや、合ってんのか? いやいや、違うって!」
意味的には合ってんのかもだけど……あれ? 泥棒猫の語源ってこういうことなのか? 猫泥棒から来てんのか?(※違う)
「俺の色んな気持ち、返してよ」
「え、いや、え……」
アツコを抱っこしたまま、ずいっと後輩に迫られて戸惑う。そして、意地の悪い笑みは俺にしか聞こえないように耳元で囁いた。
「君、昨日、腰トントンされてるとき、ちょっと腰浮いてたね……」
――ひいぃっ! 腰トントンされる! 後輩の気の済むまで腰トントンされて、恥ずかしいこといっぱい言われて、いじめられるに決まってる! ……ドS……、この人、ドSって言ってたもん……。
「すまなかったな、うちのやこが。どうか、許してやってくれ」
急に腕を掴まれて、するりと後輩の横を抜け、あれよあれよとあつ子の前に移動した俺の身体は、そのまま奴の手によってぺこりと頭を下げる形にされた。
「もちろん、許しますよ。やこくんには色々助けてもらいましたし、飼い主である俺にも非はあるので」
頭を下げたまま上目遣いで後輩の顔を確認してみると、アツコの白いモフモフしか見えなかった。小さくアツコが「なー」と鳴く。
そうだよな、あんたも飼い猫がベランダに出てること気付いてなかったんだもんな。俺だけ責められるのはおかしいよな。
「そうか……良かった。ありがとな」
俺の頭を解放しながらあつ子が言った。俺にはなかなか向けないイケメンな顔して穏やかに笑ってやがる。
「こちらこそ、ありがとうございました」
大袈裟だろうってくらい後輩が頭を深々と下げた。別にそこまでする必要ねぇっての。
「じゃあ、またな」
「はい」
この二人のやりとりには俺も少し憧れる。
「……やこ、帰るぞ。皿とか服とか持ってこい」
「ういっす」
ぱたぱたと忙しなく、言われた通りに皿と自分の着ていた服を持って玄関に向かう俺。この時には既にあつ子は扉を開けて、外に出ていた。
「お世話になりました。これ、洗濯して返すんで」
後輩に借りたスウェットのままで靴を履いて、俺は扉を開けて外に出た。
「うん、じゃあね」
後輩の姿を隠すようにゆっくりと扉が閉まっていく。
それが完全に閉まったとき、冷たい風が吹き抜けた――。
この後、あつ子に何か言われるかと思ったが、まったく何も言われなかったし、聞かれなかった。
アツコのことにも触れず、後輩のことにも触れない。俺の失態に触れないでいてくれているのだろうか? 俺が気にすると思って?
「あつ子、俺のこと好きか?」
夜、隣同士でソファに座ってテレビを見ている時にボソリと無意識に尋ねていた。
一瞬、お互いにポカンとした顔を見合わせて、遅れて頭で理解して、一方的にブワッと顔が熱くなった。
「え? なんか今、俺言った?」
「いえ、何も聞いてないわ」
「そうだよな」
スッと立ち上がって、風呂場に向かう俺。
――なぁにしてんだぁ! 俺ぇぇええええ! 後輩に感化されてやがるぅぅぅううう!
洗濯機に寄り掛かって、しゃがみ込んで、心の中で一頻り叫んで、「あ、風呂入ろ、入って忘れよう」と思った。
そして、服を脱いで気が付いた。
――このパンツ、あつ子に見られたくねぇ……!
「俺が! 俺が洗濯すっから!」
初めて自分で洗濯機を回した。ずっと回ってる洗濯機を見張ってたから逆に怪しまれて、あつ子に隣に並ばれた。どきどきと心臓が暴れる。だが、全部の洗濯物をグルグルに丸めてベランダまで運んだため、なんとか回避した。
だが、風で俺のそのパンツだけ、後輩の部屋のベランダに飛ばされた。
『え? 返してくれるの? 君って、そういう趣味なんだ? 変態だね』
後輩の言葉を思い出して、慌てて俺は隣の部屋のピンポンを押しに行った。何回押しても反応が無かった。
全世界の俺が閉ざされた扉の前で立ち尽くして、泣いた。
応援ありがとうございます!
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