義姉の身代わりだった私

雨雲レーダー

文字の大きさ
38 / 62

彼の隣

しおりを挟む
 静かに扉が開き、ヴィクトルが入ってきた。
 エレナの顔を見た瞬間、彼の足がわずかに止まる。

「……顔色が優れないな。何かあったのか?」

 問いかけは穏やかで、その目にも優しさがあった。
 けれど、彼女の変化に気づいた上で、あえて言葉を急かさずに待ってくれているのだと、エレナにはわかった。

「いいえ、大丈夫です。……少し考えごとをしていたので」

 言葉を選ぶように答えながら、エレナは微かに唇を噛んだ。その仕草が、嘘をついていることを物語る。

 ヴィクトルは無理に詰めることはせず、エレナの横まで歩み寄った。
 静かに立ち止まり、揺れる赤い瞳を見つめる。

「……何も言いたくなければ、それでもいい」

 そう言いながら、彼はそっと手を伸ばし、エレナの頬に触れた。
 冷たくなった肌に、指先の温もりが優しく伝わる。

 その一瞬に、張り詰めていたものがほどけていく。
 エレナは黙ったまま、視線を落とした。やがて、しぼり出すように言った。

「姉に譲るように、と……父から手紙が来ました」

 ヴィクトルはすぐには言葉を返さなかった。少しだけ黙って、彼女の横顔を見つめる。
 そして、そっと手を差し伸べ、彼女の手の甲に触れた。

「君は、どう思っている?」

「譲る気はありません」

 目を逸らさず、はっきりと告げる。
 その力強さに、ヴィクトルの目がわずかに緩んだ。

「それなら、その決意を俺が支える」

 迷いが一つもない彼の声に、胸の奥に沈んでいた重さが少しだけ軽くなる。
 彼がいてくれる。その事実だけで、前を向ける気がした。

「……それで、今日は?」

 問いかけに、ヴィクトルは表情を戻し、手を離した。

「今度の晩餐会の件だ。正式に席順を決めるから、君にも確認しておこうと思ってな」

「晩餐会の席順ですか?」

 エレナの問いに、ヴィクトルは手にしていた一枚の文書を広げた。
 それは晩餐会の座席表だった。

「君の席は、ここにした」

 彼が示したのは、第一王子――つまり彼自身の隣だった。

 エレナは一瞬言葉を失い、視線を座席表に落としたまま黙り込む。

「……私が、王族席に?」

「ああ。正式な指示として通した。文句を言う者がいても、それ以上の後ろ盾はある」

 静かに、しかしはっきりと告げられる。
 重々しい意味を感じ取り、エレナはそっと息を飲んだ。

「そんな……私なんかがその場に座って、周囲からどう見られるか」

 思わずこぼれた本音に、ヴィクトルはほんの少し眉を寄せた。

「私なんかじゃない。君が俺の隣にいるのは、当然だと思っている」

 それは命令でも説得でもなく、ただの率直な言葉だった。だからこそ、胸に深く染み込んでくる。

「陛下や、王妃陛下は……」

「了承済みだ。母上は特に、君のことを気に入っているからな」

 その一言が、胸の奥に優しく火を灯す。
 居場所なんてないと思っていた自分に、ヴィクトルは今、確かな形を与えようとしてくれている。

 エレナは迷いながらも、そっとヴィクトルを見上げた。

「私が隣にいて、いいんですか?」

「ああ、いて欲しい。……本当は、今すぐにでも伝えたい。でも、君の立場がきちんと守られていないうちに言えば、それはただの俺の自己満足になる。だから、もう少しだけ時間をくれ」

 その言葉に、また少しだけ心が揺れる。
 すぐには信じきれない。けれど、確かに温かいものがそこにある。

 黙ったまま頷いたエレナに、ヴィクトルはようやく口元を緩めた。

「……ありがとう。じゃあ、晩餐会で」

 扉に向かう背中を見送りながら、エレナはそっと自分の胸に手を置いた。
 鼓動が少しだけ、強くなっている気がした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子様への置き手紙

あおた卵
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

私の婚約者とキスする妹を見た時、婚約破棄されるのだと分かっていました

あねもね
恋愛
妹は私と違って美貌の持ち主で、親の愛情をふんだんに受けて育った結果、傲慢になりました。 自分には手に入らないものは何もないくせに、私のものを欲しがり、果てには私の婚約者まで奪いました。 その時分かりました。婚約破棄されるのだと……。

【完結済】25年目の厄災

恋愛
生まれてこの方、ずっと陽もささない地下牢に繋がれて、魔力を吸い出されている。どうやら生まれながらの罪人らしいが、自分に罪の記憶はない。 だが、明日……25歳の誕生日の朝には斬首されるのだそうだ。もう何もかもに疲れ果てた彼女に届いたのは…… 25周年記念に、サクッと思い付きで書いた短編なので、これまで以上に拙いものですが、お暇潰しにでも読んで頂けたら嬉しいです。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。 ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。 ※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。 ※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。 ※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。 ※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。 ※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。 ※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。

【完結】私は側妃ですか? だったら婚約破棄します

hikari
恋愛
レガローグ王国の王太子、アンドリューに突如として「側妃にする」と言われたキャサリン。一緒にいたのはアトキンス男爵令嬢のイザベラだった。 キャサリンは婚約破棄を告げ、護衛のエドワードと侍女のエスターと共に実家へと帰る。そして、魔法使いに弟子入りする。 その後、モナール帝国がレガローグに侵攻する話が上がる。実はエドワードはモナール帝国のスパイだった。後に、エドワードはモナール帝国の第一皇子ヴァレンティンを紹介する。 ※ざまあの回には★がついています。

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

家を追い出された令嬢は、新天地でちょっと変わった魔道具たちと楽しく暮らしたい

風見ゆうみ
恋愛
母の連れ子だった私、リリーノは幼い頃は伯爵である継父に可愛がってもらっていた。 継父と母の間に子供が生まれてからは、私への態度は一変し、母が亡くなってからは「生きている価値がない」と言われてきた。 捨てられても生きていけるようにと、家族には内緒で魔道具を売り、お金を貯めていた私だったが、婚約者と出席した第二王子の誕生日パーティーで、王子と公爵令嬢の婚約の解消が発表される。 涙する公爵令嬢を見た男性たちは、自分の婚約者に婚約破棄を宣言し、公爵令嬢に求婚しはじめる。 その男性の中に私の婚約者もいた。ちょ、ちょっと待って! 婚約破棄されると、私家から追い出されちゃうんですけど!? 案の定追い出された私は、新しい地で新しい身分で生活を始めるのだけど、なぜか少し変わった魔道具ばかり作ってしまい――!? 「あなたに言われても心に響きません!」から改題いたしました。 ※コメディです。小説家になろう様では改稿版を公開しています。

婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ
恋愛
「婚約破棄? ……そうですか。では、私の役目は終わりですね」 王太子ロイド・ヴァルシュタインの婚約者として、 国と王宮を“滞りなく回す存在”であり続けてきた令嬢 マルグリット・フォン・ルーヴェン。 感情を表に出さず、 功績を誇らず、 ただ淡々と、最善だけを積み重ねてきた彼女に突きつけられたのは―― 偽りの奇跡を振りかざす“聖女”による、突然の婚約破棄だった。 だが、マルグリットは嘆かない。 怒りもしない。 復讐すら、望まない。 彼女が選んだのは、 すべてを「仕組み」と「基準」に引き渡し、静かに前線から降りること。 彼女がいなくなっても、領地は回る。 判断は滞らず、人々は困らない。 それこそが、彼女が築いた“完成形”だった。 一方で、 彼女を切り捨てた王太子と偽聖女は、 「彼女がいない世界」で初めて、自分たちの無力さと向き合うことになる。 ――必要とされない価値。 ――前に出ない強さ。 ――名前を呼ばれない完成。 これは、 騒がず、縋らず、静かに去った令嬢が、 最後にすべてを置き去りにして手に入れる“自由”の物語。 ざまぁは静かに、 恋は後半に、 そして物語は、凛と終わる。 アルファポリス女子読者向け 「大人の婚約破棄ざまぁ恋愛」、ここに完結。

処理中です...