星降る極貧寮、ルームメイトはハンドメイドヤンキー

瀬名那奈世

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第三十一話 初めての

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 相良はきちんと抱きしめ返してくれた。僕はその温かい胸に顔を埋めて、甘える猫のように思い切り額を押しつける。
 自分のものとは違う柔軟剤の香りが体温をさらに引き上げ、そこに混ざって、少しだけ汗のにおいがした――もう手に入ることはないと思っていた熱が、今自分の腕の中にある。僕を見て、僕を包み込んでくれている。
「な……ん、なんで!」
 ひとしきり抱き合った後、抱きしめられたままの形で顔を上げ、僕は尋ねた。
 依然、背中にはあの大きな手のひらが触れている。この全部が相良なんだって実感して、その途方もない感じに頭がくらくらする。
 今目の前にいるのは、僕とおんなじ気持ちだった相良だ。
 友だちじゃなくて、好き同士の相良。
「それはマジで、俺のセリフなんだよな」
 相良は困った感じで右手を離し、後頭部を掻いた。
 その仕草で我に返った僕は、ようやく「あ、花火」と思い出す。慌てて免田高校側の空に視線を移すと、火の粉はもうすっかり消えてしまっていて、ぼんやりと薄靄うすもやのように白い煙が残っている。
「これってセーフなのかな」
「……なんの話?」
「相良と花火を観た判定でいいのかどうか、って話。僕は、花火を観る相良は見たけど、それは相良と一緒に花火を観たことにはならないよな」
 ってことは僕は、約束を破ったことになるのか……。
 落ち込んでいると、「そこ気になるのかよ」と呆れた感じで笑って、相良が僕の頭を撫でてきた。
 久しぶりだから、ドキドキも倍増だ。なにも言えないまま上目遣いで見上げると、相良はちょっと自分の耳を引っ張ってから、おもむろに地面に座り込んだ。
 あぐらをかいて「ん」と両腕を伸ばしてくる。え、それは「来い」ってことですか。そんなこと、あり得ていいんですか。
「ほら、来いよ」
 言われてしまえば、疑いようもない。消え入るような声で「お邪魔します」と言って、僕は相良に背を預ける形で、その場に腰を下ろす。
 屋上は思いの外風が強い。肌寒いけれど、相良の腕が両肩に回ってすっぽりくるんでくれたので、あまり気にならなくなった。
 そんなことより心臓がヤバかった。ヤバすぎて痛い。胸の前でぶらぶらと揺れる相良の手の甲を眺めながら、「まだ死にたくはないんだけど」と心の中でつぶやいてみる。
「荒川ナミはいいわけ?」
 耳元で響いた声は、ちょっと拗ねたような、それでいてからかうような、含みのある色をしていた。「いっ、いいとかよくないとか、これはそういう問題じゃないだろ」と答えれば、ふっと息を抜くように相良が笑う。
「あの人、ちゃんと伝えてくれたんだな。無視されるかと思った」
「――荒川ナミと、喋ったのか?」
「ん? もちろん」
「近くで……?」
「ゆうて普通の距離だけど。芸能人って考えたら、まあ近いかもな」
「で、キーホルダーを受け渡ししてもらったと……」
 指先とか、ちょっと触ったり? と恐る恐る聞くと、「お前馬鹿じゃねーの」とあしらわれた。相良の鼻先が左の肩口にくっついてくる。頬に触れた黒い短髪は、見た目よりもずっと柔らかい。
「そんなの覚えてねえ。俺が興味あるの、お前だけだよ」
 ぶわっと首元に熱が広がる。こいつこんなやつだったっけと記憶を探って、いやわりとこんな感じだったわと気づいて愕然とする。
 なんで僕、勘違いしたかな。
 いやでも、キス見ちゃったんだから仕方ないよな。
 そうだ! キス!
「さ、相良」
「ん?」
「川崎さんとは本当に、なにもないの……?」
 顔だけで振り返って覗き込めば、相良は眉間にしわを寄せて難しい顔をする。
「むしろお前は、なんでそんなアホみたいな勘違いしたわけ?」
「だ、だって! 僕見たんだよ!」
「なにを」
「相良と川崎さんが、その……キ、キス、するところ」
 相良は僕の肩から顔を上げ、斜め上に視線をやる。じーっと考えて、やがてようやく合点がいったのか、「まさか」とつぶやいて僕を見る。
「渡り廊下のやつ?」
 首がもげるくらいの勢いで、僕は何度もうなずいた。
 相良は「はー……」と大きく息を吐き、「やっとつながったわ」と独り言のようにつぶやいた。
「あれはな、未遂」
「未遂?」
「そ。確かに川崎には、あの日の前日に告られて、でも俺当然断ってんの。だけど新妻に呼び出されてさ、なんかキレてたから『俺川崎とは付き合ってねー』ってちゃんと言ったわけ。そしたら川崎が、追加で話あるってこっそり声かけてきて、無視するわけにいかねーからついてったら急に、ネクタイ引っ張られたの」
 でもちゃんと、手のひらで口覆って防いでるから。
 だから未遂。
「な……んだよ、紛らわしいなあっ」
 思わず体ごと振り向いて、僕は相良に抗議した。しかし相良は不機嫌そうに目を細めて、「いや知らねーし」と一刀両断である。ひどい。
「僕が、僕がどんだけっ、どんだけ悩んだかっ」
「普通に聞けよ」
「聞けるわけないだろ! 相良は僕のことただの友だちだと思ってるんだって、だったら僕も変な詮索しないで友だち同士でいたいなとか、色々、ほんっとに色々考えて……」
「でもお前には、ちゃんとキスしたぞ」
「そ、っうだけどお!」
 けらけらと笑って、相良は明らかに僕の反応を楽しんでいる。
 無性に腹が立って、それ以上に恥ずかしくて、僕は相良の頬をつねった。「痛え、やったな」と怒ってみせた相良が、僕の頬をつねり返してくる。
 お互いにやり合っているうちに、なんだか僕も笑えてくる。自分で言うのもなんだが、まるで子どもだ。真っ暗な屋上で二人っきり、なんにもないのに、全部あるみたいな、すごく満たされた気持ちになる。
 楽しくて嬉しくて、なぜかほんの少しだけ切ない。こんな気持ちになるのは、相良といる時だけだ。できるだけ長くこうしていたいと思う。こうやって、ふざけ合って、触れ合って、誰よりも近くで、同じ時間を生きていたい。
 そうしてしばらくじゃれ合った後、相良は目尻ににじんだ涙を拭いながら「あー」と勢いよく背中から倒れ込んだ。
「でもよかったわ。嫌われたとかじゃなくて」
 大きな手のひらに覆われて、その顔は見えない――だけど僕は、思い出した。
「嘘つき」と言ってしまった時の、「俺さ、お前になんかした?」と尋ねてきた時の、相良の、顔。
 どこからどう見ても「傷ついた」って表情だった。苦しそうで、不安そうで。
 僕が、傷つけたんだ。
 にわかに胸が軋む。「ごめん」と言葉がこぼれて、後から涙が追いかけてくる。
「ごめん」ともう一回、それでも足りない気がして、「ごめんなさい」ともう一度。
「勘違いで取り乱して、ひどいこと言った。キーホルダーも、持ってるのがどうしても辛くなって、それで……川に向かって、投げた。本当にごめん。気持ちの整理がつかなかったんだ。僕も、相良のことが好きだから」
 これは僕の、人生で初めての告白。
 推しとかじゃなくて、家族でもなくて、初めて誰かに恋をしたことの証。
 これが最後になってほしい。僕はこの人と、ずっと一緒にいたい。
「……いいよ」
 ごそごそとポケットを漁った相良の右手が、おもむろに宙に伸ばされる。その指先では、小さくて愛らしいめんちゃんのキーホルダーが、きゅるんと黒い瞳で微笑んでいる。
「だからもう、捨てるな」
 うんっと大きくうなずいて、手を伸ばした時だった。
 そのまま手首を引かれて、僕は相良に向かって勢いよく倒れ込んだ。
「わっ、えっ?」
 驚いている間に形勢逆転、気がつけば相良の方が僕を押し倒し、ふふんと得意そうな顔でこちらを見下ろしている。
 その後ろには、都会に来てから初めて見るたくさんの星――そうか、停電で、地上が暗くて。風が強いから、花火の煙もすぐに流れて、それで――。
 見惚れる間も無く、熱い唇が降ってくる。その感触は、星よりもキラキラと眩しく僕の中でまたたく。
 好きだとはっきり、低い声がささやいた。
「大事にするから、俺と付き合え」
 返事をしようと口を開いても、繰り返されるキスのせいで息がなかなか音にならない。やがて言葉を諦め、鋭く光る瞳を見つめれば、ふっと柔らかくその目尻が緩む。
 僕は下から両腕を伸ばして、相良の後頭部を強く引き寄せた。
 心地よい重みを感じながら見上げた夜空を、ひゅんと一筋、明るい星が流れていった。
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