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Quagmire-タトゥーの意味は、まだ知らない-
しおりを挟む「俺たちってさあ」
勇気を振り絞って出したはずの声は、窓を打ち付ける雨音に掻き消されるほど情けなく、震えたものだった。タンクトップ姿の悠斗さんはちらりとこちらへ視線を見遣ると、吸っていた煙草をサイドテーブルに置いてある灰皿に押し当てて消し、俺の方に向き直る。
「なに、晴」
「いや、その……。…初めて出会った日も雨降ってたね」
伝えたかった事を言うタイミングミスったなと思い、俺は話題をすり替えた。あぁ、と悠斗さんが遠くを見る。もう見慣れたはずの首元の入れ墨を眺めていると、初めて出会った日を思い出す。
***
バーテンダーをしている悠斗さんとは、少し入り組んだ道にあるバーの前で出会った。雨の予報をすっかり忘れ、バーの入り口で雨宿りしている時に傘を貸してくれた。雨に濡れたらさぞ綺麗なのだろうと思うほど黒く艶めく短髪は清潔感があったが、首元には服からはみ出る入れ墨が、正統派俳優さながらのルックスには少しだけ不釣り合いに見える。引き締まった身体に釣り合う高身長でモデルのようだと思いながらも、『さすが、付き合ってはいけない3Bのひとつだ』とその魅力に圧倒された。
「傘、ありがとうございます。明日必ず返します」
「いらない。入り口に立たれると邪魔だからあげるだけ。…未成年が来る場所でもないしな」
鋭い目付きで一蹴されるが、あいにく俺はとっくに成人を迎えている。見当違いなこと言われてんなと思いながらも得意の笑顔で乗り切ろうとした。
「俺、大学四年なんで!明日もまた来ますね!」
「……あぁそう」
次の日も雨だった。俺は自分の傘を差し、悠斗さんから借りた傘を片手にバーへ向かう。少し重いドアを押し、スパイスのような香りがうっすらと漂う暗い店内へ進むと、スポットライトを浴びて明るく浮き上がるカウンターの奥に悠斗さんはいた。傘を返すと軽く口角をあげながら飴玉を渡してくる悠斗さんは明らかに俺を子供扱いしてきて、少しだけムッとしたが、そんなやり取りすら俺にとっては大切なひと時であった。俺にはない落ち着き払った、余裕のある大人そのものだった悠斗さんに、俺は恋のような感情を抱いていたかもしれない。
一度だけ、悪酔いをした。だめだと思いながら紡いだ言葉を聞いた悠斗さんは、一瞬だけ目を見開くが、明らかに言われ慣れている様子を見せる。
『マジで言わなきゃよかった』
と後悔した時には遅く、シルバーのアクセサリーが映える骨張った手で髪を撫でられ、柔らかな手付きで顎に触れ、唇を奪われる。
最悪だ、と思った。どうせこの人は俺のことを好きでもないのにキスしてんだ。人誑しに引っ掛かった。そう悪態をつきながらも、先に言葉にしたのは紛れもなくこの俺だからと突き放せもせず、そのまま流れるように関係を持ってしまった。
台本でもあるかのようにスムーズに行為を行う悠斗さんは、何十回も、何百回も、いろんな人に言い寄られてきたんだろうなと察するには充分だった。
***
「雨に濡れた野良犬みたいだったな、あの日の晴は」
ブランケットに包まる俺の茶髪をくしゃりと撫でると、いつも無表情の顔がふわりと和らぐ。悠斗さんの手首からはウッディな香水の残り香がうっすらと香った。
「で?」
「え?」
「本当に言いたかったことは何?」
どくどく、と鼓動が速くなる。言うべきか。重いよと捨てられてしまうのか。こういう時に『すべて分かってますよ』と年上らしさ出してくるなよと思いながら、俺は悠斗さんの傍に座り直した。
「……付き合って、ないよね、俺たち」
「どう思いたい?」
あぁ、ずるい。全てをこちらに委ねて、自分はそれに付き合ってるだけですよというスタンスで彼は生きてきたのだろう。俺が仮に付き合ってると思いたい、といえば、俺たちは付き合ってることになるのだろう。そんな繫がりに意味があるのだろうか。それが大人なのだろうか。
「……悠斗さんの胸にある英語のタトゥー」
「え?」
「俺も入れたい。……書いてよ、油性ペン貸すから」
「へぇ~…」
タンクトップをするする捲るように手を侵入させる。抱かれる度に視界に映る、心臓の位置に書かれている筆記体のタトゥーを指でなぞった。
「悠斗さんと、……一つにになりたいよ。……ダメ?」
悠斗さんの目は、相変わらず鋭いままだが、少しだけ目尻が下がった気がして俺の申し入れを受け入れてくれたかのように錯覚したが、その瞳の奥は少しだけ寂しそうだった。
***
「くすぐったい?」
「……平気。……これなんて書いてあんの?」
ベッドに横になると、悠斗さんが胸元にペンで消えないように何度もなぞる。Qから始まる、筆記体で書かれたそれは、何度聞いても意味を教えてもらえず、ただはぐらかされるだけだった。
「ケチ。教えてくれてもいいのに」
「……知る必要もねえだろ。……でも」
「ん?」
「お前にはお似合いの意味だよ」
そういうとちゅ、ちゅ、と可愛らしい音を立てながら胸元にキスを落とされた。
「ふーん…。せめて筆記体が読めたらなあ」
「…そんなに気になるなら彫師さんに聞いてみな。……後悔すんなよ」
「自分の意志だから、しないよ」
そう言いながら『悠斗さんのせいで後悔するなら、それはそれでありかもな』と高鳴る胸を必死に抑えた。
窓を叩く雨の音は、ずっと強くなる一方だった。
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