あいにく、配役は辞退いたしました

チャビューヘ

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 馬車が公爵家の重厚な門をくぐり、見慣れた車寄せに停まった。
 
 扉が開かれると、そこには案の定、冷ややかな空気を纏った母のカヤと、腕を組んで佇む兄のロアンが立っていた。
 
「……ヴェラ。何の説明もなく学園を飛び出したと聞いて、耳を疑いましたわ」
 
 カヤの第一声は、再会を喜ぶものではなく、明確な失望を含んでいた。彼女は扇で口元を隠し、ヴェラの装いを品定めするように見つめる。
 
「お帰り、ヴェラ。テオ殿下から連絡があったよ。君がどれほど無礼な態度で宝石を突き返したか。おかげでこちらは、王宮への釈明に追われている」
 
 ロアンが溜め息をつきながら歩み寄ってくる。その足取りには、妹を教え導いてやるという傲慢な自負が滲んでいた。
 
 ヴェラはオロスの差し出した手を取り、優雅に馬車を降りた。かつての彼女なら、この二人の前に出た瞬間に縮こまり、許しを請うていただろう。だが今の彼女にとって、二人の視線は秋の枯れ葉が舞うのと大差ない。
 
「お出迎えありがとうございます。お母様、ロアン兄様。わざわざ外でお待ちいただかなくても、わたくし一人で部屋へ戻れましたのに」
 
「部屋へ戻る? 何を寝ぼけたことを。すぐに荷物をまとめ直して、次の便で学園へ戻りなさい」
 
 カヤの声が鋭さを増す。
 
「殿下は寛大にも、今すぐ戻って謝罪すればすべてを不問に付すと仰ってくださっているのよ。この婚約がどれほど多くの利権の上に成り立っているか、理解していないわけではないでしょう?」
 
「ええ、痛いほど理解しておりますわ。家門の繁栄と、兄様の将来、そしてお母様の社交界での地位……。すべてがわたくしの『忍耐』という生贄の上に積み上げられていたものですものね」
 
 ヴェラの淡々とした言葉に、二人が一瞬だけ言葉を詰まらせた。
 
 
 
 ロアンが眉をひそめ、さらに声を低くして言った。
 
「言葉を選べ、ヴェラ。君が贅沢な暮らしをできているのは、その『生贄』のおかげだろう。わがままを言う時期はもう過ぎた。殿下の愛を繋ぎ止めるのが君の役目だ」
 
「愛……。ふふっ。兄様は、あの場所で殿下が別の女性を抱きとめていたことも、そのためにわたくしが周囲の嘲笑に晒されていたことも、すべて承知の上で仰っているのですね?」
 
「些細なことだ。男には遊びも必要だろう。君が王妃になれば、すべては過去の話になる」
 
 ロアンの断定に、ヴェラは心の底から呆れ果てた。
 
 一度目の人生で、ヴェラが死んだあの日。
 この兄は「最後まで役に立たない妹だった」と吐き捨て、母は「もっと上手く立ち回ればよかったのに」と嘆いたのだ。彼女自身の苦しみなど、最初から誰も見ていなかった。
 
「殿下にも申し上げましたが、あいにく、配役は辞退いたしました。わたくし、もう王族の機嫌を取るために微笑む人形には戻りませんわ」
 
「ヴェラ! 親に向かって、なんて不届きな……!」
 
 カヤが激昂し、扇を振り上げた。
 
 ヴェラはその動きを、瞬き一つせずに見つめ返した。
 
「お母様。叩くのは自由ですが、その前にこちらをご覧ください。学園長と儀礼局から受理された、正式な『療養許可証』と『婚約凍結通知書』です。わたくし、王家からは正式に『休暇中』の身として認められておりますの」
 
 ヴェラが差し出した書類の束を見て、ロアンが目を見開いた。
 
「これは……王宮の印章か。まさか、自分だけでここまで進めたのか?」
 
「ええ。法的には、今のわたくしを無理やり学園へ連れ戻せば、それは王宮が認めた療養の妨害になりますわ。公爵家が王室の判断に異を唱える……そのリスクを兄様なら計算できますわよね?」
 
 ロアンの顔から血の気が引いていく。
 
「……ああ、それから。わたくしの部屋にある殿下からの贈り物は、すべて整理して王宮へ返却する手配を済ませてあります。これからは、わたくしの私費と、亡き祖母様から譲り受けた遺産だけで生活いたしますわ」
 
「何を……勝手なことを!」
 
「勝手、ではありません。わたくしはただ、舞台から降りただけです。これからは主役のお二人……テオ殿下とあの方で、どうぞ華やかな劇を続けていただければよろしい」
 
 ヴェラは、呆然と立ち尽くす母と兄をすり抜け、屋敷の玄関へと足を踏み入れた。
 
「ゾラ、荷物を運んで。それから、厨房へ伝えてちょうだい。今夜の夕食は、誰にも邪魔されずに部屋でいただきたいわ。とびきり脂の乗ったお肉のソテーがいいわね」
 
 背後でカヤが何かを叫んでいたが、その声は厚い扉に遮られ、ヴェラの耳には届かなかった。
 
 ようやく手に入れた、静寂。
 ヴェラは自室へと続く階段を上りながら、これから始まる「無職の令嬢」としての贅沢な日々に、胸を高鳴らせるのだった。
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