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ヴェラの机の上には、色とりどりの封筒が山をなしていた。
金糸の刺繍が施されたもの、家紋のシーリングワックスで厳重に閉じられたもの。それらは本来、公爵令嬢であるヴェラにとって「戦場への召集令状」に等しい価値を持つものだった。
「……多いわね。ゾラ、これらはすべて今日届いたものかしら?」
ヴェラは、手元の帳簿から目を上げずに尋ねた。帳簿には、北方で購入予定の農園の維持費と、雇い入れる予定の農夫たちの給与が、一単位の狂いもなく書き込まれている。
「はい、ヴェラ様。殿下との仲に亀裂が入ったという噂が広まり、皆様、その真偽を確かめようと必死なご様子でございます」
ゾラが、銀のトレイに乗った最後の一通を机の端に置いた。
「殿下からの手紙も含まれていますが、いかがなさいますか?」
「暖炉の火が弱くなっていたわね。ちょうどいい燃料になるわ」
ヴェラは迷うことなく、王家の紋章が刻まれた封筒をゾラへ押し戻した。かつてはその一通のために三日三晩悩み、香水を振りかけた返信を書いていたというのに。
ヴェラが数枚の招待状を手に取ると、その中から一枚、ひときわ派手な紫色の封筒が目に留まった。
差出人はリラ。ヴェラが王子の婚約者であった頃、虎視眈々とその座を狙い、嫌がらせを繰り返してきた侯爵令嬢だ。
中身を確認すると、案の定、嫌味たっぷりの招待状だった。
『お怪我、あるいは心の病と伺い、大変心を痛めております。気晴らしに、わたくしの主催するお茶会にいらっしゃいませんか? あのアカデミーの特待生、ルミ様もご招待しておりますの。和解の場になればと思いまして……』
ヴェラは、思わず小さく吹き出した。
「和解……? ふふっ、滑稽ですわね。彼女たちはまだ、わたくしがその泥沼のリングに戻ると信じているのかしら」
「ヴェラ様。リラ様は、お嬢様が公の場に姿を見せないことを『逃げ出した』と解釈し、勝利宣言をなさるおつもりのようです」
「勝利、ですか。あいにくですが、わたくし、その勝負そのものから身を引きましたの。土俵がない場所に、どうやって勝利を刻むつもりなのかしらね」
ヴェラはリラの招待状を、内容を読み終える前に二つに引き裂いた。
「ゾラ。リラ様への返信は、ネフに任せましょう。内容は『現在、ヴェラは公務および社交から永続的に離脱する手続きに入っております。今後、個人的な招待は事務局を通していただかなければ受理いたしません』と、事務的に突き返してちょうだい」
「……よろしいのですか? それをお送りすれば、ヴェラ様が社交界から完全に引退されたと見なされますが」
「それが目的ですもの。お茶会で冷めた紅茶を飲みながら、誰が誰と恋に落ちたか、誰のドレスが流行遅れか、そんな砂を噛むような話に時間を費やすくらいなら、わたくしは北方の冷涼な風の中で、採れたてのカブを囓っていたいのです」
ヴェラは立ち上がり、大きく伸びをした。
一度目の人生では、この「社交界の評価」こそが彼女のすべてだった。誰かに認められ、誰かに愛され、誰かに羨まれること。そのために心を削り、最後には命まで失った。
だが、今ならわかる。
自分の価値を他人の拍手に委ねるほど、不確かなものはない。
「あいにく、配役は辞退いたしました。わたくしがいないお茶会で、どうぞご自由に『欠席した悪役』の噂話で盛り上がればよろしい」
ヴェラは窓の外を見つめた。
そこには、ジャガイモの苗を植えるための、黒々と肥えた土の地面が広がっている。
華やかな劇の幕は、もう二度と上がらない。
ヴェラの人生という新しい舞台には、贅沢な沈黙と、確かな食の喜びだけが用意されていた。
金糸の刺繍が施されたもの、家紋のシーリングワックスで厳重に閉じられたもの。それらは本来、公爵令嬢であるヴェラにとって「戦場への召集令状」に等しい価値を持つものだった。
「……多いわね。ゾラ、これらはすべて今日届いたものかしら?」
ヴェラは、手元の帳簿から目を上げずに尋ねた。帳簿には、北方で購入予定の農園の維持費と、雇い入れる予定の農夫たちの給与が、一単位の狂いもなく書き込まれている。
「はい、ヴェラ様。殿下との仲に亀裂が入ったという噂が広まり、皆様、その真偽を確かめようと必死なご様子でございます」
ゾラが、銀のトレイに乗った最後の一通を机の端に置いた。
「殿下からの手紙も含まれていますが、いかがなさいますか?」
「暖炉の火が弱くなっていたわね。ちょうどいい燃料になるわ」
ヴェラは迷うことなく、王家の紋章が刻まれた封筒をゾラへ押し戻した。かつてはその一通のために三日三晩悩み、香水を振りかけた返信を書いていたというのに。
ヴェラが数枚の招待状を手に取ると、その中から一枚、ひときわ派手な紫色の封筒が目に留まった。
差出人はリラ。ヴェラが王子の婚約者であった頃、虎視眈々とその座を狙い、嫌がらせを繰り返してきた侯爵令嬢だ。
中身を確認すると、案の定、嫌味たっぷりの招待状だった。
『お怪我、あるいは心の病と伺い、大変心を痛めております。気晴らしに、わたくしの主催するお茶会にいらっしゃいませんか? あのアカデミーの特待生、ルミ様もご招待しておりますの。和解の場になればと思いまして……』
ヴェラは、思わず小さく吹き出した。
「和解……? ふふっ、滑稽ですわね。彼女たちはまだ、わたくしがその泥沼のリングに戻ると信じているのかしら」
「ヴェラ様。リラ様は、お嬢様が公の場に姿を見せないことを『逃げ出した』と解釈し、勝利宣言をなさるおつもりのようです」
「勝利、ですか。あいにくですが、わたくし、その勝負そのものから身を引きましたの。土俵がない場所に、どうやって勝利を刻むつもりなのかしらね」
ヴェラはリラの招待状を、内容を読み終える前に二つに引き裂いた。
「ゾラ。リラ様への返信は、ネフに任せましょう。内容は『現在、ヴェラは公務および社交から永続的に離脱する手続きに入っております。今後、個人的な招待は事務局を通していただかなければ受理いたしません』と、事務的に突き返してちょうだい」
「……よろしいのですか? それをお送りすれば、ヴェラ様が社交界から完全に引退されたと見なされますが」
「それが目的ですもの。お茶会で冷めた紅茶を飲みながら、誰が誰と恋に落ちたか、誰のドレスが流行遅れか、そんな砂を噛むような話に時間を費やすくらいなら、わたくしは北方の冷涼な風の中で、採れたてのカブを囓っていたいのです」
ヴェラは立ち上がり、大きく伸びをした。
一度目の人生では、この「社交界の評価」こそが彼女のすべてだった。誰かに認められ、誰かに愛され、誰かに羨まれること。そのために心を削り、最後には命まで失った。
だが、今ならわかる。
自分の価値を他人の拍手に委ねるほど、不確かなものはない。
「あいにく、配役は辞退いたしました。わたくしがいないお茶会で、どうぞご自由に『欠席した悪役』の噂話で盛り上がればよろしい」
ヴェラは窓の外を見つめた。
そこには、ジャガイモの苗を植えるための、黒々と肥えた土の地面が広がっている。
華やかな劇の幕は、もう二度と上がらない。
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