あいにく、配役は辞退いたしました

チャビューヘ

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 馬車の車輪が、王都の舗装された石畳とは異なる、砂利の混じった固い土を噛む音が響き始めた。
 
 窓の外に広がる景色は、華やかな花々ではなく、厳しくも力強い針葉樹の森へと変わっている。北方の空気は、肺の奥まで洗われるように冷たく、そして心地よかった。
 
「……着きましたわね、ゾラ。ここがわたくしの、新しい『観客席』よ」
 
 ヴェラが呟くと、馬車はこぢんまりとした、しかし堅牢な造りの別荘の前で停止した。
 
 そこには、一人の男が立っていた。
 使い古された厚手の革のベストを着込み、手には薪割り用の斧を提げている。管理人のカノだ。彼は馬車から降りてきたヴェラを一瞥すると、深々と頭を下げた。
 
「……ヴェラ様。長旅、ご苦労さまでございます。王都の『美しい姫君』が、こんな僻地に療養に来られるとは。部屋の準備はしておりますが、あいにく贅沢なもてなしは期待しないでいただきたい」
 
 カノの声は、歓迎よりも「厄介者が来た」という警戒に満ちていた。
 無理もない。かつてのヴェラであれば、到着するなり鏡の曇りや食事の質に不平を並べ立て、王子の話を延々と聞かせていたはずなのだから。
 
 だが、今のヴェラは、カノの無愛想な態度を歓迎するように微笑んだ。
 
「もてなしなど不要ですわ、カノ。わたくしが求めているのは、過剰な跪きではなく、煙の出ない乾燥した薪と、隙間風のない窓、それから……。地元の美味しい野菜を使った温かいスープ。それだけで十分です」
 
「……スープ、ですか? 王宮のようなフルコースではなく?」
 
「ええ。銀の食器をガチャガチャと鳴らしながら、誰かの顔色を窺って食べる百の料理より、静寂の中で啜る一杯のスープの方が、わたくしを健康にしてくれますもの」
 
 ヴェラはカノの横を通り過ぎ、屋敷の中へと足を踏み入れた。
 
 
 
 室内には、微かに松の木の香りが漂っていた。
 
 派手な金箔の装飾も、権威を示す肖像画もない。ただ、使い込まれた木の家具と、パチパチと音を立てる大きな暖炉があるだけだ。
 
 ヴェラは暖炉の前の椅子に腰を下ろし、冷えた指先を火にかざした。
 
「カノ。一つ、約束してちょうだい。王都から誰が来ようと……たとえそれが王族であっても、わたくしが許可しない限り、この敷地へは一歩も入れないこと。それから、わたくしの様子を誰かに報告するのも一切禁止よ」
 
「……ですが、ロアン様やカヤ様から問い合わせがあれば……」
 
「無視なさい。わたくしは死んだものと思ってもらって構いませんわ。わたくしの私費から、貴方の給与を三倍に引き上げます。その代わり、わたくしに『絶対的な沈黙』を提供してちょうだい。できるかしら?」
 
 カノは、目を見開いてヴェラを見つめた。
 その瞳には、かつての我儘な令嬢の面影はない。あるのは、自らの平穏を金で買い、徹底して守り抜こうとする冷徹な支配者の意志だ。
 
「……承知いたしました。私は沈黙を守るのが得意な方でして。不法侵入者があれば、この斧で追い返しましょう」
 
「心強いわ。よろしく頼むわね」
 
 
 
 カノが去った後、ゾラが熱いハーブティーを運んできた。
 
「ヴェラ様。ようやく、静かになりましたね」
 
「ええ。もう誰も、わたくしを『悪役』にするために叫んだり、泣いたりしない。……あいにく、配役は辞退いたしました。これからは、この場所で、ただのヴェラとして生きるだけだわ」
 
 ヴェラはカップを口に運び、目を閉じた。
 
 王都では今頃、テオ王子が「自分を蔑ろにした婚約者」の噂を広めているかもしれない。あるいは、ルミが「自分のせいでヴェラ様を追い出してしまった」と涙の演技を披露しているかもしれない。
 
 だが、その劇がどれほど盛り上がろうとも、脇役が不在の舞台では、決定的な「カタルシス」は得られない。
 
 冷たい北の地で、ヴェラは確信していた。
 
 主役たちがどれほど絶叫しようとも、その声がこの針葉樹の森を越えて届くことは、二度とないのだから。
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