あいにく、配役は辞退いたしました

チャビューヘ

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 凍てつく風が石造りの壁を叩く音だけが、屋敷の静寂を際立たせていた。
 
 バルデラスたちを追い払った後、ゾラやヴァレリアナは片付けのために地下へ下り、広間にはヴェラとカノの二人だけが残されていた。暖炉の火が爆ぜ、赤ん坊の拳ほどの火の粉が舞う。
 
 ヴェラは長椅子に深く身を沈め、手元に置かれた冷めた紅茶を見つめた。
 
「……カノ。説明してくださらないかしら」
 
 ヴェラの静かな声が、火の爆ぜる音に混じる。
 カノは一歩、ヴェラの側へ歩み寄ると、その場に膝をついた。それは臣下としての礼式ではなく、彼女の瞳を真正面から捉えるための、男としての動作だった。
 
「……不敬であったことは重々承知しております。ですが、あの場では、貴女を『ヴェラ』と呼ぶ必要がありました」
 
「必要? 王都の執行官たちの前で、わたくしに恥をかかせる必要があったとおっしゃるの?」
 
「逆です。彼らは貴女を『公爵令嬢』という鎖で縛り、無理やり舞台へ引き戻そうとした。貴女が捨てたはずの役を、無理やり押し付けようとした。……だから私は、彼らが触れることのできない、ただの貴女自身を呼び覚まさなければならなかったのです」
 
 カノの声は低く、そして熱を帯びていた。
 
 
 
 ヴェラは、カノの射抜くような眼差しから逃れるように視線を逸らした。
 心臓の鼓動が、雪崩のように激しく胸の内で暴れている。一度目の人生で、テオ王子に甘い言葉を囁かれた時ですら、これほどの動揺は感じなかった。
 
「……理屈はわかりましたわ。ですが、わたくしの名を呼ぶのは、特別な許可が必要なんですのよ?」
 
「では、その許可をいただけませんか。……ヴェラ」
 
 再び呼ばれた名に、ヴェラの指先が微かに震える。
 カノは、ヴェラの膝の上に置かれていた冷たい手を、自らの熱い掌でそっと包み込んだ。薪を割り、馬を御す、無骨で力強い手。だが、その触れ方は、羽根が落ちるよりも優しかった。
 
「私は、貴女を悲劇のヒロインにするつもりはありません。……貴女が望む静かな生活を、この手で守り抜く。そのために必要なのは、主従の契約ではなく、魂の共犯者であることだと思っています」
 
「共犯者……。ふふっ、物騒な誘い方ですわね」
 
 ヴェラは自嘲気味に微笑んだが、その瞳には柔らかな光が宿っていた。
 
 
 
「あいにく、配役は辞退いたしました。……誰かの愛に殉じて、美しく散る『令嬢』の役はもうおしまいです。ですが……」
 
 ヴェラは、自分を包み込むカノの手を、ぎゅっと握り返した。
 
「北方の厳しい冬を、貴方と一緒に面白がる『ヴェラ』という役なら、少しだけ演じてみてもよろしいかしら」
 
「……最高に美しい配役だと思います」
 
 カノの口角が、初めて見るほど深く、穏やかに上がった。
 二人の影が、暖炉の光によって壁に一つに重なり合う。
 
 王都では今頃、魔力の暴走に狂った主役たちが、いかに自分たちの言葉が空虚であるかに絶望していることだろう。
 だが、この北方の静寂の中では、名前を呼び合うだけの小さな熱量が、何よりも強固な真実として息づいていた。
 
 ヴェラは、カノの肩にゆっくりと頭を預けた。
 
 代わりに始まったのは、脚本も観客も存在しない、ただ二人だけの、どこまでも贅沢で不器用な、日常だったのである。
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