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第5話:噂は王城まで、そして新たな影
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「この口紅、まだ残っていますか?」
開店直後から、貴族の女性たちが次々と店に訪れる。
私が一週間かけて開発した化粧品だ。口紅、頬紅、それに肌を整える乳液。
「申し訳ございません。口紅は昨日で売り切れてしまいまして」
ハンナが丁寧に頭を下げる。
「次の入荷はいつ?」
「三日後の予定です」
「予約できる?」
「はい、こちらの帳簿にお名前を……」
カウンターの前に、列ができている。
二ヶ月前までは閑古鳥が鳴いていた店が、今では王都で最も賑わう店の一つになっていた。
「(……信じられない)」
私は帳簿を見つめた。
今月の売上、金貨百五十枚。
先月の十倍だ。
「お嬢様」
マルクが近づいてくる。その顔が、紅潮していた。
「これなら、借金の返済が……」
「ええ。予定より早く返せそうね」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
でも、手放しでは喜べない。まだ油断はできない。
その日の午後、店に見慣れない男性が入ってきた。
五十代くらいだろうか。地味だが上質な服を着ている。商人の装いだ。
「いらっしゃいませ」
トーマスが声をかけると、男は店内をゆっくりと見回した。
商品の陳列、包装紙、店員の動き。全てを観察するような視線だ。
「(……ただの客じゃない)」
私は奥から出て、男に近づいた。
「何かお探しですか?」
「いや、見ているだけだ」
男の目が、私を捉えた。鋭い目だ。
「あなたが、店主のアリシア・クラウゼン嬢か」
「はい」
「噂は聞いていた。だが、本当に若いな」
男は香水の棚の前で立ち止まった。
「この香水、作っているのはあなたか?」
「はい。私と店員が協力して」
「ほう」
男が香水を一つ手に取る。瓶を光にかざして、中の液体を見つめた。
「興味深い。この品質で、この価格。利益率はどれくらいだ?」
突然の質問に、私は戸惑った。
「それは……」
「答えなくてもいい。ただ、気になっただけだ」
男は香水を棚に戻した。
「商売は順調のようだな。だが、気をつけることだ」
「何を、ですか?」
「成功すれば、必ず妬む者が現れる。特に、急速に成長した店は狙われやすい」
男は名乗ることなく、店を出ていった。
背中を見送りながら、私は首を傾げた。
「(……誰だったのかしら)」
その夜、王城の一室で、エドワード王子は書類に目を通していた。
国政の報告書だ。貿易、税収、産業の動向。
その中に、一つの項目があった。
「王都の商業活動、活発化。特に新興商会『メゾン・ド・クラウゼン』の台頭が著しい」
エドワードの手が止まった。
「クラウゼン……?」
その名前に、記憶が蘇る。
断罪した令嬢の名前だ。
「侍従」
「はい」
「この商会について、詳しく調べろ」
「かしこまりました」
侍従が退出する。
エドワードは窓の外を見た。
王都の夜景が広がっている。その中のどこかに、あの令嬢がいる。
「(……まさか、商売で成功しているのか?)」
胸の奥に、妙な感覚が広がった。
後悔とは違う。罪悪感とも違う。
ただ、何か大切なものを手放してしまったような……
「殿下、お茶をお持ちしました」
扉が開き、リリアナが入ってきた。
華やかなドレスに身を包んでいる。だが、その顔は不機嫌そうだった。
「殿下、今日も社交界で嫌なことがあったんです」
「何があった?」
「皆、メゾン・ド・クラウゼンの話ばかりで。『あなたはまだ買っていないの?』なんて言われて」
リリアナの声に、苛立ちが滲んでいる。
「メゾン・ド・クラウゼン……その店主は、誰なのだ?」
「知りませんわ。でも、最近できた成り上がりの店ですって。貴族の方々が、あんな店の商品を喜ぶなんて、理解できません」
エドワードは何も言わなかった。
ただ、書類の「クラウゼン」という文字を見つめていた。
翌日、店に侍女を連れた貴族女性が三人訪れた。
「ねえ、聞いた? レイシェル夫人が使っている口紅、ここのなんですって」
「まあ、本当に?」
「それに、デュラン伯爵夫人も、ここの香水を愛用しているとか」
女性たちが、次々と商品を手に取る。
「これ、全部いただくわ」
「私も、友人へのプレゼントに」
レジが賑わう。
店の外にも、客が並び始めている。
「お嬢様、これ以上お客様が増えると、対応しきれません」
エマが困った顔で言う。
「分かってる。でも……」
私は店の前の列を見た。
貴族の馬車が、三台も路地に停まっている。
「(……嬉しい悲鳴ね)」
でも、確かに限界だ。
店員は五人。店の広さも限られている。
これ以上客が増えれば、サービスの質が落ちる。
「マルク、ちょっといい?」
「はい」
「店の拡張を考えているの。この隣の建物、誰が所有しているか調べてくれる?」
「隣の建物を……まさか、二店舗目を?」
「そうじゃなくて、この店を広げるの。もっと多くのお客様に対応できるように」
マルクが頷いた。
「すぐに調べます」
夕方、店を閉めた後。
私は帳簿を見直していた。
借金の残高、あと金貨百二十枚。
今のペースなら、来月中には完済できる。
「(……やっと、終わりが見えてきた)」
ノートに次の計画を書き込む。
店舗拡張。
新商品開発。
それに……
「(もっと大きく展開するには、どうすれば……)」
前世の知識が、頭の中で渦巻いている。
フランチャイズ。チェーン展開。
でも、それにはもっと資金と人材が必要だ。
扉がノックされた。
「お嬢様、商人ギルドの方が」
マルクの声だ。
「商人ギルド?」
私は立ち上がった。
応接室に向かうと、そこには昼間店に来ていた男性が座っていた。
「また会ったな」
男が立ち上がる。
「私は商人ギルドの副長、オズワルドだ」
「商人ギルドの……」
「ああ。あなたの店のことは、ギルド内でも話題になっている」
オズワルドの目が、私を見つめた。
「ギルド長が、あなたに会いたがっている」
「ギルド長が?」
「ああ。レオンハルト・フォン・エーデルシュタイン。若くして商人ギルドを率いる、天才商人だ」
オズワルドが名刺を差し出した。
「明日、ギルド本部に来てくれ。話がしたいそうだ」
名刺を受け取る。
厚手の紙に、金の箔押しで名前が印刷されている。
レオンハルト・フォン・エーデルシュタイン。
「(……この人が)」
胸の鼓動が、早くなった。
開店直後から、貴族の女性たちが次々と店に訪れる。
私が一週間かけて開発した化粧品だ。口紅、頬紅、それに肌を整える乳液。
「申し訳ございません。口紅は昨日で売り切れてしまいまして」
ハンナが丁寧に頭を下げる。
「次の入荷はいつ?」
「三日後の予定です」
「予約できる?」
「はい、こちらの帳簿にお名前を……」
カウンターの前に、列ができている。
二ヶ月前までは閑古鳥が鳴いていた店が、今では王都で最も賑わう店の一つになっていた。
「(……信じられない)」
私は帳簿を見つめた。
今月の売上、金貨百五十枚。
先月の十倍だ。
「お嬢様」
マルクが近づいてくる。その顔が、紅潮していた。
「これなら、借金の返済が……」
「ええ。予定より早く返せそうね」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
でも、手放しでは喜べない。まだ油断はできない。
その日の午後、店に見慣れない男性が入ってきた。
五十代くらいだろうか。地味だが上質な服を着ている。商人の装いだ。
「いらっしゃいませ」
トーマスが声をかけると、男は店内をゆっくりと見回した。
商品の陳列、包装紙、店員の動き。全てを観察するような視線だ。
「(……ただの客じゃない)」
私は奥から出て、男に近づいた。
「何かお探しですか?」
「いや、見ているだけだ」
男の目が、私を捉えた。鋭い目だ。
「あなたが、店主のアリシア・クラウゼン嬢か」
「はい」
「噂は聞いていた。だが、本当に若いな」
男は香水の棚の前で立ち止まった。
「この香水、作っているのはあなたか?」
「はい。私と店員が協力して」
「ほう」
男が香水を一つ手に取る。瓶を光にかざして、中の液体を見つめた。
「興味深い。この品質で、この価格。利益率はどれくらいだ?」
突然の質問に、私は戸惑った。
「それは……」
「答えなくてもいい。ただ、気になっただけだ」
男は香水を棚に戻した。
「商売は順調のようだな。だが、気をつけることだ」
「何を、ですか?」
「成功すれば、必ず妬む者が現れる。特に、急速に成長した店は狙われやすい」
男は名乗ることなく、店を出ていった。
背中を見送りながら、私は首を傾げた。
「(……誰だったのかしら)」
その夜、王城の一室で、エドワード王子は書類に目を通していた。
国政の報告書だ。貿易、税収、産業の動向。
その中に、一つの項目があった。
「王都の商業活動、活発化。特に新興商会『メゾン・ド・クラウゼン』の台頭が著しい」
エドワードの手が止まった。
「クラウゼン……?」
その名前に、記憶が蘇る。
断罪した令嬢の名前だ。
「侍従」
「はい」
「この商会について、詳しく調べろ」
「かしこまりました」
侍従が退出する。
エドワードは窓の外を見た。
王都の夜景が広がっている。その中のどこかに、あの令嬢がいる。
「(……まさか、商売で成功しているのか?)」
胸の奥に、妙な感覚が広がった。
後悔とは違う。罪悪感とも違う。
ただ、何か大切なものを手放してしまったような……
「殿下、お茶をお持ちしました」
扉が開き、リリアナが入ってきた。
華やかなドレスに身を包んでいる。だが、その顔は不機嫌そうだった。
「殿下、今日も社交界で嫌なことがあったんです」
「何があった?」
「皆、メゾン・ド・クラウゼンの話ばかりで。『あなたはまだ買っていないの?』なんて言われて」
リリアナの声に、苛立ちが滲んでいる。
「メゾン・ド・クラウゼン……その店主は、誰なのだ?」
「知りませんわ。でも、最近できた成り上がりの店ですって。貴族の方々が、あんな店の商品を喜ぶなんて、理解できません」
エドワードは何も言わなかった。
ただ、書類の「クラウゼン」という文字を見つめていた。
翌日、店に侍女を連れた貴族女性が三人訪れた。
「ねえ、聞いた? レイシェル夫人が使っている口紅、ここのなんですって」
「まあ、本当に?」
「それに、デュラン伯爵夫人も、ここの香水を愛用しているとか」
女性たちが、次々と商品を手に取る。
「これ、全部いただくわ」
「私も、友人へのプレゼントに」
レジが賑わう。
店の外にも、客が並び始めている。
「お嬢様、これ以上お客様が増えると、対応しきれません」
エマが困った顔で言う。
「分かってる。でも……」
私は店の前の列を見た。
貴族の馬車が、三台も路地に停まっている。
「(……嬉しい悲鳴ね)」
でも、確かに限界だ。
店員は五人。店の広さも限られている。
これ以上客が増えれば、サービスの質が落ちる。
「マルク、ちょっといい?」
「はい」
「店の拡張を考えているの。この隣の建物、誰が所有しているか調べてくれる?」
「隣の建物を……まさか、二店舗目を?」
「そうじゃなくて、この店を広げるの。もっと多くのお客様に対応できるように」
マルクが頷いた。
「すぐに調べます」
夕方、店を閉めた後。
私は帳簿を見直していた。
借金の残高、あと金貨百二十枚。
今のペースなら、来月中には完済できる。
「(……やっと、終わりが見えてきた)」
ノートに次の計画を書き込む。
店舗拡張。
新商品開発。
それに……
「(もっと大きく展開するには、どうすれば……)」
前世の知識が、頭の中で渦巻いている。
フランチャイズ。チェーン展開。
でも、それにはもっと資金と人材が必要だ。
扉がノックされた。
「お嬢様、商人ギルドの方が」
マルクの声だ。
「商人ギルド?」
私は立ち上がった。
応接室に向かうと、そこには昼間店に来ていた男性が座っていた。
「また会ったな」
男が立ち上がる。
「私は商人ギルドの副長、オズワルドだ」
「商人ギルドの……」
「ああ。あなたの店のことは、ギルド内でも話題になっている」
オズワルドの目が、私を見つめた。
「ギルド長が、あなたに会いたがっている」
「ギルド長が?」
「ああ。レオンハルト・フォン・エーデルシュタイン。若くして商人ギルドを率いる、天才商人だ」
オズワルドが名刺を差し出した。
「明日、ギルド本部に来てくれ。話がしたいそうだ」
名刺を受け取る。
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