婚約破棄された悪役令嬢、商人ギルド長とビジネスパートナーになったら溺愛されて商業帝国を築きました

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第9話:遠く離れた地で、近づく二つの心

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「ノルドハーフェンの店、明日オープンです」

 マルクが報告書を持ってくる。

「ハンスさんから届いた書状によれば、準備は順調とのことです」

 私は書状を受け取った。几帳面な文字で、店の様子が詳しく書かれている。

「内装は本店と同じ仕様。商品の陳列も完璧に再現しました。港町の人々は、王都の流行に飢えています。きっと、うまくいくはずです」

 文章の端々に、ハンスの興奮が滲んでいた。

「良かった……」

 胸の奥が、少し軽くなる。

 でも、不安は消えない。

「(本当に、大丈夫かしら)」

 遠く離れた場所で、私たちの基準が守られるかどうか。

 それは、やってみないと分からない。



「心配そうな顔をしているな」

 声がして、振り返った。

 レオンハルトが店の入口に立っている。

「いつから……」

「今来たところだ」

 彼が中に入ってくる。

 今日は仕事の後なのか、少し疲れた様子だ。シャツの袖が、肘まで捲られている。

「ノルドハーフェンのことか?」

「はい。明日オープンなんですが、本当にうまくいくかどうか……」

「行ってみるか」

「え?」

 レオンハルトが時計を見た。

「今から馬車を飛ばせば、明日の朝には着く。オープンに立ち会える」

 私は目を見開いた。

「でも、それは……」

「問題ない。俺も現地を見ておきたかった」

 彼がドアの方を向く。

「準備しろ。三十分後に出発する」



 夜の街道を、馬車が走る。

 揺れる車内で、私とレオンハルトは向かい合って座っていた。

 外は真っ暗だ。時々、月明かりが窓から差し込んでくる。

「眠らなくていいのか?」

 レオンハルトが尋ねる。

「いえ、大丈夫です」

 本当は少し眠い。でも、彼が起きているのに、自分だけ寝るわけにはいかない。

「無理をするな」

 彼の声が、優しかった。

 いつもの冷静な口調とは、少し違う。

「あなたこそ、疲れているんじゃないですか?」

「ああ、まあな」

 レオンハルトが窓の外を見た。

「今日は朝から会議が続いた。ギルドの運営は、思った以上に面倒だ」

「それなのに、わざわざ来てくれたんですか?」

「君が心配していたから」

 その言葉に、心臓が跳ねた。

 顔が熱くなる。

「(……今、何て……)」

「それに、俺も気になっていた」

 レオンハルトが私を見た。

「フランチャイズが本当に機能するかどうか。この目で確かめたい」

「ああ……そういうことですか」

 胸の奥が、少ししぼんだ。

 何を期待していたのか、自分でも分からない。



 馬車の揺れに任せていると、いつの間にか眠ってしまっていた。

 気づいた時、肩に何か温かいものが掛けられていた。

 レオンハルトの上着だ。

 彼は向かいの席で、腕を組んで眠っている。

 シャツ姿の彼を見るのは、初めてだった。

 月明かりが、彼の顔を照らしている。

 眠っている時は、普段の鋭さが消えて、穏やかに見える。

「(……綺麗な人)」

 ふと、そう思った。

 美しいというより、整っている。

 無駄のない顔立ち。

 私は上着を握りしめた。

 彼の匂いがする。

 インクと、わずかな香水の香り。

「(……何を考えてるの、私)」

 慌てて視線を逸らした。

 でも、心臓の音が、うるさい。



 朝、ノルドハーフェンに到着した。

 港町特有の、潮の香りが漂っている。

 馬車を降りると、ハンスが待っていた。

「アリシア様! それに、レオンハルト様まで!」

 彼の顔が、驚きと喜びで輝いている。

「わざわざお越しいただいて……」

「店を見せてください」

 私たちは店へ向かった。

 港に近い、人通りの多い場所だ。

 看板が、朝日に輝いている。

 『メゾン・ド・クラウゼン・ノルドハーフェン』

 中に入ると、息を呑んだ。

 内装が、完璧に本店を再現している。

 陳列も、包装紙も、全て同じだ。

「素晴らしい……」

 レオンハルトが呟いた。

「ハンス、よくやった」

「ありがとうございます」

 ハンスが頭を下げる。

「王都の基準を守ることが、どれほど大切か。それを理解してくださっているんですね」

 私の言葉に、ハンスが顔を上げた。

「もちろんです。メゾン・ド・クラウゼンの名前を背負うことの重さ、分かっています」



 開店の時間になった。

 扉の前に、すでに列ができている。

「噂を聞いて、皆さん楽しみにしていたんです」

 ハンスが興奮気味に言う。

「それでは、開店します」

 扉を開けた。

 客たちが、どっと入ってくる。

「まあ、本当に王都と同じ!」

「この香水、友人が使っていたわ」

「包装紙も素敵ね」

 次々と商品が売れていく。

 レジの鈴が、鳴り続けた。

 私は店の隅で、その様子を見守った。

 隣に、レオンハルトが立っている。

「成功だな」

「はい……」

 胸の奥が、じんわりと温かくなった。

「君の考えた仕組みが、ちゃんと機能している」

 レオンハルトが私を見た。

「すごいな、君は」

「そんな……」

「いや、本当だ」

 彼の手が、私の肩に触れた。

「君と組めて、良かった」

 心臓が、また跳ねる。

 顔を上げると、彼の顔が近かった。

 目が合う。

 彼の瞳が、私を映している。

 時間が、止まったように感じた。

「あ、あの……」

「お二人とも、お疲れでしょう」

 ハンスの声で、我に返った。

 レオンハルトが手を離す。

 頬が、燃えるように熱い。



 帰りの馬車の中。

 私たちは、また向かい合って座っていた。

 でも、今度は何だか気まずい。

 視線をどこに向けていいか、分からない。

「アリシア」

「は、はい」

「……いや、何でもない」

 レオンハルトが視線を逸らした。

 彼の耳が、少し赤い気がする。

「(……気のせいよね)」

 窓の外を見る。

 港町が、遠ざかっていく。

 胸の奥に、妙な感覚が残っている。

 ドキドキが、止まらない。



 その日の夜、レオンハルトは自室で書類を見ていた。

 でも、文字が頭に入ってこない。

 アリシアの顔が、浮かんでくる。

 店で商品を見つめる時の、真剣な目。

 成功を喜ぶ時の、柔らかい笑み。

 困った時の、少し眉を寄せる仕草。

「(……何を考えているんだ、俺は)」

 彼は書類を置いた。

 窓を開ける。夜風が、部屋に入ってくる。

「彼女は、ビジネスパートナーだ。それだけだ」

 自分に言い聞かせる。

 でも、胸の奥の感覚は、消えない。

 今日、彼女の肩に触れた時。

 目が合った時。

 心臓が、いつもと違う打ち方をした。

「(……まずいな)」

 レオンハルトは窓を閉めた。

 これは、仕事に支障をきたす。

 冷静でいなければ。

 そう思うのに、アリシアの顔が消えてくれなかった。



 翌日、王都では社交界が開かれていた。

 貴族たちが集う、華やかな場だ。

 リリアナも、エドワードと共に出席していた。

「ねえ、聞いた? クラウゼン令嬢、地方にも進出したんですって」

「レオンハルト様と一緒に、ノルドハーフェンまで行ったらしいわよ」

「まあ、二人きりで?」

 令嬢たちの囁きが、耳に届く。

 リリアナの手が、グラスを強く握った。

「(……また、あの女の話)」

 エドワードが、何か考え込んでいる。

「殿下、どうなさいました?」

「……いや」

 彼の視線が、遠くを見ている。

 まるで、ここにいない誰かを探すように。

「アリシア・クラウゼン……」

 小さく、その名前を呟いた。

 リリアナの顔が、歪んだ。



 店に戻ると、オストメルクとズュートバーデンからも、報告が届いていた。

 どちらも、開店初日は大成功だったという。

「やった……」

 報告書を握りしめる。

 三都市全て、うまくいった。

 フランチャイズ方式は、機能している。

「お嬢様、すごいです!」

 エマが抱きついてきた。

「これで、クラウゼンブランドが、全国に広がりますね」

「ええ。でも、これからよ」

 私は窓の外を見た。

 王都の街並みが、夕日に染まっている。

 レオンハルトの顔が、頭に浮かんだ。

「君と組めて、良かった」

 彼の言葉が、耳に残っている。

 胸の奥が、また温かくなった。

「(……この感覚は、何?)」

 自分の気持ちが、分からない。

 ただ、彼と話している時が、一番楽しい。

 それだけは、確かだった。
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