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死ぬ前に来てたよ
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翌日、祖母が社務所に戻ってきた。
「おばあちゃん」
「なんだい」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
祖母は湯呑みを手に、縁側に座った。私も隣に座る。
「あの神様のことだろう」
見透かされている。
「うん」
「話してやるよ」
祖母は空を見上げた。
「あの子ね、死ぬ前にここ来てたんだよ」
呼吸を忘れた。
「死ぬ、前」
「うん。月に1回か2回、ふらっと来てた」
祖母の声は穏やかだった。
「疲れた顔してたよ。若いのに、ずいぶん疲れた目をしてた」
「おばあちゃんは、気づいてたの」
「気づくも何も、目の前にいたからね」
祖母は湯呑みに口をつけた。
「いつも本殿の裏のベンチに座ってたよ。一人で、ぼうっと空を見て」
それは、一颯さんから聞いた話と重なる。でも、違う場所の話だ。カフェでは本を読んでいた。神社では、空を見ていた。
「麦茶、出したんだよ」
「え」
「暑い日でね。一人でぼうっとしてるから、麦茶持っていったの」
祖母は笑った。
「びっくりした顔してたよ。でも、ちゃんとお礼言ってくれた」
「なんて言ったの」
「『ありがとうございます』って。それだけ」
それは、朔さんらしい。素っ気ないけど、礼儀は欠かさない。
「名前は聞かなかったの」
「聞く必要ないだろう。休みに来てるんだから」
祖母は空を見上げた。
「あの子、ここで何も演じなくてよかったんだと思うよ」
「演じなくて」
「うん。おばあちゃんはあの子が誰だか知らなかった。ただの疲れた若者だと思ってた」
祖母の声が、少しだけ柔らかくなった。
「だから、素でいられたんじゃないかね」
私は黙って聞いていた。
朔さんは、ここに来ていた。誰にも気づかれない場所。何も演じなくていい場所。それを探して、ここに辿り着いた。
「お告げがあったんだよ」
祖母がぽつりと言った。
「あの子が死んでから、すぐにね」
「どんなお告げ」
「日向見大神様が言ったんだ。『あの子を、うちに置いてやってくれんか』って」
祖母は湯呑みを置いた。
「『行き場がなくてのう。しばらく、うちで預かってやってくれ』って」
喉の奥が熱くなった。
「だから、祀ったんだよ。理屈じゃない。神職としての直感だった」
祖母は私を見た。
「ひなた、あんたはあの子のこと、知ってるんだろう」
「うん」
「そうかい」
それ以上は聞かなかった。祖母は立ち上がって、社務所に戻っていった。
夕方、境内に出た。
朔さんは大銀杏の下にいた。
「おう」
「朔さん」
言うべきか、迷った。でも、言わないままでいるのは、嘘をついているのと同じだ。
「おばあちゃんから、聞きました」
朔さんの光輪が、わずかに揺れた。
「朔さんが生前、ここに来ていたこと」
沈黙が落ちた。朔さんは動かなかった。
「本殿の裏のベンチに座ってたって。おばあちゃんが麦茶を出したって」
朔さんの光輪が、薄い灰色に沈んでいく。
「覚えてるんですか」
「覚えてねえ」
即答だった。
「でも」
朔さんは大銀杏を見上げた。
「落ち着くんだよ、ここ。理由はわかんねえけど」
その言葉を、前にも聞いた。
「覚えてなくても、体が覚えてるのかもな」
朔さんは自分の手を見た。
「死んでんのに、変な話だけど」
「変じゃないです」
私は言った。
「体が覚えてるなら、朔さんは確かにここにいたんです」
朔さんの光輪が、ゆっくりと白に戻っていく。
「ひなた」
「はい」
「この神社、好きか」
急な質問だった。
「好きです」
「そうか」
朔さんは少しだけ笑った。
「俺も、まあ」
光輪が、夕日の色に染まっている。
「嫌いじゃねえ」
それは、朔さんなりの「好き」の言い方だった。
大銀杏の葉が、風に揺れていた。
「おばあちゃん」
「なんだい」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
祖母は湯呑みを手に、縁側に座った。私も隣に座る。
「あの神様のことだろう」
見透かされている。
「うん」
「話してやるよ」
祖母は空を見上げた。
「あの子ね、死ぬ前にここ来てたんだよ」
呼吸を忘れた。
「死ぬ、前」
「うん。月に1回か2回、ふらっと来てた」
祖母の声は穏やかだった。
「疲れた顔してたよ。若いのに、ずいぶん疲れた目をしてた」
「おばあちゃんは、気づいてたの」
「気づくも何も、目の前にいたからね」
祖母は湯呑みに口をつけた。
「いつも本殿の裏のベンチに座ってたよ。一人で、ぼうっと空を見て」
それは、一颯さんから聞いた話と重なる。でも、違う場所の話だ。カフェでは本を読んでいた。神社では、空を見ていた。
「麦茶、出したんだよ」
「え」
「暑い日でね。一人でぼうっとしてるから、麦茶持っていったの」
祖母は笑った。
「びっくりした顔してたよ。でも、ちゃんとお礼言ってくれた」
「なんて言ったの」
「『ありがとうございます』って。それだけ」
それは、朔さんらしい。素っ気ないけど、礼儀は欠かさない。
「名前は聞かなかったの」
「聞く必要ないだろう。休みに来てるんだから」
祖母は空を見上げた。
「あの子、ここで何も演じなくてよかったんだと思うよ」
「演じなくて」
「うん。おばあちゃんはあの子が誰だか知らなかった。ただの疲れた若者だと思ってた」
祖母の声が、少しだけ柔らかくなった。
「だから、素でいられたんじゃないかね」
私は黙って聞いていた。
朔さんは、ここに来ていた。誰にも気づかれない場所。何も演じなくていい場所。それを探して、ここに辿り着いた。
「お告げがあったんだよ」
祖母がぽつりと言った。
「あの子が死んでから、すぐにね」
「どんなお告げ」
「日向見大神様が言ったんだ。『あの子を、うちに置いてやってくれんか』って」
祖母は湯呑みを置いた。
「『行き場がなくてのう。しばらく、うちで預かってやってくれ』って」
喉の奥が熱くなった。
「だから、祀ったんだよ。理屈じゃない。神職としての直感だった」
祖母は私を見た。
「ひなた、あんたはあの子のこと、知ってるんだろう」
「うん」
「そうかい」
それ以上は聞かなかった。祖母は立ち上がって、社務所に戻っていった。
夕方、境内に出た。
朔さんは大銀杏の下にいた。
「おう」
「朔さん」
言うべきか、迷った。でも、言わないままでいるのは、嘘をついているのと同じだ。
「おばあちゃんから、聞きました」
朔さんの光輪が、わずかに揺れた。
「朔さんが生前、ここに来ていたこと」
沈黙が落ちた。朔さんは動かなかった。
「本殿の裏のベンチに座ってたって。おばあちゃんが麦茶を出したって」
朔さんの光輪が、薄い灰色に沈んでいく。
「覚えてるんですか」
「覚えてねえ」
即答だった。
「でも」
朔さんは大銀杏を見上げた。
「落ち着くんだよ、ここ。理由はわかんねえけど」
その言葉を、前にも聞いた。
「覚えてなくても、体が覚えてるのかもな」
朔さんは自分の手を見た。
「死んでんのに、変な話だけど」
「変じゃないです」
私は言った。
「体が覚えてるなら、朔さんは確かにここにいたんです」
朔さんの光輪が、ゆっくりと白に戻っていく。
「ひなた」
「はい」
「この神社、好きか」
急な質問だった。
「好きです」
「そうか」
朔さんは少しだけ笑った。
「俺も、まあ」
光輪が、夕日の色に染まっている。
「嫌いじゃねえ」
それは、朔さんなりの「好き」の言い方だった。
大銀杏の葉が、風に揺れていた。
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