推しが神様になりまして

チャビューヘ

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風の匂いと木漏れ日

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 翌朝、朔さんは本殿裏に向かった。

 私は社務所の前で箒を握っていた。握っているだけで、手は動いていない。

 三分が限界だった。

 本殿の横から、そっと覗いた。

 朔さんの背中が見えた。古いベンチの前で、立ち止まっている。動かない。光輪が、いくつもの色を重ねて揺らいでいた。

 私は息を殺した。

 朔さんが、ゆっくりとベンチに近づいた。背もたれの端、あのイニシャルがある場所に、指を伸ばす。触れられないことを、知っているはずなのに。

 光輪が、ゆっくりと色を変えていく。青から、白から、淡い夕焼け色へ。切ないような、懐かしいような色。

 朔さんが、何かを呟いた。声は聞こえない。でも、唇が動いたのは見えた。

 そして、ベンチの横に腰を下ろした。座れないから、浮いているだけだ。でも、座っているように見える。

 目を閉じている。何かを待っているように。

 光輪が、ゆっくりと色を変えていく。複雑に、何度も。まるで、何かを探しているみたいに。

 私は角に隠れた。見てはいけないものを見てしまった気がする。でも、目が離せなかった。

「おい」

 声に飛び上がった。振り返ると、朔さんがいた。いつの間に。

「いつからいた」

「い、今来たところです」

「嘘つけ」

 朔さんの光輪は白に戻っている。でも、端がわずかにほつれていた。

「角から覗いてただろ」

「覗いてません」

「お前、本当に嘘つくの下手だな」

 返す言葉がない。朔さんは呆れたように息を吐いた。

「ついてくんなって言っただろ」

「すみません」

「謝んな」

 朔さんはそっぽを向いた。

「まあ、来ると思ってたけど」

 え。

「お前、そういう奴だし」

 それは、許しなのだろうか。

 大銀杏の下に戻った。

「何か、思い出しましたか」

「思い出したわけじゃねえ」

 朔さんは首を振った。

「でも、いくつかわかった」

「わかった?」

「風の匂いがわかった」

 私は黙って聞いた。

「木漏れ日の角度も。あそこに座ると、ちょうど目に入らない位置がある。それを、知ってた」

 朔さんは自分の頭を押さえた。

「記憶じゃねえんだよ。体が、勝手に知ってる」

 光輪が、淡い夕焼け色をにじませている。

「変だよな。死んでんのに、体が覚えてるって」

「変じゃないです」

 言葉が勝手に出た。

「体が覚えてるなら、朔さんは確かにあそこにいたんです」

 朔さんは私を見た。

「笑わなくていい場所を、探してたんじゃないですか」

 朔さんの光輪が、一瞬だけ赤く染まった。

「なんでわかる」

 わかるから。五年間、ずっと見ていたから。ステージの上の朔さんは、笑顔を作るのが得意じゃなかった。クールな表情が多かったのは、笑えなかったからだ。

 でも、それを言うのは恥ずかしい。

「ファンなので」

 誤魔化した。

「お前」

「はい」

「それ、答えになってねえからな」

 朔さんは呆れたように言った。でも、光輪は穏やかな白に戻っていた。

「明日から、たまにあそこに座ってみる」

「ベンチにですか」

「ああ」

 朔さんは少しだけ笑った。

「座ってたら、もっと思い出せるかもしれねえし」

 その横顔は、どこか晴れやかだった。

 私の知らない朔さんが、少しずつ見えてくる。それが嬉しくて、少しだけ怖い。
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