【完結】皇帝との密会映像が、手違いで全世界に流出しました ~「拷問されている」と元婚約者が騒いでいますが、これただの溺愛です~

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断罪と慈悲は、記録されていた

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【帝国宮廷官報 号外 帝国歴四〇三年 冬 第一の月 19日】

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皇帝陛下・皇后殿下、静養継続のお知らせ

 皇帝ジークハルト陛下と皇后ティアラ殿下は、引き続き静養中です。

 ご回復は順調であり、近日中に帰還予定とのことです。

 臣民の皆様におかれましては、両陛下のご帰還を心待ちにしていただきますようお願い申し上げます。

    帝国宮廷府

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【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 同日 夜明け前】

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 今日という日を、どう記録すればいいのだろう。

 夜明け前。
 宿の部屋で目を覚ますと、旦那様と奥様は既に身支度を整えていた。

 「散歩に行くぞ」

 旦那様はそう言った。
 眼鏡をかけ直し、髪を後ろで束ねている。
 いつもの変装姿だ。

 「朝の空気は、気持ちがいいですものね」

 奥様が微笑む。
 蜂蜜色の髪を揺らし、翠色の瞳を細めて。

 散歩。

 嘘だ。

 二人の目には、殺気が宿っていた。
 いや、正確には違う。

 旦那様の目は穏やかだ。
 ただ、その穏やかさの奥に、底知れぬ冷たさがある。

 奥様の目は優しい。
 ただ、その優しさの奥に、凍てついた決意がある。

 今日、狩りが始まる。

 私は胃薬の瓶を握りしめた。
 残りは、もう半日分もない。

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【映像ログ008-A 闇国ノクターナ 北地区 同日 午前6:03】

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送信元:偵察型ゴーレム(金属の蝶)
記録範囲:北の塔周辺

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    (映像開始)

 夜明けの闇国首都ノクターナ。

 空はまだ暗い。
 しかし、それはこの街では珍しいことではない。
 太陽が直接差すことのない谷間の都市。
 いつだって、薄闇の中だ。

 青白い魔導灯が、石畳を照らしている。

 四人の人影が、北地区を歩いていた。

 先頭は、銀髪の男。
 眼鏡をかけ、商人風の外套を纏っている。
 しかし、その歩き方は王者のそれだ。

 「いい朝だな」

 ジークハルトが呟いた。

 「そうですわね。散歩日和ですわ」

 隣を歩くティアラが、にっこりと笑った。

 後ろでは、執事姿のハインリヒが青い顔をしている。
 その隣には、虚ろな目のルシアが控えていた。

 北の塔が、近づいてくる。

 黒い石で作られた、細長い建造物。
 最上階の窓から、かすかな光が漏れている。

 門の前には、黒い鎧の兵士が二人。
 槍を構え、通行人を睨んでいた。

 「止まれ」

 兵士の一人が、手を上げた。

 「ここから先は立ち入り禁止だ」

 ジークハルトは、足を止めなかった。

 「道を開けろ」

 低い声。
 穏やかだが、有無を言わせぬ響きがあった。

 「な……っ」

 兵士たちの顔が、蒼白になった。

 覇気。

 ジークハルトの体から、目に見えない圧力が放たれていた。
 空気が凍りついたように、重くなる。

 二人の兵士は、その場に膝をついた。
 槍が、石畳に転がる。

 「ひ……っ」

 声も出せず、震えている。

 ジークハルトは、彼らを一瞥もしなかった。
 ただ、通り過ぎるだけ。

 「あら、皆様お疲れのようですわね」

 ティアラが、倒れた兵士たちを見下ろした。

 「勤務態度が悪いですわ。お昼寝は、仕事の後になさいませ」

 微笑みながら、夫の後に続く。

 門が開いた。

    (映像継続)

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【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 続き】

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 門の兵士は、一言も発することなく倒れた。

 旦那様が何をしたのか、私には分からない。
 ただ歩いただけだ。
 ただ、「道を開けろ」と言っただけだ。

 それだけで、武装した兵士が二人、膝を折った。

 覇気、というのだろうか。
 ラスヴェーダのカジノで見た、あの現象と同じだ。
 存在そのものが、圧力となる。

 奥様は、倒れた兵士を見て微笑んでいた。
 「お昼寝は仕事の後に」と。

 ……恐ろしい。

 この夫婦に敵対するということは、こういうことなのだ。

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【映像ログ008-B 北の塔 一階広間 同日 午前6:15】

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 塔の内部は、薄暗かった。

 黒い石の壁、銀の燭台、青白い魔導灯。
 広間には、大きなテーブルが置かれている。
 そして、その奥に──

 「お待ちしておりました」

 黒いローブの男が立っていた。

 ヴェルナー伯爵。
 闇国の貴族であり、マリアを「保護」していた人物だ。

 「……待っていた、だと?」

 ジークハルトの声が、低くなった。

 「さようです。昨夜のうちに、お二人がこちらに来られると報告を受けました」

 伯爵は、深々と頭を下げた。

 「ヴァルトシュタイン帝国皇帝陛下、並びに皇后殿下。ようこそ、我が闇国へ」

 ジークハルトの眉が、かすかに動いた。

 「余の正体を知っているか」
 「存じ上げております。変装は見事でしたが……あのカジノでの『五連勝』は、噂になっておりますので」

 伯爵の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
 しかし、その目は笑っていない。

 「それで、何の用だ」
 「単刀直入に申し上げます」

 伯爵は、背を伸ばした。

 「あの女──マリアを、差し上げます」

 沈黙が、広間を支配した。

 「……は?」

 ジークハルトが、怪訝な顔をした。

 「聞こえませんでしたか? マリアを差し上げると申しております。我が闇国とは、一切関係のない女です」
 「関係がない、だと」

 ティアラが、一歩前に出た。

 「伯爵。偽装映像の技術を提供したのは、どなたでしたかしら」

 伯爵の顔が、わずかに引きつった。

 「……あれは、独断で行われた取引です。闇国の正式な決定ではございません」
 「まあ、そうですの」

 ティアラは、にっこりと笑った。

 「では、その『独断』を行った方は?」
 「……既に、処分いたしました」

 伯爵の声が、かすかに震えた。

 「マリアを匿ったのも、独断です。私が、彼女の『聖女の血』に価値があると考えたから。しかし、その判断は誤りでした」

 彼は、再び頭を下げた。

 「帝国との関係を損ねてまで、守る価値のある女ではございません。どうぞ、お好きになさってください」

    (場面転換)

 その時、広間の隅から──

 「裏切り者……!」

 叫び声が響いた。

 マリアだった。

 柱の陰から姿を現した彼女は、髪を振り乱していた。
 純白だったはずのドレスは、皺だらけだ。
 目の下には、深い隈が刻まれている。

 「ヴェルナー! あなた、私を売るの!?」
 「売る、ではない」

 伯爵は、冷たく言い放った。

 「元から、お前に価値などなかった。それを、ようやく理解しただけだ」
 「な……っ」

 マリアの顔が、蒼白になった。

 「私は聖女よ! フローレンスの、聖女なのよ!」
 「だった、の間違いだろう」

 ティアラの声が、穏やかに響いた。

 「マリア様。素顔を全世界に晒された『元・聖女』様」

 マリアが、ティアラを睨んだ。

 その目には、憎悪が燃えていた。

 「……ティアラ」
 「お久しぶりですわね。お元気そうで何よりですわ」

 ティアラは、微笑んだまま一歩を踏み出した。

 「さあ、参りましょうか。最上階で、ゆっくりお話しましょう」

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【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 続き】

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 ヴェルナー伯爵は、マリアを切り捨てた。

 躊躇なく、迷いなく。
 「我が闇国とは関係のない女」と言い放った。

 政治とは、こういうものなのだろう。
 利用価値がなくなれば、切り捨てる。
 それが、貴族の世界だ。

 マリアは「裏切り者」と叫んでいた。
 しかし、裏切ったのは誰だ?

 彼女こそ、フローレンス王国を裏切った。
 婚約者であるティアラ嬢を陥れ、王太子を操り、国を混乱に陥れた。

 因果応報、という言葉が頭をよぎる。

 しかし、これから起こることを思うと──

 胃が、痛む。

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【映像ログ008-C 北の塔 最上階 同日 午前6:32】

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 最上階の部屋は、昨日見た通りだった。

 黒檀の家具、銀の燭台、絹のカーテン。
 窓には鉄格子。
 豪華だが、牢獄だ。

 部屋の中央で、マリアが立っていた。

 ティアラとジークハルト、そして後ろにハインリヒとルシア。
 ヴェルナー伯爵は、一階に残った。
 「見届ける趣味はない」と言って。

 「……何の用」

 マリアの声は、震えていた。
 恐怖と、怒りが混じっている。

 「お話をしに来ましたの」

 ティアラは、穏やかに言った。

 「フローレンスでのこと。呪詛の球のこと。偽装映像のこと」
 「私は何も知らない」
 「まあ、そうですの」

 ティアラは、肩をすくめた。

 「では、お話は終わりですわね」

 彼女は、ジークハルトを見上げた。

 「陛下。この女を、処刑してくださいませ」

 マリアの顔が、蒼白になった。

 「ま……待って!」
 「待つ理由がありませんわ」

 ティアラの声は、氷のように冷たかった。

 「あなたは、私を陥れた。私の名誉を汚し、処刑台に送ろうとした。そして、帝国にまで偽装映像で攻撃を仕掛けた」
 「あれは、違う……私じゃない……」
 「証拠はありますわ」

 ティアラの手が、小さな水晶を取り出した。

 「あなたの部屋に仕込んでおいた記録装置。全て、映っていますわ」

 マリアの顔が、絶望に染まった。

 「そ、そんな……」
 「お気の毒様ですわ」

 ティアラは、微笑んだ。
 しかし、その目は笑っていない。

 「さあ、陛下。どうぞ」

 ジークハルトが、一歩を踏み出した。

 その瞬間──

 「待って!」

 マリアが、懐から何かを取り出した。

 小さな瓶。
 中には、紫色の液体が揺れている。

 「こ、これを吸えば……男は全員、私の虜になる……!」

 彼女は、瓶の蓋を開けた。

 甘い香りが、部屋に広がった。
 濃厚で、蠱惑的な匂い。

 魅了の香。
 闇国の禁制品だ。

 マリアは、狂ったように笑った。

 「さあ、皇帝陛下! 私を見て! 私に跪いて!」

 香りが、ジークハルトを包み込む。

 「……」

 沈黙。

 マリアの目が、期待に輝いた。

 そして──

 「臭いな」

 ジークハルトは、鼻を摘まんだ。

 「何だ、これは。防虫香か?」

 マリアの顔が、凍りついた。

 「な……なんで……効かない……?」
 「効くわけがないでしょう」

 ティアラが、くすくすと笑った。

 「陛下の愛は、そんな安っぽい薬では揺らぎませんわ」

 彼女は、夫の腕に絡みついた。

 「ね、陛下」
 「当然だ」

 ジークハルトは、ティアラの頭を撫でた。

 「余の心には、既にティアラがいる。他の女が入り込む隙間など、どこにもない」
 「まあ、陛下ったら」

 ティアラの頬が、かすかに赤くなった。

 マリアは、がくりと膝を落とした。

 「嘘……嘘よ……」
 「嘘ではありませんわ」

 ティアラは、マリアを見下ろした。

 「あなたの『魅力』など、陛下の前では塵ほどの価値もありませんの」

    (画面隅に小窓が現れる:ハインリヒが目を覆っている。隣のルシアは、虚ろな目で事態を見守っている)

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【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 続き】

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 魅了の香。
 闇国の禁制品だと聞いたことがある。
 吸った者は、最初に見た異性に強烈な恋心を抱くという。

 それが、旦那様には効かなかった。

 「臭い」の一言で終わった。

 ……なぜだろう。
 いや、分かっている。

 旦那様の心は、既に奥様で満たされているのだ。
 他の女が入り込む隙間など、存在しない。

 それは、とても美しいことだ。
 同時に、とても恐ろしいことでもある。

 この愛の前では、魔法も呪いも、何の意味も持たない。

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【映像ログ008-D 北の塔 最上階 同日 午前6:47】

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 マリアは、床に座り込んでいた。

 最後の切り札が、無意味に終わった。
 もう、抵抗する術はない。

 「さて」

 ティアラが、歩み寄った。

 「お話の続きをしましょうか、マリア様」

 彼女の手が、マリアの顎を掴んだ。
 優しく、しかし逃げられないように。

 「死をもって償っていただきます」

 氷の笑顔。

 マリアの体が、震えた。

 「い、嫌……死にたくない……」
 「あら、そうですの?」

 ティアラは、首を傾げた。

 「でも、あなたは私を殺そうとしましたわよね」
 「あ、あれは……」
 「濡れ衣を着せて、処刑台に送ろうとした。違いますか?」
 「……」

 マリアは、何も言えなかった。

 「お返しですわ」

 ティアラの目が、冷たく光った。

 「あなたが私にしようとしたことを、そのままお返しするだけ。公平でしょう?」

 彼女は、ジークハルトを振り返った。

 「陛下、お願いいたします」

 ジークハルトが、頷いた。

 彼の右手が、わずかに上がった。

 マリアの顔が、恐怖に歪んだ。

 「待って……待って……!」
 「待て、ティアラ」

 ジークハルトの声が、響いた。

 ティアラが、振り返った。

 「陛下?」
 「殺すには惜しい」

 マリアの目が、一瞬だけ輝いた。

 「そ、そうです陛下! 私は聖女で……有用な存在で……!」

 彼女は、ジークハルトに縋りついた。

 「お許しください! 私を助けてください! 何でもします……!」

 ジークハルトは、マリアを見下ろした。

 その目には、何の感情も浮かんでいない。

 「余が言った意味が、分かっていないようだな」

 低い声。

 マリアの動きが、止まった。

 「死ねば、楽になるだけだ」

 ジークハルトの声は、淡々としていた。

 「お前は、死んで逃げようとしている。全てを失った惨めさから、目を背けようとしている」
 「な……何を……」
 「それは、許さん」

 彼の右手が、マリアの喉に触れた。

 「生きろ。全てを失った惨めさを、噛み締め続けろ」

 冷気が、マリアの喉を包んだ。

 「ひ……っ」
 「それが、余からの『慈悲』だ」

 氷の魔力が、マリアの声帯を侵食した。

 「あ……あ……っ」

 マリアは、喉を押さえた。
 声を出そうとする。
 しかし──

 何も、出てこない。

 「な……に……」

 かすれた息だけが、漏れた。

 「声を封じた」

 ジークハルトは、手を下ろした。

 「永久に。お前は二度と、嘘も言えない。歌も歌えない。魅了の声も、使えない」
 「っ……!」

 マリアは、口を開けた。
 叫ぼうとした。
 しかし、声は出ない。

 「聖女の力は、声に宿る」

 ティアラが、穏やかに言った。

 「その声を失えば、あなたはただの女。いいえ、ただの女以下ですわ」

 彼女は、マリアの前に屈んだ。

 「名誉も、地位も、美貌も、声も。全てを失って、それでも生きていくのですわ」

 氷の笑顔。

 「これが、私たちからの『慈悲』ですわ。マリア様」

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【同時刻 北の塔 最上階】

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    (映像:別角度より)

 マリアは、床に崩れ落ちた。

 声を出そうとしている。
 口が動いている。
 しかし、何も聞こえない。

 涙が、頬を伝っていた。

 彼女は、何かを訴えようとしていた。
 「許して」か。
 「助けて」か。
 それとも、「殺して」か。

 誰にも、分からない。
 声がないのだから。

 ティアラは、立ち上がった。

 「さようなら、マリア様」

 彼女は、夫の腕を取った。

 「参りましょう、陛下。朝食がまだですわ」
 「ああ、腹が減った」

 二人は、部屋を出ていった。

 後には、声を失った女だけが残された。

    (画面下部に魔導文字が浮かぶ:【永久凍結──帝国皇帝の氷の魔法は、対象の機能を永久に封じる】)

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【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 続き】

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 「慈悲」。

 旦那様は、そう言った。

 死ぬより辛い罰を与えることを、「慈悲」と呼んだ。

 声を失ったマリアは、もう聖女ではない。
 名誉もない。地位もない。金もない。
 そして、声もない。

 彼女はこれから、闇国の路地裏で生きていくことになるだろう。
 物乞いとして。
 あるいは、それ以下の存在として。

 死んだ方が、楽だったかもしれない。
 しかし、旦那様はそれを許さなかった。

 「生きて、惨めさを噛み締めろ」と。

 ……恐ろしい。

 この夫婦の「愛」は、敵に対してはこれほどまでに残酷なのだ。

 私は、マリアを見た。
 床に崩れ落ち、声にならない叫びを上げている彼女を。

 同情は、しない。
 彼女は、自業自得だ。

 しかし、背筋が寒くなるのは止められなかった。

-----

【映像ログ008-E 北の塔 一階広間 同日 午前6:58】

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 ヴェルナー伯爵は、広間で待っていた。

 ジークハルトとティアラが階段を降りてくるのを見て、深々と頭を下げた。

 「終わられましたか」
 「ああ」

 ジークハルトは、素っ気なく答えた。

 「処分は、お任せする」
 「……処分、とは」

 伯爵の顔が、わずかに強張った。

 「最上階の女のことだ。もう、声は出ない。好きにしろ」
 「……承知いたしました」

 伯爵は、頷いた。
 その目には、複雑な感情が浮かんでいた。

 「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
 「何だ」
 「なぜ、殺さなかったのです」

 沈黙。

 ジークハルトは、ティアラを見た。
 ティアラは、微笑んだ。

 「死は、救済ですもの」

 彼女の声は、穏やかだった。

 「罪を犯した者が、死んで楽になるなど、許されませんわ」
 「……なるほど」

 伯爵は、かすかに笑った。
 しかし、その笑みには、恐怖が混じっていた。

 「帝国の『慈悲』は、噂通りでございますな」
 「噂?」

 ティアラが、首を傾げた。

 「まあ、噂になっていますの?」
 「ええ。『氷の皇帝と、その妃は、敵に死を与えない』と」

 伯爵は、頭を下げた。

 「どうぞ、お気をつけてお帰りください。我が闇国は、帝国との友好を望んでおります」
 「友好、か」

 ジークハルトの声に、かすかな皮肉が混じった。

 「偽装映像の件は、忘れてやってもいい。だが、次はないぞ」
 「肝に銘じます」

 伯爵は、深く頭を垂れた。

 ジークハルトとティアラは、塔を出た。

 朝の青白い光が、二人を包んだ。

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【ヴァルトシュタイン帝国 城下町 掲示板】

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【速報】聖女マリア、引退【悲報】

1:名無しの帝国民
 聖女マリア、声が出なくなったらしい

2:名無しの帝国民
 >>1
 は?

3:名無しの帝国民
 ソースは

4:名無しの帝国民
 >>3
 闇国からの情報
 北の塔から放り出されたらしい

5:名無しの帝国民
 放り出された?

6:名無しの帝国民
 >>5
 匿ってた貴族に見捨てられたんだと

7:名無しの帝国民
 自業自得乙

8:名無しの帝国民
 森生える

9:名無しの帝国民
 声が出ないって、どういうこと?

10:名無しの帝国民
 >>9
 分からん
 病気か呪いか

11:名無しの帝国民
 陛下の「慈悲」説

12:名無しの帝国民
 >>11
 怖すぎて森生える

13:名無しの帝国民
 死ぬより辛いやつか

14:名無しの帝国民
 >>13
 一生償えってことだな

15:名無しの帝国民
 聖女の力って、声に宿るんだろ

16:名無しの帝国民
 >>15
 それ奪われたら終わりじゃん

17:名無しの帝国民
 ただの一般人以下だな

18:名無しの帝国民
 いや、一般人以下
 名誉も金もないし

19:名無しの帝国民
 物乞いコースか

20:名無しの帝国民
 >>19
 声出ないから物乞いもできないぞ

21:名無しの帝国民
 地獄かよ

22:名無しの帝国民
 地獄だな

23:名無しの帝国民
 でも自業自得

24:名無しの帝国民
 >>23
 これ

25:名無しの帝国民
 ティアラ様を陥れようとした報いだな

26:名無しの帝国民
 偽装映像で帝国を攻撃した報いでもある

27:名無しの帝国民
 因果応報

28:名無しの帝国民
 女神は見てる

29:名無しの帝国民
 陛下の「慈悲」怖すぎて震える

30:名無しの帝国民
 >>29
 敵に回したらこうなる見本

31:名無しの帝国民
 陛下に敵対しなくてよかった

32:名無しの帝国民
 フローレンスの奴ら、震えてるだろうな

33:名無しの帝国民
 >>32
 王太子も拘束中だし

34:名無しの帝国民
 フローレンス終わってるな

35:名無しの帝国民
 帝国に生まれてよかった

36:名無しの帝国民
 >>35
 これ

37:名無しの帝国民
 陛下万歳

38:名無しの帝国民
 ティアラ様万歳

39:名無しの帝国民
 それより飯テロ映像の更新は

40:名無しの帝国民
 >>39
 空気読め

41:名無しの帝国民
 でも腹減った

42:名無しの帝国民
 >>41
 分かる

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【映像ログ008-F 闇国ノクターナ 高級宿「永遠の黄昏」 同日 午前8:15】

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 宿の食堂で、朝食が始まった。

 テーブルには、闇国の料理が並んでいる。
 黒パン、燻製肉、キノコのスープ、そして昨日買った月光梨。

 「美味しいですわね」

 ティアラが、スープを飲みながら言った。

 「暗い国ですが、料理は悪くありませんわ」
 「ああ」

 ジークハルトは、肉を頬張っていた。

 「パンが少し硬いな」
 「帝国のものと比べると、そうですわね」
 「帰ったら、柔らかいパンを食わせてやる」
 「楽しみにしていますわ」

 穏やかな朝食。

 まるで、先ほどの出来事が嘘のようだ。

 ハインリヒは、食欲がなかった。
 しかし、何も食べないわけにはいかない。
 黒パンを齧りながら、二人を見ていた。

 「ハインリヒ」

 ティアラが、声をかけた。

 「はい、奥様」
 「顔色が悪いですわね。大丈夫ですか?」
 「……は、はい。少々、胃が」
 「まあ、それは大変」

 ティアラは、小さな瓶を取り出した。

 「胃薬ですわ。帝国製の、よく効くものです」
 「あ、ありがとうございます……」

 ハインリヒは、瓶を受け取った。

 その手が、震えていた。

 「無理をなさらないでくださいね」

 ティアラは、にっこりと笑った。

 「これからも、お世話になりますもの」

 その笑顔は、とても優しかった。
 しかし、ハインリヒは知っている。

 この女性が、先ほど何をしたかを。
 この笑顔の裏に、何があるかを。

 「……はい。お任せください」

 彼は、胃薬を飲んだ。

 苦い味が、喉を通っていった。

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【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 最終】

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 朝食を終え、宿を出た。

 帰路につく。
 闇国から、帝国へ。

 馬車の中で、旦那様と奥様は寄り添っていた。
 手を繋ぎ、穏やかに眠っている。

 まるで、新婚旅行を楽しんできただけの夫婦のように。

 しかし、私は知っている。

 この「新婚旅行」で、何が行われたかを。
 カジノでの工作。
 スパイの懐柔。
 そして、聖女の断罪。

 全ては、記録されている。
 私の記憶と、偵察型ゴーレムの映像に。

 いつか、これらは歴史の一部になるのだろう。
 「氷の皇帝と、その妃が、敵を滅ぼした記録」として。

 しかし、後世の人々は知らないだろう。

 この夫婦が、どれほど深く愛し合っているかを。
 そして、その愛が、どれほど恐ろしいものであるかを。

 私は、ただ記録するのみだ。

 この愛を。
 この恐怖を。
 この──残酷な、慈悲を。

-----

【極秘ログ──送信者不明】

-----

記録日時:帝国歴四〇三年 冬 第一の月 19日 深夜11:59
ファイル名:[解析不能]
送信元:[解析不能]
送信先:[解析不能]

-----

    (音声のみ)

 馬車の揺れる音。
 規則的なリズム。

「……陛下」

 女の声。
 穏やかで、柔らかい。

「何だ」

 低い男の声。

「今日は、ありがとうございました」
「何がだ」
「私の手を、汚させなかったこと」

 沈黙。

「……そうか」
「陛下が、声を封じてくださった。おかげで、私は殺さずに済みました」

 衣擦れの音。
 体を寄せる気配。

「優しすぎますわ、陛下」

 女の声に、かすかな笑みが混じった。

「優しい、か」

 男の声は、穏やかだった。

「お前の手を汚したくなかっただけだ。余の妻は、花の香りがする。血の臭いは、似合わん」
「……まあ」

 くすくすと笑う声。

「でも、陛下。私は覚悟していましたのよ。あの女を、自分の手で殺す覚悟を」
「知っている」
「だから、陛下が代わりにやってくださったことが、嬉しいのです」

 間。

「陛下は、私の光ですわ。私の影を、全て受け入れてくださる」
「当たり前だ」

 男の声が、低くなった。

「お前は余のものだ。光も、影も、全て。他の誰にも渡さん」
「……はい」

 女の声が、震えた。
 泣いているのかもしれない。

「陛下。愛しています」
「……ああ」

 沈黙。

「余も、愛している。ティアラ」

 長い、長い沈黙。

 そして──

「……おやすみなさいませ、私の陛下」
「ああ。おやすみ、余の妻」

 馬車の揺れる音だけが、静かに続いていた。

    (ログ終了)
    (このファイルは自動消去されました)

-----

【次回予告】

闇国での「狩り」を終え、帝国に帰還した二人。
しかし、留守中に帝国では新たな動きが──

フローレンス王国から、正式な謝罪使節が到着していた。
第二王子派が送り込んだ、新たな「外交」の幕開け。

そして、アルベルト王太子の運命は?

一方、ティアラは皇后としての公務に追われることに。
しかし、彼女の心には、一つの懸念が──

「……陛下。そろそろ、正式な結婚式を挙げませんか?」

第9話「帰還と提案は、記録されていた」

-----

【おまけ:闇国ノクターナ 北の塔 翌朝】

-----

「……」

 声にならない叫びを上げながら、マリアは路地裏を歩いていた。

 純白のドレスは、泥にまみれている。
 金髪は乱れ、顔には涙の跡。

 彼女は、物乞いの手を真似てみた。
 しかし、声が出ない。
 誰も、足を止めてくれない。

 「邪魔だ」

 通行人に突き飛ばされた。

 石畳に転がり、膝を擦りむく。
 痛い。
 しかし、叫ぶことすらできない。

 「……」

 彼女は、空を見上げた。

 青白い魔導灯の光が、冷たく輝いている。
 太陽は、見えない。
 ここは、影の都。

 死にたい、と思った。
 しかし、死ぬ勇気もない。

 生きていくしかない。
 全てを失った、惨めな自分として。

 これが、「慈悲」。
 氷の皇帝と、その妃からの。

 マリアは、声にならない笑い声を上げた。

 狂ったように、肩を震わせて。

-----

【同時刻 ノクターナ中央市場の片隅】

-----

「なあ、あの女見た?」
「どの女?」
「北の塔から追い出されたやつ」
「ああ、元・聖女か」
「声が出なくなったんだってな」
「可哀想に」
「自業自得だろ」
「まあな」
「何したんだ、あの女」
「知らん。でも、帝国を怒らせたらしい」
「……」
「……」
「帝国、怖すぎないか」
「だな」
「関わらない方がいい」
「だな」
「月光梨、美味いな」
「話変わりすぎだろ」
「腹減ってんだよ」
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