【完結】冷たい王に捨てられた私は、海峡の街で薫り高く生きる

チャビューヘ

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第19話:試練の使者

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 夜明けと共に、使者は来た。

 港に停泊した黒い船。帆に刻まれた中央政府の紋章。

 街全体が、息を潜めた。

 領主館の大広間。

 既に高座に、男が座っていた。

 グレゴリウス。

 中央政府の審査官。

 灰色の髪。冷たい目。

 まるで氷の彫刻。

「領主ダミアーノ・ディ・アルカナ」

 声に感情はなかった。

 事務的。測定的。

「そして、婚約者リリアーナ・フィオーレ」

 リリアーナは一歩前に出た。

 胸が高鳴る。

 でも、顔には出さない。

 ダミアーノが隣に立った。

 彼の拳が、震えている。

「審査を開始する」

 グレゴリウスが書類をめくった。

 大量の羊皮紙。

 ページが捲られるたび、乾いた音。

「リリアーナ・フィオーレ。君の出自について、不明な点が多い」

「何が不明なのでしょう」

 リリアーナは静かに答えた。

 グレゴリウスは顔を上げなかった。

 ただ、次のページをめくる。

「二年前、君は突然『目覚めた』」

「まるで、別人のように」

 リリアーナの背筋に、冷たいものが走った。

 でも、動じない。

 前世で30年。

 こういう視線には、慣れている。

「才能が開花しただけです」

「才能?」

 グレゴリウスがようやく顔を上げた。

 目が、氷より冷たい。

「それとも、何か別のものか」

 沈黙。

 長い、長い沈黙。

 グレゴリウスは動かない。

 ただ、見つめている。

 値踏みするように。

 リリアーナは視線を逸らさなかった。

 この程度なら、耐えられる。

 前世の夫の視線の方が、もっと冷たかった。

「君は『前世の記憶』があると、周囲に語っているそうだな」

 会場がざわめいた。

 リリアーナは頷いた。

「夢か現実か分かりません。でも、確かに記憶があります」

「興味深い」

 グレゴリウスの口角が、僅かに上がった。

 笑っていない。

 冷笑だ。

「魔女の疑いがある」

 空気が凍った。

 ダミアーノが一歩前に出た。

「何を馬鹿な!」

「領主。君が庇えば、君自身も疑われる」

 グレゴリウスは立ち上がった。

 背後から、二人の人物が現れた。

 一人は西方の貴族女性。

 高貴な衣装。でも、目に光がない。

 もう一人は東方の商人。

 笑顔が多い。でも、目は笑っていない。

「紹介しよう」

 グレゴリウスが二人を指した。

「カサンドラ公爵夫人。そして、商人レン」

 カサンドラが僅かに頷いた。

 レンは深々とお辞儀した。

「我々三名が、審査官だ」

 グレゴリウスが続けた。

「では、試練を行おう」

 リリアーナの心臓が跳ねた。

 来た。

「君が本当に『心を癒す香り』 を作れるなら」

 グレゴリウスの声が、会場に響いた。

「我々三名の『心の傷』を癒す香りを、それぞれ作ってみせよ」

「ただし」

 彼は一本の指を立てた。

「我々の過去は、一切教えない」

 リリアーナは息を呑んだ。

 過去を知らずに、心の傷を当てる?

 無理だ。

 普通なら。

 でも――

 リリアーナは、30年間誰にも愛されなかった。

 ただ、観察し続けた。

 人々の表情。仕草。声。

 誰も気づかない、小さな変化を。

「やってみせます」

 リリアーナの声は、震えなかった。

 ダミアーノが振り返った。

「リリアーナ!」

「大丈夫」

 彼女は微笑んだ。

「私には、見える」

 グレゴリウスが手を叩いた。

 兵士たちが、中央に机を運んできた。

 その上に、調香の道具。

 ガラスのビーカー。ピペット。小瓶。

 そして香料の瓶が、ずらりと並んだ。

「日没まで」

 グレゴリウスが告げた。

「時間は、君を待たない」

 砂時計が、逆さまにされた。

 砂が、落ち始める。

 一粒、また一粒。

 リリアーナは机の前に立った。

 深く息を吸う。

 落ち着け。

 まずは、観察だ。

 彼女はグレゴリウスを見た。

 姿勢。硬い。常に警戒している。

 手。ペンを握り締めている。白くなるほど。

 目。冷たいが、一瞬だけ

「信頼」

 という言葉を口にした時。

 口角が、僅かに上がった。

 軽蔑の微表情。

 そうか。

 この人は、裏切られた。

 深く、深く。

 信じることを、恐れている。

 次に、カサンドラを見た。

 高貴な衣装。完璧な姿勢。

 でも、左手の薬指。

 指輪を、何度も触っている。

 五分間に、五回。

 そして――

 誰かの話をする時。

 眉の内側が上がる。

 三角形の、悲しみの表情。

 喪失だ。

 大切な誰かを、失った。

 最後に、レンを見た。

 笑顔。完璧すぎる笑顔。

 でも、目は常に動いている。

 全てを監視している。

 そして、衣装。

 何層も重ねている。

 まるで、鎧のように。

 故郷のお守りを、頻繁に触る。

 異郷の孤独。

 そして、商売での裏切り。

 彼も、誰も信じていない。

 リリアーナは頷いた。

 見えた。

 三人の傷が。

 彼女は香料の瓶に手を伸ばした。

 まず、レンのために。

 彼には、故郷の香りを。

 シナモン。一滴。

 琥珀色の液体が、ビーカーに落ちる。

 次に、カルダモン。

 東方のスパイス。

 そして、シダーウッド。

 大地の香り。

 ガラス棒で、かき混ぜる。

 円を描くように。

 香りが、踊る。

 別々だったものが、一つになる。

 最後に、ベルガモット。

 希望の香り。

 一滴。

 香りが、完成した。

 リリアーナは小瓶に注いだ。

 レンに近づく。

「これを」

 レンは小瓶を受け取った。

 笑顔。でも、目は疑っている。

 彼は香りを嗅いだ。

 一瞬

 体が強張った。

 そして。

 肩が、落ちた。

 レンの目が、遠くを見た。

 今、ここにいない。

 記憶の中。

 故郷の朝。母の台所。

 スパイスの香りに包まれた、幼い日々。

「これは……」

 レンの声が震えた。

「故郷……母上……」

 彼の目から、涙が一筋。

 笑顔が消えた。

 でも、初めて――

 目が、笑った。

 本当の笑顔。

 会場がざわめいた。

 グレゴリウスは、動じなかった。

 でも、その目が――

 僅かに、見開かれた。

「一人目は成功か」

 彼は呟いた。

「だが、残りは二人」

 リリアーナは頷いた。

 机に戻る。

 次は、カサンドラのために。

 彼女には、喪失を受け入れる香りを。

 ローズ・アブソリュート。

 深い、深い愛の香り。

 ラベンダー。

 慰めの香り。

 そして、ベルガモット。

 前を向く勇気。

 調合する。

 手が震えない。

 確信がある。

 これが、正しい。

 小瓶に注ぐ。

 カサンドラに渡す。

「どうか」

 カサンドラは小瓶を受け取った。

 手が、震えている。

 彼女は香りを嗅いだ。

 瞬間――

 彼女の顔が、崩れた。

 涙が、堰を切った。

 止まらない。

 彼女は小瓶を胸に抱いた。

「エドワード……」

 亡き夫の名だろう。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 彼女は泣き続けた。

 でも――

 それは、浄化。

 長年抑えていた悲しみが、ついに解放された。

 泣き終わった時。

 カサンドラの顔は、穏やかだった。

 リリアーナに、深々と頭を下げた。

「ありがとう」

 その声は、心からだった。

 会場が、静まり返った。

 二人目も、成功。

 全ての視線が、グレゴリウスに集まった。

 最後の審査官。

 最も冷酷な、彼。

 グレゴリウスは立ち上がった。

 リリアーナに近づく。

 足音が、石畳に響く。

 彼は彼女の前で止まった。

「君は、私を癒せると思うか」

 その声に、初めて

 感情があった。

 挑戦。

 そして、僅かな――怖れ。

 リリアーナは彼を見上げた。

「はい」

「では、試してみたまえ」

 グレゴリウスが腕を組んだ。

「失敗を見るのも、一興だ」

 リリアーナは机に戻った。

 最後の調合。

 彼には――

 裏切られた心を、癒す香りを。

 手が、香料の瓶に伸びる。

 フランキンセンス。

 不安を鎮める。

 ベチバー。

 大地に根を下ろす。

 サンダルウッド。

 持続する安定。

 そして

 ローズ。

 愛を、再び信じる勇気。

 調合する。

 これが、最後。

 全てを、賭ける。

 小瓶に注いだ。

 グレゴリウスに渡す。

 彼は小瓶を受け取った。

 冷たい指。

 彼は、躊躇した。

 一瞬だけ。

 そして

 香りを、嗅いだ。

 時が、止まった。

 グレゴリウスの目が、見開かれた。

 ペンを握る手から、力が抜けた。

 顎の緊張が、消えた。

 彼の目に、何かが浮かんだ。

 記憶。

 妻の笑顔。

 息子の声。

 失われた、全て。

「これは……」

 グレゴリウスの声が、震えた。

「妻の……香りだ」

 彼の頬を、一筋の涙が伝った。

 冷酷な審問官が

 一人の男に、戻った。

 会場が、沸いた。

 拍手。歓声。

 リリアーナは、その場に立ち尽くした。

 やった。

 三人とも、癒せた。

 ダミアーノが駆け寄ってきた。

 彼女を抱きしめようとして――

 止まった。

 グレゴリウスが、手を上げた。

 会場が、静まる。

 彼は涙を拭った。

 そして、リリアーナを見た。

 その目は

 もう、冷たくなかった。

「君は……本物だ」

 彼の声は、静かだった。

「魔女ではない。聖女だ」

 カサンドラとレンが、頷いた。

「我々は、君を認める」

 グレゴリウスが宣言した。

「リリアーナ・フィオーレ。君は試練に合格した」

 会場が、再び沸いた。

 リリアーナの目から、涙がこぼれた。

 ダミアーノが、彼女を抱きしめた。

「よくやった」

 彼の声も、震えていた。

 でもグレゴリウスが、再び手を上げた。

 会場が静まる。

「だが」

 彼の声が、響いた。

 リリアーナの胸が、冷たくなった。

「これで全てではない」

 グレゴリウスは書類を取り出した。

「中央の保守派は、まだ納得していない」

「特に――」

 彼はリリアーナを見た。

「王宮の『あの方』は」

 ダミアーノの顔色が変わった。

「『あの方』 とは」

「前領主の血を引く者」

 グレゴリウスは静かに言った。

「真の後継者を名乗る、あの方だ」

 会場に、緊張が走った。

 新しい敵。

 新しい試練。

 リリアーナはダミアーノの手を握った。

「また、来るのね」

「ああ」

 ダミアーノは頷いた。

「でも」

 彼は彼女を見た。

「今度も、君なら乗り越えられる」

 リリアーナは微笑んだ。

 そうだ。

 何度でも。

 前世とは違う。

 今は、一人じゃない。

 窓の外、夕陽が沈んでいた。

 試練は、終わった。
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