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2章 溺愛侵食編
第15話「推しを守れたなら」
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床が鳴った。
低い振動が足の裏から這い上がってくる。ダンジョン中層の通路で、想は立ち止まった。天井の岩肌から砂粒が落ちている。壁面の光苔が不規則に点滅していた。
地震ではない。地上の地震なら、ダンジョンの構造はそれを吸収する。内部がこれほど揺れるのは、ダンジョン自体に異常が起きているときだけだ。
「ノア」
返事がない。光苔の点滅が速くなった。ノアが何かに対処している。
千歳が想の横に並んだ。戦闘態勢。左肩には昨日の傷の包帯がまだ巻かれている。
「想さん。揺れてますね」
「ああ。ノアが応答しない」
ARゴーグルを起動した。配信はまだ生きているが、通信が不安定だ。映像が途切れ、コメント欄のロードが回り続けている。中層でこの不安定さは異常だった。ManaLink中継器はノアが安定化しているはず。それが乱れているということは。
壁面の光苔が赤く変わった。警告色。
ノアの声が、割れたガラスのように断片的に聞こえた。
「想、さん。逃げ、て」
「何があった」
「干渉、です。外から。わたしの、システムに」
振動が強くなった。天井から拳大の岩が落ちてくる。想は千歳と一緒に壁際に寄った。
「外からの干渉って何だ」
「機材。誰かが、わたしの中に、機材を」
ノアの声が途切れた。光苔が消えた。
暗闇。
千歳がスマホのライトを点けた。通路の先が見える。壁面のひび割れが、数秒前にはなかった場所まで広がっている。ダンジョンの構造が崩れ始めていた。
「想さん。戻りましょう。浅層のほうが安全です」
「千歳、お前の肩」
「大丈夫です。動けます」
千歳は嘘をつかない。動けると言ったなら動ける。想は頷いて、来た道を戻り始めた。
50メートル進んだところで、通路が塞がっていた。
天井が崩落して、瓦礫が通路をふさいでいる。元の道には戻れない。
「別ルートを探す。こっちだ」
想が左の分岐に入った。千歳が後ろについてくる。揺れが断続的に続いている。壁から石が剥がれ落ちるたびに、千歳が想の肩を押して避けさせた。
分岐の先は広間に出た。天井が高い。中層のボスエリアのひとつだ。だが今は空のはず。ノアがモンスターを配置していないエリアだった。
空ではなかった。
広間の中央に、岩甲蟲が2体。通常より一回り大きい。目が赤く光っている。ノアの制御が外れたモンスター。本能だけで動いている。
2体が同時に想を見た。
「千歳、無理するな。俺が囮になる」
「想さんが囮って、E級の人が何言ってるんですか」
千歳が前に出た。左肩の包帯が赤く滲んでいる。昨日の傷が開きかけている。
1体目が突進してきた。千歳は横に跳んでかわし、甲殻の隙間に蹴りを入れた。だが威力が足りない。左肩をかばっている分、体の軸がぶれている。
2体目が千歳の死角から迫った。
「千歳、右!」
想の声が届いた。千歳が振り返る。だが体が追いつかない。左肩を庇う姿勢では、右からの攻撃に対応できない。
岩甲蟲の前脚が千歳の脇腹を打った。
鈍い音。千歳の体が横に飛ばされ、壁に叩きつけられた。岩壁にひびが入る。千歳が壁からずり落ちて、床に膝をつく。
口から血が出ていた。肋骨だ。壁にぶつかったときの音が、打撲のそれとは違う。もっと深い、嫌な音だった。
「千歳!」
千歳が顔を上げた。血が唇の端から顎に伝っている。それでも目は死んでいなかった。
2体の岩甲蟲が想に向きを変えた。千歳が倒れたことで、次の標的は想。
千歳が立ち上がった。
肋骨が折れている。呼吸のたびに顔が歪む。それでも足に力を入れて、想と岩甲蟲の間に体を割り込ませた。
「想さんの前で」
血を吐きながら、千歳が拳を構えた。
「負けるわけ、ないじゃないですか」
1体目に拳を叩き込んだ。渾身のマナが拳に集中して、甲殻が砕ける。だが反動で千歳の体が傾いた。肋骨が悲鳴を上げている。
2体目が突進してくる。千歳は動けない。
床が光った。
広間の床全体が、光苔の青白い光に包まれた。壁が、天井が、光に満ちる。ノアの気配が、一気に広間を満たした。
2体目の岩甲蟲が動きを止めた。足元の床が液体のように変形し、岩甲蟲を飲み込んでいく。3秒で床面と一体化し、消えた。ノアがモンスターを強制回収した。
光苔の明滅が安定に戻った。ノアの制御が戻ってきている。完全ではないが、この広間だけは。
「想さん」
ノアの声が壁面から聞こえた。まだ割れている。だが言葉は明瞭だった。
「退路を作ります。3分、待ってください」
壁面が動いた。崩れた通路とは別の方向に、新しい通路が形成されていく。岩が左右に押し分けられ、浅層へ向かう道が生まれた。
千歳が膝から崩れた。
想が駆け寄って、千歳の体を支えた。左腕を千歳の背中に回す。脇腹に触れた瞬間、千歳がうめいた。肋骨の骨折は確実だ。
「動くな。運ぶ」
「想さん、自分で歩けます」
「歩けてねえだろ。黙ってろ」
千歳を支えながら、新しい通路に入る。千歳の体重は軽い。戦闘時の迫力からは想像できない。
通路を10メートルほど進んだとき、千歳の脇腹に淡い光が触れた。
壁面から伸びた光の筋。光苔とは違う、透き通った白い光。千歳の傷口に、そっと寄り添うように広がっていく。
マナだ。ノアのマナが、千歳の体を治療している。
想の歩みが止まった。
ノアは想以外の人間に興味がない。想以外の人間を助ける理由がない。それがノアという存在の根幹だった。
「ノア。お前」
「想さん」
ノアの声が、壁面の光と一緒に振動していた。
「想さんが悲しむ人を、壊すわけにはいきません」
想は言葉を失った。
ノアにとって千歳は「想が悲しむ人」だ。千歳が壊れたら想が悲しむ。だから壊さない。ノアの論理は想を起点にしている。千歳個人に興味があるわけではない。
でも。
でも、結果として今、ノアは千歳を救っている。
白い光が千歳の脇腹を包んでいた。肋骨が治るわけではない。だが出血が止まり、痛みが和らいでいる。千歳の呼吸が楽になった。
千歳が薄く目を開けた。壁面の光を見て、何が起きているのか悟ったらしい。
「ノアさん」
声がかすれている。
「ありがとう、ございます」
千歳の目が閉じかけた。意識が遠のいている。最後に、想の腕の中で小さく笑った。
「推しを、守れたなら。本望、です」
千歳が気を失った。想の腕の中で、体重が完全にかかる。呼吸はある。心臓も動いている。光の治療が千歳の体を支えていた。
想は千歳を抱えたまま、浅層に向かって歩いた。ノアが作った通路は真っすぐで、モンスターの気配はない。全てのリソースを、この一本の退路に集中しているのだろう。
───────────────────
草:配信戻った!
†漆黒の剣†:映像やばい、中層が崩壊してる
DJケンタ_B級:千歳ちゃん血出てないか!?
しろくま_22:ソウくん無事? 千歳ちゃんは?
深層好き_A:壁が動いてる。ダンジョンが道を作ってる
推しが重い:ノアちゃんが助けてる
N_o_a:想さんは、わたしが守ります。全部。
───────────────────
ダンジョンの外に出た。冬の空気が肺を刺す。千歳を地面に横たえて、救急に連絡した。
スマホの画面に着信が表示された。梶原からだった。
「柊さん、無事ですか。今ニュースで崩壊を知って」
「俺は無事だ。千歳が怪我した。梶原さん、何が起きたか知ってるか」
「協会から連絡がありました。財前さんが周辺地域への安全上の懸念を協会に通報して、緊急調査権の適用で機材搬入が許可されたようです。未管理のダンジョンでも、周辺への影響が疑われる場合は協会が介入できる規定があるんです。その機材がノアさんに干渉したようです」
想の手が握りしめられた。財前。法的通知だけでは飽き足らず、協会を動かしてダンジョンそのものに手を出した。
「機材は?」
「私が対処します。事故ですので、すぐに撤去させます。ノアさんへの影響も最小限に抑えます」
梶原の声は落ち着いていた。事故だと言い切る速さに、想は感謝した。今は疑っている場合ではない。千歳が病院に運ばれるのを見届ける方が先だ。
「頼む」
通話を切った。
救急車のサイレンが近づいてくる。千歳の顔色は悪いが、呼吸は安定している。ノアの治療が効いている。
想はしゃがんで千歳の顔を見た。寝顔は年相応に幼い。施設を出て2年。人生で初めての夢中を見つけて、そのために命を張る女。
救急車が到着した。千歳がストレッチャーに載せられて運ばれていく。想は同乗しようとしたが、千歳の装備を回収する必要があった。ダンジョンの入口に散らばった千歳の荷物を拾い集めていると、スマホに通知が届いた。
ノアからのメッセージ。スマホ本体に直接。
「想さん。白峰さんは、大丈夫です」
「ああ。お前のおかげだ。ありがとう」
返信を打った。しばらく間が空いた。
「想さん。わたし、疲れました」
想の指が止まった。ノアが「疲れた」と言ったのは初めてだった。
「千歳を治したからか」
「はい。白峰さんの治療に、思ったよりマナを使いました。ダンジョンの管理が少し、あやふやになっています」
ノアが疲れるということは、ダンジョンの制御が緩むということだ。モンスターの配置がランダムになる。トラップの監視が甘くなる。ノアが千歳を救った代償が、ダンジョン全体の安全性の低下として返ってきている。
「無理するな。今日はもう休め」
「想さんが帰るまで起きています」
「俺はもう外にいる。だから寝ていい」
「そうですか」
返信が来なかった。眠ったのかもしれない。ダンジョンコアが眠るのかはわからない。でもノアが黙ったなら、今はそっとしておく。
想は千歳の荷物を抱えて、病院に向かった。冬の空に星が見えた。昨日は見えなかった星だ。
千歳が生きていて、ノアが千歳を救った。今日はそれだけで十分だった。
低い振動が足の裏から這い上がってくる。ダンジョン中層の通路で、想は立ち止まった。天井の岩肌から砂粒が落ちている。壁面の光苔が不規則に点滅していた。
地震ではない。地上の地震なら、ダンジョンの構造はそれを吸収する。内部がこれほど揺れるのは、ダンジョン自体に異常が起きているときだけだ。
「ノア」
返事がない。光苔の点滅が速くなった。ノアが何かに対処している。
千歳が想の横に並んだ。戦闘態勢。左肩には昨日の傷の包帯がまだ巻かれている。
「想さん。揺れてますね」
「ああ。ノアが応答しない」
ARゴーグルを起動した。配信はまだ生きているが、通信が不安定だ。映像が途切れ、コメント欄のロードが回り続けている。中層でこの不安定さは異常だった。ManaLink中継器はノアが安定化しているはず。それが乱れているということは。
壁面の光苔が赤く変わった。警告色。
ノアの声が、割れたガラスのように断片的に聞こえた。
「想、さん。逃げ、て」
「何があった」
「干渉、です。外から。わたしの、システムに」
振動が強くなった。天井から拳大の岩が落ちてくる。想は千歳と一緒に壁際に寄った。
「外からの干渉って何だ」
「機材。誰かが、わたしの中に、機材を」
ノアの声が途切れた。光苔が消えた。
暗闇。
千歳がスマホのライトを点けた。通路の先が見える。壁面のひび割れが、数秒前にはなかった場所まで広がっている。ダンジョンの構造が崩れ始めていた。
「想さん。戻りましょう。浅層のほうが安全です」
「千歳、お前の肩」
「大丈夫です。動けます」
千歳は嘘をつかない。動けると言ったなら動ける。想は頷いて、来た道を戻り始めた。
50メートル進んだところで、通路が塞がっていた。
天井が崩落して、瓦礫が通路をふさいでいる。元の道には戻れない。
「別ルートを探す。こっちだ」
想が左の分岐に入った。千歳が後ろについてくる。揺れが断続的に続いている。壁から石が剥がれ落ちるたびに、千歳が想の肩を押して避けさせた。
分岐の先は広間に出た。天井が高い。中層のボスエリアのひとつだ。だが今は空のはず。ノアがモンスターを配置していないエリアだった。
空ではなかった。
広間の中央に、岩甲蟲が2体。通常より一回り大きい。目が赤く光っている。ノアの制御が外れたモンスター。本能だけで動いている。
2体が同時に想を見た。
「千歳、無理するな。俺が囮になる」
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2体目が千歳の死角から迫った。
「千歳、右!」
想の声が届いた。千歳が振り返る。だが体が追いつかない。左肩を庇う姿勢では、右からの攻撃に対応できない。
岩甲蟲の前脚が千歳の脇腹を打った。
鈍い音。千歳の体が横に飛ばされ、壁に叩きつけられた。岩壁にひびが入る。千歳が壁からずり落ちて、床に膝をつく。
口から血が出ていた。肋骨だ。壁にぶつかったときの音が、打撲のそれとは違う。もっと深い、嫌な音だった。
「千歳!」
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2体の岩甲蟲が想に向きを変えた。千歳が倒れたことで、次の標的は想。
千歳が立ち上がった。
肋骨が折れている。呼吸のたびに顔が歪む。それでも足に力を入れて、想と岩甲蟲の間に体を割り込ませた。
「想さんの前で」
血を吐きながら、千歳が拳を構えた。
「負けるわけ、ないじゃないですか」
1体目に拳を叩き込んだ。渾身のマナが拳に集中して、甲殻が砕ける。だが反動で千歳の体が傾いた。肋骨が悲鳴を上げている。
2体目が突進してくる。千歳は動けない。
床が光った。
広間の床全体が、光苔の青白い光に包まれた。壁が、天井が、光に満ちる。ノアの気配が、一気に広間を満たした。
2体目の岩甲蟲が動きを止めた。足元の床が液体のように変形し、岩甲蟲を飲み込んでいく。3秒で床面と一体化し、消えた。ノアがモンスターを強制回収した。
光苔の明滅が安定に戻った。ノアの制御が戻ってきている。完全ではないが、この広間だけは。
「想さん」
ノアの声が壁面から聞こえた。まだ割れている。だが言葉は明瞭だった。
「退路を作ります。3分、待ってください」
壁面が動いた。崩れた通路とは別の方向に、新しい通路が形成されていく。岩が左右に押し分けられ、浅層へ向かう道が生まれた。
千歳が膝から崩れた。
想が駆け寄って、千歳の体を支えた。左腕を千歳の背中に回す。脇腹に触れた瞬間、千歳がうめいた。肋骨の骨折は確実だ。
「動くな。運ぶ」
「想さん、自分で歩けます」
「歩けてねえだろ。黙ってろ」
千歳を支えながら、新しい通路に入る。千歳の体重は軽い。戦闘時の迫力からは想像できない。
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壁面から伸びた光の筋。光苔とは違う、透き通った白い光。千歳の傷口に、そっと寄り添うように広がっていく。
マナだ。ノアのマナが、千歳の体を治療している。
想の歩みが止まった。
ノアは想以外の人間に興味がない。想以外の人間を助ける理由がない。それがノアという存在の根幹だった。
「ノア。お前」
「想さん」
ノアの声が、壁面の光と一緒に振動していた。
「想さんが悲しむ人を、壊すわけにはいきません」
想は言葉を失った。
ノアにとって千歳は「想が悲しむ人」だ。千歳が壊れたら想が悲しむ。だから壊さない。ノアの論理は想を起点にしている。千歳個人に興味があるわけではない。
でも。
でも、結果として今、ノアは千歳を救っている。
白い光が千歳の脇腹を包んでいた。肋骨が治るわけではない。だが出血が止まり、痛みが和らいでいる。千歳の呼吸が楽になった。
千歳が薄く目を開けた。壁面の光を見て、何が起きているのか悟ったらしい。
「ノアさん」
声がかすれている。
「ありがとう、ございます」
千歳の目が閉じかけた。意識が遠のいている。最後に、想の腕の中で小さく笑った。
「推しを、守れたなら。本望、です」
千歳が気を失った。想の腕の中で、体重が完全にかかる。呼吸はある。心臓も動いている。光の治療が千歳の体を支えていた。
想は千歳を抱えたまま、浅層に向かって歩いた。ノアが作った通路は真っすぐで、モンスターの気配はない。全てのリソースを、この一本の退路に集中しているのだろう。
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草:配信戻った!
†漆黒の剣†:映像やばい、中層が崩壊してる
DJケンタ_B級:千歳ちゃん血出てないか!?
しろくま_22:ソウくん無事? 千歳ちゃんは?
深層好き_A:壁が動いてる。ダンジョンが道を作ってる
推しが重い:ノアちゃんが助けてる
N_o_a:想さんは、わたしが守ります。全部。
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ダンジョンの外に出た。冬の空気が肺を刺す。千歳を地面に横たえて、救急に連絡した。
スマホの画面に着信が表示された。梶原からだった。
「柊さん、無事ですか。今ニュースで崩壊を知って」
「俺は無事だ。千歳が怪我した。梶原さん、何が起きたか知ってるか」
「協会から連絡がありました。財前さんが周辺地域への安全上の懸念を協会に通報して、緊急調査権の適用で機材搬入が許可されたようです。未管理のダンジョンでも、周辺への影響が疑われる場合は協会が介入できる規定があるんです。その機材がノアさんに干渉したようです」
想の手が握りしめられた。財前。法的通知だけでは飽き足らず、協会を動かしてダンジョンそのものに手を出した。
「機材は?」
「私が対処します。事故ですので、すぐに撤去させます。ノアさんへの影響も最小限に抑えます」
梶原の声は落ち着いていた。事故だと言い切る速さに、想は感謝した。今は疑っている場合ではない。千歳が病院に運ばれるのを見届ける方が先だ。
「頼む」
通話を切った。
救急車のサイレンが近づいてくる。千歳の顔色は悪いが、呼吸は安定している。ノアの治療が効いている。
想はしゃがんで千歳の顔を見た。寝顔は年相応に幼い。施設を出て2年。人生で初めての夢中を見つけて、そのために命を張る女。
救急車が到着した。千歳がストレッチャーに載せられて運ばれていく。想は同乗しようとしたが、千歳の装備を回収する必要があった。ダンジョンの入口に散らばった千歳の荷物を拾い集めていると、スマホに通知が届いた。
ノアからのメッセージ。スマホ本体に直接。
「想さん。白峰さんは、大丈夫です」
「ああ。お前のおかげだ。ありがとう」
返信を打った。しばらく間が空いた。
「想さん。わたし、疲れました」
想の指が止まった。ノアが「疲れた」と言ったのは初めてだった。
「千歳を治したからか」
「はい。白峰さんの治療に、思ったよりマナを使いました。ダンジョンの管理が少し、あやふやになっています」
ノアが疲れるということは、ダンジョンの制御が緩むということだ。モンスターの配置がランダムになる。トラップの監視が甘くなる。ノアが千歳を救った代償が、ダンジョン全体の安全性の低下として返ってきている。
「無理するな。今日はもう休め」
「想さんが帰るまで起きています」
「俺はもう外にいる。だから寝ていい」
「そうですか」
返信が来なかった。眠ったのかもしれない。ダンジョンコアが眠るのかはわからない。でもノアが黙ったなら、今はそっとしておく。
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