悪役令嬢を救うためモブが婚約を申し込んだら、破滅フラグが全部俺に向いてきた

チャビューヘ

文字の大きさ
9 / 22

「知りたいこと」

しおりを挟む
 紋様が、増えていた。
 カイルは朝の薄明かりの中で右腕の袖をまくり、息を止めた。

 昨夜は肘から手首までだった。
 今朝は、肘の上まで幾何学的な線が伸びている。
 触れると微かに熱い。
 脈打つように、かすかに明滅していた。

 カイルは袖を下ろした。
 冬の長袖がなければ、隠しきれなくなる日は近い。

 運命補正の負債。
 リゼットの運命を変えるたびに、カイルの身体に刻まれていく代償。
 こめかみの痛みは消えた。
 代わりに、もっと厄介なものが残った。

 正体を知らなければならない。
 紋様が何を意味するのか。どこまで広がるのか。限界を超えたとき、何が起きるのか。

 ゲームの知識に、答えはなかった。
 『聖灯のフィリア』にこんなシステムは存在しない。
 カイルが運命を変え始めたことで、ゲームの外側にあった仕組みが動き出したのだ。

 答えがあるとすれば、一つしかない。
 王立魔法学院の古文書庫。
 この世界の魔法の歴史と原理を集めた、王都最大の学術機関だ。

 身支度を終えたカイルが宿の階段を降りると、馬車が一台停まっていた。
 クロムウェル公爵家の紋章が入った馬車だ。

 御者が扉を開けると、中にリゼットが座っていた。

「遅い」

「呼ばれてないんだが」

「呼んでいないわ。勝手に来ただけ」

 リゼットは窓の外を見たまま言った。

「学院に行くのでしょう。あなたの考えることくらい、わかります」

 カイルは馬車に乗り込んだ。
 リゼットの向かいの席に座る。
 膝が触れそうな距離だった。

「紋様のことを調べに?」

 カイルの手が一瞬止まった。
 リゼットの紫水晶の瞳が、カイルの右腕を見ている。
 袖の上からでは何も見えないはずだ。
 だが、視線は正確だった。

「昨日、庭で。あなたが袖をまくったとき」

 見られていたのか。
 カイルは後頭部を掻いた。

「大したものじゃない」

 左手が右手首に伸びかけた。
 途中で止める。
 リゼットの目が、その動きを追っていた。

「嘘」

 一言だった。
 リゼットはそれ以上追及しなかった。
 ただ窓の外に視線を戻し、静かに言った。

「いいわ。学院で調べましょう。私も知りたいことがある」

 馬車が動き出した。
 石畳の振動が車体を揺らす。
 二人の間に、問い詰めない沈黙が流れた。

 王立魔法学院は、王都の北東に位置していた。
 白い尖塔が三本、冬の空に突き刺さっている。
 正門は鉄と石で組まれた重厚な造りで、門柱の上に聖灯を模した石像が据えられていた。

 門をくぐると、石畳の広場が広がっていた。
 制服を着た学生たちが行き交っている。
 冬の風に学院旗がはためいていた。

 正面の本館は五階建ての石造りで、窓が規則正しく並んでいる。
 古い建物だ。
 壁の石材は風雨に削られ、角が丸くなっていた。
 だが手入れは行き届いている。
 権威ある場所特有の、隙のない清潔さだった。

 学院長室は本館の最上階にあった。
 案内の学生に連れられ、長い階段を上る。

 扉が開いた。

 部屋は広かった。
 壁一面の書架に革表紙の書物がぎっしりと並んでいる。
 窓から差し込む冬の陽光が、磨かれた樫の机を照らしていた。
 机の上には羽根ペンと封書が整然と置かれている。

 その奥に、男が立っていた。

 大柄だった。
 カイルより頭二つ分は高い。
 白髪交じりの髪を後ろに撫でつけ、金糸の刺繍が施された深紅の学院長ローブを纏っている。
 五十代半ばだろう。
 顔には深い皺が刻まれているが、背筋は真っ直ぐだった。

 ヴィルヘルム・グラーフ。
 王立魔法学院の学院長。

「ようこそ、ヴェストリア家のご子息。そしてクロムウェル公爵令嬢」

 声は低く、よく通った。
 聖堂で説教をする神官のような声だ。
 笑みを浮かべている。
 だが目が笑っていなかった。

「ハルバート侯爵の件は聞き及んでおります。若くして法と正義のために立ち上がられた。実に立派なことだ」

 グラーフはカイルの前まで歩み寄った。
 見下ろしている。
 物理的に背が高いだけではない。
 視線の角度に、意図があった。

「して、本日はどのようなご用件で?」

「学院の古文書庫を閲覧させていただきたい」

 カイルは真っ直ぐ見上げた。

「魔法の発動原理に関する歴史的文献を探しています」

「ほう」

 グラーフの眉が僅かに動いた。

「学術的な興味ですかな。それは結構なことだ」

 グラーフは机に戻り、椅子に腰を下ろした。
 カイルとリゼットは立ったままだ。
 座れとは言われていない。

「ただし、一つだけ申し上げておきます」

 グラーフは羽根ペンを手に取り、指先で軸を回した。

「この学院では、聖灯の教義に反する研究は認められておりません。魔法とは聖灯の恩寵であり、その根源を暴こうとする行為は冒涜にあたる。これは学院創設以来の規範です」

 笑みは消えていなかった。
 だが声の温度が、一段下がった。

「教義の範囲内での閲覧であれば、喜んでお手配いたしましょう」

 つまり、自分の許可なく調べるな。
 そう言っている。

 カイルは頭を下げた。

「ありがとうございます。教義には十分配慮いたします」

 グラーフは満足げに頷いた。
 リゼットは何も言わなかった。
 ただ紫水晶の瞳で、グラーフの書架を一冊一冊なぞるように見ていた。

 学院長室を出たとき、リゼットが小さく呟いた。

「あの人、嘘をついている」

「わかるのか」

「あなたの嘘は下手だからわかる。あの人の嘘は上手い。だから余計にわかるの」

 廊下を歩きながら、カイルは考えた。
 グラーフは何を隠しているのか。
 「教義に反する研究」とは、具体的に何を指すのか。

「あの、すみません」

 声がした。
 振り返ると、廊下の柱の陰から少女が顔を出していた。

 小柄だった。
 栗色の髪を無造作に束ね、学院の制服の上に古びたローブを羽織っている。
 胸元に特待生を示す銀の徽章が光っていた。
 大きな目が、カイルとリゼットを交互に見ている。

「あのですね、聞こえてしまって。その、学院長室の声が、廊下に」

 早口だった。
 言葉が途切れない。

「古文書庫を探しているんですよね。つまり、魔法の原理に関する歴史的文献。それって、あのですね」

 少女は周囲を確認した。
 誰もいないことを確かめてから、声を落とした。

「禁書庫に、あなたが探しているものがあります」

 カイルの足が止まった。

「禁書庫?」

「学院の地下にある、閲覧禁止の書架です。学院長が個人的に管理していて、教授でも入れない。あのですね、私はずっと調べていたんです。古代の魔法理論を。でも途中で、文献が消されていることに気づいて」

 少女は一度言葉を切った。
 大きく息を吸い、吐いた。

「私はエリス・ファーレン。魔法史の特待生です」

 エリスの目には、怯えと決意が同居していた。

「あの禁書庫には、学院長が隠しているものがある。そしてたぶん、あなたたちが探しているものも」

 冬の陽が傾き、廊下に長い影が伸びていた。
 学院の尖塔の上で、聖灯の石像が冷たく光っている。

 答えは、この学院の地下にある。
 そしてそれを、誰かが隠している。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。 ※他サイト様にも掲載中です

親友面した女の巻き添えで死に、転生先は親友?が希望した乙女ゲーム世界!?転生してまでヒロイン(お前)の親友なんかやってられるかっ!!

音無砂月
ファンタジー
親友面してくる金持ちの令嬢マヤに巻き込まれて死んだミキ 生まれ変わった世界はマヤがはまっていた乙女ゲーム『王女アイルはヤンデレ男に溺愛される』の世界 ミキはそこで親友である王女の親友ポジション、レイファ・ミラノ公爵令嬢に転生 一緒に死んだマヤは王女アイルに転生 「また一緒だねミキちゃん♡」 ふざけるなーと絶叫したいミキだけど立ちはだかる身分の差 アイルに転生したマヤに振り回せながら自分の幸せを掴む為にレイファ。極力、乙女ゲームに関わりたくないが、なぜか攻略対象者たちはヒロインであるアイルではなくレイファに好意を寄せてくる。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

前世ブラックOLの私が転生したら悪役令嬢でした

タマ マコト
ファンタジー
過労で倒れたブラック企業勤めのOLは、目を覚ますと公爵令嬢アーデルハイトとして転生していた。しかも立場は“断罪予定の悪役令嬢”。だが彼女は恋愛や王子の愛を選ばず、社交界を「市場」と見抜く。王家の財政が危ういことを察知し、家の莫大な資産と金融知識を武器に“期限付き融資”という刃を突きつける。理想主義の王太子と衝突しながらも、彼女は決意する――破滅を回避するためではない。国家の金脈を握り、国そのものを立て直すために。悪役令嬢の経済戦争が、静かに幕を開ける。

記憶を失くして転生しました…転生先は悪役令嬢?

ねこママ
恋愛
「いいかげんにしないかっ!」 バシッ!! わたくしは咄嗟に、フリード様の腕に抱き付くメリンダ様を引き離さなければと手を伸ばしてしまい…頬を叩かれてバランスを崩し倒れこみ、壁に頭を強く打ち付け意識を失いました。 目が覚めると知らない部屋、豪華な寝台に…近付いてくるのはメイド? 何故髪が緑なの? 最後の記憶は私に向かって来る車のライト…交通事故? ここは何処? 家族? 友人? 誰も思い出せない…… 前世を思い出したセレンディアだが、事故の衝撃で記憶を失くしていた…… 前世の自分を含む人物の記憶だけが消えているようです。 転生した先の記憶すら全く無く、頭に浮かぶものと違い過ぎる世界観に戸惑っていると……?

英雄将軍の隠し子は、軍学校で『普通』に暮らしたい。~でも前世の戦術知識がチートすぎて、気付けば帝国の影の支配者になっていました~

ヒミヤデリュージョン
ファンタジー
帝国の辺境で、ただ静かに生き延びたいと願う少年、ヴァン。 彼に正義感はない。あるのは、前世の記憶と、母が遺した『物理法則を応用した高圧魔力』という危険な理論だけだ。 敵の大軍が迫る中、ヴァンは剣も振るわず、補給線と心理を切り裂く。 結果、敵軍は撤退。代償も、喝采も、彼には無意味だった。 だが、その「効率的すぎる勝利」は帝国の目に留まり、彼は最高峰の『帝国軍事学院』へと引きずり出される。 「英雄になりたいわけじゃない。生き残りたいだけだ」 謎の仮面メイド『シンカク』、命を取引に差し出した狼耳の少女『アイリ』。 少年は選択する。正義ではなく、最も費用対効果の高い道を。 これは、合理が英雄譚を侵食していく、学園ミリタリーファンタジー。 【※作者は日本語を勉強中の外国人です。翻訳ソフトと辞書を駆使して執筆しています。至らない点もあるかと思いますが、物語を楽しんでいただければ幸いです。】

処理中です...