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「踊れない踊り」
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大広間は音楽と人の熱で満ちていた。
弦楽の旋律が天井の高い空間に響き、招待客が円を描いて踊っている。
シャンデリアの魔導灯が金の粒を振りまくように光っていた。
カイルとリゼットは壁際にいた。
踊りの輪には加わっていない。
声をかけてくる貴族はいた。だが社交辞令の域を出なかった。
挨拶を終えると、皆が一歩引く。
茶会のときと同じ距離の取り方だった。
リゼットは銀髪を結い上げ、濃紺のドレスをまとっている。
背筋は真っすぐ。表情は動かない。
壁際に立つ姿は美しかった。だが、その美しさが人を遠ざけている。
セレスティーヌは広間の中央にいた。
踊りの合間に令嬢たちと言葉を交わし、笑い、手を取り合っている。
場の中心にいるのに、目立たない。
花瓶の花のように自然にそこにある。
一時間が過ぎた。
三度目のワルツが終わり、休憩の時間になった。
給仕が銀の盆を持って行き交う。
カイルはグラスを取り、リゼットに渡した。
左膝に朝の鈍痛がまだ残っている。立ちっぱなしが堪えた。
「大丈夫か」
「何がですの」
「孤立している」
「想定の範囲ですわ。今は耐える時間」
リゼットはグラスに口をつけた。
唇だけ濡らして、すぐに離した。
そのとき、音が変わった。
広間の中央で、悲鳴が上がった。
甲高い声。続いてグラスが割れる音。
人垣ができた。
カイルは身を伸ばした。
人の頭越しに見える。
若い令嬢が床に倒れていた。
顔が青白い。手が胸を押さえている。
周囲の令嬢が膝をつき、倒れた少女の肩を抱いた。
「魔力です。魔力に当てられた」
誰かが叫んだ。
声の主は見えない。だが言葉は広間に響いた。
「クロムウェル令嬢の近くを通ったとき、急に」
空気が凍った。
百を超える視線がリゼットに向いた。
壁際のリゼットは動かなかった。
グラスを持つ手も、背筋も、呼吸も変わらない。
だがカイルには見えた。
リゼットの顎の筋肉が、僅かに強張っている。
「私は何もしていませんわ」
リゼットの声は静かだった。
だが静けさが逆効果だった。
冷たい声が、怒りの魔法使いの印象と重なる。
セレスティーヌが人垣を割って歩いてきた。
倒れた令嬢のそばに膝をつき、額に手を当てた。
「まあ。お熱があるわ。きっと疲れが出たのね」
穏やかな声。だが次の言葉が来た。
「リゼットさん。あなたが何もしていないのは分かっていますわ。でもね、皆が怖がっているの。お可哀想に、あなたのせいではないのだけれど」
セレスティーヌは立ち上がった。
リゼットに歩み寄り、手を取った。
「もうお帰りになったほうがよろしいのでは。今夜はゆっくりお休みになって」
退場を促している。
だが言葉だけ聞けば、思いやりだ。
令嬢を守る後見人の、当然の配慮に聞こえる。
リゼットの手がグラスを握った。
指が白くなった。
カイルが口を開こうとした。
そのとき、肩を叩かれた。
振り向くと、王太子エドワードが立っていた。
金髪に青い瞳。完璧な笑顔。
だが目が笑っていなかった。
「少し話さないか、ヴェストリア卿」
カイルはリゼットを見た。
リゼットが小さく頷いた。
行きなさい、という目だった。
ここは自分で持つ、と。
王太子はカイルを壁際の柱の陰に連れていった。
広間の騒がしさが遠くなる。
「騒がしい夜だね」
「殿下が招いた夜ですが」
「ああ。だからこそ退屈しない」
王太子はグラスを傾けた。
こはく色の酒が揺れた。
「ヴェストリア卿。君は面白い人間だ」
「光栄です」
「学院でグラーフを倒し、宮廷でハルバートを追い落とした。辺境伯の次男としては出来すぎだ」
王太子の目がカイルを見ていた。
観察する目。標本を見る学者の目。
「まるで、物語の筋書きを知っているみたいだ」
カイルの心臓が跳ねた。
だが顔には出さなかった。
出したら終わりだ。
「買い被りですよ。俺は運が良かっただけです」
「運、ね」
王太子は微笑んだ。
「この世界の仕組みに興味があるようだね。禁書庫の文献を随分と調べたと聞いた」
「学院の研究として」
「もちろん。学術的な興味だろう。でもね」
王太子が一歩近づいた。
声が低くなった。
「この世界には仕組みがある。君はそれに気づいている。面白い。とても面白い」
カイルは何も言わなかった。
言えなかった。
この男は何を知っている。
補正システムのことか。観測者のことか。
それとも、もっと別の何かか。
「楽しい夜を、ヴェストリア卿」
王太子は背を向けた。
人混みの中に溶けていった。
カイルはリゼットの元に戻った。
リゼットは壁際に立っていた。
一人だった。
周囲の貴族は三歩以上の距離を取っている。
誰も近づかない。誰も声をかけない。
セレスティーヌは広間の中央で、倒れた令嬢の介抱を続けている。
だが口元には微笑みがあった。
カイルがリゼットの隣に立った。
「帰るか」
「いいえ」
リゼットの声は静かだった。
「帰れば認めたことになる。危険人物だと」
「だが」
「あの人たちと踊る必要はないわ」
リゼットはグラスを壁際の小卓に置いた。
そしてカイルの腕に手を添えた。
袖の上から。軽い力。
だが離さなかった。
「外に出ましょう。露台がある」
二人は壁沿いに歩き、大広間の奥の扉を開けた。
冬の夜気が頬を打った。
露台の石の手すりに、薄く霜が降りている。
広間の灯りが背後から漏れている。
音楽が遠くなった。
二人きりだ。
弦楽の旋律が天井の高い空間に響き、招待客が円を描いて踊っている。
シャンデリアの魔導灯が金の粒を振りまくように光っていた。
カイルとリゼットは壁際にいた。
踊りの輪には加わっていない。
声をかけてくる貴族はいた。だが社交辞令の域を出なかった。
挨拶を終えると、皆が一歩引く。
茶会のときと同じ距離の取り方だった。
リゼットは銀髪を結い上げ、濃紺のドレスをまとっている。
背筋は真っすぐ。表情は動かない。
壁際に立つ姿は美しかった。だが、その美しさが人を遠ざけている。
セレスティーヌは広間の中央にいた。
踊りの合間に令嬢たちと言葉を交わし、笑い、手を取り合っている。
場の中心にいるのに、目立たない。
花瓶の花のように自然にそこにある。
一時間が過ぎた。
三度目のワルツが終わり、休憩の時間になった。
給仕が銀の盆を持って行き交う。
カイルはグラスを取り、リゼットに渡した。
左膝に朝の鈍痛がまだ残っている。立ちっぱなしが堪えた。
「大丈夫か」
「何がですの」
「孤立している」
「想定の範囲ですわ。今は耐える時間」
リゼットはグラスに口をつけた。
唇だけ濡らして、すぐに離した。
そのとき、音が変わった。
広間の中央で、悲鳴が上がった。
甲高い声。続いてグラスが割れる音。
人垣ができた。
カイルは身を伸ばした。
人の頭越しに見える。
若い令嬢が床に倒れていた。
顔が青白い。手が胸を押さえている。
周囲の令嬢が膝をつき、倒れた少女の肩を抱いた。
「魔力です。魔力に当てられた」
誰かが叫んだ。
声の主は見えない。だが言葉は広間に響いた。
「クロムウェル令嬢の近くを通ったとき、急に」
空気が凍った。
百を超える視線がリゼットに向いた。
壁際のリゼットは動かなかった。
グラスを持つ手も、背筋も、呼吸も変わらない。
だがカイルには見えた。
リゼットの顎の筋肉が、僅かに強張っている。
「私は何もしていませんわ」
リゼットの声は静かだった。
だが静けさが逆効果だった。
冷たい声が、怒りの魔法使いの印象と重なる。
セレスティーヌが人垣を割って歩いてきた。
倒れた令嬢のそばに膝をつき、額に手を当てた。
「まあ。お熱があるわ。きっと疲れが出たのね」
穏やかな声。だが次の言葉が来た。
「リゼットさん。あなたが何もしていないのは分かっていますわ。でもね、皆が怖がっているの。お可哀想に、あなたのせいではないのだけれど」
セレスティーヌは立ち上がった。
リゼットに歩み寄り、手を取った。
「もうお帰りになったほうがよろしいのでは。今夜はゆっくりお休みになって」
退場を促している。
だが言葉だけ聞けば、思いやりだ。
令嬢を守る後見人の、当然の配慮に聞こえる。
リゼットの手がグラスを握った。
指が白くなった。
カイルが口を開こうとした。
そのとき、肩を叩かれた。
振り向くと、王太子エドワードが立っていた。
金髪に青い瞳。完璧な笑顔。
だが目が笑っていなかった。
「少し話さないか、ヴェストリア卿」
カイルはリゼットを見た。
リゼットが小さく頷いた。
行きなさい、という目だった。
ここは自分で持つ、と。
王太子はカイルを壁際の柱の陰に連れていった。
広間の騒がしさが遠くなる。
「騒がしい夜だね」
「殿下が招いた夜ですが」
「ああ。だからこそ退屈しない」
王太子はグラスを傾けた。
こはく色の酒が揺れた。
「ヴェストリア卿。君は面白い人間だ」
「光栄です」
「学院でグラーフを倒し、宮廷でハルバートを追い落とした。辺境伯の次男としては出来すぎだ」
王太子の目がカイルを見ていた。
観察する目。標本を見る学者の目。
「まるで、物語の筋書きを知っているみたいだ」
カイルの心臓が跳ねた。
だが顔には出さなかった。
出したら終わりだ。
「買い被りですよ。俺は運が良かっただけです」
「運、ね」
王太子は微笑んだ。
「この世界の仕組みに興味があるようだね。禁書庫の文献を随分と調べたと聞いた」
「学院の研究として」
「もちろん。学術的な興味だろう。でもね」
王太子が一歩近づいた。
声が低くなった。
「この世界には仕組みがある。君はそれに気づいている。面白い。とても面白い」
カイルは何も言わなかった。
言えなかった。
この男は何を知っている。
補正システムのことか。観測者のことか。
それとも、もっと別の何かか。
「楽しい夜を、ヴェストリア卿」
王太子は背を向けた。
人混みの中に溶けていった。
カイルはリゼットの元に戻った。
リゼットは壁際に立っていた。
一人だった。
周囲の貴族は三歩以上の距離を取っている。
誰も近づかない。誰も声をかけない。
セレスティーヌは広間の中央で、倒れた令嬢の介抱を続けている。
だが口元には微笑みがあった。
カイルがリゼットの隣に立った。
「帰るか」
「いいえ」
リゼットの声は静かだった。
「帰れば認めたことになる。危険人物だと」
「だが」
「あの人たちと踊る必要はないわ」
リゼットはグラスを壁際の小卓に置いた。
そしてカイルの腕に手を添えた。
袖の上から。軽い力。
だが離さなかった。
「外に出ましょう。露台がある」
二人は壁沿いに歩き、大広間の奥の扉を開けた。
冬の夜気が頬を打った。
露台の石の手すりに、薄く霜が降りている。
広間の灯りが背後から漏れている。
音楽が遠くなった。
二人きりだ。
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