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第2章
第2章 第37話「恋心の芽生え」
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セイブライドから王都への帰路、護衛の騎士たちは警戒を続けていたが、襲撃はなかった。
夕暮れ時、宿場町の手前で馬車を止めた。
「少し歩きませんか」
アウレリウスが提案した。
「馬車の中ばかりでは息が詰まるでしょう」
小高い丘の上まで歩いた。護衛たちは少し離れた場所で待機している。
丘からは、金色に染まる麦畑が地平線まで続いているのが見えた。風が穂を揺らし、まるで金の海のようだ。
「きれい」
「この景色を、君と見たかった」
アウレリウスが隣に立った。夕陽が彼の横顔を照らしている。
「初めて君に会った時のことを覚えている?」
「婚約式の日ですね」
「あの時、君が言った『セーブ』という言葉」
心臓が跳ねた。まさか、気づいている?
「最初は意味が分からなかった。でも今は分かる」
アウレリウスが私を見つめた。
「大切な瞬間を、留めておきたいという意味だろう?」
違うけれど、ある意味では合っている。
「私も、君との時間をすべて『セーブ』したい」
アウレリウスが私の髪に触れた。風で乱れた髪を、優しく整えてくれる。
「君は不思議だ」
その手が、頬に移った。
「時々、遠い世界から来たような、不思議な寂しさを感じる」
鋭い。本当に遠い世界から来たのだから。
「でも、同時に」
アウレリウスが一歩近づいた。
「誰より近くに感じる」
顔が近い。碧眼に、私の顔が映っている。
前世では、こんな経験はなかった。
誰かにこんなに見つめられることも、大切に想われることも。
「私——」
言いかけた時、アウレリウスが額を合わせてきた。
「言葉にしなくていい」
囁くような声。
「今は、ただ感じて」
夕陽が沈みかけ、空が茜色から藍色へと変わっていく。
最初の星が瞬き始めた。
アウレリウスが、ゆっくりと顔を近づけてくる。
逃げるべき? でも、身体が動かない。
いや、動きたくない。
唇が、触れた。
羽のように軽く、一瞬だけ。
でも、その一瞬に、世界が止まったような気がした。
これが、キス。
三十五年生きて、初めての——
「ごめん」
アウレリウスが慌てたように離れた。
「婚約中とはいえ、まだ——」
「いい」
自分でも驚くほど、素直に言葉が出た。
「嬉しかった」
アウレリウスの顔が、夕闇の中でも分かるほど赤くなった。
「本当に?」
「はい」
今度は私から、アウレリウスの手を取った。
「ただ——」
言おうか迷った。でも、言わなければ。
「私には、まだ話せない秘密があります」
アウレリウスが私の手を握り返した。
「知っている」
「それでも?」
「それでも」
アウレリウスが微笑んだ。
「君が話したくなるまで、待つ」
涙が込み上げてきた。
こんなに優しい人に、嘘をついている罪悪感。
でも同時に、この人を失いたくないという想い。
「泣かないで」
アウレリウスが涙を拭ってくれた。
「君が泣くと、僕も辛い」
ふと、思い出した。
前世で読んだ恋愛小説。主人公が「好きな人が辛いと自分も辛い」と言っていた。
あの時は、理解できなかった。
でも今なら分かる。
大切な人の痛みは、自分の痛みなのだ。
「アウレリウス」
名前を呼ぶと、彼が嬉しそうに微笑んだ。
「もう一度」
「アウレリウス」
「もっと」
子供みたいにねだる姿が、可愛らしかった。
「アウレリウス、私——」
愛している、と言いかけて、止まった。
まだ、その資格はない。
秘密を明かすまでは。
「私も、あなたとの時間を『セーブ』したい」
代わりにそう言った。
アウレリウスが私を抱きしめた。
「それで十分だ」
腕の中で、彼の心音が聞こえた。
速い鼓動。私と同じだ。
星が増えて、夜空を埋め尽くし始めた。
「戻りましょうか」
「もう少し」
アウレリウスがねだった。
「もう少しだけ、このまま」
私も同じ気持ちだった。
護衛たちが遠くで篝火を焚いている。オレンジ色の光が、夜の闇に揺れている。
「一ヶ月後」
アウレリウスが言った。
「君は正式に、私の妻になる」
「怖い?」と聞こうとして、自分が一番怖いことに気づいた。
「一緒に、乗り越えよう」
アウレリウスが言った。
「何があっても」
頷くことしかできなかった。
丘を下りて宿に向かう道中、手を繋いで歩いた。
騎士たちは何も言わなかったが、マルタが嬉しそうに微笑んでいるのが見えた。
宿に着いて、部屋に入る前、アウレリウスが振り返った。
「愛している」
小声だが、はっきりと。
返事をする前に、彼は自分の部屋に入ってしまった。
一人になって、唇に手を当てた。
まだ、温かさが残っている気がした。
恋。
これが恋なのだ。
三十五歳にして、初めて知った感情。
苦しくて、切なくて、でも幸せ。
夕暮れ時、宿場町の手前で馬車を止めた。
「少し歩きませんか」
アウレリウスが提案した。
「馬車の中ばかりでは息が詰まるでしょう」
小高い丘の上まで歩いた。護衛たちは少し離れた場所で待機している。
丘からは、金色に染まる麦畑が地平線まで続いているのが見えた。風が穂を揺らし、まるで金の海のようだ。
「きれい」
「この景色を、君と見たかった」
アウレリウスが隣に立った。夕陽が彼の横顔を照らしている。
「初めて君に会った時のことを覚えている?」
「婚約式の日ですね」
「あの時、君が言った『セーブ』という言葉」
心臓が跳ねた。まさか、気づいている?
「最初は意味が分からなかった。でも今は分かる」
アウレリウスが私を見つめた。
「大切な瞬間を、留めておきたいという意味だろう?」
違うけれど、ある意味では合っている。
「私も、君との時間をすべて『セーブ』したい」
アウレリウスが私の髪に触れた。風で乱れた髪を、優しく整えてくれる。
「君は不思議だ」
その手が、頬に移った。
「時々、遠い世界から来たような、不思議な寂しさを感じる」
鋭い。本当に遠い世界から来たのだから。
「でも、同時に」
アウレリウスが一歩近づいた。
「誰より近くに感じる」
顔が近い。碧眼に、私の顔が映っている。
前世では、こんな経験はなかった。
誰かにこんなに見つめられることも、大切に想われることも。
「私——」
言いかけた時、アウレリウスが額を合わせてきた。
「言葉にしなくていい」
囁くような声。
「今は、ただ感じて」
夕陽が沈みかけ、空が茜色から藍色へと変わっていく。
最初の星が瞬き始めた。
アウレリウスが、ゆっくりと顔を近づけてくる。
逃げるべき? でも、身体が動かない。
いや、動きたくない。
唇が、触れた。
羽のように軽く、一瞬だけ。
でも、その一瞬に、世界が止まったような気がした。
これが、キス。
三十五年生きて、初めての——
「ごめん」
アウレリウスが慌てたように離れた。
「婚約中とはいえ、まだ——」
「いい」
自分でも驚くほど、素直に言葉が出た。
「嬉しかった」
アウレリウスの顔が、夕闇の中でも分かるほど赤くなった。
「本当に?」
「はい」
今度は私から、アウレリウスの手を取った。
「ただ——」
言おうか迷った。でも、言わなければ。
「私には、まだ話せない秘密があります」
アウレリウスが私の手を握り返した。
「知っている」
「それでも?」
「それでも」
アウレリウスが微笑んだ。
「君が話したくなるまで、待つ」
涙が込み上げてきた。
こんなに優しい人に、嘘をついている罪悪感。
でも同時に、この人を失いたくないという想い。
「泣かないで」
アウレリウスが涙を拭ってくれた。
「君が泣くと、僕も辛い」
ふと、思い出した。
前世で読んだ恋愛小説。主人公が「好きな人が辛いと自分も辛い」と言っていた。
あの時は、理解できなかった。
でも今なら分かる。
大切な人の痛みは、自分の痛みなのだ。
「アウレリウス」
名前を呼ぶと、彼が嬉しそうに微笑んだ。
「もう一度」
「アウレリウス」
「もっと」
子供みたいにねだる姿が、可愛らしかった。
「アウレリウス、私——」
愛している、と言いかけて、止まった。
まだ、その資格はない。
秘密を明かすまでは。
「私も、あなたとの時間を『セーブ』したい」
代わりにそう言った。
アウレリウスが私を抱きしめた。
「それで十分だ」
腕の中で、彼の心音が聞こえた。
速い鼓動。私と同じだ。
星が増えて、夜空を埋め尽くし始めた。
「戻りましょうか」
「もう少し」
アウレリウスがねだった。
「もう少しだけ、このまま」
私も同じ気持ちだった。
護衛たちが遠くで篝火を焚いている。オレンジ色の光が、夜の闇に揺れている。
「一ヶ月後」
アウレリウスが言った。
「君は正式に、私の妻になる」
「怖い?」と聞こうとして、自分が一番怖いことに気づいた。
「一緒に、乗り越えよう」
アウレリウスが言った。
「何があっても」
頷くことしかできなかった。
丘を下りて宿に向かう道中、手を繋いで歩いた。
騎士たちは何も言わなかったが、マルタが嬉しそうに微笑んでいるのが見えた。
宿に着いて、部屋に入る前、アウレリウスが振り返った。
「愛している」
小声だが、はっきりと。
返事をする前に、彼は自分の部屋に入ってしまった。
一人になって、唇に手を当てた。
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