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静寂の対価あるいは小さな賢者
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朝、三個目のキャンディが枕元にあった。
赤い包み紙。昨日と同じ。
私は天井を見上げたまま、考える。
毒は入っていない。バルバロスが舐めて確認した。
なのに、誰かが執拗に送り続けている。
なぜ?
前世の記憶が、答えを囁いた。
慣らしだ。
毎日キャンディを送り続ける。
誰かが見ている。私が義兄様に「仲良くしたくて贈り物をする妹」になるのを待っている。
そして決行の日だけ、猛毒入りにすり替える。
つまり、私は「毒の運び屋」として育てられている。
背筋が冷えた。
罠は、私が気づかないうちに進行していた。
キャンディを渡さなければいい? 甘い。
私が渡さなければ、別の方法で嵌められるだけだ。
だったら、先に真犯人を見つけるしかない。
◇ ◇ ◇
約束通り、練兵場へ向かった。
バルバロスが「明日も来い」と言った。あの熊を怒らせるのは危険だ。
練兵場の入り口に着くと、異様な光景が広がっていた。
熊が、石の上に座っている。
その膝の上には、布に包まれた何かが山積みになっていた。
私を見つけた瞬間、熊が立ち上がった。
石がぐらりと揺れる。
「来たか」
低い声が響く。
熊の目が、また血走っている。息も荒い。
「食え」
布を開くと、干し肉、チーズ、木の実、乾燥果物。
保存食の山だった。
「今朝、厨房で集めた」
厨房で。
この巨体が、朝から厨房で食料を漁っていたのか。
料理人たちは怯えただろうな。
「た、食べます」
私は小さなチーズを手に取った。
熊の顔が、わずかに緩む。
食べながら、練兵場を見渡した。
朝早いせいか、他に人影はない。
義兄様の稽古は、もう少し後の時間だろう。
ふと、昨日のことを思い出した。
義兄様とバルバロスの稽古。私は一瞬しか見ていない。
でも、あの一瞬で、何かが引っかかった。
この熊を、味方につけたい。
ただ餌を食べるだけでは、私はペットだ。
何か、対価を払わなければ。
「バルバロス様」
「様はいらん」
「バルバロス」
熊が頷く。
「義兄様の剣は、どうですか」
熊の眉が動いた。
巨大な手が、顎髭を撫でる。
「若様か。筋はいい。だが、焦りがある」
焦り。
そうだ。昨日、私も同じものを感じた。
「右足」
私は、口に出していた。
「右に踏み込むとき、軸がぶれています」
熊の動きが止まった。
血走った目が、私を見下ろす。
「なぜ、分かる」
「見ました。昨日、一瞬だけ」
熊は黙ったまま、私を見つめている。
まずい。生意気だと思われたか。
「す、すみませ」
「待て」
熊が、片手を上げた。
「試してみる」
熊は木剣を手に取った。
そして、ゆっくりと構える。
熊が右足を踏み込む。
私は息を詰めて見守った。
熊の動きが止まった。
「……なるほど」
熊が振り返る。
その目は、さっきまでと違っていた。
興奮ではない。何か別の感情。
「一度見ただけで、これを」
「義兄様は、認められたいのだと思います」
言葉が、勝手に出ていた。
「お父様に。だから、焦る。速く強くなりたくて、基礎を飛ばしている」
熊は黙ったまま、木剣を下ろした。
「お前」
低い声が響く。
「妖精ではなく、魔女か」
魔女。
また、おかしなことを言う。
「ただの、子供です」
「嘘だ」
熊の目が、真剣だった。
「子供は、こんな目をしない」
心臓が跳ねた。
「俺は小さいものを多く見てきた。お前の目は、違う」
まずい。前世の記憶が、滲み出ている。
ごまかさなければ。
「本を、読むのが好きなので」
「本」
「人の動きを、見るのも」
熊は、しばらく私を見つめていた。
それから、ゆっくりと頷いた。
「大公様に、報告する」
血の気が引いた。
報告? 何を? 私が変だということを?
「若様の稽古の件だ」
熊の声が、少しだけ柔らかくなった。
「お前の見立てを、伝える」
私の見立て。
つまり、義兄様の剣の癖を。
「そ、それは」
「大公様は、若様を気にかけておられる」
熊の言葉に、私は首を傾げた。
気にかけている? あの、義兄様を避けているお父様が?
「若様の傍にいると、大公様は辛そうに見える」
熊が、ぽつりと言った。
「昔からだ。理由は俺にも分からん」
辛そうに見える。
義兄様の傍にいると?
私の疑問を無視して、熊は続けた。
「だが、お前の傍では違うらしい」
「違う?」
「穏やかになられる、と聞いた」
熊の目が、私を射抜いた。
「大公様がお前を守れと言ったのは、そのためだ」
頭の中が、ぐるぐると回り始めた。
静か。守れ。
お父様が私を守る理由は、愛情ではない。
私の傍が「静か」だから。
つまり、私は道具なのだ。
お父様にとって、私は「静けさをもたらす道具」でしかない。
納得した。
愛されているわけがないと、ずっと思っていた。
これで辻褄が合う。
「分かりました」
私は、平静を装って頷いた。
熊が、不思議そうな顔をした。
「悲しくないのか」
「何がですか」
「道具扱いされて」
私は、小さく首を振った。
「生きていられるなら、それでいいです」
熊の顔が、歪んだ。
怒りではない。何か、別の感情。
「お前は」
熊の声が、震えていた。
「まだ、こんなに小さいのに」
大きな手が、私の頭に乗った。
温かい。ごつごつしているけど、優しい。
「俺が、守る」
熊の声は、低くて短かった。
だが、重かった。岩のように。
「静寂など関係ない。お前が小さいから、守る」
私は、何も言えなかった。
この熊の言葉を、どう解釈すればいいか分からなかった。
部屋には、まだキャンディが残っている。
真犯人は、まだ見つからない。
一ヶ月後の悪夢は、まだ消えていない。
でも、今日はひとつ、分かったことがある。
お父様にとって、私は「静けさの道具」だ。
だから、壊されない。
それは愛ではないけれど、生存には十分だ。
そして、この熊は。
静寂など関係なく、私を守ると言った。
理由は「小さいから」。
馬鹿馬鹿しい理由だけど、嘘ではなさそうだ。
味方が、また一人増えた。
信用していいかは、まだ分からない。
でも、少なくとも敵ではない。
それだけで、今は十分だ。
赤い包み紙。昨日と同じ。
私は天井を見上げたまま、考える。
毒は入っていない。バルバロスが舐めて確認した。
なのに、誰かが執拗に送り続けている。
なぜ?
前世の記憶が、答えを囁いた。
慣らしだ。
毎日キャンディを送り続ける。
誰かが見ている。私が義兄様に「仲良くしたくて贈り物をする妹」になるのを待っている。
そして決行の日だけ、猛毒入りにすり替える。
つまり、私は「毒の運び屋」として育てられている。
背筋が冷えた。
罠は、私が気づかないうちに進行していた。
キャンディを渡さなければいい? 甘い。
私が渡さなければ、別の方法で嵌められるだけだ。
だったら、先に真犯人を見つけるしかない。
◇ ◇ ◇
約束通り、練兵場へ向かった。
バルバロスが「明日も来い」と言った。あの熊を怒らせるのは危険だ。
練兵場の入り口に着くと、異様な光景が広がっていた。
熊が、石の上に座っている。
その膝の上には、布に包まれた何かが山積みになっていた。
私を見つけた瞬間、熊が立ち上がった。
石がぐらりと揺れる。
「来たか」
低い声が響く。
熊の目が、また血走っている。息も荒い。
「食え」
布を開くと、干し肉、チーズ、木の実、乾燥果物。
保存食の山だった。
「今朝、厨房で集めた」
厨房で。
この巨体が、朝から厨房で食料を漁っていたのか。
料理人たちは怯えただろうな。
「た、食べます」
私は小さなチーズを手に取った。
熊の顔が、わずかに緩む。
食べながら、練兵場を見渡した。
朝早いせいか、他に人影はない。
義兄様の稽古は、もう少し後の時間だろう。
ふと、昨日のことを思い出した。
義兄様とバルバロスの稽古。私は一瞬しか見ていない。
でも、あの一瞬で、何かが引っかかった。
この熊を、味方につけたい。
ただ餌を食べるだけでは、私はペットだ。
何か、対価を払わなければ。
「バルバロス様」
「様はいらん」
「バルバロス」
熊が頷く。
「義兄様の剣は、どうですか」
熊の眉が動いた。
巨大な手が、顎髭を撫でる。
「若様か。筋はいい。だが、焦りがある」
焦り。
そうだ。昨日、私も同じものを感じた。
「右足」
私は、口に出していた。
「右に踏み込むとき、軸がぶれています」
熊の動きが止まった。
血走った目が、私を見下ろす。
「なぜ、分かる」
「見ました。昨日、一瞬だけ」
熊は黙ったまま、私を見つめている。
まずい。生意気だと思われたか。
「す、すみませ」
「待て」
熊が、片手を上げた。
「試してみる」
熊は木剣を手に取った。
そして、ゆっくりと構える。
熊が右足を踏み込む。
私は息を詰めて見守った。
熊の動きが止まった。
「……なるほど」
熊が振り返る。
その目は、さっきまでと違っていた。
興奮ではない。何か別の感情。
「一度見ただけで、これを」
「義兄様は、認められたいのだと思います」
言葉が、勝手に出ていた。
「お父様に。だから、焦る。速く強くなりたくて、基礎を飛ばしている」
熊は黙ったまま、木剣を下ろした。
「お前」
低い声が響く。
「妖精ではなく、魔女か」
魔女。
また、おかしなことを言う。
「ただの、子供です」
「嘘だ」
熊の目が、真剣だった。
「子供は、こんな目をしない」
心臓が跳ねた。
「俺は小さいものを多く見てきた。お前の目は、違う」
まずい。前世の記憶が、滲み出ている。
ごまかさなければ。
「本を、読むのが好きなので」
「本」
「人の動きを、見るのも」
熊は、しばらく私を見つめていた。
それから、ゆっくりと頷いた。
「大公様に、報告する」
血の気が引いた。
報告? 何を? 私が変だということを?
「若様の稽古の件だ」
熊の声が、少しだけ柔らかくなった。
「お前の見立てを、伝える」
私の見立て。
つまり、義兄様の剣の癖を。
「そ、それは」
「大公様は、若様を気にかけておられる」
熊の言葉に、私は首を傾げた。
気にかけている? あの、義兄様を避けているお父様が?
「若様の傍にいると、大公様は辛そうに見える」
熊が、ぽつりと言った。
「昔からだ。理由は俺にも分からん」
辛そうに見える。
義兄様の傍にいると?
私の疑問を無視して、熊は続けた。
「だが、お前の傍では違うらしい」
「違う?」
「穏やかになられる、と聞いた」
熊の目が、私を射抜いた。
「大公様がお前を守れと言ったのは、そのためだ」
頭の中が、ぐるぐると回り始めた。
静か。守れ。
お父様が私を守る理由は、愛情ではない。
私の傍が「静か」だから。
つまり、私は道具なのだ。
お父様にとって、私は「静けさをもたらす道具」でしかない。
納得した。
愛されているわけがないと、ずっと思っていた。
これで辻褄が合う。
「分かりました」
私は、平静を装って頷いた。
熊が、不思議そうな顔をした。
「悲しくないのか」
「何がですか」
「道具扱いされて」
私は、小さく首を振った。
「生きていられるなら、それでいいです」
熊の顔が、歪んだ。
怒りではない。何か、別の感情。
「お前は」
熊の声が、震えていた。
「まだ、こんなに小さいのに」
大きな手が、私の頭に乗った。
温かい。ごつごつしているけど、優しい。
「俺が、守る」
熊の声は、低くて短かった。
だが、重かった。岩のように。
「静寂など関係ない。お前が小さいから、守る」
私は、何も言えなかった。
この熊の言葉を、どう解釈すればいいか分からなかった。
部屋には、まだキャンディが残っている。
真犯人は、まだ見つからない。
一ヶ月後の悪夢は、まだ消えていない。
でも、今日はひとつ、分かったことがある。
お父様にとって、私は「静けさの道具」だ。
だから、壊されない。
それは愛ではないけれど、生存には十分だ。
そして、この熊は。
静寂など関係なく、私を守ると言った。
理由は「小さいから」。
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