【完結】パパ、私は犯人じゃないよ ~処刑予定の私、冷徹公爵(パパ)に溺愛されるまで~

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完璧な執事はあえて鍵を開けておく

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 五個目のキャンディが、枕元に置いてあった。
 朝の日課になりつつある。目覚めたら首を確認し、次にキャンディを確認する。
 今日もある。今日も生きてる。今日も毒(かもしれないもの)が届いている。

 私は包み紙を解かずに、引き出しの奥へしまった。
 食べるつもりはない。証拠品だ。

 少し考えて、引き出しから取り出した。
 五個全部、懐に入れる。
 いつ誰に見せることになるかわからない。持ち歩いたほうがいい。

 ベッドの上で、膝を抱えて考える。
 五個目。五日連続。
 毎朝、同じ場所に。私が眠っている間に。

 これはつまり、犯人が毎晩この部屋に入っているということだ。
 鍵は閉まっている。窓も確認した。なのに入れる。
 合鍵を持っているか、そもそも鍵を管理している人間か。

 使用人の顔を思い浮かべる。
 メイドさん。厨房の人。掃除係。
 そして、執事さん。

 あの人だ。
 あの眼鏡の人なら、屋敷中の鍵を握っている。

 でも、待て。
 執事さんは、私の食事を毎日確かめている。温度も、量も、皿の配置すら計算する人だ。
 そんな人が、枕元に不審物が五日も放置されていることに気づかない?

 ありえない。

 執事フリードリヒ。
 彼は「気づいていて黙認している」のだ。

 背筋が冷えた。
 なぜ? 彼の目的は何だ?
 私を殺したいなら、もっと確実な方法がある。彼は効率の権化だ。
 毒を五日も届けて「食べるかな、どうかな」なんて悠長な手段を選ぶとは思えない。

 仮説。
 犯人は執事ではない。執事は犯人を「知っていて泳がせている」。

 なぜ泳がせる?
 答えは一つ。「証拠を集めている」か、「侵入経路を特定している」か。
 どちらにしても、私は囮だ。

 生きた餌。
 毒を受け取り続ける、ただの毒見役。

 怖い。でも、敵ではない。たぶん。
 合理的に考えて、私を殺しても彼に得はない。お父様の機嫌が悪くなるだけだ。
 つまり、執事さんは「私を生かしたまま、犯人を捕まえたい」のだ。

 そう考えれば、筋は通る。
 嫌な筋だけど。



 朝食を終えて、廊下に出た。
 今日は練兵場に行く日ではない。昨日行ったばかりだ。
 保存食は渡した。「明日も来い」とは言われていない。

 だから今日は書斎だ。
 お父様のそばで本を眺める時間。
 読めないけど。

 廊下を歩いていると、後ろから声がかかった。

「お嬢様」

 執事さんだ。
 振り返ると、銀縁の眼鏡が廊下の灯りを反射していた。

「少々、お時間をいただけますか」

 心臓が跳ねた。
 来た。確認の時間だ。

「は、はい」

 私は懐のキャンディを握りしめた。
 五個。包み紙ごと。証拠品。



 執事さんは私を、使用人用の小部屋に案内した。
 狭い。棚と机だけの部屋。
 逃げ場がない。

「座らなくて結構です」

 執事さんの声は、いつもと変わらない。事務的で、感情がない。
 でも、眼鏡の奥の目が違う。
 いつもは帳簿を見る目。今日は、私を見ている。

「単刀直入に伺います」

 来る。

「お嬢様。枕元に届くものについて、何かご存じですか」

 知っていた。やっぱり知っていた。
 私は深呼吸をして、懐から包みを取り出した。

「これ、です」

 五つの包み紙。小さな手で差し出す。
 執事さんは眉一つ動かさなかった。

「五日分ですね」

「は、はい」

「召し上がりましたか」

「いいえ」

「賢明です」

 執事さんは包みを受け取り、光にかざした。
 何かを確認している。毒の有無か、製造元か。

「お嬢様」

 眼鏡の奥の目が、わずかに細まった。

「なぜ、報告なさらなかったのですか」

 詰問だ。
 私は言葉を選んだ。

「だ、誰に報告したら、いいか……わからなくて」

 嘘ではない。本当にわからなかった。
 お父様に言えば大騒ぎになる。メイドさんに言えば犯人に伝わるかもしれない。
 執事さんは、信用していいのかわからなかった。

「私に、です」

 執事さんの声は、相変わらず事務的だった。

「屋敷の管理は、私の職務です。不審な侵入があれば、私が対処します」

「で、でも」

 私は思い切って聞いた。

「執事さんは、気づいて、いましたよね」

 沈黙。
 眼鏡の奥の目が、ほんの一瞬だけ動いた。

「気づいておられましたか」

「あ、あなたが気づかない、わけがない、と……思いました」

 執事さんは、長い息を吐いた。
 初めて見る表情だった。感情ではない。計算が崩れた時の顔だ。
 この人にとって、五歳児に見破られることは想定外だったのだろう。

「おっしゃる通りです」

 認めた。

「私は初日から把握しておりました。そして、あえて放置しました。もちろん、お嬢様が食べないようにすり替えてます」

「なぜ」

「犯人を特定するためです」

 やっぱり。

「侵入経路を塞げば、犯人は別の方法を取ります。証拠を隠滅します」
「だから、泳がせた」
「はい」

 執事さんは眼鏡を押し上げた。

「お嬢様を囮にしたこと、お詫び申し上げます」

 謝るんだ。この人。
 意外だった。効率最優先の人が、謝罪という非効率を選ぶとは。

「犯人は」

 私は聞いた。

「わかった、んですか」

「はい」

 執事さんの目が、冷たく光った。

「若様の乳母でございます」



 乳母。
 お兄様の世話係。

 私の頭の中で、断片がつながった。
 乳母なら、屋敷の中を自由に動ける。夜中でも。
 乳母なら、私の部屋の位置を知っている。
 乳母なら、私を排除したい理由がある。

 お兄様の敵は、私だ。
 少なくとも、乳母はそう思っている。
 お父様の寵愛を奪う、庶子の小娘。

「どう、するんですか」

「既に手は打ちました」

 執事さんは淡々と言った。

「証拠は揃っております。あとは旦那様のご判断を仰ぐのみ」

 お父様に報告済み。
 つまり、乳母はもう終わりだ。

 ふと、考えた。
 義兄様は、知っているのだろうか。
 自分を育てた乳母が、私を殺そうとしていたことを。

 知らないほうがいい。
 知れば、傷つく。
 でも、いずれ知ることになる。

 私は少しだけ、背中の緊張が解けるのを感じた。
 犯人がわかった。執事さんは味方だった。
 まだ油断はできないけど、一つ脅威が減った。

「お嬢様」

 執事さんが、珍しく頭を下げた。

「今後、不審なことがあれば、必ず私にお知らせください。それが最も効率的です」

 効率。
 やっぱりこの人は、効率で動いている。
 でも、その効率の中に、私を守る意思がある。
 それでいい。信用できる理由としては十分だ。

「わかり、ました」



 書斎に向かう廊下を歩いていると、後ろから足音がした。
 重い。ゆっくり。
 振り返らなくてもわかる。お父様だ。

「ヴィオレッタ」

 低い声。
 私は立ち止まって振り返った。

「お、お父様」

 お父様は、いつもと同じ顔をしていた。
 眉間の皺。灰色の瞳。感情の読めない表情。
 でも、手に何か持っている。

 本だ。
 昨日もらった、革張りの本。

「来い」

 それだけ言って、お父様は歩き出した。
 私は小走りでついていく。

 書斎に入ると、お父様は椅子に座った。
 そして、私を膝の上に乗せた。

 また来た。この謎の儀式。
 私は硬直しながら、膝の上でじっとしていた。

 お父様が本を開いた。
 最初のページ。絵本ではない。文字ばかりの本。

 大きな指が、文字をなぞった。

「『狼』」

 低い声が、一つの単語を読み上げた。

 え。
 今、何をしたの。

 お父様の指が、次の文字に移った。

 一拍置いて、次の単語。

「『森』」

 また一つ。

「『雪』」

 また一つ。

 私は呆然としていた。
 これは、もしかして。

 文字の授業?

 お父様は何も説明しない。
 ただ指でなぞって、一度だけ読み上げる。
 そして次に進む。

 私の頭が、猛烈に回り始めた。
 「狼」の形を目に焼き付ける。音と形を結びつける。
 「森」も。「雪」も。

 お父様の指は、剣だこで硬かった。
 その硬い指が、分厚い本を丁寧になぞっている。
 違和感がすごい。戦場の怪物が、私に文字を教えている。

 でも、効率的だ。
 無駄な説明がない。繰り返しもない。一度で覚えろという圧力。
 厳しい師匠だ。見習いを一週間で一人前にするような。

「『夜』」

 低い声が、鼓膜に響く。
 心地いい重低音。子守唄のような響き。

 私は必死に覚えた。
 狼。森。雪。夜。
 四つの単語。四つの形。四つの音。

 お父様は本を閉じた。
 授業終了。

「明日」

 それだけ言って、お父様は私を床に下ろした。

 明日。
 明日も続くのか。この文字教室。

 私はお辞儀をして、書斎を出た。
 廊下を歩きながら、頭の中で復習する。
 狼。森。雪。夜。

 四文字。
 北部の言葉だ。お父様の世界の言葉だ。
 この土地で生きろ、ということだろうか。
 それとも、ただの偶然か。

 一日四文字なら、十日で四十文字。一ヶ月で百二十文字。
 基本的な読み書きができるようになるには、半年くらいか。

 長い。でも、始まった。
 お父様が、私に文字を教えている。
 理由はわからない。たぶん「静かだから」とか、そういう消極的な理由だろう。

 でも、結果的に生き延びられる見込みが上がる。
 文字が読めれば、情報が集められる。
 契約書も読める。毒薬の瓶も読める。

 お父様、ありがとうございます。
 生存に役立つ教育を、ありがとうございます。

 私は心の中で深々とお辞儀をした。
 愛情かどうかは、どうでもいい。
 結果が全てだ。



 自室に戻ると、枕元を確認した。
 何もない。
 執事さんが手を打った、というのは本当らしい。

 明日からは、キャンディは届かないのだろうか。
 それとも、乳母が捕まるまでは続くのだろうか。

 わからない。
 でも、一つだけわかったことがある。

 この屋敷には、私の味方がいる。
 効率で動く執事。
 無言で文字を教える父親。
 保存食をくれる騎士団長。

 敵もいる。でも、味方も増えている。
 生き延びられる望みは、少しずつ増えている。

 私はベッドに潜り込んで、目を閉じた。
 狼。森。雪。夜。
 四つの単語を反芻しながら、眠りに落ちる。

 いつか、この言葉を自分で読めるようになる。
 その日まで、死んでたまるか。

 明日も、生き延びる。
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