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ゲルガー星系の戦い③
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4月23日 作戦共通時13:24 第四HVP北4キロ地点
腹に響く爆発音で、エマは目を覚ました。あの後、寝てしまっていたらしい。
「痛っ」
妙な姿勢で長時間寝てしまったためか、首を寝違えたらしく、左を向くとピキリと痛む。
機体は小高い丘の中腹辺りに片膝を着いて停止していた。周りの土を巻き上げた形跡が無いことから、随分丁寧な着陸だったことが伺える。さすが、第5.5世代タイタンと言ったところか。
「もうお昼か」
時計を見ると、ソルジャーパッケージのETAを、かなり過ぎている。もう本部の設営は終わっている頃だろう。
今頃本部では、行方不明の小隊長の事で、上を下への大騒ぎだろうなとエマは思った。士官が敵前逃亡となれば、割を食うのはもっと上の士官たちで、それは何としても避けたいはずだ。
「あぁいうときって、なんで上の人たちばかり騒いでるんだろうと思ってたけど、そういうことか」
昔の思い出に、一人合点がいったところで、オートパイロットの時に切れたICCを繋ぎ直し、立ち上がって丘を越える。起きた時はずいぶん高い丘だと思ったが、タイタンで登るとあっという間だった。
「北東って、あっち」
コンパスが指す方角を見ると、丘を下った向こうはだだっ広い平原が地平線の奥まで続いていて、曇天の中、ぼんやりと浮かぶマスドライバーの群れが、ぼうっと空を向いている。
タイタンの全高は大体25mくらいなので、少なくとも、20キロ弱はこの平原が続いているらしい。
「どこまでいったの……」
そう悪態をつくが、行かなければならないのに変わりはない。マップを開いて、ノーザンレイク・マスドライバーの位置を確認しようとしたとき、灰色の雲に混じって一際黒い、筋のような雲を見つけた。それが、墜落したソルジャーパッケージが上げる黒煙だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
30キロほど走って、ようやくパッケージに辿り着く。近づいてみると、状況は思っていたより悲惨だった。
9階建てのパッケージの、少なくとも3階辺りまでは潰れており、オイルとも人血ともとれる赤黒い液体が淵から染み出ている。燃料を満載した車両に引火したのか、火災も発生しており、時々中で爆発が起きていた。
「減速できなかったのかな」
ソルジャーパッケージの降下は基本的にAeGIlの自動制御で行われる。失敗はほとんどありえない。が、あの分厚い雲に阻まれて光学センサーが麻痺し、エラーを吐いたのかもしれない。もしくは高度計の故障か。はたまたAeGIl自体が故障してしまって、手動操縦に切り替えた挙句、機械頼りの情けないパイロットが空間識失調を起こしたのか。
ありとあらゆるイレギュラーが考えられるのが戦場だ。エマは今朝から、それを痛感している。寝違えた首がしんしんと痛んだ。
「生存者は」
辺りを見回してみるが、
「いるわけないか」
すぐに諦めて移動しようとしたその時、パッケージの残骸から延びる、赤い二本の線が目に入った。線の先を追ってみると、陸軍のコンバットスーツを着た若い兵士が、爆発で盛り上がった土の上に寝転がっていた。奇跡に近いおそらく唯一の生存者だったが、膝から下がない。もう長くはないだろう。
「……ハァ」
正直、見ないふりをしたかったが、やはりそういうわけにもいかず、兵士に近寄って、タイタンから降りる。昇降クレーンに足を掛けながらエマは、今日はなんてイレギュラーの多い日なんだ。と天を仰いだ。
彼の最後を見届けた後、薄緑色の大地に積もる雪を眺めながら、冷えた体をコクピットで温めた。エマは、ロシアルーツの人種だというのに、寒さに弱かった。この夏の雪も、急激に冷えだしたゲルガーⅢの空気も、エマには応えるものがあって、身震いした。
ふと下に目をやると、先ほどの”戦友”の亡骸にも雪が積もり始めていて、彼の輪郭をぼかしていていった。その様子を見ながら、多分、自分たちも、こうやって、死ぬとか、殺すとかをぼんやりさせていったんだろうと、エマはあのキラキラした目の副隊長を思い出した。
N.G.C.0242 6月13日 合衆国首都クーペンコローゲD.H リンバレー国防宇宙軍第8士官学校
三年生に上がり二か月余りが過ぎた。冬に片足を突っ込み出した肌寒さが、未だ半袖の士官候補生を打ち付ける六月。エマとアシモフは、軍事史の授業を終え、生活棟と授業棟を繋ぐ渡り廊下を歩いていた。他の生徒より早めに講義室を出たので、廊下には二人しかいない。
ガラス張りの渡り廊下に差し込む加減を知らない日差しに、エマは思わず目を細める。
「ねぇ、なんでこの廊下ってこんなに眩しいの?ガラス張りにする必要ある?」
「そりゃお前、こっちのほうが洒落てるからだろ」
「士官学校の内装なんかにお金使ってどうするの……夏は蒸し暑いし、冬はこんなだし」
「まぁそう言うなって」
学校の設備に悪態をつくエマと、それをなだめるアシモフ。一年生の頃から変わらない、いつもの風景。
「ていうか、軍事史のレポートって、何書けばいいのコレ。『銀河独立戦争の正当性を考察し、まとめよ』って、知らないよそんなの……」
さっき貰った課題にぶつくさ文句を言って、アシモフを見上げる。エマは同期の中では背が高い方だったが、アシモフは更に大きく、まだ背が伸びるなら、もうじき二メートルにも届くという勢いだった。
「オイオイ、大事な事だろ?」
「そもそも合衆国なんて作らなくても良かったんじゃないの?IGTの全部をかき集めなくても、二、三の星系で太陽系なんて潰せたでしょ」
「けどそれじゃあ、太陽系が粉をかけた星系とも戦争になるかもしれなかっただろ?そうすりゃ、それはこの戦争よりもっと酷くて、長ったらしいものになったろうさ」
「そういうものなの?」
「そういうもんだ。少なくとも、当時の連中は、そう考えた」
「ふぅん」
エマ・ノーザルトとドルビンスク・アシモフは、リンバレーでは有名な二人だった。
ダウナーなエマとアッパーなアシモフでは、性格は真反対であったが、それがどうして、今では学校一の名コンビになっていた。
二人が初めて出会ったのは、一年の時の、夜戦演習でのことだった。夜戦だというのに、敵に見つけて欲しいと言わんばかりにバラライカを弾いて仲間と談笑するアシモフに、エマの方から近づいたのだ。最初、気だるげで眠そうな表情のエマを見て、文句を言われると覚悟したアシモフだったが、にへらと笑っておもむろに取り出した彼女のカリンバが、彼の心を動かした。
「お前、名前は?」
「エマ・ノーザルト、アンタは?」
「ドルビンスク・アシモフだ。もしかしてお前、ロシアルーツか?」
「うん」
「俺もだ」
「へぇ」
仄暗い月光が照らすバラライカとカリンバのメロディの中で、二人はこうして出会った。
ちなみに二人の部隊は、その直後、敵部隊による砲撃で壊滅した。
そんな”ブレーメン”の主犯格である二人が、廊下の真ん中あたりまで来たとき、前から歩いてくる、だらしない体格の男が二人の目に入った。
エマがあからさまに嫌そうな顔をし、アシモフも、渋々と姿勢を整える。
コルルド・ホッパー教官、通称『ヒゲ豚』。エマ達二十期生の指導顧問で、酷い男だった。彼のために学校を辞めた候補生は数知れず、横暴な態度と軍隊風紀の片隅にも置けない言動で、他の教官ですら彼を嫌っているほどだった。しかし、生家が独立戦争の時から続く由緒正しい軍人の家系らしく、辞めさせたくても辞めさせられないのだという。当の本人が特段優秀という訳ではなく、先人の屍の上にふんぞり返っているだけである為、今ではリンバレー士官学校の頭痛のタネになっていた。
確かに、こんな男が胸を張っているようでは、独立戦争に正当性を求めることなど絶望的だと、アシモフは心の中で呟いた。
すれ違いざまの二人の敬礼に「んぅ」とふてぶてしく鳴いて、そのまま顔も見ずに立ち去っていく。いつもの事だと肩をすくめ、歩き出したその時、ホッパー教官が、ねっとりと嫌味をぶつけて来た。
「フン、相変わらずいいケツだなぁ、エマ候補生?」
人が増え出した渡り廊下の全体に聞こえるように、わざとらしく、大声で。
「貴様のことだ。入学するために、一体何人と寝た?」
エマは自分の尻を舐め回す教官を、これもいつものことだと最初は気にしないでいたが、その日は少し間が悪かった。にへらと一瞬笑った後、ありったけの皮肉を丁寧に返す。
「勿体ないお言葉です。教官ほどでは」
「なんだと?」
ピクっと目尻が浮いて、頬がプルプルと揺れる。
「私のケツは、教官程良いものでは無いと、そう言ったのです」
表情一つ変えずにそう返すエマが面白くなくて、ずいとその顔を近づける。
「貴様、もう一度言ってみろ。ワシのケツがなんだと言った答えろ!」
あまりの怒りに読点を無くした教官の顔が震え出す。まだ豚の方が愛想のある顔をする。
周りの注目は、廊下の真ん中で言い争う二人に向けられており、その誰もが、一体いつ謹慎処分を言い渡されるのかと、戦々恐々であった。しかしエマもなかなかしぶとい。
「ですから、もう一度申し上げます。私は__」
「申し訳ありません!教官殿!」
一触即発の空気に、アシモフが仲介を試みる。張り詰めた空気が、少しばかり緩んで、観衆もホッと息をつく。
「コイツ、今朝から頭痛が酷くて、気が立ってるんです。どうか、今回のことは、無かったことにしちゃくれませんか。反省文を書けというなら、俺が代わりに書きます」
「ちょっと」
「今はよせ」
「頭痛じゃないんだけど」
「黙ってろ」
そう耳打ちするアシモフを、エマは不服そうに見つめる。
アシモフの謝罪に落ち着きを取り戻したのか、後ろ手を組んで大袈裟に仰け反り、
二人を順番に睨みつける。
「フン、まぁ良い。今回は貴様に免じて、エマ候補生の非礼は水に流してやろう。アシモフ、貴様も反省文はよい。その代わり、コイツをしっかり躾けておけ。次は無いぞ!」
「はっ!ありがとうございます!教官殿!」
背筋をピンと立てて敬礼をするアシモフを見て、エマも嫌々続く。
「まぁ、仲間を躾けておくのも訓練の内だろう。貴様らはこれから先、何千何万という駒を躾けなければならんのだからな。」
「……は?」
教官の発言に、アシモフの表情が一気に変わる。先程の申し訳なさそうな愛想笑いではなく、心の底からの怒りを写した表情だった。
「今なんと?」
「あぁ?だから、貴様らは、これから先何千何万もの駒を」
「兵士を、駒呼ばわりするおつもりですか。」
ヒゲ豚の言葉を遮って、握った拳が震え出す。ヤバい。とエマは感じて、どうにかアシモフをなだめようとする。
「アシモフ、もういいから」
しかし、そんなアシモフを、特に意に介する様子も無く、ヒゲ豚は続ける。
「つもりも何も、奴らは駒だ。指示された通りに動き、死ねと言われたら死ぬ。拒否権は無い。もし死んでも、数字の上でしか弔われることの無い、哀れな存在だ」
「撤回してください。彼らは駒なんかじゃない」
「撤回だと?誰がするものか。それより貴様、ワシに向かって何だその態度は?やはり反省文を書きたいらしいな」
「アシモフ行くよ、そんなのに構わないで」
「貴様のそういうガキっぽい熱さには、ほとほと呆れるな。そんな甘い考えのボウズが、戦場で通じると思っているのか?ん?」
「ハッ、戦場に出たこともないような腰抜けが、何言ってやがる!」
「貴様今ワシになんと言った!!」
二人のボルテージはマックスに達していた。鼻で笑うアシモフに、教官はわなわなと全身を震わせる。
「腰抜けって言ったんだよ!お前みたいな、他人の成果をしゃぶっておいて、人にあれこれ言うくせ自分で動かねぇやつは、みんな腰抜けだ!」
激昂したヒゲ豚は、口角泡を飛ばして、噛み付いてきた飼い犬の首根っこを締め上げようと躍起になった。
「では貴様も駒にしてやろうか?自分で動いて、アレコレと言われたいのだろう!?」
「根本が違う!そんな考えだから、いつまで経っても腰抜けなんだよ!」
「貴様、次から次へと!何のつもりだこのクソガキッ__」
次の瞬間、ヒゲ豚の身体は空を飛んでいた。アシモフの右ストレートが顎にクリーンヒットして、半メートルほど吹き飛び、壁のガラスにぶつかった。ヒビの入ったガラスから差し込む光が、痙攣したヒゲ豚の贅肉をチラチラと照らしている。
先程まで騒がしかった渡り廊下は、信じられない程の静寂に包まれ、アシモフの息を切らした荒い呼吸の音だけが、ガラスに跳ね返って響き渡っていた。
その始終を見届けたエマは、唖然として、ただ立っているだけしか出来なかった。
翌日、8時間にわたる大討論の末、アシモフ士官候補生は特別措置として、情報非公開で左遷。無期限の停学処分となり、表向きには、飛び級卒業という事になった。
ホッパー教官は、アシモフ士官候補生を巡る教官会議で一人退学を支持し孤立。ここぞとばかりに噛み付いてきた他の教官から弾劾され、更迭処分となり、教官職を続ける事は出来なくなった。
それからの四年間、エマは任務の傍ら、当時の教官や人事局に当たって必死にアシモフの情報を探し、最終的に、モダニアで噂となっている「情報屋」に、藁にもすがる思いで駆け込んだのだった。
「あんたが情報屋?」
「デカイ声で言うな、怪しまれる。」
腹に響く爆発音で、エマは目を覚ました。あの後、寝てしまっていたらしい。
「痛っ」
妙な姿勢で長時間寝てしまったためか、首を寝違えたらしく、左を向くとピキリと痛む。
機体は小高い丘の中腹辺りに片膝を着いて停止していた。周りの土を巻き上げた形跡が無いことから、随分丁寧な着陸だったことが伺える。さすが、第5.5世代タイタンと言ったところか。
「もうお昼か」
時計を見ると、ソルジャーパッケージのETAを、かなり過ぎている。もう本部の設営は終わっている頃だろう。
今頃本部では、行方不明の小隊長の事で、上を下への大騒ぎだろうなとエマは思った。士官が敵前逃亡となれば、割を食うのはもっと上の士官たちで、それは何としても避けたいはずだ。
「あぁいうときって、なんで上の人たちばかり騒いでるんだろうと思ってたけど、そういうことか」
昔の思い出に、一人合点がいったところで、オートパイロットの時に切れたICCを繋ぎ直し、立ち上がって丘を越える。起きた時はずいぶん高い丘だと思ったが、タイタンで登るとあっという間だった。
「北東って、あっち」
コンパスが指す方角を見ると、丘を下った向こうはだだっ広い平原が地平線の奥まで続いていて、曇天の中、ぼんやりと浮かぶマスドライバーの群れが、ぼうっと空を向いている。
タイタンの全高は大体25mくらいなので、少なくとも、20キロ弱はこの平原が続いているらしい。
「どこまでいったの……」
そう悪態をつくが、行かなければならないのに変わりはない。マップを開いて、ノーザンレイク・マスドライバーの位置を確認しようとしたとき、灰色の雲に混じって一際黒い、筋のような雲を見つけた。それが、墜落したソルジャーパッケージが上げる黒煙だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
30キロほど走って、ようやくパッケージに辿り着く。近づいてみると、状況は思っていたより悲惨だった。
9階建てのパッケージの、少なくとも3階辺りまでは潰れており、オイルとも人血ともとれる赤黒い液体が淵から染み出ている。燃料を満載した車両に引火したのか、火災も発生しており、時々中で爆発が起きていた。
「減速できなかったのかな」
ソルジャーパッケージの降下は基本的にAeGIlの自動制御で行われる。失敗はほとんどありえない。が、あの分厚い雲に阻まれて光学センサーが麻痺し、エラーを吐いたのかもしれない。もしくは高度計の故障か。はたまたAeGIl自体が故障してしまって、手動操縦に切り替えた挙句、機械頼りの情けないパイロットが空間識失調を起こしたのか。
ありとあらゆるイレギュラーが考えられるのが戦場だ。エマは今朝から、それを痛感している。寝違えた首がしんしんと痛んだ。
「生存者は」
辺りを見回してみるが、
「いるわけないか」
すぐに諦めて移動しようとしたその時、パッケージの残骸から延びる、赤い二本の線が目に入った。線の先を追ってみると、陸軍のコンバットスーツを着た若い兵士が、爆発で盛り上がった土の上に寝転がっていた。奇跡に近いおそらく唯一の生存者だったが、膝から下がない。もう長くはないだろう。
「……ハァ」
正直、見ないふりをしたかったが、やはりそういうわけにもいかず、兵士に近寄って、タイタンから降りる。昇降クレーンに足を掛けながらエマは、今日はなんてイレギュラーの多い日なんだ。と天を仰いだ。
彼の最後を見届けた後、薄緑色の大地に積もる雪を眺めながら、冷えた体をコクピットで温めた。エマは、ロシアルーツの人種だというのに、寒さに弱かった。この夏の雪も、急激に冷えだしたゲルガーⅢの空気も、エマには応えるものがあって、身震いした。
ふと下に目をやると、先ほどの”戦友”の亡骸にも雪が積もり始めていて、彼の輪郭をぼかしていていった。その様子を見ながら、多分、自分たちも、こうやって、死ぬとか、殺すとかをぼんやりさせていったんだろうと、エマはあのキラキラした目の副隊長を思い出した。
N.G.C.0242 6月13日 合衆国首都クーペンコローゲD.H リンバレー国防宇宙軍第8士官学校
三年生に上がり二か月余りが過ぎた。冬に片足を突っ込み出した肌寒さが、未だ半袖の士官候補生を打ち付ける六月。エマとアシモフは、軍事史の授業を終え、生活棟と授業棟を繋ぐ渡り廊下を歩いていた。他の生徒より早めに講義室を出たので、廊下には二人しかいない。
ガラス張りの渡り廊下に差し込む加減を知らない日差しに、エマは思わず目を細める。
「ねぇ、なんでこの廊下ってこんなに眩しいの?ガラス張りにする必要ある?」
「そりゃお前、こっちのほうが洒落てるからだろ」
「士官学校の内装なんかにお金使ってどうするの……夏は蒸し暑いし、冬はこんなだし」
「まぁそう言うなって」
学校の設備に悪態をつくエマと、それをなだめるアシモフ。一年生の頃から変わらない、いつもの風景。
「ていうか、軍事史のレポートって、何書けばいいのコレ。『銀河独立戦争の正当性を考察し、まとめよ』って、知らないよそんなの……」
さっき貰った課題にぶつくさ文句を言って、アシモフを見上げる。エマは同期の中では背が高い方だったが、アシモフは更に大きく、まだ背が伸びるなら、もうじき二メートルにも届くという勢いだった。
「オイオイ、大事な事だろ?」
「そもそも合衆国なんて作らなくても良かったんじゃないの?IGTの全部をかき集めなくても、二、三の星系で太陽系なんて潰せたでしょ」
「けどそれじゃあ、太陽系が粉をかけた星系とも戦争になるかもしれなかっただろ?そうすりゃ、それはこの戦争よりもっと酷くて、長ったらしいものになったろうさ」
「そういうものなの?」
「そういうもんだ。少なくとも、当時の連中は、そう考えた」
「ふぅん」
エマ・ノーザルトとドルビンスク・アシモフは、リンバレーでは有名な二人だった。
ダウナーなエマとアッパーなアシモフでは、性格は真反対であったが、それがどうして、今では学校一の名コンビになっていた。
二人が初めて出会ったのは、一年の時の、夜戦演習でのことだった。夜戦だというのに、敵に見つけて欲しいと言わんばかりにバラライカを弾いて仲間と談笑するアシモフに、エマの方から近づいたのだ。最初、気だるげで眠そうな表情のエマを見て、文句を言われると覚悟したアシモフだったが、にへらと笑っておもむろに取り出した彼女のカリンバが、彼の心を動かした。
「お前、名前は?」
「エマ・ノーザルト、アンタは?」
「ドルビンスク・アシモフだ。もしかしてお前、ロシアルーツか?」
「うん」
「俺もだ」
「へぇ」
仄暗い月光が照らすバラライカとカリンバのメロディの中で、二人はこうして出会った。
ちなみに二人の部隊は、その直後、敵部隊による砲撃で壊滅した。
そんな”ブレーメン”の主犯格である二人が、廊下の真ん中あたりまで来たとき、前から歩いてくる、だらしない体格の男が二人の目に入った。
エマがあからさまに嫌そうな顔をし、アシモフも、渋々と姿勢を整える。
コルルド・ホッパー教官、通称『ヒゲ豚』。エマ達二十期生の指導顧問で、酷い男だった。彼のために学校を辞めた候補生は数知れず、横暴な態度と軍隊風紀の片隅にも置けない言動で、他の教官ですら彼を嫌っているほどだった。しかし、生家が独立戦争の時から続く由緒正しい軍人の家系らしく、辞めさせたくても辞めさせられないのだという。当の本人が特段優秀という訳ではなく、先人の屍の上にふんぞり返っているだけである為、今ではリンバレー士官学校の頭痛のタネになっていた。
確かに、こんな男が胸を張っているようでは、独立戦争に正当性を求めることなど絶望的だと、アシモフは心の中で呟いた。
すれ違いざまの二人の敬礼に「んぅ」とふてぶてしく鳴いて、そのまま顔も見ずに立ち去っていく。いつもの事だと肩をすくめ、歩き出したその時、ホッパー教官が、ねっとりと嫌味をぶつけて来た。
「フン、相変わらずいいケツだなぁ、エマ候補生?」
人が増え出した渡り廊下の全体に聞こえるように、わざとらしく、大声で。
「貴様のことだ。入学するために、一体何人と寝た?」
エマは自分の尻を舐め回す教官を、これもいつものことだと最初は気にしないでいたが、その日は少し間が悪かった。にへらと一瞬笑った後、ありったけの皮肉を丁寧に返す。
「勿体ないお言葉です。教官ほどでは」
「なんだと?」
ピクっと目尻が浮いて、頬がプルプルと揺れる。
「私のケツは、教官程良いものでは無いと、そう言ったのです」
表情一つ変えずにそう返すエマが面白くなくて、ずいとその顔を近づける。
「貴様、もう一度言ってみろ。ワシのケツがなんだと言った答えろ!」
あまりの怒りに読点を無くした教官の顔が震え出す。まだ豚の方が愛想のある顔をする。
周りの注目は、廊下の真ん中で言い争う二人に向けられており、その誰もが、一体いつ謹慎処分を言い渡されるのかと、戦々恐々であった。しかしエマもなかなかしぶとい。
「ですから、もう一度申し上げます。私は__」
「申し訳ありません!教官殿!」
一触即発の空気に、アシモフが仲介を試みる。張り詰めた空気が、少しばかり緩んで、観衆もホッと息をつく。
「コイツ、今朝から頭痛が酷くて、気が立ってるんです。どうか、今回のことは、無かったことにしちゃくれませんか。反省文を書けというなら、俺が代わりに書きます」
「ちょっと」
「今はよせ」
「頭痛じゃないんだけど」
「黙ってろ」
そう耳打ちするアシモフを、エマは不服そうに見つめる。
アシモフの謝罪に落ち着きを取り戻したのか、後ろ手を組んで大袈裟に仰け反り、
二人を順番に睨みつける。
「フン、まぁ良い。今回は貴様に免じて、エマ候補生の非礼は水に流してやろう。アシモフ、貴様も反省文はよい。その代わり、コイツをしっかり躾けておけ。次は無いぞ!」
「はっ!ありがとうございます!教官殿!」
背筋をピンと立てて敬礼をするアシモフを見て、エマも嫌々続く。
「まぁ、仲間を躾けておくのも訓練の内だろう。貴様らはこれから先、何千何万という駒を躾けなければならんのだからな。」
「……は?」
教官の発言に、アシモフの表情が一気に変わる。先程の申し訳なさそうな愛想笑いではなく、心の底からの怒りを写した表情だった。
「今なんと?」
「あぁ?だから、貴様らは、これから先何千何万もの駒を」
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「アシモフ、もういいから」
しかし、そんなアシモフを、特に意に介する様子も無く、ヒゲ豚は続ける。
「つもりも何も、奴らは駒だ。指示された通りに動き、死ねと言われたら死ぬ。拒否権は無い。もし死んでも、数字の上でしか弔われることの無い、哀れな存在だ」
「撤回してください。彼らは駒なんかじゃない」
「撤回だと?誰がするものか。それより貴様、ワシに向かって何だその態度は?やはり反省文を書きたいらしいな」
「アシモフ行くよ、そんなのに構わないで」
「貴様のそういうガキっぽい熱さには、ほとほと呆れるな。そんな甘い考えのボウズが、戦場で通じると思っているのか?ん?」
「ハッ、戦場に出たこともないような腰抜けが、何言ってやがる!」
「貴様今ワシになんと言った!!」
二人のボルテージはマックスに達していた。鼻で笑うアシモフに、教官はわなわなと全身を震わせる。
「腰抜けって言ったんだよ!お前みたいな、他人の成果をしゃぶっておいて、人にあれこれ言うくせ自分で動かねぇやつは、みんな腰抜けだ!」
激昂したヒゲ豚は、口角泡を飛ばして、噛み付いてきた飼い犬の首根っこを締め上げようと躍起になった。
「では貴様も駒にしてやろうか?自分で動いて、アレコレと言われたいのだろう!?」
「根本が違う!そんな考えだから、いつまで経っても腰抜けなんだよ!」
「貴様、次から次へと!何のつもりだこのクソガキッ__」
次の瞬間、ヒゲ豚の身体は空を飛んでいた。アシモフの右ストレートが顎にクリーンヒットして、半メートルほど吹き飛び、壁のガラスにぶつかった。ヒビの入ったガラスから差し込む光が、痙攣したヒゲ豚の贅肉をチラチラと照らしている。
先程まで騒がしかった渡り廊下は、信じられない程の静寂に包まれ、アシモフの息を切らした荒い呼吸の音だけが、ガラスに跳ね返って響き渡っていた。
その始終を見届けたエマは、唖然として、ただ立っているだけしか出来なかった。
翌日、8時間にわたる大討論の末、アシモフ士官候補生は特別措置として、情報非公開で左遷。無期限の停学処分となり、表向きには、飛び級卒業という事になった。
ホッパー教官は、アシモフ士官候補生を巡る教官会議で一人退学を支持し孤立。ここぞとばかりに噛み付いてきた他の教官から弾劾され、更迭処分となり、教官職を続ける事は出来なくなった。
それからの四年間、エマは任務の傍ら、当時の教官や人事局に当たって必死にアシモフの情報を探し、最終的に、モダニアで噂となっている「情報屋」に、藁にもすがる思いで駆け込んだのだった。
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