婚約破棄された令嬢は、冷徹王子を見返す ― 裏切りの夜から始まる再生物語 ―

桜葉るか

文字の大きさ
2 / 12

第1話 破滅の序章 ― すべてを失う瞬間

しおりを挟む
 金の燭台が灯る広間に、ざわめきが走った。
 その中心で、私は跪いていた。
 誰もが見ている。
 貴族たちの冷たい視線が、皮膚を刺す。

「公爵令嬢リリア・オルデン。
 王太子殿下ルシアン・フェルナーは、
 あなたとの婚約を破棄すると宣言された。」

 広間に響いたその言葉が、何より重かった。
 目の前の男――ルシアンは、淡い金髪を揺らしながら冷たい瞳で私を見下ろしている。

「理由をお聞かせください、殿下。」
「君は……貴族の妻にふさわしくない。」

 その一言で、笑いが起きた。
 小さく、意地悪く。
 唇を噛んでも、震えは止まらない。

「“ふさわしくない”とは、どういう意味でしょう。」
「情に流される女は、国の恥だ。」

 ざわっ、と空気が動く。
 頭の中が真っ白になった。

 ――知っている。
 彼が言っているのは、孤児院への寄付や、傷病兵への援助のことだ。
 人を助けるたびに「身分をわきまえろ」と言われた。
 それでも私は、間違っていないと思っていた。

「それが罪だとおっしゃるのですか。」
「王太子妃に求められるのは慈悲ではない。冷静な判断だ。」

 周囲の視線が痛い。
 この場で泣けば、弱さを笑われる。
 けれど――涙は出なかった。

「……わかりました。婚約破棄をお受けいたします。」

 立ち上がると、裾が小さく鳴った。
 広間の空気が凍りつく。
 笑われても構わない。

「ただ一つだけ、覚えておいてくださいませ、殿下。」
「……なんだ?」

 彼の冷たい瞳をまっすぐ見返した。
 もう怯えてはいない。

「いつか、あなたが失ったものの重さに気づく日が来るでしょう。
 そのとき、私はきっと――笑っています。」

 静寂。
 誰も声を出せなかった。
 王太子ルシアンが何かを言いかけたとき、
 私はドレスの裾を翻して歩き出した。

 背中に、ざわめきと嘲笑が降り注ぐ。
 けれど、心の奥で燃える炎は、もう消えない。

 ――屈辱は、復讐の種になる。
 この夜から、私の人生は変わる。

 大広間を出ると、夜の冷気が頬を打った。
 胸の奥で何かが静かに燃えている。
 涙はもう乾いていた。
 ただ、心の奥が空っぽになったようで、歩くたびに音が遠のいていく。

 長い回廊を抜けると、月明かりが差す中庭に出た。
 白い花が風に揺れ、どこか他人事のように夜は美しかった。
 ――あれほど夢見た未来が、こんなにも簡単に壊れるなんて。

 足元の石畳に、淡い影が伸びる。
 その先に、ひとりの男が立っていた。

「……リリア様。」

 懐かしい声だった。
 振り向くと、そこに立っていたのはルシアンの近衛騎士――エドガー。
 整った顔にかすかな迷いの色が浮かぶ。

「もうお戻りを。夜は冷えます。」
「戻る場所など、もうありません。」
「……そう、でしたね。」

 彼の瞳が一瞬、揺れた。
 いつも寡黙で、感情を見せなかった彼が、今は何かを言いたげに口を開く。

「殿下のあの言葉……納得しておられるのですか。」
「納得などしていません。でも、争っても無駄でしょう。」
「無駄ではありません。」

 はっきりとした声。
 その瞬間、風が止まったように感じた。

「あなたの行いが“情け”なら、俺はその情けに救われた人間です。」
「……どういう意味?」
「俺が怪我をして倒れていたとき、食堂にパンを置いていった方がいました。
 あなたでしょう。
 あの一切れのパンで、生き延びた兵がどれほどいたか――殿下は知らない。」

 思わず息を呑む。
 そんなこと、覚えていなかった。
 ただの小さな親切のつもりだったのに。

「リリア様。
 あなたが否定されたのは、間違いです。
 王太子に仕えることよりも、人としてあなたの側にいたい。」

「……私を守ると?」
「はい。追手が出る前に、ここを離れましょう。」

 思わず笑ってしまった。
「婚約破棄されただけで“追手”なんて大げさね。」
「それでも、殿下の命令に逆らった者は罰を受ける。
 あなたが狙われる理由が、もう一つ増える。」

 彼の真剣な瞳を見て、胸が痛んだ。
 怖いのは“罰”ではなく、“信じた人に裏切られること”だ。
 それを、この夜に学んだ。

「……エドガー。あなたは私を哀れんでいるの?」
「哀れみではありません。尊敬です。」

 月の光が彼の鎧を照らす。
 その姿が、まるで暗闇の中の灯火のように見えた。

「あなたが信じた道を、俺も信じます。
 だから……どうか、自分を見失わないで。」

 その言葉が、胸の奥に落ちた。
 冷たくなっていた心が、少しだけ温かくなる。

 ――信じてくれる人が、まだいる。

「ありがとう、エドガー。」
 口にした瞬間、涙が零れた。
 悔しさでも悲しみでもなく、
 “救われた”という感情だった。

 彼が差し出した手に、自分の手を重ねる。
 ほんの少しの温もりが、確かな希望になる。

「さあ、行きましょう。新しい朝を迎えるために。」

 夜明け前の風が、二人の髪を揺らした。
 遠くで鐘が鳴る。
 それは、終わりの合図ではなく――始まりの音だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された悪役令嬢は、辺境侯に拾われて過保護に愛される

nacat
恋愛
公爵令嬢エリシアは、婚約者である王太子に突然「お前とは結婚できない」と告げられる。 身に覚えのない罪を着せられ、社交界から追放されかけた彼女を救ったのは、冷徹と噂の辺境侯ゼノヴィア。 「俺の城で静かに暮らすといい」――そう言って差し伸べられた手は、思いのほか優しかった。 氷のように無表情だった彼が、次第に見せる愛情はあまりにも熱く、独占的で、息ができないほど。 そして彼女が新しい幸福を手にしたその時、かつて彼女を捨てた者たちが、後悔と嫉妬に塗れた顔で跪く――。 王道ざまぁ×激甘溺愛×救済ロマンス。苦しみの果てに手にした愛は、もう二度と離さない。

あら、面白い喜劇ですわね

oro
恋愛
「アリア!私は貴様との婚約を破棄する!」 建国を祝うパーティ会場に響き渡る声。 誰もが黙ってその様子を伺う中、場違いな程に明るい声色が群衆の中から上がった。 「あらあら。見てフィンリー、面白そうな喜劇だわ。」 ※全5話。毎朝7時に更新致します。

今さら遅いと言われる側になったのは、あなたです

有賀冬馬
恋愛
夜会で婚約破棄された私は、すべてを失った――はずだった。 けれど、人生は思いもよらない方向へ転がる。 助けた騎士は、王の右腕。 見下されてきた私の中にある価値を、彼だけが見抜いた。 王城で評価され、居場所を得ていく私。 その頃、私を捨てた元婚約者は、転落の一途をたどる。 「間違いだった」と言われても、もう心は揺れない。 選ばれるのを待つ時代は、終わった。

身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~

ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。 彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。 ――死んだはずの彼女が、生きている? 同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。 「今さら、逃げ道があると思うなよ」 瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。 秘された皇子と、選び直した愛。 三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?    * * * 後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。

元婚約者に捨てられた令嬢は、辺境伯の溺愛から逃げられませんでした

usako
恋愛
婚約破棄の冤罪を着せられ、笑い者として社交界を追放された公爵令嬢・エリシア。 彼女を拾ったのは冷徹で恐れられるはずの辺境伯――誰よりも真摯に彼女を見つめる男だった。 過去の裏切りを暴き、かつての婚約者たちに“真のざまぁ”を叩きつける! 逃げたくても逃げられない、激甘溺愛ファンタジー開幕。

悪役令嬢を追放したはずの王太子殿下が、なぜか毎晩泣きついてきます

nacat
恋愛
婚約破棄の場で一方的に罪をきせられ、王都を追放された公爵令嬢リディア。 だが彼女には、誰も知らぬ“真の力”と“もう一つの顔”があった。 平穏な辺境生活を始めた矢先、元婚約者である王太子が何度も彼女のもとを訪れるようになり……? 「君なしでは眠れない」——そんな虫のいい言葉、今さら信じると思う? ざまぁ×逆転劇×溺愛の王道を詰め込んだ、恋と因果のファンタジーロマンス。

婚約破棄された伯爵令嬢は、冷遇王太子の本気の溺愛に戸惑う

exdonuts
恋愛
伯爵令嬢アメリアは、社交界で憧れの的だった第二王子に婚約破棄を突きつけられる。裏切り、陰謀、屈辱。それでも涙をこぼさずに立ち上がった彼女の前に現れたのは、冷徹と噂される第一王太子レオンハルト。 彼は無表情のまま言った。「君が欲しい。今すぐに。」 冷酷に見えて誰よりも優しい王太子。愛を知らなかった令嬢。 失ったものの先に待つ、逆転と溺愛の物語――。

婚約破棄。される前にしてやりましょう

碧井 汐桜香
恋愛
乙女ゲーの悪役令嬢だと気づいたのは、断罪されるパーティーに向かう馬車の中!? お父様に頼んで各所と交渉してもらい、いろんな証拠をしっかりと固めて、先に婚約破棄を宣言して差し上げましょう。

処理中です...