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第6話 心の告白 ― 愛と赦しの狭間で
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窓の外では、春の風が草木を揺らしていた。
火事の夜から数日が経ち、修道院の庭には新しい花が植えられている。
焼け落ちた倉庫の跡に、小さな芽が顔を出していた。
それを見るたびに、リリアの胸の奥にも同じような温かい芽が芽吹いている気がした。
ベンチに腰かけ、膝にブランケットを掛けながら、彼女は静かに深呼吸する。
少し離れた場所で、エドガーが子どもたちに剣術を教えていた。
木剣を握る手は逞しく、動きはしなやかで無駄がない。
けれど笑い声が混じるその光景には、どこか優しさが滲んでいた。
彼は戦う男ではなく、“守る男”なのだとリリアは思う。
「リリア様、今日はもうお身体、大丈夫なのですか?」
修道女が声をかけてきた。
「ええ、もう痛みはほとんどないの。皆のおかげよ」
そう答えながら、リリアの視線は自然とエドガーのほうへ向かう。
彼が子どもたちの頭を撫でるたびに、胸の奥で小さな音が鳴る。
――ああ、まただ。
この鼓動は、いったい何なのだろう。
数日前までは、誰かを想うことなど二度とないと思っていた。
けれど、彼の不器用な優しさに触れるたび、
少しずつ心の氷が溶けていくのを感じていた。
「まったく……あの人は昔から子どもに弱いのね」
小さく呟くと、修道女が微笑んだ。
「あなたも、あの方を見るとき、優しい顔をしておられますよ」
「……そう見える?」
「ええ。恋する人の顔です」
その言葉に、リリアは思わず息を呑んだ。
頬が熱くなる。
まるで、心の奥を見透かされたようだった。
「そんなつもりじゃ……」
否定しようとしたが、声が震えた。
思えば、彼と過ごす時間はいつも穏やかだった。
あの夜の炎の中で彼の腕に抱かれた感覚が、
まだ身体のどこかに残っている。
ふと、エドガーがこちらを振り向いた。
子どもたちの笑い声の向こうから、まっすぐに。
目が合う。
その瞬間、リリアは視線を逸らせなかった。
彼の瞳は、戦場を知る者の深い色をしているのに、
今だけは、春の空のように柔らかかった。
「……また、見ていたんですか?」
いつの間にか彼が隣に立っていた。
リリアは慌ててブランケットを整える。
「い、いえ。ただ……皆が楽しそうで」
「俺は?」
「え?」
その短い問いに、心臓が跳ねる。
エドガーは少し口元を緩めて、
「あなたも、楽しそうに見えた」と呟いた。
その言葉は、春風よりも優しく、熱を帯びていた。
胸が痛いほどに高鳴る。
リリアは笑おうとしたが、声が出なかった。
沈黙が落ちた。
けれど、それは気まずさではなく――心地よい静けさだった。
互いの鼓動だけが、近くで響いている。
やがて、エドガーがぽつりと呟いた。
「火の中で……あなたの名前を呼んだとき、もう二度と届かないかと思った」
リリアの胸が、また締めつけられる。
彼は視線を落としたまま続けた。
「それが怖かった。戦場より、死よりも」
その声に込められた想いを、リリアは痛いほど感じ取った。
けれど――その優しさをどう受け止めればいいのか、まだわからなかった。
風が通り抜けた。
夕暮れの光が差し込み、二人の影を柔らかく重ねていく。
リリアは言葉を探したが、胸の奥で波立つ鼓動が邪魔をした。
「……エドガー。あのとき、どうして戻ってきてくれたの?」
問いかけは、震えを含んでいた。
彼は少し黙り込み、ゆっくりと息を吐いた。
「誰かが泣く声がした気がした。
それがあなただと分かったとき、身体が勝手に動いていた」
その言葉が、まるで炎の残り香のように胸に染みた。
彼は嘘をつける人ではない。
その不器用な誠実さが、心に痛いほど響いた。
沈黙の中、遠くで鐘が鳴った。
リリアは視線を落とし、膝の上で指を組む。
「……私ね、あの夜までは、もう二度と誰かを信じないって思ってたの。
でも、あの火の中であなたの声を聞いたとき、少しだけ怖くなくなったの」
その告白に、エドガーが目を見開いた。
彼の唇が何かを言いかけて、結局、言葉にはならなかった。
リリアは微笑んで続けた。
「あなたの優しさは、痛みを誤魔化すためのものじゃないのね。
本気で、誰かの幸せを願ってる」
「それが、俺にできる唯一のことだから」
短い返答なのに、どんな愛の言葉よりも真っ直ぐだった。
リリアはその横顔を見つめ、胸の奥に熱を覚えた。
――もし、この人を信じても裏切られなかったら。
そんな考えが一瞬浮かび、怖くなって息を呑む。
けれど、もう逃げる理由もなかった。
「あなたのような人に、もっと早く出会えていたら……」
思わずこぼれた言葉に、エドガーの手がわずかに震えた。
そして、ゆっくりとリリアの手に触れる。
その手は、戦場で傷つき、火の中で焦がされた手。
けれど、温かかった。
「出会えたのが遅かったからこそ、今のあなたを見られた」
穏やかな声。
リリアは息を詰め、その瞳に吸い込まれるように見入った。
怖いほど近い距離。
けれど、不思議と心は落ち着いていた。
彼がもう一歩近づいたとき、リリアはそっと囁いた。
「……私、まだ怖いの。
愛した人に裏切られて、もう誰も信じられなくなって……」
その言葉を遮るように、エドガーの手が彼女の頬に触れた。
「無理に信じなくていい。
信じたいと思えたとき、そのときだけ俺を見てほしい」
その優しさに、リリアの瞳が潤んだ。
誰かに許されたような気がして、胸が熱くなる。
「……ありがとう」
その一言は、祈りのように静かだった。
エドガーは微笑み、彼女の額にそっと手を置く。
「あなたが笑っていられるなら、それでいい」
日が沈み、修道院の鐘が再び鳴り響く。
その音に包まれながら、リリアは初めて――
“愛されることは痛みではなく、救いなのかもしれない”と感じた。
空は茜に染まり、夜の気配が迫る。
光と影の狭間で、二人の影が重なった。
火事の夜から数日が経ち、修道院の庭には新しい花が植えられている。
焼け落ちた倉庫の跡に、小さな芽が顔を出していた。
それを見るたびに、リリアの胸の奥にも同じような温かい芽が芽吹いている気がした。
ベンチに腰かけ、膝にブランケットを掛けながら、彼女は静かに深呼吸する。
少し離れた場所で、エドガーが子どもたちに剣術を教えていた。
木剣を握る手は逞しく、動きはしなやかで無駄がない。
けれど笑い声が混じるその光景には、どこか優しさが滲んでいた。
彼は戦う男ではなく、“守る男”なのだとリリアは思う。
「リリア様、今日はもうお身体、大丈夫なのですか?」
修道女が声をかけてきた。
「ええ、もう痛みはほとんどないの。皆のおかげよ」
そう答えながら、リリアの視線は自然とエドガーのほうへ向かう。
彼が子どもたちの頭を撫でるたびに、胸の奥で小さな音が鳴る。
――ああ、まただ。
この鼓動は、いったい何なのだろう。
数日前までは、誰かを想うことなど二度とないと思っていた。
けれど、彼の不器用な優しさに触れるたび、
少しずつ心の氷が溶けていくのを感じていた。
「まったく……あの人は昔から子どもに弱いのね」
小さく呟くと、修道女が微笑んだ。
「あなたも、あの方を見るとき、優しい顔をしておられますよ」
「……そう見える?」
「ええ。恋する人の顔です」
その言葉に、リリアは思わず息を呑んだ。
頬が熱くなる。
まるで、心の奥を見透かされたようだった。
「そんなつもりじゃ……」
否定しようとしたが、声が震えた。
思えば、彼と過ごす時間はいつも穏やかだった。
あの夜の炎の中で彼の腕に抱かれた感覚が、
まだ身体のどこかに残っている。
ふと、エドガーがこちらを振り向いた。
子どもたちの笑い声の向こうから、まっすぐに。
目が合う。
その瞬間、リリアは視線を逸らせなかった。
彼の瞳は、戦場を知る者の深い色をしているのに、
今だけは、春の空のように柔らかかった。
「……また、見ていたんですか?」
いつの間にか彼が隣に立っていた。
リリアは慌ててブランケットを整える。
「い、いえ。ただ……皆が楽しそうで」
「俺は?」
「え?」
その短い問いに、心臓が跳ねる。
エドガーは少し口元を緩めて、
「あなたも、楽しそうに見えた」と呟いた。
その言葉は、春風よりも優しく、熱を帯びていた。
胸が痛いほどに高鳴る。
リリアは笑おうとしたが、声が出なかった。
沈黙が落ちた。
けれど、それは気まずさではなく――心地よい静けさだった。
互いの鼓動だけが、近くで響いている。
やがて、エドガーがぽつりと呟いた。
「火の中で……あなたの名前を呼んだとき、もう二度と届かないかと思った」
リリアの胸が、また締めつけられる。
彼は視線を落としたまま続けた。
「それが怖かった。戦場より、死よりも」
その声に込められた想いを、リリアは痛いほど感じ取った。
けれど――その優しさをどう受け止めればいいのか、まだわからなかった。
風が通り抜けた。
夕暮れの光が差し込み、二人の影を柔らかく重ねていく。
リリアは言葉を探したが、胸の奥で波立つ鼓動が邪魔をした。
「……エドガー。あのとき、どうして戻ってきてくれたの?」
問いかけは、震えを含んでいた。
彼は少し黙り込み、ゆっくりと息を吐いた。
「誰かが泣く声がした気がした。
それがあなただと分かったとき、身体が勝手に動いていた」
その言葉が、まるで炎の残り香のように胸に染みた。
彼は嘘をつける人ではない。
その不器用な誠実さが、心に痛いほど響いた。
沈黙の中、遠くで鐘が鳴った。
リリアは視線を落とし、膝の上で指を組む。
「……私ね、あの夜までは、もう二度と誰かを信じないって思ってたの。
でも、あの火の中であなたの声を聞いたとき、少しだけ怖くなくなったの」
その告白に、エドガーが目を見開いた。
彼の唇が何かを言いかけて、結局、言葉にはならなかった。
リリアは微笑んで続けた。
「あなたの優しさは、痛みを誤魔化すためのものじゃないのね。
本気で、誰かの幸せを願ってる」
「それが、俺にできる唯一のことだから」
短い返答なのに、どんな愛の言葉よりも真っ直ぐだった。
リリアはその横顔を見つめ、胸の奥に熱を覚えた。
――もし、この人を信じても裏切られなかったら。
そんな考えが一瞬浮かび、怖くなって息を呑む。
けれど、もう逃げる理由もなかった。
「あなたのような人に、もっと早く出会えていたら……」
思わずこぼれた言葉に、エドガーの手がわずかに震えた。
そして、ゆっくりとリリアの手に触れる。
その手は、戦場で傷つき、火の中で焦がされた手。
けれど、温かかった。
「出会えたのが遅かったからこそ、今のあなたを見られた」
穏やかな声。
リリアは息を詰め、その瞳に吸い込まれるように見入った。
怖いほど近い距離。
けれど、不思議と心は落ち着いていた。
彼がもう一歩近づいたとき、リリアはそっと囁いた。
「……私、まだ怖いの。
愛した人に裏切られて、もう誰も信じられなくなって……」
その言葉を遮るように、エドガーの手が彼女の頬に触れた。
「無理に信じなくていい。
信じたいと思えたとき、そのときだけ俺を見てほしい」
その優しさに、リリアの瞳が潤んだ。
誰かに許されたような気がして、胸が熱くなる。
「……ありがとう」
その一言は、祈りのように静かだった。
エドガーは微笑み、彼女の額にそっと手を置く。
「あなたが笑っていられるなら、それでいい」
日が沈み、修道院の鐘が再び鳴り響く。
その音に包まれながら、リリアは初めて――
“愛されることは痛みではなく、救いなのかもしれない”と感じた。
空は茜に染まり、夜の気配が迫る。
光と影の狭間で、二人の影が重なった。
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