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第5話 裏切りの真相 ― 炎の中の誓い
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夜の修道院は、深い静寂に包まれていた。
灯りを落とした廊下を歩きながら、リリアは小さな蝋燭を手にしていた。
外では雨の音が遠く、規則正しく響く。
昼間、王都から届いた手紙の内容が、まだ胸に引っかかっていた。
「リュシェル・ヴァレンティナが、慈善金を横領している」――。
差出人の名は記されていなかったが、文面は異様なほど詳細だった。
リリアはため息をつき、机の上にその手紙を置いた。
心のどこかで、もう驚かなくなっている自分がいた。
貴族の陰謀、虚飾、裏切り。
それらはすべて、あの夜――自分が捨てられた瞬間から続いている。
「殿下が、ようやく気づかれるといいけれど」
呟いた声が、薄暗い部屋に吸い込まれる。
蝋燭の炎がわずかに揺れた。
その光の中に、一瞬、誰かの影が動いた気がした。
「……誰?」
振り返った瞬間、背筋を冷たいものが走る。
窓の外、庭の方で淡い光――いや、炎のような赤が瞬いた。
リリアは蝋燭を置いて、急いで外へ出た。
夜風が頬を打つ。
遠くの倉庫から、炎が上がっていた。
「まさか……!」
息を呑む間もなく、走り出す。
修道女たちが悲鳴を上げ、子どもたちを避難させている。
だが中には、まだ数人の孤児が残っているという声が聞こえた。
考えるより先に、身体が動いた。
燃え盛る建物の前に立つと、熱気が押し寄せてくる。
鼻を突く焦げた匂い。
それでも――足は止まらなかった。
「子どもたちを、助けなきゃ……!」
リリアは腕で顔を覆いながら、扉を蹴った。
木片が飛び散り、炎の赤が目に焼き付く。
中は煙で満たされていた。
「ミア! アレン!」
呼ぶ声に、かすかな泣き声が応えた。
棚の下に、小さな影がうずくまっている。
リリアはためらわず駆け寄り、二人を抱きかかえた。
火の粉が髪に降りかかる。熱い。息が苦しい。
出口に向かおうとしたそのとき、背後で梁が崩れ落ちた。
炎の壁が道を塞ぐ。
息を呑む。
もう、ここまでなのか――そんな考えがよぎる。
けれど、腕の中の子どもたちの鼓動を感じた瞬間、
その思いは霧散した。
「大丈夫、絶対に助けるわ」
炎に照らされた瞳が、決意の色に染まる。
そのとき、外から誰かの叫ぶ声が聞こえた。
「リリア様!」
その声に、心臓が跳ねた。
エドガー――。
炎の向こうで、彼が駆け寄ってくる影が見えた。
剣を振り、木の梁を切り裂きながら進む。
その姿に、一瞬だけ時間が止まった。
彼の瞳は、まっすぐに彼女を見ていた。
迷いも、恐れもない。
「離れないで!」
次の瞬間、彼の腕がリリアを包み込む。
炎が爆ぜ、光が弾けた。
世界が赤に染まり――意識が遠のいていった。
――まぶしい光が、瞼の裏に差し込んでくる。
まるで遠い夢から引き戻されるように、リリアはゆっくりと目を開けた。
白い天井。
乾いた薬草の匂い。
そして、傍らの椅子に腰掛ける一人の男の姿。
「……エドガー?」
声に反応して、彼が顔を上げた。
夜明けの光に照らされたその表情は、
どこか疲れていて――けれど安堵の色があった。
「気がつきましたか。よかった……」
掠れた声。
その一言に、どれほどの恐怖と祈りがあったのかを感じた。
「私……あの子たちは?」
「皆、無事です。あなたが庇ってくれたおかげです」
リリアは胸に手を当て、ほっと息をつく。
だが、次の瞬間に痛みが走った。
腕には包帯が巻かれ、髪の先は焦げていた。
「……少しでも遅れていたら、あなたまで焼け落ちていた」
エドガーはそう言いながら、拳を強く握った。
その手には小さな火傷がいくつもあり、皮膚が赤く腫れている。
「その手……」
「構わない。あの夜、あなたを守れなかった俺が、ようやく償えた気がした」
彼の瞳に浮かんだのは、後悔ではなく、静かな誓いの炎だった。
「俺は……二度とあなたを一人にはしない。たとえどんな敵が現れても、あなたを守る」
淡々とした口調の中に、揺るがぬ意志があった。
その言葉に、リリアの胸が熱くなる。
「どうして……そこまで?」
問いかける声は、震えていた。
エドガーはしばらく答えず、窓の外に目を向けた。
雨上がりの空に、朝日が差し込み始めている。
「あなたが、俺に生き方を教えてくれたからです」
「私が?」
「そうです。誰かのために動くことが恥じゃない。
“情に流される”ことを弱さだと思っていましたが――
本当は、それが一番の強さなんだと」
静かな言葉に、胸の奥がじんと痛んだ。
あの夜、ルシアンに否定された“優しさ”を、彼は肯定してくれている。
それだけで、心のどこかがふっと軽くなった。
「……ありがとう、エドガー」
リリアは微笑み、涙をこぼした。
それは悲しみの涙ではなかった。
長い冬が終わり、春が訪れた証のように――温かい涙だった。
彼がそっと手を伸ばし、その涙を指先で拭う。
その仕草があまりに優しくて、言葉を失う。
「あなたの笑顔を見られるなら、俺はそれでいい」
その瞬間、心が確かに揺れた。
過去の痛みではなく、未来への鼓動で。
外から、子どもたちの声が聞こえる。
笑いながら、火事の後片付けを手伝っている。
その声が、命の続く音に思えた。
リリアはベッドの上でゆっくりと起き上がり、窓の外を見た。
朝の光が降り注ぐ庭に、まだ煙の残る倉庫の跡が見える。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
「また、ここから始めましょう」
その呟きに、エドガーは小さく頷いた。
「はい。あなたの隣で」
リリアは彼を見つめ、穏やかに笑った。
それはもう、過去に縛られた令嬢の微笑みではない。
――未来を選ぶ、一人の女性の微笑みだった。
朝の鐘が鳴り響く。
その音は、まるで二人の再生を祝福するかのように高く、澄んでいた。
灯りを落とした廊下を歩きながら、リリアは小さな蝋燭を手にしていた。
外では雨の音が遠く、規則正しく響く。
昼間、王都から届いた手紙の内容が、まだ胸に引っかかっていた。
「リュシェル・ヴァレンティナが、慈善金を横領している」――。
差出人の名は記されていなかったが、文面は異様なほど詳細だった。
リリアはため息をつき、机の上にその手紙を置いた。
心のどこかで、もう驚かなくなっている自分がいた。
貴族の陰謀、虚飾、裏切り。
それらはすべて、あの夜――自分が捨てられた瞬間から続いている。
「殿下が、ようやく気づかれるといいけれど」
呟いた声が、薄暗い部屋に吸い込まれる。
蝋燭の炎がわずかに揺れた。
その光の中に、一瞬、誰かの影が動いた気がした。
「……誰?」
振り返った瞬間、背筋を冷たいものが走る。
窓の外、庭の方で淡い光――いや、炎のような赤が瞬いた。
リリアは蝋燭を置いて、急いで外へ出た。
夜風が頬を打つ。
遠くの倉庫から、炎が上がっていた。
「まさか……!」
息を呑む間もなく、走り出す。
修道女たちが悲鳴を上げ、子どもたちを避難させている。
だが中には、まだ数人の孤児が残っているという声が聞こえた。
考えるより先に、身体が動いた。
燃え盛る建物の前に立つと、熱気が押し寄せてくる。
鼻を突く焦げた匂い。
それでも――足は止まらなかった。
「子どもたちを、助けなきゃ……!」
リリアは腕で顔を覆いながら、扉を蹴った。
木片が飛び散り、炎の赤が目に焼き付く。
中は煙で満たされていた。
「ミア! アレン!」
呼ぶ声に、かすかな泣き声が応えた。
棚の下に、小さな影がうずくまっている。
リリアはためらわず駆け寄り、二人を抱きかかえた。
火の粉が髪に降りかかる。熱い。息が苦しい。
出口に向かおうとしたそのとき、背後で梁が崩れ落ちた。
炎の壁が道を塞ぐ。
息を呑む。
もう、ここまでなのか――そんな考えがよぎる。
けれど、腕の中の子どもたちの鼓動を感じた瞬間、
その思いは霧散した。
「大丈夫、絶対に助けるわ」
炎に照らされた瞳が、決意の色に染まる。
そのとき、外から誰かの叫ぶ声が聞こえた。
「リリア様!」
その声に、心臓が跳ねた。
エドガー――。
炎の向こうで、彼が駆け寄ってくる影が見えた。
剣を振り、木の梁を切り裂きながら進む。
その姿に、一瞬だけ時間が止まった。
彼の瞳は、まっすぐに彼女を見ていた。
迷いも、恐れもない。
「離れないで!」
次の瞬間、彼の腕がリリアを包み込む。
炎が爆ぜ、光が弾けた。
世界が赤に染まり――意識が遠のいていった。
――まぶしい光が、瞼の裏に差し込んでくる。
まるで遠い夢から引き戻されるように、リリアはゆっくりと目を開けた。
白い天井。
乾いた薬草の匂い。
そして、傍らの椅子に腰掛ける一人の男の姿。
「……エドガー?」
声に反応して、彼が顔を上げた。
夜明けの光に照らされたその表情は、
どこか疲れていて――けれど安堵の色があった。
「気がつきましたか。よかった……」
掠れた声。
その一言に、どれほどの恐怖と祈りがあったのかを感じた。
「私……あの子たちは?」
「皆、無事です。あなたが庇ってくれたおかげです」
リリアは胸に手を当て、ほっと息をつく。
だが、次の瞬間に痛みが走った。
腕には包帯が巻かれ、髪の先は焦げていた。
「……少しでも遅れていたら、あなたまで焼け落ちていた」
エドガーはそう言いながら、拳を強く握った。
その手には小さな火傷がいくつもあり、皮膚が赤く腫れている。
「その手……」
「構わない。あの夜、あなたを守れなかった俺が、ようやく償えた気がした」
彼の瞳に浮かんだのは、後悔ではなく、静かな誓いの炎だった。
「俺は……二度とあなたを一人にはしない。たとえどんな敵が現れても、あなたを守る」
淡々とした口調の中に、揺るがぬ意志があった。
その言葉に、リリアの胸が熱くなる。
「どうして……そこまで?」
問いかける声は、震えていた。
エドガーはしばらく答えず、窓の外に目を向けた。
雨上がりの空に、朝日が差し込み始めている。
「あなたが、俺に生き方を教えてくれたからです」
「私が?」
「そうです。誰かのために動くことが恥じゃない。
“情に流される”ことを弱さだと思っていましたが――
本当は、それが一番の強さなんだと」
静かな言葉に、胸の奥がじんと痛んだ。
あの夜、ルシアンに否定された“優しさ”を、彼は肯定してくれている。
それだけで、心のどこかがふっと軽くなった。
「……ありがとう、エドガー」
リリアは微笑み、涙をこぼした。
それは悲しみの涙ではなかった。
長い冬が終わり、春が訪れた証のように――温かい涙だった。
彼がそっと手を伸ばし、その涙を指先で拭う。
その仕草があまりに優しくて、言葉を失う。
「あなたの笑顔を見られるなら、俺はそれでいい」
その瞬間、心が確かに揺れた。
過去の痛みではなく、未来への鼓動で。
外から、子どもたちの声が聞こえる。
笑いながら、火事の後片付けを手伝っている。
その声が、命の続く音に思えた。
リリアはベッドの上でゆっくりと起き上がり、窓の外を見た。
朝の光が降り注ぐ庭に、まだ煙の残る倉庫の跡が見える。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
「また、ここから始めましょう」
その呟きに、エドガーは小さく頷いた。
「はい。あなたの隣で」
リリアは彼を見つめ、穏やかに笑った。
それはもう、過去に縛られた令嬢の微笑みではない。
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