婚約破棄された令嬢は、冷徹王子を見返す ― 裏切りの夜から始まる再生物語 ―

桜葉るか

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第4話 再会 ― 愛ではなく義務として

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 春の光が差し込む修道院の庭は、今日も静かだった。
 咲き始めた白い花々が風に揺れ、鐘の音が遠くで響く。
 リリアは小さな孤児たちに読み聞かせをしていた。
 彼らの笑い声を聞いていると、過去の痛みが少しずつ薄れていく気がする。

 だがその平穏は、ひとつの報せによって破られた。

「リリア様、王都から――殿下がお越しです!」

 修道女の声に、部屋の空気が凍る。
 手の中の絵本を閉じ、リリアは静かに息を整えた。
 胸の奥で、古い記憶がざわめく。
 あの日、あの夜。
 「君は情に流されすぎる」と言い放った声が、今も耳の奥にこびりついていた。

 庭に出ると、馬車が止まっていた。
 装飾の一つひとつが王家の紋章を刻んでいる。
 陽光を受けて、白金の扉がまぶしく光った。

「……久しいな、リリア。」

 その声に、胸がわずかに軋む。
 ルシアン。
 以前と変わらぬ整った顔立ち。だが、その瞳に宿る光はどこか曇っていた。
 彼はゆっくりと近づくと、修道院の石畳の上で立ち止まった。

「戻ってこい。王都は、君を必要としている。」

 リリアはまばたきもせず、彼を見つめた。
 その言葉を聞いても、何の感情も湧かなかった。
 かつてなら、心が揺れたかもしれない。
 けれど今は、ただ風の音だけが響いている。

「……必要、ですか。あのとき、私を切り捨てたあなたが?」

 穏やかに放たれた声に、ルシアンの肩がわずかに揺れた。
 彼は目を伏せ、何か言い訳を探すように唇を動かす。
 けれど、リリアはそれを待たなかった。

「私はもう、誰のものでもありません。」

 庭の花々が揺れ、花びらが舞う。
 春の風が二人の間を通り抜けた。
 ルシアンの手が伸びかけたが、その先に届くものはもうない。

「君がいない王都は……冷たい。」

 弱々しく漏れた言葉。
 かつて“冷徹な王子”と呼ばれた男の声とは思えない。
 その言葉に、リリアは小さく息を吐いた。

「冷たいのは、あなたの心ではなくて?」

 微笑を浮かべながら、彼の瞳をまっすぐに見た。
 ルシアンは何も言えず、その場に立ち尽くす。
 沈黙が、過去と現在を分かつ境界のように流れた。

 やがてリリアは一歩退き、修道院の扉へと向かう。

「どうかお帰りください、殿下。ここは、私の祈りの場所です。」

 その声は穏やかだったが、どんな命令よりも強かった。
 扉の向こうで、孤児たちの笑い声がまた響く。
 それがリリアの“今”なのだと、ルシアンにも分かったのだろう。

 扉が閉まる瞬間、風が吹き抜けた。
 花びらが舞い、白い光の中に彼の姿が霞んでいく。
 彼の手のひらには、何も残らなかった。

 扉が閉まると同時に、リリアは静かに息を吐いた。
 胸の奥で、何かが確かに終わった気がした。

 かつて、あの人の言葉ひとつで泣き、笑い、傷ついていた。
 けれど今は違う。
 もう誰かの許しを待たなくても、自分の足で立てる。

 窓の外では、春の雨が降り出していた。
 柔らかな音が石畳を叩き、庭の花々が濡れていく。
 その景色を見つめながら、リリアはそっと胸に手を当てた。

「……終わったのね」

 呟いた声は静かで、涙の代わりに微笑みが浮かんだ。

 そのとき、背後で足音がした。
 振り向くと、修道院の回廊に立つ一人の男の姿。
 雨に濡れた黒髪、鋭くも穏やかな瞳。
 エドガーだった。

「……聞いていたのね?」

 問いかけに、彼は少しだけ眉を下げた。

「殿下が来たと聞いたから。……放っておけませんでした」

 言葉は短くても、そこにあったのは真っすぐな思いやり。
 リリアは小さく首を振った。

「ありがとう。でも、もう大丈夫よ」

 エドガーは彼女の顔をじっと見つめた。
 そこにあったのは、かつて涙に濡れていた少女ではなく、
 己の誇りで立つ一人の女性だった。

「あなた、強くなりましたね」

 低く、確かめるような声。
 リリアは微笑を返す。

「強くなったんじゃないの。ただ――壊れてしまうのが、嫌だっただけ」

 その言葉に、エドガーの瞳がわずかに揺れた。
 静かな回廊の中で、二人の間に言葉にならない空気が生まれる。

「……殿下は戻らないと思いますか?」

 不意にエドガーが問う。
 リリアは少しだけ考えて、穏やかに首を横に振った。

「いいえ。戻ると思うわ。後悔するために。」

 それは復讐でも、皮肉でもなかった。
 ただ事実としての言葉。
 彼女は、もう“過去”の人に心を揺らさない。

 エドガーはその静かな強さに、胸の奥が熱くなるのを感じた。
 自分が惹かれたのは、悲しみを抱いた彼女ではなく、
 痛みを越えてもなお、誰かを思いやるその姿だったのだと気づく。

「……あの人が戻ってきても、もうあなたは振り向かないんですね」

「ええ。私はもう、前を見ているもの」

 雨が止み、雲の切れ間から光が差し込んだ。
 濡れた石畳に映る二人の影が、少しずつ近づいていく。

 リリアは微笑んで、空を見上げた。

「愛ではなく、義務として――あの人を赦します」

 それが本当の“ざまぁ”だった。
 誰かを傷つけ返すことではなく、
 自分の幸せを選び取ることこそ、勝利なのだと。

 エドガーは黙って彼女の隣に立った。
 雨上がりの空に、虹がかかる。
 その光を見つめながら、二人の物語は次の季節へと歩き出す。
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