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第一章 舞台の幕が上がるまで
1話 マンサクの贈り物
しおりを挟む「おはようございます、お嬢様! 本日はどのようにお過ごしになられますか?」
混乱だらけの初対面から早3年。私こと、シャーロット・ベハティ・アクランドは3歳6ヶ月となりました。
あの後、周囲の話から集めた情報によると、どうやら私はアクランド子爵家の一人娘としてこの世に生を受けたようだ。貧乏一家の長女だった私としては、未だにお嬢様と呼ばれるこの生活に慣れないのだが、それは一先ず置いておこう。
今の私の容姿は、桜色の柔らかな髪に、同じく桜色の大きな瞳。肌は雪のように白く、頬と唇はほんのりと赤く色づいている。貴族令嬢らしいフリルたっぷりな洋服も相まって、まるで御伽噺のお姫様のようだった。以前の黒髪黒目な典型的日本人像は見る影もない。人形のような顔立ちもさることながら、髪と瞳の色に度肝を抜かれたのは言うまでもないだろう。
また、散々心の中で不審者と呼んでいた男は、やはり私の父親だった。名をオスカー・リンゼイ・アクランド。元々は伯爵家の二男として生まれ、現在は分家の当主として領内の小都市を任されている。
母はハットン男爵家の娘、マーガレット。父は幼馴染であった母と、貴族としては珍しい恋愛結婚をしたそうだ。その母は、私を産むのと引換えに息を引き取ったらしい。現代日本においても、出産は命懸けだ。中世ヨーロッパのようなこの時代、母子ともに健康に出産できる確率は決して高くないのだろう。
母の命と引き換えに生まれてきたのだと知り、私の心は複雑だった。勿論、私が悪意をもって母を苦しめたわけではない。そもそも現代日本を生きた“私”の意識はまだ芽生えていなかったし、誰かの命を奪おうと考えたことすらなかったのだから。
しかし、意識が芽生えた今となっては、どうしようもない後ろめたさを感じてしまう。父が私を疎まず愛してくれることも、要因の一つかもしれない。愛してもらえることには感謝しかない。だが、誰にも責められないということは思った以上に苦痛を伴うものだ。だからこそ、私は母の死と引換に生まれた事実を一層苦く思っている。誰か一人にでも悪意をぶつけられたのなら、きっと私は胸を張り正当性を主張しただろう。
「おはよう、アンナ。きょうはえほんをよんでほしいな」
とはいえ、今更うじうじしたところで何も変わらない。それならばせめて、母が繋いでくれた命を生き抜かなければならない。私という人間が何故現代日本からここに生まれたのかは分からないが、全うにこの人生を生きなければ。そのためにはまず、私を取り巻く環境を知る必要があると意気込みを入れた。
今返事をした相手は、以前私を抱き上げ父に引き合わせてくれた少女だ。彼女の名はアンナ。平民の生まれで我がアクランド家にてメイドとして働いている。彼女の実家は裕福な商家で、父の実家である伯爵家と繋がりがあったようだ。貴族相手の接し方や読み書きができることもあり、メイドとして雇い入れたらしい。
「かしこまりました。お嬢様は本当にご本を読むのがお好きですね」
穏やかな笑顔を浮かべるアンナに、大きく頷きながら微笑んだ。彼女の言葉の通り、私はよく彼女に本の読み聞かせをお願いしている。私は生粋の日本人で海外に出たこともない。ここがどの国かは分からないが、外国語の自信はないのだ。どういうわけか会話はできているものの、文字はさっぱりだった。
とはいえ、仮に文字が読めたとしても読み聞かせは必要だっただろう。1歳児がすらすらと文字を理解していたら天才を通り越して異様だ。人間は自分と異なるものを酷く忌み嫌う。万が一悪目立ちして気味悪がられたあげく、魔女裁判などになっては困る。考えすぎと思われるかもしれないが、油断は禁物だ。現代日本から何の因果でこの家に生まれたのか分からない以上、警戒するに越したことはない。
「では、いくつかご本を見繕って参ります。どんなお話がいいですか?」
今までアンナが持ってきてくれた本は、幼児向けの絵本だった。ストーリー重視というよりは、子どもが好む絵がどれだけ描かれているかが重要なようだ。幼い子どもが興味を惹かれる物でなければ親も買い与えはしない。そう考えれば、自然と傾向が似てくるのも無理はない話だ。
とはいえ、それでは私の情報収集という目的は一向に達成されない。ここは少し無理を言うべきだろうか。
「アンナのすきなほんがいい! アンナのすきなおはなし、わたしもよみたい!」
精一杯子どもらしさを装い、アンナにせがむ。イメージとしては、近所のお姉さんが大好きで真似をしたい子どもだ。本当の3歳児が誰かの真似をするのかは不明だが、このままでは埒が明かない。幼い子どもというのは大人の提示するものしか見ることができないのだ。ましてや、幼稚園や保育園を通して外との接触を得る機会がない以上、何とかこの屋敷内でできることをしなければならなかった。
そんな私の願いが届いたのか、一度退出した彼女が手にしていたのは今まで見たことがない本だった。いつも彼女が持ってきていたのは16ページくらいの色鮮やかな本。赤や黄色、青など子どもの目を引く装丁だった。
しかし、今回手にしているのはその倍はページ数がありそうな本で、表紙はエバーグリーン。常緑樹の葉を思い起こさせる深い緑色だった。
「これは私が子どもの頃から大好きな本なんです。お嬢様のお気に召すと良いのですが……」
不安そうな顔でそう言う彼女ににっこりと笑顔を向ける。こちらとしては少しでも新しい情報が欲しいのだ。今まで通りでないだけでも価値がある。
「アンナのすきなおはなしならうれしい! わたしにはまだむずかしいかもしれないけど、よんでほしいな!」
そう言って笑う私の姿に、アンナはほっと息を吐き、穏やかに笑った。私はソファーに座り、アンナはすぐ傍に置いてあるスツールに腰掛けた。
「これは『マンサクの贈り物』という題名で、仲のいい双子の兄妹の物語です」
――昔々あるところに、仲のいい双子の兄妹がおりました。
どこか懐かしいフレーズからその物語は始まった。
『ある日、双子は村近くの森に遊びに出かけました。その森にはとても不思議な生き物が住んでいると聞いて、見てみたくなったのです。双子は不思議な生き物を探しに森を歩き回りました。
森の中には、沢山の木の実がありました。双子はそれを見て喜び、お土産にしようとそれぞれの鞄に入れていきます。二人が住む村は小さな村で、食べるものはあまりありません。これなら村のみんなも喜ぶだろうと笑い合いました。そして鞄が木の実で一杯になると、再びふしぎな生き物を探し始めました。
森の中を右へ左へ歩き回りましたが、不思議な生き物は影一つ見当たりません。気づけば森深くまで来てしまい、帰り道が分からなくなってしまいました。
すっかり空は暗くなり、双子はどうしようかと顔を見合わせます。村に帰るには道が分からず、森の中は真っ暗で歩くこともままなりません。そんな中、妹がすぐ近くに洞窟があるのに気づきました。
双子は洞窟の中で肩を寄せ合い、朝が来るのを待つことにしました。朝になったら帰り道を探そうと話していると、洞窟の中に空腹を知らせる音が鳴り響きました。
休めるところを見つけて安心したのか、妹はお腹が空いていたことを思い出しました。その姿を見て、兄は鞄の中の木の実を食べようと話します。お土産にと集めたものでしたが、今日は村へ帰りそうにもありません。妹は残念そうにしながらも、鞄を空けて木の実を食べ始めました。
ところが、兄はこちらを見ているだけで、一向に木の実を食べようとしません。
妹が『兄さんは食べないの?』と尋ねると、兄は『まだお腹が空いていないから後で食べるよ』と答えました。お腹が一杯になった妹は、いつの間にか眠りについていました。
外が明るくなり、洞窟の中にも光が差し込みました。双子は目を覚まし、帰り道を探すため再び森の中を歩き始めます。
しかし、どんなに歩いても帰り道は見つからず、森を出ることができません。妹は帰れなかったらどうしようと怖くなりましたが、泣かないように我慢していました。
そんな中、どさりと何かが倒れる音が森に響き渡ります。
振り返ると、兄がうつぶせに倒れていました。妹は慌てて駆け寄り兄に声をかけます。すると、兄は今にも消えそうな弱い声でこう話しました。
『この鞄を持って、一人で先に進みなさい』
その言葉に嫌だと首を振りましたが、兄は許してくれません。妹はぽろぽろと涙をこぼしながら、一緒に帰ろうと伝えました。すると、兄は笑ってこう伝えました。
『村に帰って、みんなと一緒に迎えに来てほしい』
自分はもう歩けないから、村まで帰れない。だから先に帰って、みんなを連れて迎えに来てくれと兄は伝えます。倒れたまま起き上がろうとしない兄に、妹は涙を拭いて頷きました。
妹は兄の鞄を受け取り、森の中を走りだします。木の根に躓き何度も転びながら、それでも懸命に帰り道を探して走り続けました。
しかし、帰り道は見つからず、森の外に出ることもできません。空は次第に暗くなり、森の中は真っ暗になってしまいました。
走り疲れた妹は、兄から受け取った鞄を抱きしめ、大きなマンサクの木の下に座り込みました。いつも兄と一緒だった妹は、初めてひとりぼっちで泣き出しました。
二人一緒にお家に帰りたい、そう何度も何度も泣きながら願いました。いつしか声が枯れ、泣き疲れた妹は、そのまま力なく木の下に倒れ込みました。
妹が目を覚ますと、村人たちが自分を囲んでいました。村人たちが言うには、突然強い光が辺りを照らし、手に一本の枝を持ち眠っている妹がいたというのです。突然現れ、眠ったままの妹が村人たちは心配で仕方がありませんでした。
気づけば、妹の隣には冷たくなった兄の姿がありました。慌てて兄へ呼びかけると、突然強い光が兄の身体を包み込みます。
光が収まると、そこに兄の身体はなく、代わりに一匹の白い蛇がいました。一目見てその白い蛇が兄だと分かった妹は、泣き出してしまいます。そんな妹を元気づけるように、蛇となった兄はそっと妹に寄り添いました。寄り添い合う二人の足元には、いつの間にか灰になったマンサクの枝が横たわっていました。
村人たちは、帰ってきた二人を温かく迎え入れ、双子はみんなに支えられながら幸せに暮らしました。』
おしまい、と言いアンナは本を閉じる。パタンと本を閉じる音に意識を引き戻された。いつの間にか物語に引き込まれていたようだ。子供向けの話のようではあるが、どことなく悲しさのある終わりにほう、とため息をついた。
「私が好きな本にしましたが……どうでしたか? お嬢様にとってはあまり面白くはなかったでしょうか……」
思わず漏れたため息に不安を覚えたのだろうか。アンナがおずおずと私の顔を見つめていた。それに首を横に振ることで答え、言葉を続けた。
「とてもおもしろかったよ。ただ、すこしふしぎなおはなしだとおもったの」
答えを聞きほっとした顔をした彼女に疑問を投げかけた。
「マンサクのきはどこかでみられるの?」
そう、この話を聞いて真っ先に気になったのがここだった。
マンサクの木は日本にもある樹木だ。2月から3月頃に黄色の花が咲くその木は、いち早く春の訪れを知らせてくれる。他の木々に先駆けて花が咲くことから「まず咲く」や「真っ先」が訛り、マンサクと呼ばれるようになったと言われている。日本では見慣れた樹木であるが、海外でも人気があり化粧品にも使われているらしい。
とはいえ、そのマンサクの木そのものを気にしているわけではない。この木がどこで見られるのか、それにより自分のいる国や、話の内容によっては時代を知るヒントになるのではないかと考えていた。時代により国名が変わった国も珍しくないからだ。
「マンサクの木ならアクランド子爵領で見られますよ。お嬢様が町にお出かけできるようになったら見てみるといいかもしれません」
その返事に頷きながら、質問を重ねた。
「もっととおいところにもあるの? どこでもみられる?」
その質問にアンナは顎に人差し指を当て、何かを思い出す素振りをしながら答えた。
――まさか、というべきか。やはり、というべきか。
彼女の答えは、私がもしかしてと思いつつも、そんなことあるはずがないと切り捨てていた予想を現実とするものだった。
「そうですね。フィンノリッジ王国であれば、多くの地域で見られますよ。確かジェノーネ帝国にもマンサクの木はあったはずです。ただ、エクセツィオーレでは気候が合わないのかマンサクの木はなかったと思います」
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