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第二章 そして舞台の幕が開く

65話 成長と我儘と

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 「シャーリー!」
 「お父様……」

 勢いよく扉を開け放ったのは、父オスカーだ。
 走ってきたからだろう。服は少し着崩れており、髪も乱れている。心配のあまり眠れなかったのか、目元のクマもいつもより濃い。
 改めて見ると、相当心配をかけてしまったのだと分かる。手紙一つ送らなかった私の落ち度だ。

 「シャーリー! 良かった、無事で……」

 素早く私に駆け寄ると、強く抱きしめられる。両腕が震えていた。娘を失う恐怖。それをずっと抱えていたのだろう。こうして触れ合うことで、やっと無事であると確信できたのかもしれない。

 「お父様、申し訳ございません。心配をおかけして……」
 「心配はしたけれど、シャーリーのせいではないだろう? 学園内に魔獣が出る方が異常なのだから」

 父は穏やかに微笑むと、私の頭を撫でる。壊れ物に触れるかのような優しい触れ方だ。

 「さぁ、それじゃあ帰ろうか。馬車は入口につけてある。荷物は後で回収すればいい。全て買い直してもいいしね。
 デイジー、対応を頼むよ」

 父はそう言って私を外へ促そうとする。
 やはり、既に父は動いていた。娘への愛情が強いゆえに、時に思い切りよく行動してしまう。
 せめて一言意見を聞いてからにしてほしい、そう思うも私は言葉を飲み込む。自分自身、連絡をしていなかった。父のみを責めるのは卑怯だろう。

 一先ず、話をしなければ。私は制止の声を上げた。

 「お待ちくださいお父様。帰るとは、どういうことですか?」

 問いかける私に、父は不思議そうに首を傾げる。父の中では既に決まったことのようだ。問いかけられること自体想定していなかったらしい。

 「子爵領に帰るんだよ。今後も教会との行き来は必要になるけれど、学園は別に通わなくてもかまわない。
 フローレス夫人に師事を受けているんだ。授業数を増やせば学内で学ぶことは十分カバーできる。
 聖女という立場上、身元や実力は教会も保証してくれるしね。

 学校に通いたいのなら、留学するのもいい。エクセツィオーレにも素晴らしい学園がある。フローレス夫人の出身校はどうかな? 寂しくはなるけれど、安全な場所にいることの方が大切だから」

 父の顔に不自然な表情はない。本心から言っているようだ。子を持つ親としては、当然のことかもしれない。我が子が死んでからでは遅いのだから。

 「ですがお父様。エクセツィオーレでは国を跨ぐことになります。教会側がそれを認めるでしょうか」
 「問題ないよ。認めさせるからね」

 シャーリーは何も心配しなくていい、そう言う父に、内心で途方に暮れる。
 父は案外頑固なのだ。譲れない部分は決して譲ろうとしない。父が母との結婚を諦めなかったように。
 これを説得するのは骨が折れそうだ。ひっそりとため息をついたとき、助け船が出された。

 「噂には聞いていたけれど、本当に仲がいいのね」
 「レティシア王女殿下」

 挨拶が遅れたことを詫びる父に、シアは軽く手を振った。娘の心配をするのは当然でしょう、そう告げる彼女の表情は穏やかだ。

 「アクランド子爵もそちらにおかけくださいな。その様子では、相当急いで来られたのでしょう。飲み物を飲んで一息つきましょう?」
 「いえ、私は……」

 断ろうとする父の声が聞こえないかのように、シアは侍女へ声をかける。
 速やかに淹れられた紅茶がテーブルに置かれた。場所は私の隣。オーウェンが少し横にずれたことでできたスペースだ。

 「では、一杯だけ……」

 そう言って席に着く父に、私はほっと息を吐く。シアの方へ視線を向けると、彼女はにっこりと微笑んだ。援護してくれたらしい。それに感謝し、私も微笑み返した。

 「アクランド子爵、お茶の味はいかがかしら?」
 「とても美味しいです。淹れ方がよいのは言わずもがなですが、使われている茶葉も良い。ベルガモットの香りが落ち着きますね」
 「それは何より。選んだのはあなたのご息女よ。ここはスピネル寮のサロン。彼女が茶会の準備をしてくれたの」

 素晴らしいご息女ね。そう告げるシアに、父が私の方へ視線を向ける。どこか気恥ずかしくなりながらも、私は笑顔で頷いた。

 「シャーリーが……
 そうか、もう茶会を開けるほどに成長したんだね」

 入学前、私が茶会を開いたことはなかった。アクランド子爵領に帰ったときは、仕事と魔術訓練に明け暮れていた。到底茶会を開く余裕などない。
 普段のお茶で少しずつ知識をつけていたけれど、それだけだ。よそのご令嬢を招くことは、学園に入学するまでなかった。

 「入学前は、あれこれと動き回ってばかりでしたから。ナタリア先生やお爺様方とお茶をすることはありましたが、自分で開くことはなかったですし。学園に来て、本当に様々な経験ができています」

 私の言葉に、父は穏やかな表情で頷く。
 しかし、その表情はすぐに陰ってしまった。

 「それは本当に素晴らしいことだ。初めての場所でよく頑張っているね。本当なら、このままここで学ぶことが良いのだろう。
 けれど、僕としては心から賛成はできない。理由は分かっているね?」

 眉を顰めて問いかける父に、私は頷いた。納得できるかは別として、父の言い分は理解している。

 「学園が、決して安全とは言えないからですね?」
 「そうだ。武器の携行も許されない環境下で、この不祥事は目に余る。学園の警備体制が見直されるというのは聞いているが、その実効性は不透明だ」

 なんせ、今回の事件は原因すら判明していないのだから。父の言葉は、核心をついていた。

 事実、この事件は解決していない。なぜイグニールが学園内にいたのか、未だ分からないのだ。学園側とて調べてはいるだろうが、現状何の公表もない。

 貴族子女のみでなく、王族も通う学園。事態の究明に全力を尽くしているだろう。保護者から解答を求める声も上がっているはずだ。

 「そのような状況下で、シャーリーを預けることはできない。学園の素晴らしさは身をもって知っているけれど、娘の安全には代えられないよ」
 「お父様……」

 父の表情は不安げに歪んでいる。
 父にとって、この学園は母校だ。安全な場所だと思っていただろうし、楽しい思い出も沢山あったことだろう。
 それでも、今回の事件ゆえに学園を認めることができないのだ。

 参った。これは本当に困ってしまった。父の言うことはもっともだ。他に通わせられる場所があるのなら、我が子を移したいと思うのも無理はない。
 私が親だった場合、やはり同様のことを考えるだろう。我が子の安全に代えられるものはない。

 先ほど私が指摘した教会の件だが、正直なところ、父を止める根拠としては弱い。
 エクセツィオーレも我が国同様、女神を信仰している。
 つまり、あちらにも同じ神を信仰する教会があるのだ。一時的に身を寄せるくらいは、簡単に許可が下りるだろう。命を守るためと言えば、教会も納得する可能性が高い。聖女のお披露目も延期したくらいなのだから。

 けれど、私は学園を辞めたいとは思っていない。ここには大切な友人がいる。学業そのものも、決して不満はないのだ。
 どうしたら納得してもらえるだろうか。難易度の高い問題に、頭を抱えたくなる。

 「そうねぇ。アクランド子爵のおっしゃることはもっともだと思うわ」

 ティーカップから口を離し、シアが父に同意する。全員の視線がシアに集まると、彼女はにっこりと微笑んだ。

 「けれど、それが本当にシャーリーのためになるのかしら」
 「……どういうことです?」

 シアの呟きに、父は訝し気に問いかける。そんな父に、シアは小首を傾げて言葉を続けた。

 「娘の安全を最優先に考える。それは素晴らしいことです。
 けれど、娘の気持ちは考えていないのではなくて?

 親として我が子の安全を願う気持ち、それは真っ当なものだわ。
 同時に、娘がどう思っているのか。娘にとっての最善は何なのか。それを共に考えることも、親のあるべき姿ではない?」

 その言葉は、私への援護だ。
 父の言い分は親として正しい。そう理解しているために、私からは言い出しづらいこと。我儘になるのではと口を噤みそうになる内容が、彼女の口から語られる。
 目を逸らさず、きちんと話しなさいというシアなりの優しさだ。
 本当の姉のように慮ってくれる彼女には、感謝の言葉しかない。

 「……それは……」

 シアの話を聞き、父は眉を顰める。思うところはあるのだろう。即座に返答を返すことなく、言葉を探しているようだ。
 話すのならば、今しかない。その思いのままに私は口を開いた。

 「お父様、私は学園に残りたいと思っています」
 「シャーリー!?」

 私の言葉に、父は驚いたように声を上げる。自身の言い分を理解している娘が、真逆の返答をしてきたことに驚いているのだろう。
 それでも、シアが作ってくれたチャンスだ。活かさないわけにはいかない。
 父に従うだけでは、私の願いは叶わないのだから。

 「お父様が私を心配してくれているのは分かります。
 けれど、私はここにいたいのです。決していいことばかりではありません。困ったことだってある。イグニールの侵入という、不確定要素があるのも事実です。

 分かっていてもなお、ここを離れたくない。たくさんの方が力を貸してくれます。大切な友人もいる。

 それに、逃げ出して解決するのかすら、不透明ですから」
 「……どういうことかな?」

 私の言葉に含みを感じたのだろう。父の表情は、瞬時に真剣なものへと変わった。

 「お父様、私を取り巻く環境は、少々複雑なものとなっているのです」

 父へ話していなかった内容を、説明することにした。ブリジット嬢についてだ。
 父がどれだけ知っているかは不明だが、ほぼ知らないだろう。基本的に人付き合いが苦手な人だし、ブリジット嬢の特異性は限られた人間しか知らない。
 コードウェル公爵との晩餐も、ソフィーたちと話をしたときも、父は同席していなかった。知らないままと考える方が自然だ。

 私の知る全てを話した。ブリジット嬢が以前から私を知っていたこと。彼女がなぜか未来の一部を知っていること。彼女が私にかけている疑いまで、全てだ。

 それを語って聞かせるのは、骨が折れることだった。
 なにせ、突拍子もない話だ。ブリジット嬢の思考が理解できない以上、説明も難しい。
 説明とは、自身がその事象を深く理解していなければ満足に行えない。
 にもかかわらず、彼女について説明しようというのだから、困難さは言うまでもないだろう。

 全てを語り終えた頃、室内は静まり返っていた。
 父は突然の情報量に混乱しているようだ。目を白黒とさせる姿に、申し訳なく思う。

 「というわけで、私を取り巻く環境は、非常に厄介な状況なのです」

 そう言葉を結ぶと、父はハッと目を開く。混乱した頭を、必死に切り替えているようだ。

 デイジーに指示を出し、紅茶を淹れ直してもらう。彼女の説明をしているだけで、お茶がすっかり冷えてしまった。説明に時間がかかるほど、ぶっ飛んだ話だという証だ。

 「色々と聞きたいことはあるけれど……まず、シャーリー」
 「はい」

 父の低い声が響く。
 あぁ、これは怒られるかな。そう予感して目を背けたくなった。誰だって怒られたくはない。

 父が怒るのも無理はないのだ。父からすれば、王家もコードウェル公爵家も警戒対象だった。
 だというのに、娘はいつの間にかコードウェル公爵と話をしている。娘の安全に関わる重要な内容を、だ。

 ブリジット嬢の言葉は信憑性に欠けるが、楽観視できない事情もある。未来を一部当てていることに加え、ブリジット嬢自身が信じ切っているためだ。
 彼女は彼女が信じる通りに行動するだろう。入学後の流れから分かるように、彼女の知る未来とやらに私が巻き込まれるのは目に見えている。

 それなのに、私は父に話をしなかった。学園に入学し、顔を合わせる機会がなくなったのも理由の一つではある。
 だが、手紙一つ送らなかったのは私の至らなさゆえだ。父が怒るのも無理はない。

 重い気持ちのまま、父へ視線を向ける。
 黙ることを選んだのは私。責めを負うのも当然だ。諦めて怒られなくては。

 そんな気持ちで顔を上げたけれど、不意に息を飲んだ。
 見上げた先、視界に入った父の表情が、今にも泣き出しそうだったからだ。

 「きっと、シャーリーなりに思うところがあったのだろう。コードウェル公爵令嬢の話は、正直信じることの方が難しい。だからこそ、僕に言わなかったのだと思う。

 けれど、君に関わることならば、ちゃんと話して欲しかった」

 ゆっくりと語られる言葉。私を責めるというよりも、訴えかけているようだった。責められる方が楽だ。そう思うほどに、父の言葉は私の良心を抉っていく。

 「僕は、決して良い父親ではない。社交性もないし、王都の噂にも詳しくない。シャーリーが知っていることの多くを、きっと僕は知らないだろう」

 研究に明け暮れる父。社交性のなさを負い目に思っているのは知っていた。

 私は、父の社交性のなさを然程問題視しなかった。無理して他者と交流させようとも思っていない。
 父の苦手な分野は、私がカバーすればいいからだ。キャバ嬢として培った経験、それを活かして家のために動けばいいと思っていた。

 父が研究に没頭してくれたから、我が家は裕福でいられる。子爵家に過ぎないアクランド家が、覚えめでたいのは父のおかげだ。
 また、父の優秀さに、事業でも助けられてきた。

 適材適所、それでいいと思っていた。その気持ちは今も変わらない。
 けれど、得た情報を自分だけで留めておくか否か、それは慎重に判断するべきだった。もっと慎重に考えていたのなら、父にこんな顔をさせることはなかったのに。

 「シャーリーには、多くのやるべきことがある。普通の子どものような生活もさせてあげられなかった。
 だからこそ、必要以上に早く大人になってしまったのかな。僕が父親として、もっと頼れる存在なら良かったのかもしれない」
 「っ、いえ! それは違います!」

 少なくとも、父が謝ることはない。
 私が子どもらしくないのは、転生していることが主な原因だ。成人済みの精神が宿っているのだ。いかに演技をしようとも、どうしたって普通の子どもよりは大人びてしまう。それは誰のせいでもない。

 たしかに、子どもらしい生活は早い段階で失われた。それとて、決して父のせいではない。
 起業も、聖女として生きることも、私が自分の意思で決めたのだ。外部的な要因があったとはいえ、ただ押し付けられたわけではない。いつだって、私は自分で選択してきたと思っている。

 「私の在り方は、私自身の選択で決めたことです。お父様が悪いことなんて、一つもありません。
 いつだって、お父様は私の意思を優先してくれたではありませんか。
 本当は、聖女になること、それ自体止めたかったのでしょう?」

 覚えている。私が教会へ行くと言ったあの日、父が驚愕の色を浮かべていたことを。私を止めようともしていた。最後は納得し、私の意思を認めてくれたけれど。

 本当は止めたかったはすだ。たった一人の娘、愛する妻の忘れ形見。幼くして離れた場所に行くなど、認めたくなかっただろう。

 それでも、他でもない私の意思だから。父は歯を食いしばって送り出してくれたのだ。

 「お父様に不満など、あるはずもないのです。私は十分によくしてもらっています。大切に育てていただいたことも、分かっているのです。
 その上で、私はお父様に我儘を言いたい」

 唇を噛み、ぐっとこらえる父。私の言いたいことが分かっているのだろう。父にとって聞きたくない言葉であると、私とて理解している。

 それでも、譲れないのだ。ここで安全な場所へ逃げたとして、一体何が待っているだろう。
 そもそも、その先は本当に安全なのか。違う方法で問題を起こされるのではないか。その可能性が拭えない以上、逃げる選択肢などありはしない。

 何よりも、ここには大切な人たちがいる。問題が起きれば心配してくれて、庇ってくれて、共に力を合わせてくれる人たちが。
 それら全てを放り投げ、逃げたいとは思えなかった。

 「私はここに、この学園に残りたい。完全に安全だと言えなくても、それでもここに残りたいのです。
 安全を最優先とするなら、学園を離れることに意味はあるでしょう。
 けれど、離れれば確実に救われるとは限らない。
 ならばここで、助けてくれる人たちの手をとって、日々を歩みたいと思うのです。

 お父様。あなたの手も借りて、私は学園に残りたい」

 父の瞳が開かれる。その瞳に映るのは、ぎこちなく微笑む私の姿だ。
 望む答えを口にできぬ申し訳なさと、我を通したい気持ちがせめぎ合う。そんな心境が如実に現れた笑みだった。

 「力を貸してください、お父様。私がこの学園を、無事に卒業できるように」

 この願いが父を悩ますと知っていて、それでも私は願いを口にするのだ。
 
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