とら×とら

篠瀬白子

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覚悟 1

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正義という言葉を辞書で引くと、正しい意義。また、正しい解釈とでる。
正しいという言葉を辞書で引くと、道理にかなっている。事実に合っている。正確である。道徳・法律・作法などにかなっている。規範や規準に対して乱れたところがない、とでる。

――形や向きがまっすぐである。とも、でる。

だけど実際、正義を振りかざす人間はごまんといても、その中に本当の、世で言う正しい正義というものはなく、人はみな、いつだって悪と戦っているのだ。

そんなことをいつか、テレビで見た。

――ハッ。として意識がどこかから戻る。
重い瞼を開けてみれば、俺の足がそこにあり、背中に冷たいなにかがある。手を動かそうとしても動かない。
辺りを見回せば、いつぞや見たような寂れた廃屋の中らしい。
うしろを見る。錆が剥がれた鉄骨があった。どうやらそれに両手をロープで縛られているらしい。


「……」


いつか来るとは、なんとなく思っていた。
匡子さんが言っていた巻き込まれるってやつだ。
そんなのは実際、カシストで不良たちを見ていて分かってはいたのだ。

だけどまさか……相手が志狼とは。


「……はぁ」


どんな心情から漏れたのか自分でも分からない。
それでも頭を横に振って、顔を上げた。

とりあえず、今は何日で、何時だ?
恐らくあのシュークリームに睡眠薬かなにか入っていたのだろう。それで、あの日から何日、または何時間経った?

そんなことを思惑していれば、おもむろに足音が聞こえた。
どうやら横のほうらしい。そちらに顔を向ければ、煙草をくわえた志狼と、そのうしろに数人の不良たち。
無意識に睨んでしまえば、目が合った志狼が笑った。


「おはよう、気分はどう?」
「……さいてー」
「うん、それは良かった」


いつもと同じように、志狼は笑う。


「さて、と」


笑みを貼り付けたまま、志狼は俺の前にしゃがんだ。
くわえている煙草の灰が、ポトリと落ちる。


「なにを説明すればいい?」
「……全部、だろ」
「うん、分かった」


くいっと上がった志狼の手が、そのうしろにいる不良たちを指す。


「こいつらは小虎のお兄ちゃんが嫌いで、復讐したいって思ってる。で、俺は怨みもないけどそれに手を貸した」
「……」
「で、いつだったかな? 小虎とお兄ちゃんが出かけたとき、あの日にさぁ、喧嘩したでしょ? あれ、わざとなんだ」
「……え?」


あの日……とは、多分俺と玲央がはじめて出かけた日のことだ。
じゃああの二人組の不良が……?


「お兄ちゃんさぁ、弱みってのがなくて。最初は彼女……泉ちゃん? だっけ? あの子を標的にしようとしたんだけど、どうもお兄ちゃんの反応がいまいちでさぁ、餌としては不十分。
で、モデルって職から失脚させるにも、事務所の女社長はお兄ちゃんが不良って分かってるから、脅しにも屈しない」
「それで、俺か?」
「らしいよ? まぁ、俺はそこんとこは関与してないから。小虎がお兄ちゃんと出かけて喧嘩売られる数日前かな? そんくらいにこの復讐に誘われて、乗った」
「……」


ぐるぐる。ぐるぐる。
回る思考が定まらない。頭が、痛い。


「彼女、事務所に脅し。それがもう終わったあとに俺が入って、じゃあ弟はどうかなって様子見するためにわざと一緒のところで喧嘩させてその反応を見た。正直、あまりいい反応ではなかったけど、餌としては十分なんだよ、小虎は」
「……」
「知らないでしょ? お兄ちゃん、彼女とは一度も出かけたことがないんだよ。他の女ともない。隆二? とかは不良やモデルがらみでよく外を歩くけど、昼間っから不良でも仕事でも関係なしに誰かと出かけるなんてね、小虎だけなんだよ」
「……」


不覚にも、その言葉に喜んでしまう自分が悔しくて、俺は志狼の視線から目を逸らした。


「でも……俺は、弟だから」
「うん、だから。弟だから狙ったんじゃん」
「……」


墓穴、というわけではないが、ハッとして息を呑む。


「で、俺はいつ小虎をこうしてやろうか近くで探ってたってわけ。ちょうど今は雄樹たちもいないし、玲央も隆二もモデルの撮影なんだって。豹牙はデスリカで手伝ってるらしいけど、まぁ、まだ知らないだろうねぇ」
「……そう、かよ」
「うん」


だから、それはつまり――。
思うことすら嫌な感情が、ひどく鬱陶しい。
だけど志狼はまた口を開き、言った。


「ね、俺との友達ごっこは楽しかった?」
「……っ」
「玲央たちにわざと喧嘩ふっかけて勝負したのはね、俺が敵だと思うその気持ちを少しでも和らげるため。わざわざ自分から敵ですってアピールするより、少しでも信じた相手が敵だなんて、滑稽でしょ?」
「……」
「小虎と出かけたあの日も、追っかけてきた不良はこいつら。普通おかしいと思うでしょ、あの辺りで急に姿を消したらさ、どっか入ったんだなって考えて、外で待ち伏せするに決まってるじゃん。なのに居なかった。つまりそういうこと」
「……」
「本当はもっと小虎と仲良くなってから実行しようと思ったんだけど、ちょうどタイミングもいいし攫ってみた。――で、気分はどう?」
「……さい、てー」
「そう、良かった」


にこり。笑った志狼が立ち上がる。
ついそれを目で追えば、ひどく冷たい双眸が俺を見つめていた。


「人質ってわけじゃないけど、まぁそこで見てなよ」
「……なにを」
「お兄ちゃんがボロボロになる姿……かな?」
「……」


志狼の口から煙草が落ちる。それを踏みつぶしたあと、彼は背を向けた。
追いかけようにも体の自由はない。下唇を噛みしめた瞬間、頬に走る鈍い痛み。数秒後、自分が蹴られたことを理解すれば、離れたところでこちらを見る志狼と目が合った。

それでも、俺の体は動かなくって、志狼も見つめるだけで動かない。そんな時間が、ただひたすらにつづいた。


「……ら」


真っ黒な闇の中で、俺は誰かに呼ばれていた。
無理に引き戻された意識が悪態をつきながら、ゆっくりと体に戻る。

目を開けたとき、割れた窓から見える空は黒く、自分が気絶していたことを物語っていた。
俺は目の前で煙草を吸いながらしゃがむ志狼を見る。


「おはよ」
「……俺、どんだけ寝てた?」
「んー、頭蹴られて気絶して、五時間くらい?」
「……そうか」


痛い。体が、痛くてだるい。
まるで風邪をひいたみたいに、体の関節が動くことを拒否している。
足は自由なくせして動かないし、腕は縛られて痛いし、手首からはロープが擦れたのか濡れた感じがするし、口の中は……血の味がする。


「実際見て、ちょっと驚いた」
「……え?」
「小虎って、本当に殴られると人形みたいな目、するんだね」
「……」
「痛いとも止めてとも言わないから、みーんな殴ってもつまんないって、早々に出てったよ」
「……そう」
「それが狙いってわけじゃないんでしょ? それともあれ? 無痛症?」
「……いや、普通にいてぇよ、今も正直……口ん中切れてて、辛い」
「そうなんだ」


なにを考えているのか分からない。志狼はただ無表情なまま、つまらなさそうに煙草を吸っている。
その煙が目に入れば、痛さに瞼を強く閉じた。


「ね、なにも言わないの?」
「……なにって、なにを?」
「友達として過ごした時間は嘘なのか、とか?」
「聞いてどうすんだよ」
「……んー、嘆くとか?」
「はっ、それが望みなら泣いてやろうか?」
「えー、なんかそれ、面白くないからいい」


クスクス。やはり志狼は上品に笑う。つられて俺も頬を緩めれば、志狼は汚物でも見るような目を向けてきた。


「ねぇ、そのどうでもいいって顔、止めたら?」
「……は?」


なのにそう言うもんだから、思わず拍子抜け。


「俺と友達になった。裏切られた。そういう風にさぁ、起こった出来事を頭ん中で箇条書きして、それをただ受け入れてるって感じだよね」
「……あはっ、うん、俺もそれ、思う」
「はぁ?」


歪んだ志狼の顔に、無理やり笑みを浮かべる。


「俺、そうなんだよ。なんつーか、物事に関してちゃんと理解できてないっていうか、あとから理解が追いついてくるっていうか……だからさ、多分、終わったあとにあぁ、俺は志狼に裏切られたんだなーって実感するんだよ」
「……」
「ずっとそうなんだよなぁ、なんか。実感が湧くの遅いっていうか、ほんと……面倒くさい性格してるって、自分でも思う」
「……」
「でもさぁ、それって逆に考えれば、そうやって悩むっつーか、実感するまでの時間を味わえるっつーか、ちゃんと実感できるんじゃねぇかって、最近思うようになった」
「……は?」


ガラスの割れた窓から射す、弱い月明かりが雲の隙間から漏れてくる。
その光が志狼を包めば、銀の髪はキラキラと光っていた。


「だからつまり、志狼に裏切られたけど、仲間らしい不良にも殴られたけど、こうして普通に話していられるのはまだ、俺は志狼とダチだって思ってるからだよ」
「……はっ」


光の中で、志狼が鼻で笑う。そんな姿でさえ儚げで、今にも消えそうなのに。


「くっだらねぇ」


なのにお前はそうやって、煩わしいって顔で俺を見るから、そこにいてくれることを実感する。――皮肉だろ?

それから志狼は煙草を地面に吐き捨てて、踏みつぶし、やはりまた、汚物でも見るような目で俺を睨み、去った。
一人残された俺は、ここにきてやっと空腹と喉の渇きを思い出す。一体どれほど飲み食いをしていないのか定かではないが、どうせならまだ思い出したくはなかった。

月明かりが足元を照らす。一応履かされたサンダルを見て笑えば、体の痛みなど気にすることもない。

そういえば、玲央はどうしているだろうか?
もし撮影が終わっているなら、俺が消えたことを不審に思って探しているだろうか?

いや、友達の、志狼のとこに行っていると、またデスリカにでも女を抱きに行っているか?
……ありえるな。


「……ははっ」


思わず声に出して笑ってしまう。あぁ、ちくしょう。なんてことだ、ちくしょうめ。
巻き込まれて、それを今になって実感している。あとになって襲ってきた実感とやら痛みが、ひどく辛い。
いつのまにか視界が霞んで、どうやら俺は泣いているらしい。頬に冷たいそれが伝う。
唇にまで流れてきたそれを舌で舐めとった。うん、しょっぱい。


「……本当、ばっかみてぇ」


顔を上げればそこにはガラスの割れた窓があり、その向こうには星など見えない空がある。けど、驚くほどハッキリと、月だけはその姿を露わにしている。
たまに雲で隠れても、月は必ず顔を出し、いたずらに俺の足元を照らしていく。

……恐ろしいほど、清々しい気分だった。

最近、ちょっとばかし色々あって、どうやら俺は自分で思っている以上に悩んでいたらしい。
それを他人のせいにするつもりは毛頭ないが、腹が立つから玲央には文句の一つや二つ、言ってやる。

あぁ、情けない。こんなくだらない、けど不器用な生き方があるなんて……くだらない。――けど。


「……くそ……っ」


涙が止まらない。誰も見ていないと分かっていながらも、俺は声を殺して泣いた。
いいや、目撃者は一人――月だけが俺を見つめていた。

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