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覚悟 3
しおりを挟む突然のことに固まってしまうが、このままにしておくわけにもいかないし、お腹が空いていることは事実だったので口を動かす。
乾いた口内にはパサパサとしたパンが辛かったが、必死に噛み砕いて飲み込んだ。
すぐに焼きそばパンが出て行き、次にペットボトルの口が突っ込まれた。ごく、ごく、ごく。喉を鳴らして飲みこめば、余計に腹が減ってきた。
「少しは足しになったか?」
「え? ……あ、いや、余計に腹減ったかも」
「安心しろ。まだまだあるからよ」
「え? んごっ!?」
そうして、食べかけの焼きそばパンを一つ、おにぎりを二つ食わされた。
最後にペットボトルにある水を飲み干せば、空腹ではなくなった腹に安堵の息をつく。
落ち着いた状態で入り口を見る。なぜかそれまでいたみんなの姿がない。
「……玲央、あの」
「さて」
ギギィッ。志狼が座っていたパイプ椅子に、玲央が腰を下ろした。
「俺に聞きたいことがあんだろ? 言えよ」
なんてふんぞり返るものだから、落ち着いた脳が思わず「なんでやねん」なんて突っ込みを入れる。
だけどそれを理解して、自分が助かったことを実感すれば、そんな玲央に口を開いていた。
「玲央は、こうなるって知ってたの?」
「当然だろ。てめぇが銀狼と知り合ったときから、銀狼たちの計画は知っていた」
「……じゃあ、えと……なんで?」
「なにに対してだよ。まぁ、どうせなんで知ってて放置したかって聞きてぇんだろ? てめぇが銀狼の友達だって言ったから、だな」
「……え、あの」
落ち着け。そう思っているくせに落ち着くことがない。当然だ。
最初から最後まで振り回されて、落ち着いてくださいと言う方が無理な話なんだ。
なのに玲央は軽く息を吐き、俺をまっすぐ見つめる。実際は玲央がパイプ椅子に座っているから、どうしても見下ろされるのだけれど。
「仮によ、俺と銀狼がデスリカで話していたあのとき、てめぇに理由も告げずつるむなっつったところで、てめぇは素直に聞いたか?」
「……聞いてない」
「じゃあ理由を話したとして、それなら素直に聞いたか?」
「……聞かない」
「そんで今、巻き込まれたお前をすぐに助けてよ、てめぇはそれで納得したか?」
「…………納得……しない」
「だろうな」
フッ、微笑む玲央の顔を凝視する。
つまり、だから。
玲央は志狼たちが計画していたこのことを最初から知っていて、だけど俺と志狼は知り合ってしまって、それがダメだと説明しても「ダチだから」なんて俺が首を突っ込まないわけがないと踏んで、今に至った?
……じゃあ、
「じゃあなんで、志狼と知り合う前から……その、」
「ちょうどいい機会だと思った」
「……え?」
信じていたい愚かな自分の声とは違って、玲央の声はどこまでも凛としている。
迷いがないのだろう、だから、しっかりとした声なんだ。
「お前はよ、俺に理想の兄貴像を重ねようとしてんだろ。けど現実はそうじゃない。うすうす気づいてはいたが、決定打がなかった。だろ?」
「…………」
「俺は正直、そんなことされちゃあ気持ち良くねぇし、はっきり言ってうざってぇ」
「……うん」
「だからお前が思っている兄貴とは違うんだと、わざと銀狼を巻き込む形でブラックマリアのゲームを見せた」
「……」
言葉が出ずに口を閉ざす。それでも玲央の声だけは、ただただしっかりとしていた。
「結局は暴力を奮う俺を見て、お前が失望してくれりゃそれで良かったのかもしんねぇ。けど、お前は俺の考えとは違う答えを出した。予想外だったけどな、そっちのほうが嬉しかった」
「……ん」
「でも、それを踏まえても、だ。俺はこの県で一番と言われたチームのトップだ。お前の兄であり、県内一のチーム総長だ」
「……うん」
まっすぐに降り注ぐ言葉の一つ一つが重い。
だけど現実である以上、目を逸らすことはできない。
「そうなりゃ遅かれ早かれ、お前がこうして俺のせいで巻き込まれるのは目に見えていた。だから、ちょうどいい機会だと思ったんだよ」
「……身をもって、知れってこと?」
「あぁ、そうだ」
グルグル。また思考が回って巡る。
それでも嫌な感じにならないのは、きっと。
「小虎」
「……え?」
「今の内だぜ、不良辞めろって言うなら、今の内だ」
「……」
――ゾッとした。
この人は、こうなると分かっていて、その中で俺がどうなるかも予想して、その全てを分かっていながらなお、それを実行した。
だけどその背景には頑なに筋を通した思いがあり、それは他の誰でもない――自分と、俺の為なんだ。
俺が兄貴面をかませといったあの日から、もしかしたら玲央は悩んでいたのかもしれない。
いまさらどう接すればいいのかも、俺にどう接されても困るだろうし、俺は俺で家族ってもんに目が眩んで一人で突っ走る。
きっと俺が思う以上に、俺の目はキラキラと輝きながら玲央を見ていたのだろう。お前は俺の、兄貴だろう、と。
だけど俺と玲央には五年の余白があって、暴力という時間もあって、正直、並大抵のことで済まされる問題ではない。そんなものがあいだにある。
なのに俺が綺麗ごとを盾に偽善的なことを言うから、玲央は余計に腹が立ったのだろう。
五年という俺の知らない時間で変わった玲央の、兄の姿はそんなものではない、と。
「……」
「……」
だから、玲央はその全てが分かるように、わざと俺を巻き込んだ。
そして巻き込んだことを悪と分かっているからこそ、今俺に言っている。
俺が不良を辞めろと言ったら、辞める覚悟があるのだと。
「……」
「……」
そして多分、本当に不良を辞めたなら、今度こそ俺のいう兄貴面をかます気なんだ。
「……や、」
なら、答えは決まってる。
「辞めなくて、いい」
「…………へぇ?」
もしも俺の考えが当たっていたとして、それが事実であったとしても、それはそれだ。
俺はなにも玲央に我慢してまで兄貴面をかまして欲しいわけじゃない。
そりゃ、互いにもう子供ではないのだから、仲良く手を繋いでお買いもの、なんてことは願わない。
でも、甘えたいし、頼りたいし、なにかあったとき、一番に叱って欲しい。
「俺は、別に玲央が不良やってて、それで巻き込まれても平気だよ。だって、それは俺が玲央の弟だから仕方ないんだろ?」
「……まぁ、そうだろうな」
「あ、でもそうじゃなくて、なんていうか、だからな、俺も我慢しねぇし、だから玲央にも我慢して欲しくないんだ。そりゃ応援する気はないし、喧嘩とか見てて痛々しいけど、でも」
でも、だからって無理して兄貴面なんか、かまして欲しいわけじゃない。
「玲央の居場所を減らしてまで、弟として我儘を言うつもりはないんだ」
「……」
「だからって、まぁ、我儘ばっかりも困るけどな」
ははっ。笑ってしまえば軽いもので、俺の気持ちはふわふわと空に浮いたように身軽なものになっていく。
視界にいる玲央はそんな俺に驚きもせず、ただ優しげな笑みを浮かべていた。
「……本当は、お前がそう言うことも予想できていた」
「……え?」
「俺がお前に甘えるなんて筋違いだろうけどよ、だがな、お前はそうして俺を立てようとするから、そこに甘えてんだろうな、俺は」
「……」
甘えている。その言葉が玲央の口から出てきたことにも驚いているが、そうして口に出すその行為にこそ俺は驚いていた。
でも、でもな、玲央。
「それって、悪いことなの?」
「……さぁな。普通の兄弟ならなにも悪くはねぇだろうけど、俺とお前の場合は違うからな、筋違いだろうよ」
「……普通じゃなきゃ、甘えることも甘やかすこともしちゃ……ダメなの?」
「いいや。それは俺とお前が決めることだ」
「……なら、」
なら、俺は。
「俺は、玲央に甘えたいって思ってる。頼りたいし、たまには褒めて欲しい。でも、ちゃんと叱っても欲しい。それと同じように、俺は玲央にそうしたい、そうできる人間になりたい」
「……あぁ」
「玲央、あのさ、色々聞いていいかな?」
「あぁ、なんだ」
たとえばの話だけど、俺が思っている疑問の数々が思い違いでも勘違いでもなくて、〝その通り〟だとしたら、きっと悲しい反面、嬉しいと思うんだ。
「なんで……玲央は、総長になったの?」
「前の総長を潰して司に誘われたから、だな」
「……じゃあ、総長になって最初の頃、少人数で活動してたのは?」
「ブラックマリアってのは、お前も聞いただろうが司が作った馬鹿なチームなんだよ。
誰でも入ることができるし、いつでも抜けることができる。一種の力試しができる場でもある。
俺はそんなことに興味もなかった。だが、俺がブラックマリアに入った当時は総長がゲーム好きで、正直うざかったんだよ。だから俺のときは最初、少人数にしていた」
「じゃあ、なんで増やした?」
「司がそう指示したんだよ。その頃になりゃどうでも良かったからな。チームの人数が増えようと減ろうと、俺は喧嘩さえできりゃあそれで良かった」
「……ゲームって、玲央が総長になってどんくらいやった?」
「……最初は俺の意志で少人数にしていた。そのほうが楽だからな、でもそこから増やして、我儘言うやつが多くなって腹が立ってやった。
それ以降はチームのやつらがなにか問題を起こしたとき、不満が募った時だな」
「それって……さ」
「あぁ、最初は俺の意志じゃねぇな。ただ感情のまま起こしたもんだよ。けど問題を起こした時……雄樹のとき、隆二のときは違う。ゲームのときは総長や副総長なんて地位は関係なく誰が誰を殴っても文句は言われない。
だから問題が起きて苛立ってる不良どもを言葉で叱るよりも、手っ取り早いと思ったからやった。文句があるなら直接本人を殴って言え、ってな。
お前が立ち会ったときは銀狼を騙すための罠だがな」
「……雄樹のこと、追放にしたのはその、雄樹の為だろ? でも、隆二さんは」
「雄樹のときはそれがアイツのためになると思ったからだ。俺だってなにも雄樹と仁が好き合ってることに文句はねぇよ。けどな、ことあるごとにゲームなんかやるチームにいてみろ、気苦労が絶えないどころじゃねぇだろ。
隆二の場合は立場だな。アイツは副総長だ。役割があるんだよ、だから無理に残す形にした。まぁ、隆二だってまだ残っていたいのは目に見えていたしな」
「……じゃあ、じゃあさ」
ずっと、ずっと聞けなかったこと、聞いてもいい?
「なんで……なんで俺のこと、引き取ってくれたの? 俺のこと、うざいって殴ってたのに、言うこと聞いてくれたの?」
「……お前を引き取ったのは、お袋の遺言だったからだ。……けど、それだけじゃねぇよ」
「……え?」
静かに微笑む玲央がそっと、息を吐いた。
「もしお前を引き取らなければもう一生、俺たちは会うことがなかっただろうな。けど、俺はそれが嫌だった。お前は覚えてねぇだろうけどよ、俺とお袋が家を出て行くとき、お前、すげぇ面して俺を見てたんだよ。それが忘れられなかった。ずっと俺の心ん中に居座って、罪の意識を日に日に増やしていきやがった。だから、お前を引き取ればそれも納まるかと思ったが……些細なことにイラだって殴れば、以前よりもひどいお前がいた」
「……だから、俺の言うこと聞いてくれ、た?」
「かもしれねぇ。けど、俺にもまだ兄貴としての優しさってのがあったのなら、可愛い弟の頼みだから聞いてやったのかもしんねぇな?」
「……っ」
どこか悪い笑みを浮かべる玲央を睨む。
茶化しているわけではない。多分、本音しか語っていない。
だから、余計に恥ずかしい。
「可愛いとか、思ってんのかよ」
「思ってるぜ? 俺なりに、だがな」
「……っ」
自分で罠にはまったようで、さらに顔が赤くなる。ちくしょう、玲央のくせに。
「……」
「他にはねぇのか? なんでも答えてやるぞ?」
「…………ううん、いい。それより、さ、少し聞いて欲しいんだ。ちょっと、や、すっげーくさいこと言うかもしんねぇけど、聞いて」
「あぁ、分かった」
玲央が自分勝手なくせに周りを見てるってことは、こうして普通に話せるようになって知ったんだ。
それと同じように、家以外での玲央を見る機会も増して、悩んで、喜んだ。
だけどそのすべてが苦しくなるくらい、俺の頭を痛めてくる。
「俺、本当は怖いんだ。殴られると、蹴られると、痛いって知ってるから、暴力はまだ、怖い。
だから玲央が不良チームの総長として喧嘩するのを見て、思い出したくもないことを色々思い出したし、必要もないのに重ねて見てたんだ。
でも、玲央は、俺の兄貴は理由なく暴力を奮う人間じゃないって思いたかった。
前に不良たちがカシストで乱闘したあのときもさ、雄樹の頬引っ叩いたとき、あれは自分のためだった。
玲央が見て見ぬふりするわけねぇだろって、俺の友達である雄樹がんなこと言うわけないだろって。
俺はさ、玲央が言った通り、自分のことしか考えてない。他人を思うふりして、結局は自分の我を通そうとずる賢く生きてんだ。
でも、そんな俺にも雄樹は笑いかけてくれる。その恋人の仁さんも、一歩引いたところから見守ってくれる。カシストにはお粥目当てに来てくれる不良だっている。
俺はそういう人たちに囲まれて、優しさに触れて、だから玲央と普通になりたいって今まで頑張ってこれたんだ。
逃げ場所があったから、俺は玲央に冷たくされても平気な顔して、でも必死に立ち向かうことができた。
でも、そんな逃げ場所であるみんなにも、人と比べることができない過去があるんだって、最近分かってきた。
傷の舐めあいなんてしないけど、支えあって生きてるんだって、最近分かったんだ。
みんな、一人で自分の為に生きてるけど、でも絶対に一人で生きてるわけじゃないって、知ったんだよ」
自然に浮かんだ笑みをそのまま玲央に向ければ、金の獅子は髪を輝かせながら穏やかに微笑んでいる。
「カシストで過ごしてるとさ、不良たちがそんな過去に押しつぶされそうになって、辛いって、嫌だって、そう叫ぶ場所がないから非行に走るんだって、話してるうちに分かっちゃうんだ。ほどされたわけじゃねぇけど、結局それって、俺と一緒だろ?
家とか、学校とか、バイト先とか、とにかく色んなところで自分の居場所が見いだせなくて、辛くて悲しくて、どこにぶつけていいのか分かんない憤りを発散させるために、夜の街ほっつきあるいたり、同じようなやつ殴ったり、喫煙したり、浴びるように酒飲んだりするんだろ?
それってさ、両親亡くして、一人になりたくない俺が玲央にすがるのと一緒だろ?」
「……そうかもな」
「うん、だから、だからさ。
俺、正直怖いけど、でも、そんな不器用な生き方して、なのに人の心配したりするお人好しな不良が、玲央たちが、好きなんだ。――好きに、なったんだ」
はぁっ、と漏れた息が重い。けど目の前にいる玲央が笑ってくれるから、俺の思いは止まらない。
「確かに暴力は嫌いだし、俺は絶対にそんなものはしたくない。だから玲央が不良として喧嘩することを応援することは絶対にしないけど、でも否定もしたくないんだ。不良たちがそうして不器用に生きてること、否定したくないんだ」
「……」
「だから、だからな? 俺、なりたいんだよ。
そうやって不器用に生きてるアンタらが、ちょっとでも休める場所になりたい。
俺のお粥なんかで一体なにが救えんだって話だけど、でも、疲れたときに休んでもらえるような、そんな場所になりたいんだ」
「……」
「それと同じように、玲央が外でどんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、隠し事してても、家に帰ってきたらそれ全部吹っ飛ぶような、そんな家族に、家に、俺はいたい。
一方にすがるんじゃなくて、互いに支えあって競い合って、たまに喧嘩するような、そんな家族になりたいんだ……っ」
ぽたり。ついに決壊した涙腺が涙を落とした。
でも、目の前の獣は穏やかに微笑んでくれるから、俺の頬も緩んでしまう。
「だから、だから玲央……っ、ねがいっ……たす、けて……っ」
みっともなく涙をボロボロこぼしながら、笑ってそう言う俺の姿はさぞ滑稽だろう。
だけど玲央がなにも言わず立ち上がり、俺の両手を縛る縄を解いたとき、その全てがどうでも良くなった。
「ったく、いつ助けてって言うのか心配させんなよ」
「だって……言えない、だろっ」
「ばーか。言えばいいんだよ。お前が言えば、この俺が動いてやるんだから素直に言え」
「うん……っ、りがと、玲央」
「どういたしまして。で? 次はどうすりゃいい?」
そう言って、微笑む玲央が俺の涙を強引に拭ってくる。
すぐにでもその逞しい体に抱き着きたいところだが、それじゃあ意味がない。
「待ってて。家で、待ってて。俺、ちゃんと自分の足で家に、帰るから……だから、帰ったらおかえりって、言って」
「……あぁ、分かった」
もう一度、強引に拭ってきた玲央が立ち上がる。
迷いのない足取りで出入り口へ向かえば、振り向くことなく姿が消えた。しばらくしてバイクの音が鳴れば、玲央が帰っていったことが分かる。
俺は立ち上がるために力を入れた。だけど当然、座りっぱなしだった体が言うことを聞くはずもなく、すぐに地面へと倒れてしまう。
頬が擦れた気もするし、腕もガラス破片で切れたかもしれない。それでも地面に手をつき、必死に立ち上がる。
ずっと俺を捕えていた鉄骨を支えに立ち上がれば、情けないことに足が震えている。
当然だ。物だってろくに食べていないし、喉だって乾いたままだったんだ。
でも、足を動かせばなんとか歩ける。玲央が少し食べさせてくれて、飲ませてくれたからだ。
大丈夫、俺はちゃんと、自分の足で帰る。
「……っ」
少し戻ってきた感覚が切れない内に外へ出た。
昼頃なんだろうか、太陽がさんさんとその日差しを浴びせてくる。
「……よしっ」
ざりっ、ざっ、ざり、ざり。
明らかに正常ではない動きを、どこか別の場所で見れることができたら、きっと俺は笑ってしまうだろう。
それくらい情けない足取りでも、俺は帰るんだ。帰る場所がある、帰りを待つ人がいる。
きっと玲央は分かってくれたんだろう。
俺が助けを求めた本当の意味が、分かったんだろう。
家族ってものをただ盲信的に追っていたが、それが一体どんなものかよく分からないことを最近、俺は気づかされた。
よくよく考えればそれはただの肩書なのかもしれないし、血の関係をあらわすだけの表札のようなものなのかもしれない。
だから、必死に追い続けた家族、兄弟像というものがひどく曖昧で、ひどくおぼろげであることが途端に怖くなったのだ。
そんな曖昧なものを振りかざし、弟面をかます自分自身に得体の知れなさを感じた。
俺の頭は人より若干、いや、かなりテンポの遅れた動作をしている。
事が起こって終わったあとにやっと実感するくらいのテンポの遅れがある。
それはひどく恐ろしいことだ。
終わったあとでは全てが遅い。そう、遅いんだ。
だからいつも後悔して、歯を食いしばって、でも自分の知人を理由に自分自身を守っている。
逃げ場所を作っている。慰めを期待している。甘えることを望んでいる。ただ盲目に、家族像を追っている。
家族とはこうあるべきだ。友達とはこうあるべきだ。
そんなどこで仕入れたかも分からない知識を振りかざし、それを盾に正論にもなれないそれを振り回す。
俺は、そうやって生きてきた。
なのに、そんな俺に周りはいつも笑ってくれた。優しくしてくれた。頭を撫でて、抱きしめてくれる。
俺がそんな彼らになにを返せただろう? いいやなにも、返せちゃいねぇ。
「……くっ」
住宅街の塀に手をつき、アスファルトの上に膝をつく。
それでも今の俺には、強い日差しをぶつける太陽よりも確かな思いがある。
ぐっと力を込めて立ち上がる。しゃんとしろ。男だろ。
――だから俺は、そんな周りに劣らない人間になりたいと、そう思った。
玲央のことを知れば知るほど、俺は被害者である意識が和らいでいく。
もともとその意識はゼロにも近いが、暴力を奮われていた、という確かな過去が俺の逃げ場所であることもまた、事実だ。
だけどそれを理由に優しくされるのは癪だ。それを理由に同情されるのも癪だ。
そんなことを頭の隅でつつきながら、俺は周りのそうではない優しさに触れてきた。
なぁ、玲央。俺、分かんなくなったんだ。
家族って、兄弟って、なんなんだろうな。なぁ、分かんねぇよ。
でもさ、家の外で辛いことがあっても、家に帰ってくれば安心するような、そんなありふれたものこそが、家族なんじゃねぇかな。
それって家じゃなくても、俺だったらカシストとか、玲央だったらデスリカとか、そういう場所でも代わるわけだろう?
ならさ、家族ってのはきっと――格好つける必要のない場所、なんじゃねぇのかな?
ボロボロんなっても、めちゃくちゃんなっても、辛くて、生きるのが辛いって泣いても、今日は幸せだったって笑っても、一人は寂しいって愚痴っても、それを黙って聞いてくれるような、そんな場所こそが家族なんじゃねぇのかな?
なぁ、どうなんだろう?
でも俺、そんな支えになってくれるみんなに、ただ寄り添って甘い蜜吸って、情けない夢を見ていたいわけじゃない。
俺も支えになりたいんだ。そうしてくれるみんなの、玲央の支えになりたいんだ。
俺じゃ役に立たないかもしれない。けど、なにも言わなくてもただ側にいて、安心できるような支えになりたいんだ。
だから、その代わりってわけじゃないけど、俺のことも支えて欲しい。
辛いことや悲しいことがあったとき、支えて欲しい。でもな、ただ支えられるのは嫌なんだ。
支えあっていたいんだ。
だから甘えるために体だって張るし、甘やかすためにうんと辛抱もしてやる。
だから、だからな、玲央。
帰る場所があるんだって、俺に教えてくれ。
やっとの思いでマンションの前までやってくると、安心したせいで力が抜けてしまう。
それでもまだ頑張らなくちゃいけないと、足を踏み出しては重い息を吐いた。
エレベーターに乗り込む。乗り合わせたマンションの住人が腫れ物でも見るような目で俺を見ているが、今の俺にそれを気づかう余裕はない。
俺と玲央の家がある九階についた。もう少し、もう少しだ。
いつものくせでポケットにある鍵を探し出せば、同時に携帯も出てきた。
捕えたくせに携帯を取らなかった志狼に微笑み、玄関のノブを回した。
玄関に足を踏み入れた瞬間、俺の視界に入ったのは金の獅子。黄金の、獅子。
膝をつく。ついに我慢ができずに嘔吐する。胃酸が玄関に悪臭を漂わせた。
「おせぇよ、馬鹿トラ――おかえり」
「……うぇっ……う、ただ、ま……馬鹿れお」
吐き出しながら笑ってやれば、玲央はニッと笑ってくれた。
そしたらぶわっと涙が溢れて、空腹も喉の渇きも、吐いたせいで狂いそうな嗚咽も全部がどうでもよくなって、俺は声を荒げた。
「お、えっ、ほんと、はっ、怖かったん、だよっ」
「あぁ」
「あの、ままっ、玲央がこなくて、もっ、帰るつもりだったっ、けっ、ど、やっぱり、ふあんだった、んだ」
「あぁ」
「だからっ、だから玲央っ、俺っ、おえ……っ!」
「分かってる。ちゃんと帰って来れたじゃねぇか、なぁ。お前は情けねぇ奴じゃねぇよ。仮に誰かがお前を悪く言うなら、この俺が代わりに殴ってやる」
「ばっ、か……いらね、よ……っ」
優しく微笑む玲央が、悪臭にも嘔吐物にも目を向けず、ただ真っ直ぐ俺を見たまま横にしゃがんでくる。
汚物にまみれた俺の頭を撫で、涙を拭ってくれる。
なぁ、玲央、俺――。
「おら、とりあえずトイレで吐け。ここは片付けておくからよ」
「ん……っ」
「歩けるか? 無理なら運ぶぞ?」
「ん、だいじょ、ぶ……」
背中を擦った玲央が俺の脇腹を持って立ち上がらせた。
その勢いが消える前に壁に手をつき、トイレまで這うように向かう。
便器を前に膝をついて、すぐにこみ上げてきたものを吐き出して、一緒になって零れる涙もそこに落とした。
途端に体の力が抜けていき、便器につかまるようにして意識を漂わせていると、玄関のほうから水音やなにかを拭く音が聞こえてきた。
本当に片付けているのか……そう思いながら落ちそうな意識がふわり、ふわりと飛んでいる。
しばらくして、片付け終えただろう玲央が開けっ放しのトイレを覗いてきた。
俺は半分気を失っていって、体が浮いたこともどこかへ運ばれていたことも曖昧だった。
「おい、脱がすぞ」
「……ん」
必死について行こうとする意識が空中を舞っている。
着ていたTシャツの裾を持たれたとき、その意識たちが慌てて戻ってきた。
すぐさま玲央の手を押さえ、苦笑を浮かべる。
「ごめ、俺やる、から」
「あ? 自分でやれんのか?」
「ん。大丈夫、吐いたら落ち着いた……それよりさ、風呂入ってるうちにご飯とか、作ってくれると嬉しいな……なんて」
「へいへい」
ぐしゃり。Tシャツの裾から手を離した玲央が、そのまま俺の頭を撫でる。
もっとそうしていたいと思う反面、正常さを取り戻してきた脳が悪臭を察知して、玲央を追い出してすぐさま浴室へと駆け込んだ。
はぁー……。深いため息を吐いて、頭からシャワーを浴びる。
嘔吐物の臭いだけではない自分の体を念入りに洗って上がる頃には、すっかり頭も冴えていた。
いまさらになって照れてしまう自分のニヤけ顔をなんとか抑えてリビングに行けば、テーブルの上にはオムライスが一つ。
ダイニングテーブルを囲うイスに座る玲央が、俺に気づいてこちらを向いた。
「髪乾かしてから食えよ」
「……おう」
やはり照れてしまう俺とは違って、玲央はなんでもお見通しだと笑った。
「一緒に寝てやろうか?」
「ぶふっ!?」
やはりしょっぱい玲央お手製のオムライスを食べ終えたあと、向かえ側に座るやつがニヤニヤしながらそう言った。
大袈裟なリアクションをする俺に目もくれず、やつはまだニヤニヤと笑っていやがる。
「な、なに、突然……」
「いや、昔のこと思い出してな。お前よぉ、よく俺と寝てぇ寝てぇ言っててよ、ダメだっつっても気付いたときに寝てんだよな、隣で」
「……そう、だっけ?」
「あぁ、そうだよ」
くくっ。喉を鳴らして笑う獣に、顔を赤くしながら見とれてしまう。
これほど感情豊かなときを見てきただろうか、いいや、ない。
優しい玲央も、微笑む玲央も、今まで見てきたどの玲央でもない。
「おいおい、冗談だぞ? 笑って流せよ、そこは」
「う……、ちが……」
「あん? じゃあなに、俺と寝てぇの?」
「……や、それはそれで、キモイだろ」
想像して望む反面、絵面的にありえなくてげんなり。
そうかい。そう言った玲央が食器を片付けてしまう。
そのまま洗い物をはじめた玲央にそわそわとした視線を送るが、やつの視線は洗い物しか見ていない。
このまま素直に言ってしまうのもなんだか癪で、だけど素直になりたい自分がイスから離れない。
洗い物を終えた玲央がタオルで手を拭いている。
きっとそのままソファーにでも行って、煙草でも吸いながらテレビを見るのだろう。
踏ん切りがついて立ち上がった瞬間、ドアの開く音がした。
見上げた先には、自分の部屋を背にして腕を組み、壁に背をつけ微笑む玲央の姿。
「馬鹿トラ、これが最後のチャンスだぜ? さぁ、どうする?」
「――……っ!」
やはり、玲央には敵わない。
どんなに虚勢を張ったところで、玲央にとってそれはただの威嚇と一緒で、蚊に刺されたようなものでしかないのだろう。
でもな、玲央。蚊に刺されたあとってのは、結構面倒だろ?
俺もな、それと一緒なんだよ、知ってるだろうけど。
俺は得意げに笑う玲央のほうへ駆け寄り、そのままその体に抱き着いた。
なんてことない態度で玲央が俺を抱き上げる。呆然としている間もなく、ベットへと落とされた。
すぐに横へと玲央が倒れて、腕枕なるものをされてしまったときにゃあ心臓が破裂するかと思ったね。
「れれ、れお、玲央。あの、腕枕はその、どうなんですかね!?」
「うっせー。黙って寝ろ」
ぎゅむ。厚い胸板に顔を押し付けられて、ドキドキと心臓が痛い。
それでも嗅ぎ慣れた玲央の香りに落ち着けば、睡魔はすぐにでも現れた。
ぎこちない手つきで玲央の服を握る。
「玲央……ありがと…………好き」
「知ってる」
ふぁあ。欠伸をした玲央が俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
そのまま微笑んで目を瞑れば、夢の世界はすぐそこにあった。
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番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
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お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
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✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。
オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
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