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子供 3
しおりを挟む葉擦れの音が聞こえる。ぼうっと向こう側を見ているのに、その景色がどんなものかを脳は認識していない。
病院の中庭にあるベンチの上で、俺と志狼は並んで腰を下ろしていた。手には、買ってもらったあの緑茶パックが握られている。
なにか話すべきなのだろうか。そう思惑することはできるのだが、どうやらそれ以上のことを処理するだけの容量が、今の俺にはないらしい。
「……」
「……」
ザァッと風に吹かれた葉が騒ぐ。はらりと数枚落ちていく様を捕らえた。
一瞬でも気を抜けば、まるで向こう側で泣きわめく子供のように、ありのままの自分が飛び出しそうだった。
「ね、君たち」
そんなとき、ふと後ろから声がした。
なにげなく振り向いてみれば、そこにはマリちゃんと呼ばれた看護師が、少しだけ苦笑を浮かべて立っている。
「魂抜けた顔しちゃって……、お疲れ様、とでも言えばいいのかな? まぁ、なんていうか……頑張ったね」
頑張ったね。その言葉が妙に胸を打つ。
普段なにげなく使っているありふれたはずの言葉なのに、今の俺には、いや、志狼にはそれだけが今まさに存在している言葉のように思えた。
「……梶原さんさぁ……元々は、目の見える人だったの。でもそれが見えなくなって……私たちからすれば、それって想像できても実際はそれだけ。なんにも見えない恐怖なんて分からない。
なのにあの人、孫が来るからって、毎日毎日……売店に行ってジュースを買おうとするの。いいリハビリになるからって……」
ついに心の中でくすぶっていたなにかが弾けた。向こう側で泣きわめく子供の声が、一層激しさを増す。
「愛されてるって、残酷な瞬間に気づくものよね。でもさぁ……その残酷な時間も、きっと必要なんだろうね」
そう告げた彼女が、少しだけ足早に子供の元へと向かって行った。
彼女が去ったあとの空気は異様なものだった。
悪いわけではない、きっと良いほうなんだと思う。だけどそれを言葉にして表すことは難しくて、見合うだけの単語が脳内にあるわけでもなくて――ただどうしようもなく、なにかにわめきたくなるような曖昧な感情がズシンとあぐらを掻いている。
焦った感情に急かされて志狼のほうを見ると、彼もまた、同じよう急かされたように俺を見ていた。
しばらくお互いの視線が交じり合ったあと、一度だけ目を伏せた志狼が呟く。
「……逃げてきたんだ」
「え?」
「ほん、とは……耐えられなかった、だけで。親の期待に応えたくて、でも自分が目指したいものとか、そういう色んなもんが混ざって、だから、俺は……っ」
勢いよく頭を振った志狼がこちらを見る。
「そういうプレッシャーに耐えられなくて逃げたんだ……っ! 相談できる友達だっていなかった、一人で抱え込むことしか知らなかった、相談して、親に失望されるのが怖かった……っ!
だから、そんなときに形だけでも友達だって思ってるアイツらに裏切られて、俺は……、俺は……っ!」
懇願するような必死な視線に感情が雪崩れ込んでくるのが分かる。
思わず握った手が想像以上に冷たくて、泣き出したくなった。
「形だけでも、友達だったんだ……。小虎と雄樹みたいな、馬鹿やれる友達じゃなかったけど、でも、友達だったんだ……。
分かってる。アイツらのせいにするのはお門違いだって、結局、俺が弱かったから……っ」
「……弱い?」
「そう、弱かった。だから、逃げ出すことしか選べなかった――選ばなかった」
握った両手が握りかえされる。
痛い、握りかえされた手が痛い。冷たくて、どこまでも刺々しいそれが、あまりにもはっきりとした激情だからこそ、こんなにも冷たくて――だけどそれ以上に熱いから。
「だからここに、あの人の元でしばらく過ごせって言われたとき……あぁ捨てられたんだなって、漠然とそう思ったんだ……。
認めたくなかった。だけど逃げ出したことを認めるのも嫌だった……」
「……」
「……だから俺……、俺、本当……なに、してんだろ……ははっ」
「……」
「……だっせぇよな……笑えよ」
先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか。しなしなと力が抜けていく志狼の体が小さく見える。同時に俯いていくから、余計に。
そしたらなんだか急に俺の力も抜けて、でもそんなこと、あっちゃいけなくて。
「笑わねぇよ」
「……え?」
「笑えねぇよ」
抜けていく力を無理やり留めて口を開く。
見ていただけの俺にもはっきりと分かったことがある。
それはやっぱり、子供と大人の違いはただどうしようもなくかけ離れているってこと。
「なぁ志狼、俺たちはさ、どんなに大人ぶったって結局子供なんだよ。それはどう足掻いても覆せない。だから、俺たちは間違ってもいいんだと思う」
「……」
「間違ってもさ、それが間違いだって言ってくれるのが大人なんだよ。
俺、今日見てて思ったなぁ……あぁ志狼はなんて幸せなやつなんだろって、皮肉とかじゃなくて、本当にさ。
志狼は捨てられたって言ったけど、俺は梶原さん……あ、えと志狼のおばあちゃんの考えは当たってると思う。
多分さ、志狼とそっくりなんだよ、志狼の両親は」
「……そっくり」
「――うん。全部自分の中に溜め込んで、結局最後、爆発しちゃう……なんて言ったら、志狼にも志狼の両親にも失礼だけどな」
悪い。一言だけ付け加えて笑うと、志狼は目を丸くして、そのまま呆然と俺を見つめていた。
「前にも俺、言ったけどさ。やっぱり志狼は俺の憧れなんだ。普段めったに顔にも出さなくて、でもちゃんと気を使えて、優しくて。それってさ、志狼一人が作り上げたものじゃない。志狼の両親が、志狼の周りの人たちが、たくさんたくさん愛情をかけてくれたからこそ、今の志狼があるんだって思うんだ。だから志狼は幸せなんだなぁって、俺、思うんだよ」
「……」
「そんな志狼を、どうして俺が笑えると思う? なぁ志狼、志狼のことを笑っていいのは、志狼だけだ」
「……」
留めていた力が急激に増していくのが分かった。
志狼のことを羨ましいと思ってしまう自分が、どう足掻いても存在してしまうことを俺自身分かっていたから。
「過ぎたことにとやかく口を挟むことはできない。志狼のことを笑ったやつらを怒鳴りにも行けない。俺は、やっぱりカシストでお粥でも作って、お前が来てくれるのを待つことくらいしかできないけど……それでも、こうして励ましにもならない言葉しか送れないけど、でも、でもな」
ぐっと力を込める。
そうでもしなきゃ、お前は愛されてるんだって、志狼に叫んでしまいそうで怖かった。
「でも、だからこそ、俺は志狼のこと……笑わねぇよ」
彼女と志狼の間にある家族というものを見た今、俺は少し感化されているのだろうか。
この言いようのない高鳴りの正体を暴くつもりはないが、忘れてもいたくない。
なぁ志狼、自分のことを弱いと言える人間を笑えるやつがいたとしたら、それは自分も含めてきっと、誰もいないと思うよ。
くすんでいた志狼の双眸が、そっと光を受けて色づいていくような気がした。
駅前で別れて帰路につく。
この感情の正体を誰かに聞いて欲しかった。いや、誰かなんて曖昧なものではく、相手は一人しかいなかった。
「あれ?」
珍しいこともあるものだ。部屋に明かりが点いている。
夏休みだからとモデルの仕事が増えた玲央が、俺より先に家にいるのは珍しかった。
その上、まだ時計の針は18:39。
途端にうずいてきた体を曖昧な感情で誤魔化してエレベーターに乗り込む。
頭の隅でなにを作ろうかと考えながら、必死に言葉を繕っていた。
部屋の前までくる。試しにノブを回せば、すんなりと扉は開いた。
「ただいまー」
あれから二度目の「ただいま」と言える立場に嬉しさを覚える反面、俺の緊張は最大に達していた。
リビングに入ると、ソファーで寝転んでいる玲央が見える。なんだ、寝てたのか。――まぁ別に、なにも期待はしてなかったけど。
「玲央?」
一応声をかけてみたが、やはりその両目は閉じられていた。
長いまつげだなぁと感嘆しながら、自分の部屋に向かう。
たいした物も入ってはいない鞄を片付け、部屋着に着替えている途中、ガタンと音がした。
「玲央? 起きた?」
シャツの裾を下げながらリビングに戻れば、起きたらしい玲央が煙草を吸っている。
起きて早々、頭が痛くなったりしないのだろうか?
こちらをちらりと見た玲央の目は、寝起きのせいか鋭い。
「……おかえり」
「え? あ、うん、ただいま。今日は早いんだな?」
「……まぁな。お前はバイトどうした」
「ん。ちょっと用事があって、休んだ」
「ふーん……」
ふぁあ。大きなあくびをした玲央が、なぜか今は大型動物に見える。
俺はとりあえず冷蔵庫からビールとお茶を取り出し、玲央が座るソファーではなく、床に腰を下ろした。
テーブルに置いたビールを、玲央がなにも言わずに飲み始める。
テレビもつけていないから、シンとした沈黙が流れていた。
俺はおもむろに足を正し、玲央のほうへ体を向けた。
突然のことに怪訝そうな表情を浮かべる玲央と、視線がぱちりとかち合う。
「お願いがあります」
「……」
寝起きのせいか、それとも俺の畏まった態度に意表を突かれたのか、玲央は煙草を消して心なしか体をこちらに向けた。
「……母さんに、会いたいです」
「は?」
玲央が珍しく目を丸くした。
その表情を見て、緊張に固まっていた体が少し、ほぐれた気がする。
「……俺、物心ついたときから母さんのこと、なんにも知らなくて……写真、とかも多分、親父が処分してたと思う。
本当は前々から、お願いしたかったんだけど、でも、言い出せなくて……」
「……それを決心させたなにかが、今日あったってことか」
「…………うん」
はー……。ため息をついた玲央が頭の後ろを掻いた。
ソファーの背もたれに体を預けたかと思うと、すぐにその身を起こして煙草を吸いはじめる。
「お前、次はいつ休みなんだ、バイト」
「……え? えーと……お願いすれば、多分、いつでも」
「分かった。じゃあ俺から話しておくから、来週……一週間泊まりに行けるように準備しとけ」
「え?」
肺には入れなかったのか、白い煙を吐き出した玲央がこちらを見て呟く。
「おふくろの墓は、こっちにはねぇからよ」
ぽつりとこぼれたその言葉に、どっと感情が溢れ出た。
涙が出たわけでもないのに俯いてしまって、でもお礼を言おうと顔を上げれば、その瞬間、頭を撫でられてしまって。
きゅんと、胸の奥が締めつけられる音がした。
「玲央……ありがとう、ございます」
「あぁ、どういたしまして」
大きな手のひらで見えないけれど、でも多分、玲央は笑っている気がしたんだ。
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