とら×とら

篠瀬白子

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警察 1

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翌日、俺は学校を早退して(サボって)病院に訪れた。
雄樹は理由を知りたそうにウズウズしていたけれど、もうちょっとだけ待って欲しい。

いつものように診察券を出す。俺の顔を覚えているのかどうかも分からない受付のお姉さんは、仕事と割り切った態度で待合室へと促した。
いつ来ても人の多い院内は、独特な消毒液の匂いが充満している。俺は広い待合室のソファーに腰を下ろし、財布の中を覗いた。


「……はぁ」


俺が幼児退行したとき、勝手に荷物を漁ったという玲央の言葉には仕方ないと納得できるが、だからと言って……。


「やっぱ、ないか」


だからと言って、其川さんがわざわざくれた連絡先の書かれたメモ――裏に俺宛てのメッセージ付き――を、盗ることはないだろう。
どこまでも横暴な姿勢にやはり弟として不安にはなるが、どうしてか喜んでしまう俺にも玲央と同じ血が流れていると実感してしまう。
あの兄にこの弟あり、か。似てないけど、最低なとこは似てるかも。なんて。

それから暇を持て余して週刊誌を手に取った。たいして中身も見ずにパラパラ捲っていると、ふと見覚えのある顔が映っていることに気づく。
それは、あの噂の歌姫さんだった。


【新星の歌姫! モデルと熱愛発覚!?】


なんとも週刊誌らしい見出しについ苦笑が浮かぶ。大きく掲載された写真には、目隠しがされているとはいえ、あの歌姫さんと玲央らしき男性が映っていたのだ。
じわっと染みが広がるみたいに嫌な気持ちにもなるが、記事の左下にはいつぞや女装した俺と玲央の写真があり、そちらにも熱愛疑惑があると書かれているのだ。
なんとまぁ、玲央が歩いたあとには泣き崩れる女性も多そうな記事の内容である。

そもそも俺と玲央のあの写真での表情をきっかけに、歌姫さんは玲央をMVに出したいのだと書いてあるが、果たして嘘か本当か、玲央に聞くのが一番早いのだろうなぁと、ますます苦笑を浮かべた。


「こんにちは」
「やぁ小虎くん、学校はサボリかな?」


それから順番が回り、俺は慣れたように診察室へ足を踏み入れた。
挨拶をする俺に笑顔で咎める其川さんに少しだけ頭を下げて椅子に座ると、仕方がないなぁと笑われてしまった。


「ご迷惑おかけしました」
「……いいえ。それから、どう?」
「はい。なんだか以前より、甘やかしてくるようになりました」
「へぇ? いい傾向だね」
「あはは」


不可抗力とはいえ幼児退行してしまったのは事実だし、それによって玲央が罪悪感を感じるのは分かっていた。それを理由に甘やかしてくれるのも納得できる。


「でも俺、本当は知られたくなかったんです」
「……お兄さんが罪悪感を感じるから?」
「それもあるけど……なんつーか、俺の中では親父の暴力と、玲央の暴力は別物なんです」


暴力という点において、親父も玲央も度合いは違えど、していたことは紛れもない事実だし、それについては謝る謝らないで済む問題でもないだろう。
だけど俺にとって、親父から受けていた暴力で玲央が苦しむ道理はないと結論が出ているのだ。


「殴ってたって言えば、確かに聞こえは一緒ですけど、その内容も結果も違うから、別物なんです」
「……でも、君を苦しめた事実は変わらないだろう?」
「はい、それはちゃんと償ってもらいます。
……多分、親父は死んで、玲央は生きてるから、だから別物だって思えるんですよね。親父はもう俺に謝ることもできないけど、玲央は謝ってくれたし、俺の面倒も見てくれるから、だから玲央は違うんだって思い込みたいだけなのかもしれません」
「小虎くん、君……」


どんなに綺麗事を並べても、やっぱり玲央は最低だと思うし、過去は消えないのだけど。
それでもそんなことにいつまでも足を引っ張られなくなるほどには、強くありたいじゃないか。


「俺、すげーブラコンなんです。周りにもバレちゃうくらい、玲央にも知ってるって言われるくらい、すげーブラコンなんです。だけど玲央を許して一緒に生活していく理由を、それで済ませたくはないんです。確かに最低な兄貴だけど、そんな玲央の横を堂々と歩けるくらいには俺、したたかになりたいな」
「……ことら、くん」


力の入らない笑みを浮かべると、なぜか其川さんは泣きそうな顔をしていたけれど、はっきりと頷いてくれた。


「……みんな、玲央のことをよろしくって俺に言うんですよ」
「……」
「俺だって苦しいし、泣きたいし、そう言ってくれる人、欲しいなってたまに思う。卑しいけど、俺のほうが悲惨だったんだって大声で怒鳴りつけたくもなる。でも、できないんです。それをしたら多分、俺も間違えちゃうと思うから」
「……」
「玲央はそれでもいいって言うんですけど、でもダメなんです。それをしたら俺、もう弟じゃなくなる。ただの被害者になる」
「小虎くん、それは……っ」


俺だって人間だから、そりゃ当然傷つく。男のくせに泣き虫だから、幼児退行する様に後先考えず泣き喚く。でも、それは俺が玲央の弟である最後の一線であるような気がしてならないのだ。

俺は被害者です、可哀想なんです、だから同情してください。なんて、どんなに苦しくても口にするのはごめんだ。そのプライドこそが、きっと朝日向玲央の弟である朝日向小虎の最後の意地だ。


「俺、なんにもできないくせに、泣き虫で、弱くて、ちょっと流されやすいとこもあるし、人より理解するのも遅いけど、でもそんな俺にだって譲れないもんはある。……自分が思っている以上に、どうやら頑固者みたいです、俺」
「……ことら、くん……っ」


多分、その決断はいつか絶対に俺を苦しめるはずだ。いや、もう何度か苦しんでいたけれど、それでも、もういい加減自分を追い込むのは止めにしよう。


「だから其川さん、俺、強くなるよ。うんと強くなる。そしたらいつか、俺たち兄弟とご飯でも食べに行きましょう……あ! いや、ご迷惑でなければ、なんですけど」
「……ふふっ、最後まで格好のつかないところが、小虎くんらしいなぁ。……うん、その日を楽しみにしてるよ――朝日向さん」
「……! ……はい、先生……!」


いつか訪れるその日に思いを馳せながら、俺は其川さんと微笑みあったのだった。


病院を後にした俺の足取りは軽かった。その勢いで玲央に抱き着きたくなるほど高揚していたとも言えるが、一人で抱えるにはあまりにも膨大な感情で、だけど何一つ失いたくはなくて気持ちが良い。

とりあえず、まずはお粥を今よりもっと美味しくしたい。
それから玲央とたくさん話をしたい。昔のことでも、今後のことでも、他愛のない話でもなんでもいいから話がしたい。
雄樹と志狼の三人で集まって、無駄に騒ぎながら仁さんに叱られて、お粥のデリバリーで隆二さんに頭を撫でられて、俺をからかう司さんの、手伝いをしている豹牙先輩にも撫でられて、カウンターで美味しい美味しいと喜ぶ巴さんにこっそり昔の玲央の話を聞いてもみたい。
泉ちゃんにはおめでとうって言ってあげるんだ。匡子さんには謝りたいこともある。変態だけど、西さんにもちゃんと挨拶はしたい。

近い将来、俺、いつか――。


「コトラ?」


胸を弾ませながら、普段何気なく過ごしている街並みを小走りで歩いていると、突然肩を掴まれた。同時に聞き覚えのある声に驚きを隠しつつも振り返る。


「……ノ……ア、さん?」
「うん、そう、名前覚えててくれたんだ? ありがとう、コトラ」
「いえ。昨日は玲央が追い出すみたいな形ですみませんでした」
「あはは。いーよいーよ、レオって僕にはいっつもあんな感じだもん。でもそれがいいよね~」


邪険にされることのどこがいいのか分からないが、とりあえず苦笑を浮かべておくと、急に顔を近づけてきたノアさんが瞳を凝視してきた。
けっして威圧的ではないのだけど、玲央や巴さんとは違う気迫にたじろぐと、目の前の男は笑った。


「ねぇ今、暇?」
「へ?」


だというのに、身構えていた力が一気に抜けてしまった。


「正確には暇ではないですけど、なにかご用ですか?」
「ん? んー、実は駅までこれ届けなきゃいけないんだけどさ、ちょっと用事ができちゃって困ってたんだ。そんなときにコトラを見つけて、ちょうどいいなぁ~って近づいてみた」
「はぁ……」


これ。と言ってノアさんが目の前に持って来たのはミニホルダーバックだった。
ていうかこの人、昨日の今日で俺に頼みごとする気か?


「今、俺に頼みごとする気かって思ったでしょ?」
「え?」
「顔に書いてある。分かりやすーい」


ケラケラ。人に指をさして笑うその姿でさえ確かに絵になるが、気分の良いものではない。なんかこの人……苦手かも。


「で? コトラはどこに行くの? もし駅に行くならお願いしてもいいかな?」
「……学校に行くので駅には行きますけど、俺に預けてもいいんですか? 悪用するかもしれませんよ?」
「しないよ。君にそんな度胸はない――でしょ?」


まるで人の心を覗いたような妖艶な笑みに、心臓が変な音を立ててしまう。


「なにより君はレオの弟だからね。無条件で信じちゃう」
「……つまり玲央を信じている、と」
「あはははは」


まぁ、そう言ってくれたほうがこちらとしても変に警戒しないで済むというか。それに鞄を届けるくらいならまぁ、いいか。


「まぁ、いいですよ。届けるってことは待ってる人がいるんですよね? どんな人ですか?」
「ワォ! さすがコトラ! 助かるよ~! 見た目はただの大学生なんだけどー、確か今日は緑のカーデ着てるって言ってたなぁ」
「緑のカーデですね。分かりました」
「うん、じゃあよろしくー。こっちからも相手にコトラのこと伝えとくね」


満面な笑みで渡されたミニホルダーバックを受け取り、ノアさんに一礼して背を向けた。
目を離すまでニコニコと微笑み手を振るノアさんに周りの女性がきゃあきゃあ騒いでいたが、無理もない。見た目だけは本当に可憐なのだから。


「僕はレオを信じてるけど、その逆も考えたほうがいいんじゃないかなぁ、ねぇコトラ」




それから駅へ向かうと緑のカーデを着ている男性に声を掛けられた。
彼が携帯でノアさんから受け取ったメールを俺に見せてくれたので、安心して鞄を渡すと急に写メを撮られる。
な、なにごと!?


「受け取ったって証拠、今あいつにメールするからちょっと待って」
「へ? はぁ、はい……」


確かに見た目は大学生っぽいけれど、なんだか少し……顔色が悪いなぁ、この人。なんというか、インドアな雰囲気というかなんというか。
その場で二、三分待つとすぐにノアさんからメールが届き、俺はその人と別れて学校へ向かう。

事前に持って来た制服を羽織って校門をくぐる頃にはすっかりお昼を過ぎており、いつものように調理室に現れた俺が見たのは、満面な笑みで不良たちにチョコレート粥をさばく雄樹の姿であった。もちろんそんな雄樹の周りには元は不良だった屍の山が。憐れ、不良たち。


「というわけで今より美味しいお粥を目指します!」
「おおー!」


放課後、いつものようにカシストの調理場に立ち、しゃもじを片手に意気込む俺に雄樹が拍手をしている。
仁さんはそんな俺たちにくすりと微笑み、その両手で俺と雄樹の頭をわしゃわしゃ撫でてきた。


「すみません、仁さん。おかずとか色々考えてくれたのに、結局ただのお粥に戻っちゃって」
「ばーか。ただのお粥じゃねぇだろ?」
「……はいっ」


あぁ、くすぐったいなぁ。でも嫌じゃない。むしろすごくすごく、今が楽しくて仕方がない。

仁さんに助言を求めたあの日から、仁さんと雄樹は俺と一緒になってお粥のことを真剣に考えてくれたのだ。
やっぱりおかずをつけるべき、いやいやでもそれじゃあ客の好みがあるから安易には選べない。結局はおかずをつけるか、今より美味しくするかの二択だったのだけど、それでもそのうち一つを選ぶということがこんなに難しいことを知れたのは、俺がカシストでバイトすることができたからだと思う。
最終的には仁さんの一言で満場一致になったのだけど、やっぱり大人は違うなぁと憧れが強くなったのは内緒だ。

未だに撫でながら、仁さんはニッと笑った。


「前にも言ったが、誰にでも作れる料理だからこそ上手い不味いがよく分かる。納得するまで色々試せよ。とことん付き合ってやる」
「はいっ! ありがとうございます!」


二択のうち一つを選ぶだけでもあれだけ悩んだのだ。これからお粥を美味しくするにあたって、俺はもっともっと悩むはずだ。たくさん失敗もするはずだ。だけど挑戦することは少しも怖くない。むしろガンガン突き進んでいきたい気分だ。

なんだか無敵にでもなった気持ちになれるのは、もちろん仁さんと雄樹の二人が一緒に悩んでくれるからなのだけど、やっぱり玲央の存在も大きく影響していると思う。
玲央がいなきゃきっと、今はなかったから。

そう思ったら急に玲央に会いたくなってしまって、意識し出したら突然頬に熱が集まった。
そんな俺を訝しんだ仁さんの視線から逃れるように、俺は今日もお粥作りに励むのであった。


「うーん……?」


目指せ、お粥のてっぺん頂上! 雄樹命名、そんなアホな作戦名のもとバイト後も励んできたが、家に帰ってからも色々と試していたが、やはりまだ納得はほど遠い。

お米の品種はもちろんのこと、調理のひと手間は増やすにしても結局はどれくらいのお粥が一番いいんだろう?
ドロドロなくらいってのが好きな人もいるし、ちょっと粒感が残ってるのが良いって人もいるわけで。
そりゃまぁ万人受けする完璧なお粥は作れないだろうけど、目指してはみたいじゃないか、お粥のてっぺん頂上とやらを。

って、なんだよお粥のてっぺん頂上って。意味かぶってんぞアホ雄樹め。


「小虎」
「うおっ!?」


アホ雄樹に思い出し笑いをしていると、突然肩を叩かれて持っていた小皿を落としてしまった。

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