とら×とら

篠瀬白子

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警察 2

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恐る恐る振り返ると、俺が落とした小皿を拾っている玲央の姿が。今、なんの気配もなかったんですけど。
無言で小皿を差し出す玲央に礼を言って受け取ると、なぜかため息をつかれた。


「集中してなにやってるかと思えば、お前、このお粥の山をどうする気だ」
「え? そりゃもちろん食べるよ? 協力してくれるでしょ?」
「……はいはい」


ふたたびため息をつきながら体の向きを変える玲央の服を握る。
少し引っ張られた玲央がこちらを見るが、その表情はなんだか驚いているようで面白い。


「気づかなくってごめん。おかえりなさい」
「……ただいま」


くしゃり。柔らかく微笑んだ玲央に頭を撫でられる。いつものことなのに、どうしてかドキリと心臓が高鳴った。そんな俺から手を離し、玲央は着替えるために自室へ向かう。
今、その背中に抱き着いたらどう思うだろうか。驚くかな? 笑うかな? それとも甘えたがりってからかうかな?


「……?」


どくり、どくり。心臓の音が大きい。……風邪、ひいたか?

それからお風呂に入った玲央が上がってくる頃には心臓も落ち着きを取り戻しており、一応熱を測ってみたが風邪ではないようだった。
玲央が買ってきてくれたクリーム乗せプリンを頂いていると、いつぞやのように足を軽く蹴られ、反応した瞬間またもや膝の上に乗せられる。


「……一口欲しいの?」
「分かってんなら早くしろよ」
「ん、あーん」
「……」


クリームをちゃんと絡ませてすくったそれを差し出すと、やはり玲央は一瞬固まったのだけど、以前よりも自然な動きでパクリと一口。
スプーンに少し残ったクリームさえも舐めとる姿は目に毒だ。なんという色気……。


「熱愛発覚」
「は?」
「週刊誌で見た」
「わざとらしいあの記事か。俺とあの女の後ろ歩いてんのスタッフだぞ?」
「え? あ、そーなの?」


綺麗に舐めとられたスプーンの先をかじると、急に玲央が距離を詰める。


「なんか勘違いしてるみてーだけど、いくら俺が節操なくとも顔が売れてる女は抱かねぇよ」
「え? そうなの?」


思わず凝視してしまう。
来るもの拒まず精神であろう玲央にも抱かない相手がいるだなんて。
でもまぁ確かに相手は新星の歌姫さんだし、さすがに手を出すにも出せないのか?


「悪目立ちしたくはねぇからな」
「え? ……十分してるとおも、あ、なんでもないです、ないから止めて、そんな目で見るのは止めてください」


ギロリと睨む玲央に謝ると、思いっきり首を噛まれる。


「もっ、噛むなっ、いてーよ」
「隙だらけのお前が悪い」
「はぁ? 玲央が物好きなだけだろ。ふつーこういうのは女の子にやるもんだろ?」
「それが普通かどうかは知らねぇけど、お前は俺が他の奴に噛みついてもいいわけだ?」
「は? そりゃ……それ、は、もちろん……」


いや、だってそうだろ。
好きな子の綺麗な首筋とかにドキッとして、噛むまではいかずとも舐めたいとか思うもん、なんだろ?
だったら他の奴に噛みつくのが当然なわけで……。当然なわけで?


「他は知らねぇ。俺が口をつけてもいいと思うのはお前だけだ。お前以外の奴を舐めるとかぜってー無理」
「……」
「照れんな、馬鹿トラ」
「てっ! 照れてねーしっ!」


そりゃまぁ、確かに玲央には変な潔癖があるわけで。
噛むイコール口をつけるというわけで。
ただでさえ外食もあまり好まず、キスもしないという玲央が誰かに噛みつくというのは希少なわけで。
んでその相手が俺ってだけで。いやだから、それがおかしいわけで。


「……わっ、分からん……っ」
「……はぁー……」


頭を抱える俺にため息をついた玲央が、未だかじっていたスプーンを奪い取り、もう一度自分の口に運ぶとその甘さに顔をしかめた。

増えたスキンシップは以前からそうだったように、少し過剰な気がしないでもない。
幼児退行したあの日から、玲央はやたらと俺を自分のベットで寝かせてくれるし、寝る前には必ず背中を舐めてくる。
家に帰るとなにかと抱きしめ匂いを嗅いでくるし、テレビを見ているといつのまにか膝の上に座らされている。

そのとき心臓がバクバク高鳴るのは云わば必然なわけで、いくら兄弟とはいえこうも綺麗な男に施される温和な甘やかしは、経験不足の俺を困惑させるには十分だ。

ただ一つはっきりしていることは、そんな異常ともいえる触れ合いが嫌ではない、ということだけ。


「うーん……?」


今日も今日とてお粥のてっぺん頂上を目指して励んでいたバイトからの帰り道、とっくに時計の針は深夜に入り、辺りは暗い。
そんな暗い道を頭を傾げて歩く俺の姿はさぞかし変質者だろうが、誰もいないので大目に見て欲しい。


「好きか嫌いかだったら好きだ。でもそれが違う人だったらきっと違うわけで……?」


ぼそぼそ。呟き始めた俺の変質者っぷりが跳ね上がるも、人っ子一人いないので良しとしよう。

そもそも、いくら玲央からの甘やかしが好きとはいえ、それは俺が過度なブラコンだからなわけで。
玲央と違う人を比べたところで俺が喜ぶのは当然玲央との触れ合いだ。で、それはなぜかというとブラコンだからだ。

……答えはこうも明確に出ているのに、どうしてこんなにも腑に落ちない?

カツン。一人怪しさ満点で歩く俺のうしろから、ふいに足音が聞こえた。
くるりと振り返るが誰もいない。辺りの暗さと静けさにゾッとして、少し早足で歩いてみると、それに伴い足音も早くなる。
……誰かにつけられている?

いくら俺が男とはいえ、得体の知れない相手は怖い。
大きく深呼吸をして、思いっきり走り出す。うしろの足音も走り出したが躊躇わずにただ真っ直ぐ先を目指した。

とりあえず人がいるところにさえ出てしまえば迂闊に手を出すわけにもいくまい。
そう思ってただただ足を前へ動かしていくが、恐怖に竦みそうになる。
刺されるかも? なんて想像をしたが最後、現実味のない妄想が突如リアリティを増していく。

やべぇ、普通に怖ぇえ。

――ブォオオンッ!

と、恐怖で引きつった笑みを浮かべながら走る俺の横を一台のバイクが走りすぎた。かと思えば華麗にターンをしてこちらに戻ってくる。
バイクの音にさえ気づかなかった自分の焦り様に苦笑を浮かべる間もなく、その人は俺を守るように後ろ側に回り、止まった。


「迎えに来た、とりあえず乗れ」
「ひょうが、せんぱい……」
「なぁに弱気な声出してんだよ、ほら乗れ」


ポイッと渡されたヘルメットをかぶり、微笑む豹牙先輩のバイクに跨る。
ちらりと見た後ろ側には、黒い服を身にまとった男がただ一人、じっとこちらを見つめていた。


「ほら」
「あ……ありがとうございます」


なんだかよく分からないまま連れてこられた家の近くのコンビニにて、豹牙先輩が買ってくれたカフェオレを受け取る。口をつけたときに広がる砂糖の甘みが今は無性に気持ちをほぐしていった。
バイクに凭れた豹牙先輩が煙草を吸い出したが、決して俺の近くから離れようとはしない姿勢になんだか安心する。


「あの、どうして豹牙先輩がここに?」
「あー、まぁ色々あってな。とりあえず今日から当分、俺が小虎の送り迎えするから」
「へ?」


送り迎え? なぜに?
いやいや、なぜって答えは決まっている。


「玲央に、なにかあったんですか?」
「あー……いや。まだねぇよ?」


まだ。ということはこの先なにかが起こると言うことか?

不安を隠さずじっと見つめる俺の視線に堪えきれなくなったのか、豹牙先輩が息をついてこちらに視線を戻す。


「……全部は言えない、それでも聞くか?」
「はい、お願いします」


投げかけられた質問に即答すると、その早さに豹牙先輩が苦笑を浮かべる。


「まー、なんだ。はっきり言えるのは今回は俺らの代の喧嘩じゃないってことだ」
「? 巴さん、ですか?」
「まぁ、巴もそうだけど……司も、かな」
「司さんも?」
「そんで俺の問題でもある」


巴さんと司さんと豹牙先輩の問題?
ならばどうして玲央に関係して、豹牙先輩が俺の送り迎えを?
頭の上に次々浮かぶクエスチョンマークをまるで目視したかのように、豹牙先輩がくすくすと笑った。


「なんつーか、今回の玲央はとばっちりを食ってるだけだよ。でもそのとばっちりの度が越えてる。だから今、俺はこうして小虎を守りに来たってわけだ」
「……とばっちり」
「安心しろ、小虎のことは俺が守るから、な?」


優しく頭を撫でる豹牙先輩を見上げながら、俺は噛み砕けずにいる言葉を飲み込んで頷いた。

それから家まで送ってもらい、玄関で別れたところで玲央からメールがきた。
内容はとてもそっけなく「今日から当分帰れない」とのこと。……別に寂しくねーし。

なんて見栄をはったところで部屋の広さを味わった瞬間、唐突に心細さを覚えて玲央の部屋で寝たのは秘密である。ちなみに心苦しくて床で寝たので翌日、俺の体は変な悲鳴を上げていた。


「はよ、小虎……どうした?」
「あ、おはようございます。いえ、ちょっと寝違えて……あは、あはははは」


朝一番に迎えに来た豹牙先輩に笑みを向ける。
怪訝な表情をしても深くは突っ込まない彼の優しさに感謝するも、学生らしからぬバイク登校を果たした俺に、問いただすように突撃してきた雄樹の抱き着き攻撃により一瞬生死を彷徨った。

そんな散々な朝を過ごし、昼はお粥捌き、夜はバイト&目指せお粥のてっぺん頂上! をこなす、という生活が一週間つづいた頃、俺の生活にとけはじめた豹牙先輩から言われたのがこれだ。


「小虎、荷物まとめて俺ん家に来い。当分お泊りだ」
「へ? お泊り?」


いつものように俺を玄関先まで送り届けた豹牙先輩の言葉に驚くのは当然なわけで、呆然とする俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でた豹牙先輩がニカッと笑う。


「ここ一週間、玲央のやつ帰ってきてねーだろ? 多分まだ帰って来れねぇはずだから、いっそ俺ん家に泊まらないかって相談」
「相談……命令形でしたよ?」
「あはは、バレたか」


なんて無邪気に笑う豹牙先輩に思わず微笑むが、俺は首を横に振る。


「ごめんなさい豹牙先輩、気持ちは嬉しいのですが、俺はここにいなくちゃ」
「俺ん家じゃ落ち着かねぇ?」
「いえ、そうじゃないんです。ただ、なんていうか……」


確かに一人で過ごすには、この部屋は広くて寒くて寂しいけれど、これくらいのことなら乗り越えなくちゃ。
それになにより、


「なんていうか……玲央が、玲央が帰ってきたとき、ちゃんとおかえりって言いたいから、だから俺はここにいなくちゃダメなんです」


俺が寂しいって思うこの気持ちを、玲央には感じて欲しくはない。
いつぞや俺が地を這ってでも帰ってきたとき、玲央が言ってくれた「おかえり」に救われたように、ちっぽけでもほんの少し、俺も玲央を救えたらいいなと、そう思うから。

俺の返事を聞いた豹牙先輩は目を丸くし、ていたかと思えば深い深いため息をついて、その場にしゃがみこんでしまった。
慌てて俺も同じようにしゃがみ込むと、なぜか豹牙先輩は腹を抱えて笑っている。


「はははっ、くっ、ふはっ、あー……やっぱすげぇわ、お前」
「え? あの、豹牙先輩?」
「あーあ、ほんっと……かっこいいなぁ」


くつくつと笑う豹牙先輩が俺の頬をそっと撫でる。その手つきがあまりにも危なっかしくて思わず支えると、次の瞬間、豹牙先輩の顔が歪んだ。


「ひょうがせんぱ、」
「とりあえず今日は帰る」


俺の声を遮って、立ち上がった豹牙先輩にぐしゃりと一度、撫でられる。
見上げた先にはいつものように凛々しい表情をした豹牙先輩がいたけれど、なんだか少し無理をしているようなその顔に、俺はなにも言えなかった。

ぽつり。豹牙先輩が帰ったあと、一人ソファーに座りながら膝を抱える。

巴さんの代の喧嘩で、司さんにも関わりがあって、豹牙先輩の問題。
……考えたくはないし、外れていることを願うが、もしかすると今回のその問題とやらには麻薬が関わっているんじゃないだろうか。

豹牙先輩と司さんのお母さんを刺したというのは麻薬で正気を失った誰かだったはずだし、誰かの代わりに刑務所に入っていた巴さんの被ったそれもまた麻薬が関わっていたはずだ。


「……玲央」


もしもこの考えが当たっていたのなら、とばっちりを食っていると言う玲央にも麻薬絡みの問題が起きているということだ。
いや、あまりにも早計すぎるし、なによりこれは俺の想像に過ぎない――けれど。


「……早く、帰って来いよ、馬鹿レオ……」


膨張しつづける不安を押しつぶすように、俺は体を丸めて目を瞑った。

――とはいえ、そんな丸まっていたところで事態がどう転がるでもなし、俺は断られるのも覚悟で豹牙先輩を突き詰めることにした。正直、かわされるのは目に見えているのだけど。

でもこうして俺を守る時点で事態は深刻であるに違いない。でなければもっと目立たないよう俺を監視するはずだし、なにより当事者かもしれない豹牙先輩が俺を守ること自体、おかしいじゃないか。

そう強く決意し、朝から意気込んで豹牙先輩を待つ俺の元に現れた彼は、しかしそんな俺の出鼻をくじく。


「おはよう、小虎」
「お……おはよう、ござい、ます」


まるで後光でも射しているかのような眩しい笑みに思わず口の端がヒクヒクと引きつった。
憑き物でも落ちたような素晴らしい笑顔は違う意味でも充分に輝いていたが、昨日のあの表情は一体なんだったのか。


「どうした? 変な顔して」
「え? いや、あは、あはははは」


どうしたって聞きたいのはこっちですよ、豹牙先輩。なんて言葉をゴクリ、飲み込む。
そんな俺の頭をポンポンと優しくあやした先輩は、微笑を浮かべながら目線を合わせるように膝を折る。


「覚悟なら出来た。だから小虎が知りたいこと、ぜーんぶ教えてやるよ」
「え?」


ドキリと心の臓が音を立てる。
真っ直ぐに見つめる俺の瞳の奥を覗きこむように、豹牙先輩が笑った。


「小虎にだけ格好いいこと言わせてらんねーしな」
「……豹牙、先輩」


思わず笑ってしまう俺の頭を、今度はその両手でわしゃわしゃと撫でてくる豹牙先輩の表情は、初めて見る無邪気なそれだった。

そのまましばらく俺の頭を撫でていた豹牙先輩だったが、話は長くなるから学校とバイトが終わったあと、落ち着いて話そうということになった。
俺は昨日までとは違った気持ちで家を出ることができ、それだけで今日一日がとても幸せなものになると確信できた。

――できていた、はずだった。


「朝日向小虎さんですね? 申し訳ないのですが、事情聴取のため任意同行願います」
「……え?」


いつものように豹牙先輩のバイクに乗るためヘルメットをつける俺に話しかけてきたその人たちは、ドラマで見かけるような警察手帳を突き出しながら、確かにそう言ったのだった。

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