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家族 5
しおりを挟む「おやすみ小虎、また明日」
「うん、また明日。気を付けて帰れよ?」
「はは、うん。大丈夫だよ、ありがとう」
深夜だというのに地上はまだ明るく、人の気配も多い。
見事決まったアイアンクローが気に入られたのか、送ると言って聞かない仙堂さんに押しこまれるようにして、酔いつぶれた新山さんが投げ入れられていたタクシーに乗り込んだ志狼に手を振る。
やはり酔っ払ったままの匡子さんは西さんや泉ちゃんに担がれつつも、なんとかタクシーに乗り込めたようだ。
こちらに手を振る泉ちゃんと隆二さんに手を振り返せば、四人を乗せたタクシーは走り出す。
「雄樹は仁さん家行くんだっけ?」
「うん、お泊りって約束してたからねー」
「へぇ、お泊りですかー」
「ちょっとトラちゃん! その顔止めてよもう、はずかしー!」
なんて、両手を頬で覆う雄樹は顔が赤い。酒のせいだけではないそれに微笑みつつ、寒そうにしている仁さんの元へ背中を押して送り出す。おやすみ、トラちゃん。なんて可愛い顔をして微笑む雄樹はやっぱり癒しだなぁ。
「コトラ、今日はありがとう。楽しかったよ」
「ノエルさん。良かったです、また皆で飲みましょうね」
「うん、今日はお粥を食べそびれたから、今度は一人でも来るよ」
「はい、お待ちしてます」
タクシーを拾った巴さんに声をかけられ、なんだか照れくさそうに笑うノエルさんに頭を下げる。こちらに気づいた巴さんは苦い顔をしながら、でも笑顔で俺に手を振った。
「さて、小虎くん」
「うわ、司さん……いきなり肩を組むのは止めてください。あと、体重かけないでください、重いです」
「えー、小虎くんは俺よりガタイ良いどっかの誰かさんにいっつも乗っかられてるでしょー?」
「……まだセクハラするつもりですか」
あはははは! 酒も入ったことでいつもよりテンションの高い司さんは、涙を浮かべながら俺の肩をバシバシ叩いてくる。ちょっとむかついてその手をぺちっと叩くと、彼はそれはそれは楽しそうに俺の頬を人差し指で突いて来た。
「なんれすか」
「んー? ふふふ。楽しいなぁって」
なにが楽しいのかさっぱり分からないが、後ろから豹牙先輩と話しながらこちらへ歩いてきた玲央を見つけて、思わず安心してしまう自分の乙女加減が嫌だ。
「ね、小虎くん」
「はい?」
くすり。また、いつもの人の悪い笑みを浮かべた司さんが、もうすぐ近くまで来ていた二人には聞こえないようにこっそりと、
「結婚、おめでとう」
と、囁いた。
「……は?」
「玲央に伝えといてね、じゃ、おやすみ小虎くん。メリークリスマス」
くしゃり。呆然と立ち尽くす俺の頭を撫でていった司さんは、豹牙先輩の腕を取るとにこやかに去って行く。
「帰るぞ」
「……あ……うん」
色違いのマフラーに口元を埋めながら、すぐ目の前に立っていた玲央に手を伸ばされた。思わず身を引いた俺に玲央が怪訝な表情を向けるが、行くぞ、と言って歩き出す背中をゆっくり追いかける。
プレゼント交換で当たった有名なフライパンセットを持ち直して、けれど歩みの遅い俺に気づいた玲央が何度も振り返る。
「おせぇ、それ貸せ」
「だ、大丈夫」
痺れを切らして手を伸ばす玲央から再び逃げる。チッ、と舌打ちをした玲央のほうを見ることができなくて、つい俯いた俺にため息が降ってきた。
カツ。冬ブーツの底を地面に打ち付けながら歩き出す玲央の背を、また追いかける。
「……」
「……」
さっきまで楽しかった気持ちが嘘みたいに沈んでいるのが分かる。
結婚って、結婚だろ? 永遠を誓い合って、夫婦になって、家族になる。そういうこと、だよな?
なんで、どうして? 玲央が結婚? 誰と?
ぐるぐる。ぐるぐる。どんどん深みに嵌っていくようなドロドロとした黒い気持ち。喜怒哀楽が根こそぎ奪われていくような、ずっしりと重い足取り。
「……あ、」
ふっ、と。下を見ながら歩いていた俺の視界に、立ち止まっていたらしい玲央の足元が映る。思わず顔をあげてしまえば、そこには不機嫌そうな玲央の顔があった。
「玲央……」
「……どうした」
くしゃり。頭を撫でられる。
いつもと同じ、それより恐る恐ると、だけどやっぱり優しい手の平。
冬で、外は寒くて雪も降っているのに、そこだけは確かに温かい。じんわりと、そこから全身に熱が広がっていく。
あぁ、そうだ。俺はこの手が好きで、この人が好きだから。だから、信じられるのだ。
「結婚、するの?」
「は?」
「司さんが言ってた。玲央……結婚するの?」
頭を撫でる手が動きを止める。嫌な予感がして、口の端がひくついた。
「する」
足元が崩れ落ちるような感覚に手の中から荷物が落ちた。箱の中に入ったそれが微かな金属音を立てながら俺の耳に木霊する。
まるでなにかが切り取られたような、ぞっとする危うさが足元をゆっくりと蝕んだ。
玲央は俺が落とした荷物を拾い上げ、こちらを見て目を瞠る。
「……お前、…………くっ」
なのに急に口元を緩めて笑い出した。
「ははっ、お前……ふっ、はははっ」
「……なんで、笑うの」
「悪い、いや、今分かった」
「なにが、分かったの」
そう問えば、玲央は堪えきれない笑みを必死に飲み込んで、だけどやっぱり口元を緩めたまま俺を見る。
「気づいてねぇだろうけど、お前、今あの日と同じ顔してんだよ」
「あの日?」
ぐしゃり。荷物を持った手は逆の手で、俺を撫でる手の平の優しさはちっとも変わらない。
「お前を置いて、お袋と家を出た日」
「…………」
どんな、顔をしているのだろう。
玲央は笑っているから、多分よっぽど情けなくて、不細工で、どうしようもないほど馬鹿な顔に違いない。
「泣くな」
俺の顔を見たまま、今度は穏やかに微笑んだ玲央が、気づかぬ内に零れていた涙を指で拭った。
「今やっと分かった。お前はあの日も今も、自分でもどんな顔をしていいのか分かってなかったんだな」
「……え」
拭った涙を自分の口元に運んだ玲央は、迷うことなくそれを舐めとる。しょっぺぇ、なんて言いがかりに近い文句を言いながら、ぐっと近寄った獣はまだ溢れる涙を頬の上で味わった。
「悲しんでいいのか、怒っていいのか、喜ぶべきか、笑顔を浮かべるべきか。色んなことが顔に書いてんだよ、馬鹿トラ」
「……じゃあ、どんな顔をしたらいいかな、」
「そうだな……」
外でこれほど近い距離にいる玲央を、いつものように怒ることもできない俺の手を引いて玲央が歩き出す。若干早い足取りに俺の重い体はなにかに引っ張られるように後ろへと下がる。けれど玲央はそんなものなど無いかのように、軽やかに俺を導いた。
二人とも無言のまま家まで帰ってくると、玄関扉を締めた玲央に抱きしめてもらえるかもしれない、なんて淡い期待は裏切られ、靴を脱いで部屋の中へと行く玲央の背中を呆然と見つめる。
あのとき、旅行から帰ったあの日見た背中はあんなに頼もしかったのに、今は遠い。玲央、と、出かけた言葉を飲み込むと、こちらに振り返った玲央に笑われてしまった。
俺の元まで戻ってきた玲央が手を引いて部屋へと導く。
どんな顔をして、なにを言えばいいのか分からない。
なのにこの手の温かさを俺は知っているから、だから悔して悔しくて。
「小虎」
リビングのソファーに座らされ、マフラーを解かれる。買ってくれたミトンの手袋も外されて、寒さに手を握るとそこに玲央の手が重なった。
「あの日と同じ顔してても、幼児退行しないのは俺を信じてるからだって自惚れて話すが、ちゃんと聞けよ」
ソファーに座る俺の前に片膝をつき、手を握る玲央。いつもとは逆だなぁと、ぼんやり頷く。
「高校卒業後、隆二たちが結婚したあと頃合いを見て、今世話になってるファッション誌だけで発表するが、俺は結婚する」
結婚する。その確信めいた現実味のない言葉にくらりと前後が分からない。
「相手はある特集で俺と隆二のパートナーになった奴だ。最初、そいつを見たときは正直驚いた。こいつ、なにやってんだ、ってな」
くすり。無意識に微笑んだ玲央の瞳を見ると、かち合った視線にちりっと刺激が走った。
「その姿を見てから、正直自分の気持ちに迷ってた。俺にとってそいつは大事な奴だが、だからって恋愛感情を持つ気はなかったし、さすがの俺でもそれは超えちゃいけない一線だってことくらい分かってたしな……いや、分かってたつもりだった。
そいつが女の格好をして、俺以外の誰かに笑う姿を見てかなりムカついた。そいつは俺のモンだって独占欲と嫉妬で気が狂いそうになった。
それを認めるまで、酒も煙草も今まで以上に手ぇ出して、自分の考えを打ち消すために喧嘩もして、女を抱こうとした――抱けなかったけどな」
「……え?」
「女装したお前を見てから、女が抱けなくなったんだよ」
「……でも、デスリカで……」
「あぁ、少しも反応しねぇから、最後は全部追いだした」
追いだした。かなり酷い仕打ちではないだろうか。いつのまにか戻ってきた余裕が心の奥でじわじわ広がる様を、ぎゅっと手を握ることで裏付ければ、握り返された手であっけなく実存になる。
「そのくせお前の匂いを嗅ぐだけで、簡単に反応するから自分で抜いた」
「ぬい……」
「お前のせいだろ、馬鹿トラ」
なんて、言い掛かりに近い文句に思わず口元が緩むと、玲央もゆるりと微笑む。
「もうお前以外、いらねぇ」
するりと吐き出された、恐ろしいほど単純な言葉。もどかしいほど甘く煮えたぎった、この男だけの胸の内。
こちらを見上げる瞳に今までずっと潜めていた、気高く美しい獣の本当。
自分の手の内で震えるそれを強く強く、あぁだけど優しく握りしめた獣は心ひそかに口を開く。
「だから俺は女装したあの日限りのお前と結婚する。けど二度とお前に女装なんかさせる気はない。だから正確には結婚を約束した女は死んで、そいつに操を立ててるってことになるが。けど、そうすりゃまたモデルにって口うるせぇ匡子や西を黙らせることができるし、俺は近寄る女を追い払う良い口実にもなる」
「……でも、」
「他の女を迎える気はない。辛いとき支えてくれた可愛い弟と、これからも一緒に暮らすといっときゃ、お前と二人で暮らしたって誰も文句はねぇだろ」
「でも、玲央」
「お前にくれてやる」
ぽつぽつと語られる玲央の言葉に反論しようとよじる俺を黙らせるのも、やっぱり単純な一言で。
「俺の人生を、お前にくれてやる」
上から目線の、横暴でぞんざいな物言い。だけどそれが照れ隠しだと分かってしまう自分の気持ちは、きっとこの男にだってバレている。
ぱたっ、と繋がれた手の甲に落ちた雫が俺の膝を濡らす。外すことも忘れた視線がより一層、耽美に絡まった。
いつもそうだ。この男は、いつも俺の先を行く。
道などあってもなくても関係ない。この男が歩く場所こそ道になる。
その後ろをひた追いかける俺の歩みに、だけど合わせた歩幅は優しい。
隣に並びたいと焦る俺をするりと躱しながら、だけど手を伸ばしてくれるから。
「……恥ずかしいね、その台詞」
「あ? うるせぇよ、馬鹿トラ」
くすり、微笑む俺に近づいた玲央が額を小突く。その手を手繰り寄せ、自分の頬へあててみる。熱くて大きな、俺をいつも励ます手の平は、だからこんなに愛おしい。
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