美しい契り

一花みえる

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1章

グロキシニアの月 第一節

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「こちら、おつりです」
「おや、ありがとねぇ」
    小さな小銭を念入りに数え、間違いがないことを確認してから客に手渡す。しわくちゃの小さな手は、かさついているのにとても暖かい。
    この老婆は、ええと、確か。
「マチルダさん、でしたっけ」
「そうよ。嬉しいわぁ、アスランに覚えてもらえて」
    良かった、正解だった。胸の奥でほっとため息をつく。昨日の夜、ルークが話していたことを覚えていてよかった。毎月決まった日に花を買いにくるからそろそろだと言っていたのだ。
    買うのはいつも決まって真っ白の花。種類は何でもいいが、とにかく全て白でないといけない。変わった客だとは思ったが、実際に白い花束はどこか幻想的で美しい。
「また来月に来るわね。ルークにもよろしく」
「はい。ありがとうございました」
    嬉しそうに花束を抱えたマチルダが、にこにこ笑いながら店を出ていった。ドアにつけていた真鍮のベルが鳴り終わると、どっと疲労が押し寄せてくる。
    まだ慣れないな、これ。
「アスラン、ごめんね。会計任せちゃって」
「これくらい誰でも出来る」
「そんなことない。それに、アスランは覚えが早いから本当に助かってるんだよ」
    新しい花をバケツに入れつつ、ルークはこちらを見てはニコニコしている。なにが、どう、楽しいというんだ!
    慣れない仕事もようやく慌てることが少なくなってきた。しかし、まだ自分が働いていることに実感が湧いていない。実家にいた時は気が向いた時に小作人たちの所に行って、金を受け取るだけでよかったのに。
    毎日冷たい水に手を浸し、名前もよく知らない花を店先に並べ、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべないといけない。俺には今まで縁のなかったものばかりだ。しかし、ここで生きていくためにはやらなくてはならない。
    それに、アルファより劣っているオメガのルークが出来ているんだ。俺にだって出来るはず。そう言い聞かせ、毎日足を棒にしながら働いていた。
「もう少ししたら休憩にしようか。今日はクリームチーズとサーモンのサンドイッチを作ったんだ」
「分かった」
「あと、玉ねぎのスープもあるよ。アスラン、好きでしょ?」
「はあ?    何でだよ」
「だって前に作った時、珍しくおかわりしてたから」
    くそっ。そんなところまで見られていたのか。確かにルークの作る玉ねぎのスープは甘みの中にコクがあり、どこか優しい味がした。
    だがそれだけだ。別に気に入っている訳では無い。毎日出されても文句は言わないが、好物ではない。断じて!
「そうだ、夜は何がいい?」
「別に、なんでもいい」
「じゃあ貝のワイン蒸しにしよう。白ワインに合うからアスランも気に入ると思うよ」
    にこにこ、いつも通り笑いながらルークが話している。対して俺はいつも通りの仏頂面。自分で言うのもあれだけど、楽しいのか?    こんなやつと話していて。

    それに、気がかりなことが一つあった。もうすぐ結婚してから一月近く経過する。それなのに、ルークには訪れないのだ。
    発情期が。
「お前、そんな無防備に歩き回ってて大丈夫なのか」
「無防備?   ちゃんと虫除けのアロマを焚いてるけど」
「そうじゃない!    発情期だよ。もうすぐなんじゃないのか?」
「あー……」
    成人したオメガは、月に一度の頻度で発情期が訪れる。その一週間前くらいからヒートと呼ばれる時期に入り、体が少しずつ作り替えられていく。用意が出来ると強いフェロモンを放出し始めるのだ。
    そのフェロモンは全ての人間に効果があり、特にアルファは理性が壊されるほど強く脳を刺激される。今でこそ抑制剤などが開発され、オメガ自身でコントロール出来るようになった。しかし、それでも発情期は必ず訪れる。
    アルファと番になるまでは。
「ヒートが始まる様子もないし、もしかして周期が長いのか?」
「いや、そのことなんだけど……」
「なんだ」
    いつも、何も包み隠さずはっきりと話すルークが、珍しく口ごもった。怯えるように視線を泳がせる。
    なんだ?    俺は何か変なことでも言っただろうか。
「隠すつもりはなかったんだ。言い出す機会もなくて」
「だから、何が」
「僕は、オメガだけど……来ないんだ。発情期が」
「……え?」
    それは、想像もしていない言葉だった。
    発情期が、来ない? 
    つまり俺とルークは番になれない。
    運命の番だと言われたのに。だから結婚したのに。
    それさえ不可能なんだとしたら、この結婚に何の意味があるというんだ。
「アスラン、ごめん、いつか言わないとって思ってたけど……なかなか言えなかったんだ」
「……わかった。とにかく、その話は家でしよう。誰かに聞かれたくない」
「わかった」
    目の前がグラグラと揺れる。それまで自分を支えていたものが一気に崩れていく気分だ。
    しかし不思議と頭の中はどこか冷静だった。怒りも込み上げてこない。おかしいな。どうしてだろう。ルークはこの秘密をずっと隠していたのに。
    胸の奥はひどく凪いでいた。
「話はちゃんと聞く。だから、そう泣きそうな顔をするな」
「ご、ごめん」
    それはもしかしたら、ルークが捨てられて迷子になった子供のように見えたからかもしれない。それで情が湧いたのかもしれない。
    なんにせよ、今やるべきことは店の片付けだ。慣れた手つきでバケツに新しい水を入れる。今にも開きそうなつぼみが小さく揺れていた。

    早めに店を閉め、とりあえず気分が落ち着くだろうとお茶を入れる。いつもならルークがしてくれるが、今日は見よう見真似で俺がやってみる。
     ええと、ポットはここで、茶葉は確か棚にあったはず。薬缶に水を入れて沸騰させて、それから、何をしていたっけ。
「アスラン、僕がするよ」
「いい。そんな真っ青な顔でフラフラするな」
「うん……ありがとう、心配してくれて」
「別に……」
    心配なんかしていない。居心地が悪いだろう、さすがに。明らかに気落ちしている人間にお茶を入れろ、だなんて。そこまで俺も酷い人間じゃない。
    それに、これくらい俺にだって出来るんだ。店の会計が出来るようになったように。俺だって、少しずつこの生活に慣れてきている。
「変な感じ。アスランがキッチンに居るって」
「馬鹿にしているのか?」
「ううん。嬉しい」
「そうかよ」
    ガラス瓶に詰められているドライハーブを適当にポットに入れていく。ルークがいつもブレンドして入れてくれる。食後はミントをよく入れていて、眠る前はカモミールやラベンダーが多い。
    今は気持ちを落ち着かせたいだろうから、香り高いジャスミンにした。沸騰したお湯を注ぐと、まるで花畑にいるかのように甘い香りが広がってきた。
「ほら。熱いから気をつけろよ」
「ありがとう。いい香りがする」
「それで……発情期が来ない、というのは?」
「……うん」
    お茶を一口飲んだルークが、ため息と一緒にぽつりぽつりと話し始めた。
「外的要因だと医者には言われたんだ。ひどく大きなショックのせいで、本能的に体が拒絶しているらしい」
「ショックって、まさか」
「目の前で、家族が殺された。それが原因だろうって」
「……そうか」
    ルークの家族は、オメガを憎む人間に襲われ殺された。ルークと同じくオメガだった姉が狙われ、彼女を守ろうとした両親も巻き込まれた。
    オメガは、確かにフェロモンで他者を惑わす。しかしそこに悪意はない。俺たちアルファもオメガを不本意に傷つけないよう薬を飲んで対処している。しかし、それでもオメガへの偏見は消えない。卑しい性だと決めつけて攻撃しようとする人も少なからずいる。
    そんな偏見に、ルークの家族は殺されたのだ。何も抵抗できず、何も言えず、殴り殺された。そしてルークは彼らを助けるために俺の実家に駆け込んで来たのだ。
「アスランのお父様が助けてくれたから、僕だけは生き延びられた。感謝してるんだ」
「……甘いな、お前も」
「言うと思った。まあ、店を続けたかったら結婚しろって言われた時はさすがに驚いたけど」
    それでも、とルークは笑った。
「こんな出来損ないのオメガが生き延びるにはそれしかなかったんだ。運命の番とか言われても僕には発情期が訪れない。だから貴方と本当に運命なのかは分からない。それでも僕は、貴方と一緒に過ごす日々は愛おしいと思う。それは揺るがない事実なんだ」
    その言葉に息が詰まった。俺はルークに何もしてやっていない。たかだか下手くそなお茶を入れてやるくらいだ。それなのに、ルークは愛おしいと言う。
    無理やり「運命」という言葉で縛られたこの関係を、受け入れている。それはつまり、アルファでもない、地主の息子でもない、ただ一人の「アスラン」という俺を受け入れてくれているということだ。
    そんなこと、初めてだった。ただ一人の人間だった。俺を、俺として見てくれたのは。
「ルーク、お前は」
「ん?」
    なんて眩しいんだろう。目の前にいるこの男は。絶望の淵にいたのに、こうして笑っている
前を向いている。現実を受け入れ、未来を見つめている。
    俺には眩しすぎる。それでも目をそらすことが出来ない。俺は、お前が。
「お前は、その……何のお茶が好きなんだ」
「え、お茶?」
「そうだ。たまになら俺が入れてやる。下手くそでもいいなら」
    そう言うと、一瞬キョトンとしたルークがふわりと笑い、目を潤ませながら「僕もアールグレイが好きだよ」と言った。まるでそこに一輪の花が咲いたかのように。
    俺たちの間にはジャスミンの甘い香りが漂っていた。
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