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白雨【8月短編】
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今日も今日とて、日照りが強い。店先に居ると生ぬるい風が入ってきて、ゆるく頬を撫でた。文庫本のページが風でめくれていく。眠たいな。暇だし。
おみは何をしているんだろう。座敷で寝ているだろうか。それとも、裏庭を探索しているだろうか。頭痛はしないから泣いてはいないだろう。だとしたら、平和なことに違いはない。
「あふ……」
込み上げてる欠伸を必死に噛み殺し、机に置いていた麦茶を口に含む。まだ昼過ぎだけど閉店にしていいかな。客が来ようと来まいと生活に影響はない。
なんとも複雑な気分だ。
「まあ……あの頃よりはマシか……」
言葉通り泥沼のような、地獄のような日々を過ごしていた時期を思い出すと、この退屈さも贅沢だと言える。いろいろなものにがんじがらめにされ、日々生きることさえ苦しく、このまま消えてしまいたいとさえ願っていた。
世界はあまりにモノクロで、光はただ目に痛いだけで、前を向くことが辛かった。
だけど。
「りょーたー! 見て! 見て!」
「ん?」
店に繋がる扉の向こうから、おみの声が響いてきた。とたとた小さな足音もした。きっと走りながら駆け寄ってきたんだろう。
俺が座っていた椅子の裏にある扉が、勢いよく開く。小さな白い毛玉が背中に飛びついてきた。手にはおみ専用のジョウロがある。水がかからなくてよかった。
「おみ、どうした?」
「水に色がついてた!」
「え?」
「おみず! いろ!」
「んん?」
興奮しているのか、目の色が少し濃くなっている。大きな目がますます大きく、キラキラと輝いていた。
朝から全然進んでいなかった文庫本にしおりを挟む。おみがぐいぐい手を引くので、転ばないよう着いて行った。向かう先は店の前。これはもう完全に俺が仕事中ってのを忘れているな。
「みてて、おみずが赤になるの!」
「水が赤? 土でも混ざった?」
「ちがうのー! 見て!」
「はい」
ふんふん鼻息荒くしながら、おみが乾いた土に水をやる。気持ちのいい音を立てている。おみの言う通り水を見るが、特に赤くなっているわけではない。
やっぱり土でも混ざっていたのだろうか。
「おみ、赤くないぞ?」
「んんー? さっきは赤とか青とかだったのに」
「赤とか青……? ああ、そうか」
「う?」
なんとなくピンときて、おみを抱き上げる。
「なに?」
「このまま水あげてみて」
「んー?」
不思議そうに首をかしげ、言われるがままジョウロを傾けた。しゃわしゃわ言いながらまた冷たい水が地面を濡らしていく。
その水に、薄く七色の色彩が映っていた。
「おみが見たのは、これ?」
「これー! 赤とか青とか、あと、黄色!」
「これは虹っていうんだ」
「にじ?」
「そう」
ジョウロの中身が空になったようで、ゆっくりと虹も消えていく。大きな雫が数滴垂れていた。
「雨が降ったあと、すぐに晴れると見える時があるんだ。その時は空いっぱいに現れるんだぞ」
「きれいだねぇ」
「そう。だから、雨も悪くないんだよ」
「んふふ」
太陽よりも眩しい笑顔は、昔だったらきっと目を向けられなかった。背を向けて隠れていただろう。
でも、今の俺はちがう。強くなったわけでも、開き直ったわけでもない。何も変わっていない。ただ一つ変わったことは。
「おみが楽しそうでよかった」
「たのしー! りょーたも?」
「うん、楽しいよ」
隣に、おみがいる。それがどれほど大きなことか。耳元で響く笑い声を聞きながら、胸の奥にじんわりと熱が伝わってくるのを感じた。
おみは何をしているんだろう。座敷で寝ているだろうか。それとも、裏庭を探索しているだろうか。頭痛はしないから泣いてはいないだろう。だとしたら、平和なことに違いはない。
「あふ……」
込み上げてる欠伸を必死に噛み殺し、机に置いていた麦茶を口に含む。まだ昼過ぎだけど閉店にしていいかな。客が来ようと来まいと生活に影響はない。
なんとも複雑な気分だ。
「まあ……あの頃よりはマシか……」
言葉通り泥沼のような、地獄のような日々を過ごしていた時期を思い出すと、この退屈さも贅沢だと言える。いろいろなものにがんじがらめにされ、日々生きることさえ苦しく、このまま消えてしまいたいとさえ願っていた。
世界はあまりにモノクロで、光はただ目に痛いだけで、前を向くことが辛かった。
だけど。
「りょーたー! 見て! 見て!」
「ん?」
店に繋がる扉の向こうから、おみの声が響いてきた。とたとた小さな足音もした。きっと走りながら駆け寄ってきたんだろう。
俺が座っていた椅子の裏にある扉が、勢いよく開く。小さな白い毛玉が背中に飛びついてきた。手にはおみ専用のジョウロがある。水がかからなくてよかった。
「おみ、どうした?」
「水に色がついてた!」
「え?」
「おみず! いろ!」
「んん?」
興奮しているのか、目の色が少し濃くなっている。大きな目がますます大きく、キラキラと輝いていた。
朝から全然進んでいなかった文庫本にしおりを挟む。おみがぐいぐい手を引くので、転ばないよう着いて行った。向かう先は店の前。これはもう完全に俺が仕事中ってのを忘れているな。
「みてて、おみずが赤になるの!」
「水が赤? 土でも混ざった?」
「ちがうのー! 見て!」
「はい」
ふんふん鼻息荒くしながら、おみが乾いた土に水をやる。気持ちのいい音を立てている。おみの言う通り水を見るが、特に赤くなっているわけではない。
やっぱり土でも混ざっていたのだろうか。
「おみ、赤くないぞ?」
「んんー? さっきは赤とか青とかだったのに」
「赤とか青……? ああ、そうか」
「う?」
なんとなくピンときて、おみを抱き上げる。
「なに?」
「このまま水あげてみて」
「んー?」
不思議そうに首をかしげ、言われるがままジョウロを傾けた。しゃわしゃわ言いながらまた冷たい水が地面を濡らしていく。
その水に、薄く七色の色彩が映っていた。
「おみが見たのは、これ?」
「これー! 赤とか青とか、あと、黄色!」
「これは虹っていうんだ」
「にじ?」
「そう」
ジョウロの中身が空になったようで、ゆっくりと虹も消えていく。大きな雫が数滴垂れていた。
「雨が降ったあと、すぐに晴れると見える時があるんだ。その時は空いっぱいに現れるんだぞ」
「きれいだねぇ」
「そう。だから、雨も悪くないんだよ」
「んふふ」
太陽よりも眩しい笑顔は、昔だったらきっと目を向けられなかった。背を向けて隠れていただろう。
でも、今の俺はちがう。強くなったわけでも、開き直ったわけでもない。何も変わっていない。ただ一つ変わったことは。
「おみが楽しそうでよかった」
「たのしー! りょーたも?」
「うん、楽しいよ」
隣に、おみがいる。それがどれほど大きなことか。耳元で響く笑い声を聞きながら、胸の奥にじんわりと熱が伝わってくるのを感じた。
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