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     半日ぶりの山は出立した朝と変わらず穏やかだった。新緑が輝き生き生きとしている。木と土の香りが立ち上り、その度に私はああ、帰ってきたなと思わされる。
    いつの間にか私の帰るべき場所はこの山になっていた。
    それにしても。まさかここまで敗戦が色濃くなっていたとは。神風なんてものに頼りたくなるほど厳しいものなのだろう。そして、我々一般市民にはその状況が伝えられていない。もしかしたら私が想像しているよりもっと酷いのだろう。
    さすがにこの山まで来ることはないとは思う。私の結界と、今は坂口もいる。以前とは違い普通の人間は山に入ることすら出来ないはず。
    しかし。
「おみが駄目なら私、か」
    長兄も次男も、それぞれ立場がある。そう簡単には利用できない。しかし私は違う。悲しいことに僅かではあるが霊力もあるのだ。
    政府が期待するような「神風」は起こせないにせよ、それに近いことを強制させられることも無きにしも非ず。どんなに長兄が話をしても限界がある。
「その日は近いのかもしれないな」
    歩き慣れた道をひたすら登る。もうすぐ我が家だ。耳を澄ますと、おみの声が聞こえてきた。
「さかぐちー、しゅうもうすぐかな」
「もうすぐじゃないか?」
「こけてないかな」
「お前さんとは違うさ」
「むー!」
    どうやら無事に過ごしていたらしい。微笑ましいやり取りに思わず噴き出してしまう。無意識のうちに足早になり、気がついたら駆け出していた。
    それに気づいたのか、おみが大きな目をますますまん丸にし、そのあとぴょんと勢いよく飛んだ。
「しゅーうー!」
「おみ、ただいま」
「おかえりー!」
    腕の中に飛び込んできたおみを抱きしめる。たった半日しか離れていなかったのにこの温もりが恋しかった。ふにゃふにゃ笑うおみを撫でていると、坂口もこちらにやって来る。
    留守をありがとう、と口にする前に、坂口は意味ありげに視線を我が家へと向けた。
「……お家に入りましょう、おみ」
「いくいく、しゅう、おんぶ!」
「いいですよ」
     さすがに恵比寿様の目は誤魔化せない、か。きっと今回の呼び出しについて大凡の検討がついているのだろう。
    おみが聞いていない場所で少しだけ話をしなければ。もしかしたら坂口には多大な迷惑をかけることになるかもしれない。念の為、だけど。先に頭を下げておこう。
「室生、お前さん土産はあるんだろうな」
「もちろんありますよ。おみにもありますからね」
「わー!」
    世界の緊張とは程遠い山の奥。私たちはまだ平和に笑えていた。

    それから二週間後、大規模な空襲が首都を襲った。離別の時は静かに近づいていた。
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