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出会い
1話 出会い
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異世界に転移してから、もうすぐ2年が経つ。2年前、目が覚めたら、このアストリア王国にいた。
最初は、ここの公用語——アストリア語なんて、ひとことも話せなかったから、苦労した。
異世界ものあるあるの特別スキルなんてものは私にはなく、転移した時は、バッグの中にスマホと家の鍵、そしてグミが入っていただけ。
スマホは電波がなければただの板切れだし、グミはこの世界に来てから数日ろくに食べ物がなかったせいで、あっという間に食べきってしまった。鍵に至っては、なぜか兄のイニシャル入りキーホールダー付きのものを持っていた。
そんな初期装備として最悪な状況から、少しずつ言葉を覚え、仕組みを理解し、今日までなんとか生きている。
私——髙橋みなは、現在、王都にある図書院で、書物の整理や分類補助のアルバイトをしている。
この仕事を選んだ理由は単純だった。外国人でも採用してくれたから。それに、元の世界に戻るための、何かしらの手がかりも得られるかもしれないと思ったから。
とはいえ、何の情報も得られないまま、2年が過ぎた。でも、いつか何か掴めると願って、今も懸命に働いている。
仕事内容は大層なものではない。
巻物の傷みを確認し、番号札を貼り替え、棚に戻す——その繰り返しだ。
その日も、私はいつものように作業台で古文書の整理をしていた。
(あれ、この慣用句の意味なんだろう)
日常会話はもう不自由ないけれど、古文書に使われる言語は難解だ。まだまだ知らない言葉は多い。
私は愛用している辞書を取り出し、さっそく調べた。
────始まりは些細で無害に見えたが、後に大きな事件となること。
そんな意味が載っていた。
(あんまり使うことなさそうだけど、せっかくだしメモしておこう)
私は、日々出会った言葉の意味を日本語で書き留めておく習慣がある。週末にそのリストを復習し、語彙を少しずつ増やしているのだ。
二年経ったとはいえ、生まれてから慣れ親しんだ日本語で勉強する方が圧倒的に理解しやすい。
それに、ここアストリア王国は大国で、周辺諸国から多くの人が働きに来る。だから、アストリア語以外の言語を使用する人間など珍しいものではない。
だから、誰にも見せないノートに母国語で記すのは、おかしいことではなかった。
昼前、私はノートを机に置いたまま、図書院の廊下にある休憩スペースへ向かった。
柔らかい日差しが差し込む窓辺の長椅子に腰をおろし、ぼんやりと空を見上げる。
小さく欠伸をひとつ。
ほんの十五分ほどのつもりだった。
────戻ってきたときには、ノートのことなどすっかり忘れていた。
仕事が終わり、帰宅しようと図書院を出て角を曲がった瞬間だった。背後から、落ち着いた声がかかる。
「すみません。お時間、よろしいでしょうか?」
「は、はい。どうかしましたか?」
(わぁ、綺麗な人⋯⋯)
振り返ると、男がひとり、静かに立っていた。白銀の髪に深い翡翠の瞳をしている。後ろで束ね、深い黒のローブを身にまとっている。
男は、一冊のノートを差し出してきた。
「これ、あなたのノートですよね?」
開かれたページには、日本語の文字があった。
見慣れた筆跡——これは紛れもなく、私のノート。
「え?それを一体どこで⋯⋯?」
「提出された資料の中に紛れていました。おそらく、回収作業の際に分類ミスがあったのでしょう。
非常に珍しい構造の文字だったため、目に留まりまして。これは近隣諸国の言語ではありませんよね? 失礼ですが、どちらのご出身ですか?」
言っていることは丁寧で、穏やかだった。
しかし、笑みをたたえながらも、私の一挙手一投足を観察しているような視線。
何よりも、男の現実離れした美しさが、私を変に緊張させる。
「⋯⋯えっと、アストリア王国からずっと南の小さな国で使われている言葉でして」
咄嗟に、嘘をついた。
まさか「実は異世界から転移してきました」なんて言えるはずもない。
「そうだったんですね。——ああ、すみません、申し遅れました。私はレオンと申します。言語学を専門にしておりまして、世界中のさまざまな言語を研究しています」
彼は柔らかく首を傾げ、こう続けた。
「もし可能でしたら、この言語について少し教えていただけませんか?」
「えっと⋯⋯」
私は、答えに詰まった。
(これって「はい」っていいものなのかな。だって、この世界に存在する日本語話者は私だけだし、それを他人に教えることは、後々何か問題になるかも)
口の中が乾く。
何か言わなければいけないのに、言葉が見つからなかった。
そんな私に、彼は一歩だけ近づいて、静かに微笑んだ。
「無理にとは言いません。ですが、私はこの言語にとても興味があるんです。」
その声は優しかった。けれど、私は無意識に一歩、後ずさった。逃げるように。
「で、でも本当に小さな国の言語ですので、学んでもあまり意味がないと言うかなんというか⋯⋯」
その距離を、彼はすぐに詰めてくる。
「関係ありません。むしろ希少言語を学ぶのは、学者の本分です。対価もきちんとお支払いするつもりです」
「で、でも⋯⋯」
「お願いします」
普通なら、断るのが正解だったと思う。
「——わ、、分かりました」
しかし、私はイケメンの魅力に屈してしまったのだ。
最初は、ここの公用語——アストリア語なんて、ひとことも話せなかったから、苦労した。
異世界ものあるあるの特別スキルなんてものは私にはなく、転移した時は、バッグの中にスマホと家の鍵、そしてグミが入っていただけ。
スマホは電波がなければただの板切れだし、グミはこの世界に来てから数日ろくに食べ物がなかったせいで、あっという間に食べきってしまった。鍵に至っては、なぜか兄のイニシャル入りキーホールダー付きのものを持っていた。
そんな初期装備として最悪な状況から、少しずつ言葉を覚え、仕組みを理解し、今日までなんとか生きている。
私——髙橋みなは、現在、王都にある図書院で、書物の整理や分類補助のアルバイトをしている。
この仕事を選んだ理由は単純だった。外国人でも採用してくれたから。それに、元の世界に戻るための、何かしらの手がかりも得られるかもしれないと思ったから。
とはいえ、何の情報も得られないまま、2年が過ぎた。でも、いつか何か掴めると願って、今も懸命に働いている。
仕事内容は大層なものではない。
巻物の傷みを確認し、番号札を貼り替え、棚に戻す——その繰り返しだ。
その日も、私はいつものように作業台で古文書の整理をしていた。
(あれ、この慣用句の意味なんだろう)
日常会話はもう不自由ないけれど、古文書に使われる言語は難解だ。まだまだ知らない言葉は多い。
私は愛用している辞書を取り出し、さっそく調べた。
────始まりは些細で無害に見えたが、後に大きな事件となること。
そんな意味が載っていた。
(あんまり使うことなさそうだけど、せっかくだしメモしておこう)
私は、日々出会った言葉の意味を日本語で書き留めておく習慣がある。週末にそのリストを復習し、語彙を少しずつ増やしているのだ。
二年経ったとはいえ、生まれてから慣れ親しんだ日本語で勉強する方が圧倒的に理解しやすい。
それに、ここアストリア王国は大国で、周辺諸国から多くの人が働きに来る。だから、アストリア語以外の言語を使用する人間など珍しいものではない。
だから、誰にも見せないノートに母国語で記すのは、おかしいことではなかった。
昼前、私はノートを机に置いたまま、図書院の廊下にある休憩スペースへ向かった。
柔らかい日差しが差し込む窓辺の長椅子に腰をおろし、ぼんやりと空を見上げる。
小さく欠伸をひとつ。
ほんの十五分ほどのつもりだった。
────戻ってきたときには、ノートのことなどすっかり忘れていた。
仕事が終わり、帰宅しようと図書院を出て角を曲がった瞬間だった。背後から、落ち着いた声がかかる。
「すみません。お時間、よろしいでしょうか?」
「は、はい。どうかしましたか?」
(わぁ、綺麗な人⋯⋯)
振り返ると、男がひとり、静かに立っていた。白銀の髪に深い翡翠の瞳をしている。後ろで束ね、深い黒のローブを身にまとっている。
男は、一冊のノートを差し出してきた。
「これ、あなたのノートですよね?」
開かれたページには、日本語の文字があった。
見慣れた筆跡——これは紛れもなく、私のノート。
「え?それを一体どこで⋯⋯?」
「提出された資料の中に紛れていました。おそらく、回収作業の際に分類ミスがあったのでしょう。
非常に珍しい構造の文字だったため、目に留まりまして。これは近隣諸国の言語ではありませんよね? 失礼ですが、どちらのご出身ですか?」
言っていることは丁寧で、穏やかだった。
しかし、笑みをたたえながらも、私の一挙手一投足を観察しているような視線。
何よりも、男の現実離れした美しさが、私を変に緊張させる。
「⋯⋯えっと、アストリア王国からずっと南の小さな国で使われている言葉でして」
咄嗟に、嘘をついた。
まさか「実は異世界から転移してきました」なんて言えるはずもない。
「そうだったんですね。——ああ、すみません、申し遅れました。私はレオンと申します。言語学を専門にしておりまして、世界中のさまざまな言語を研究しています」
彼は柔らかく首を傾げ、こう続けた。
「もし可能でしたら、この言語について少し教えていただけませんか?」
「えっと⋯⋯」
私は、答えに詰まった。
(これって「はい」っていいものなのかな。だって、この世界に存在する日本語話者は私だけだし、それを他人に教えることは、後々何か問題になるかも)
口の中が乾く。
何か言わなければいけないのに、言葉が見つからなかった。
そんな私に、彼は一歩だけ近づいて、静かに微笑んだ。
「無理にとは言いません。ですが、私はこの言語にとても興味があるんです。」
その声は優しかった。けれど、私は無意識に一歩、後ずさった。逃げるように。
「で、でも本当に小さな国の言語ですので、学んでもあまり意味がないと言うかなんというか⋯⋯」
その距離を、彼はすぐに詰めてくる。
「関係ありません。むしろ希少言語を学ぶのは、学者の本分です。対価もきちんとお支払いするつもりです」
「で、でも⋯⋯」
「お願いします」
普通なら、断るのが正解だったと思う。
「——わ、、分かりました」
しかし、私はイケメンの魅力に屈してしまったのだ。
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