転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ

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第3章 真相

23話 夢と現実

屋敷の裏口から中に戻るときは、行きよりもずっと足が重かった。

かんぬきをそっと元の位置に戻し、音を立てないように扉を閉める。厨房前の通路は、行きと同じように静まりかえっている。

(⋯⋯戻ってこられた)

胸の奥で、何度もそう繰り返しながら、使用人用の階段を上る。

廊下に出て、自室の扉の前で一度深呼吸。耳を澄ませても、人の気配はない。

鍵を開けて中に入り、そっと扉を閉める。そして、その場にずるずると座り込んでしまった。

「⋯⋯はあ」

全身から一気に力が抜ける。ノートを握りしめていた手が汗ばんでいた。

とりあえず窓辺まで行き、外をうかがう。まだ夜の深い時間。レオンの馬車は、どこにも見えない。

(とりあえず間に合った⋯⋯)

安堵の波が一瞬だけ押し寄せて、すぐに別の感情に飲み込まれる。

(なにがなんだか、もうわからない。何を信じたらいいのかも)

さっきまでの会話が、頭の中で何度も巻き戻される。

考えようとするたび、頭の奥で何かがきしむ。

靴を脱ぎ捨て、ノートだけを抱えたままベッドに体を投げ出す。

「ああ、疲れた⋯⋯」

そこで意識は、いつの間にか夢の底へ沈んでいった。




気づけば私は、どこかの廊下に立っていた。

目の前にあるのは、あまりにも豪華な部屋。

(ここ⋯⋯私の部屋?いや、でも間取りも何もかも違う)

天井からは大きなシャンデリアが下がり、光を受けて宝石のようにきらめいている。ふかふかの絨毯。棚には、選びきれないほどの本や宝石箱、可愛らしい小物たち。

(派手で、眩しい)

胸の奥がひゅっとすぼまる。

視界がぐらりと揺れた。

場面が切り替わる。





暗い部屋。扉は鉄格子。その前に、私は立っていた。

中には、衛兵と思しき男が二人いた。
彼らの顔には見覚えがあるのに、名前は思い出せない。

「⋯⋯ごめんなさい。ごめん。本当に、ごめん⋯⋯」

涙でにじむ視界の中、私は何度も頭を下げていた。

背後から、靴音が近づいてくる。

乾いた、規則的な足音。

振り返ると、レオンがいた。

今と変わらない整った顔立ち。穏やかな笑み。けれど、その目は今よりずっと冷たかった。

「ミナ。また逃げようとしたんですね」

「ごめんなさい⋯⋯もうしません。だから──」

喉が震えて、うまく声が出ない。恐怖なのか、罪悪感なのか、自分でも分からなかった。

中にいる男たちの肩が、びくりと震える。

「こ、この度は我々の監督不行き届きで──」

「そうですね」

レオンは笑った。ひどく残酷に。

「ミナがここからいなくなったら、私は生きている意味を失います。そんな大切な人を逃がしてしまったとあれば、責任を取らなければなりませんね」

「待ってください!私が悪いんです。衛兵の人は何も──」

必死で叫ぶ。

喉が裂けそうなほど声を張り上げても、レオンはただ静かに私を見つめているだけだった。そして、この状況には似つかわしくないほど優しい手つきで、私の頭を撫でる。

「ミナは優しいですね」

そう言ってから、扉の外に控えた騎士たちへ視線を向ける。

「この二人を、王宮地下の牢獄へ連れて行け」

「承知しました」

鉄の鎧が鳴る音。男たちは青ざめた顔のまま、連行されていった。

「やめて、もう、もう本当に逃げないから、お願い──!」

声が枯れるまで叫んでも、レオンの表情は一切変わらない。

ただ、少しだけ目を細めて、優しげに言った。

「ミナ、行動には必ず責任が伴います。これからは、しっかり考えて動きましょうね」

その言葉に、世界がぐにゃりと歪んだ。

(⋯⋯あぁ、そうだ。私、あのとき何度も謝った。私のせいで、あの人たちが──)

頭のどこか、普段は鍵のかかった引き出しが、乱暴にこじ開けられる音がした。




景色がまた切り替わる。




今度は、広い謁見の間。

高い天井、赤い絨毯。左右には身分の高そうな人たちが整列し、その中央には、跪かされた一人の女と、その後ろで縛られた家族たちがいた。

女はまだ若く、目を泣き腫らしている。その少し手前に置かれた椅子に、私は座らされていた。隣にはレオンがいて、私を抱き寄せるように腰掛けている。

女は私に向かって、必死に頭を下げた。

「殿下!誤解です!わ、私はミナ様のご出自を悪く言ったことなど一度もなく⋯⋯!」

頭を床につけているのは彼女だけじゃない。父親、母親、弟らしき少年までもが、震えながら額を押しつけている。

(この人⋯⋯たしか私のことを蔑んで、肩を押してきたんだ。それでその時、転んで⋯⋯)

あんなもの、ただの口の悪い貴族の嫌がらせ。傷もすぐ治ったし、慣れていた。

「顔を上げろ」

正面に立つレオンが、静かに告げる。

女は恐る恐る顔を上げる。瞳には、恐怖と後悔が濃く滲んでいた。

「お前はいま、嘘をついた」

その一言に、謁見の間に小さなどよめきが走る。

「未来の王妃を侮辱しただけでなく、この私に嘘をついた」

「いえ、私は嘘など──」

「『なんで、私がこのクソ女のせいで』か。ここまで腐っていると、救いようがないな」

「──っ!」

女の顔から、血の気が引いていく。

そのとき、列の端、少し後ろにいた青年が口を開いた。レオンの弟、アレクだ。

「人の思考を読める兄上に、嘘が通るはずないじゃん」

面倒くさそうに髪をかき上げながら、信じられないほど軽い声で続ける。

「それに、義姉あね様が傷つけられた時点で、この人たち、もう詰んでるけどね。兄上が許すわけないでしょ」

笑いすら浮かべていた。その笑みには、罪悪感も躊躇いも、ひとかけらもない。

(この人たちにとって、人の命って⋯⋯こんなに軽いんだ)

胸の奥が、ぎゅっと縮む。

レオンが片手をひらりと上げる。合図ひとつで、衛兵たちが女と家族へとにじり寄る。

「お、お待ちくださいっ!娘は⋯⋯娘だけは⋯⋯!」

父親が叫ぶ。母親は涙で声にならない声をあげる。弟は震えながら姉にすがっていた。

「レオン、やめて⋯⋯!」

夢の中の私は、椅子から立ち上がっていた。思わず叫ぶ。レオンがこちらを振り向く。

「ミナ、あなたの居場所は、ここですよ。私の隣です」

「えっ──」

拒むより先に、支えを失ったみたいに膝から力が抜けて、気づけばまた彼の隣に座らされていた。

「彼らのせいでミナは元の世界に戻りたいと言ったのでしょう?なら、それは取り除けば、あなたはここにいたいと言うはずだ。ミナを悩ませるものすべてを排除し、二人で穏やかに幸せに暮らしましょう」

その声音には、確かに愛情があった。けれど、その優しさは目の前で命を奪われようとしている人たちには、一滴も向けられていない。

「悪いのは、ミナを傷つけた彼らです」

淡々と、ただ事実を述べるような口調で。

直後、謁見の間に、甲高い悲鳴と、何かが床に崩れ落ちる鈍い音が響いた。

「あ、ああっ⋯⋯あああああぁ⋯⋯!」

私はその場に崩れ落ち、絞り出すような声で泣きじゃくっていた。

世界が揺れたような気がして、視界が暗転する。





「──っ!」

息を吸い込んだ音で、自分が目を覚ましたのだと気づいた。

視界に飛び込んでくるのは、見慣れた天井の模様。身体中が汗で濡れていて、寝間着が肌に貼りついている。

心臓が、うるさい。

「夢⋯⋯?いや、あれは──」

かすれた声が喉から漏れる。

夢にしては、あまりにも生々しすぎる。

思い出そうとした瞬間、頭の奥がじわりと痛んだ。
さっきまで見ていた光景が、断片的にフラッシュバックする。

連れて行かれる背中。私のせいだと繰り返し謝る自分。
そして、血の色と、レオンの笑顔。

「──これ⋯⋯私の過去の記憶だ」

なぜだかわからないが確信があった。

窓の外は、かすかに白んでいる。もうすぐ朝が来る。

私はゆっくりと上体を起こし、枕元に置いていたノートへ手を伸ばした。

指先が表紙に触れる。

それだけで、昨夜のすべてが蘇る。

「⋯⋯私、本当に、何を忘れてるの」

問いかけても、ノートはただそこにあるだけだった。

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