転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ

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第3章 真相

24話 否定できない仮説

窓の外が、徐々に明るさを増していく。
鳥の声が聞こえ始めたころ、部屋の扉がノックされた。

「ミナ様、お目覚めでしょうか」

エラの声だ。

「はい。起きてます……おはようございます」

自分の声が思ったより掠れていることに、少し驚いた。

寝間着を着替え、鏡の前で最低限の身支度を整える。目の下には薄い影。夢のせいか、昨夜の会話のせいか――たぶん、その両方だ。

(顔に出さないようにしないと)

扉を開けると、エラがいつも通りの笑顔で一礼した。

「おはようございます、ミナ様。朝食の準備が整っております」

「ありがとうございます。今行きます」

足取りは普段どおりを装った。けれど胸の奥は、ずっとざわついていた。







食堂に入ると、すでにレオンが席に着いていた。

「おはようございます、ミナ」

「おはようございます」

向かい合って座ると、温かいスープと焼き立てのパンが運ばれてくる。変わらない日常のはずなのに、喉を通る感覚がいつもより重い。

「顔色が優れませんね。あまり眠れませんでしたか?」

「あ、いえ……ちょっとだけ、夢見が悪くて」

正直に言えたのは、そこまでだった。

昨夜のことは丸ごと飲み込んだまま、パンにかぶりつく。味はほとんどしない。

少し熱いスープを慌てて飲み込んだ拍子に、むせた。

「……っ、けほ、けほっ」

咳が止まらない。喉がちくちくと痛む。

「大丈夫ですか?」

レオンが、いつもの調子で訊く。

「だ、大丈夫です。ただ……ちょっと喉の調子も悪いみたいで……」

(昨日、薄着で出たせいかもしれない)

「風邪ですかね。最近は夜になると冷え込みますから」

そこで、彼はごく自然な口調のまま続けた。

「夜遅くに外へ出たりすると、体を冷やしてしまいますよ」

――時間が止まった。

耳鳴りがする。フォークを持っていた指から、力がすっと抜けかけた。

(今、なんて言った?)

夜遅くに、外に出たりすると。

「……そう、ですね」

かろうじて、それだけ絞り出す。

(バレてる?……いや、ただの一般論かもしれない。最近は冷えるからって、普通に言っただけ……)

視線を上げられない。

ここで顔色を変えたら、自分から白状しているようなものだ。

スープをもう一口飲み、パンをちぎる。手の震えをごまかすように。

「気をつけてくださいね。何か心配ごとがあるなら、いつでも話してください。私に話せないことでなければ、ですが」

冗談めいた口調。けれど、その目は笑っていなかった。

(やっぱり……何か気づいてる)

パンを飲み込む喉の動きひとつ、視線の向け方ひとつまで――観察されている気がして、息が詰まっていく。

「おかわりはいかがです?」

「いえ……今日はこれくらいで」

皿の上にはパンが半分ほど残っていたが、とても喉を通る気がしなかった。

レオンは無理に勧めてこない。代わりに、当然の決定みたいに言う。

「そうですか。では、今日も大学は休みましょう。まだ少し顔色が優れない」

「……そうします」






食事を終え、自室に戻る。
扉を閉める音が、やけに大きく耳に響いた。

「昨日外に出てたこと……バレたのかな」

ぽつり、と零れる。

「どうしよう……」

さっきの言い方。あれは、ただの一般論には聞こえなかった。

「いやいや、ちがう……今はそこじゃない……しっかりしないと。まずは昨日のことを整理しなきゃ……!」

ノートを開き、頭の中の言葉を一つずつ並べることにした。

まず、クサナギユリが言っていたこと。

――世界の継ぎ目。
それは、記念碑のある場所を指す。

そこへ辿り着くには、日本語で書かれた本を読む必要がある。
読めなければ、存在にすら気づけない。

そして「異世界人」とは、この世界の者ではない人間。

日本へ帰る方法が記された本は、本来、記念碑の中に保管されていた。だが一年前、持ち出された。

それも――私の手によって。

「でも……そんな記憶、ない」

あるはずがない。
帰れると知って、その本を手にしたのなら。忘れられるわけがない。

(じゃあ、誰かが私の記憶を消した……?一体誰が?)

クサナギユリは言っていた。
本は今、王宮地下封印庫にある、と。

封印庫。
私には入れない。身分が足りない。

王宮の中でも、出入りや移動を許される者は限られている。
そこへ手を伸ばせる人間。封印庫の中身を動かせる権限を持つ人間。

私の近くで、その条件に当てはまるのは――

(レオンさん……しか、いない)

以前の夕食の光景が、いやに鮮明に蘇る。
故郷に帰りたいと漏らした妃のために、国王が航路を潰した話。

「外側の世界なんて、本来存在してはいけない」淡々と言い切った、あの声。

もし一年前。
クサナギユリが残した本で、私が帰る方法を知って。実際に帰ろうとしたなら――

彼は、何をした?

もし彼が、異世界から来た私を何らかの理由で強く欲していたのだとしたら――

――止める。  

絶対に私を離さないだろう。今、私を外に出したがらない理由にも説明がつく。

そして、日本語を学びたがっていた理由。

もし、その本の内容を読み解くために、私の記憶を消して。
一から距離を詰めて、信頼させて、教えさせようとしたのだとしたら――

「いや……でも、おかしい――」

記憶を消す必要なんて、あったのか。

もし本の内容を知りたいだけなら、記憶のある私から聞き出せばいい。
わざわざ日本語を一から覚える必要はない。

それなのに――

今朝の夢が、鮮明に蘇る。

違う。
私は、彼から逃げようとしていた。

怖かったから。

帰る方法を、隠れて探していた。
最後の最後で、見つかって――

もし一年前の私が、本の内容を伝えるのを拒んだのだとしたら。

辻褄が、合ってしまう。

考えがそこへ届いた途端、頭の奥がきりきり痛んだ。

「……考えすぎかもしれない。全部、憶測だ。でも――」

一年前に本が持ち出されたという事実。
本は今、王宮の地下にある。
そしてそれに手を伸ばせるのは――レオンだけ。

ノートを抱えたまま、片手で顔を覆う。
指先が冷たい。背中だけが汗ばむ。

「……もし、本当にこれが事実なら」

いちばん近くにいて、いちばん心配してくれて、いちばん優しいふりをしている人が。
私の帰り道を、最初から潰そうとしていたことになる。

それが、何より怖かった。
怖くて――胸の奥が、静かに痛んだ。

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