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第3章 真相
31話 一年という契約
「⋯⋯え?」
(愛してる⋯⋯?)
思考が止まる。
「ミナは、どうして元の世界に帰りたいんですか」
レオンの声は静かだった。けれど逃げ道を塞ぐように、淡々と続く。
「一年前、よく言っていましたね。家族とうまくいっていない。友達もいるようでいない。頑張っても報われない。あなたは、元の世界のことをそんなふうに話していました」
「それは……」
言葉が詰まる。静かな指摘が、背中を壁に押しつけてくる。
「こちらの世界では、あなたは魔力を持ち、大学で学び、友達もできた。そして、私はあなたを必要としている。ミナの願いなら、なんでも叶えて差し上げられる」
レオンは首をわずかに傾けた。
「それでも、帰りたいですか?」
問いかけは優しい。
けれどその優しさの奥にあるのは、明らかな誘惑だった。
正直、彼の言う通りだ。こっちの生活のほうが、はるかに楽しい。充実もしている。けれど――
私は息を吸い、はっきり言った。
「たしかに元の世界にも大変なことはたくさんありました。でも、ここにいるよりはずっとマシです」
言い切った瞬間、自分の声が少し震えた。
「あなたみたいに嘘ばかりの人のそばに無理やり置かれて、飽きられたらどうなるか分からない。そんな場所で、平気な顔して過ごせるわけないじゃないですか」
「そうですね」
レオンは、あっさり肯定した。
「分かりました。では、もし本当に帰りたいのなら」
すっと、片手が差し出される。
「私が助けて差し上げます。真名を取り戻す術式なら、私が組みましょう」
「どういうことですか……」
「ミナ。ひとつ、取引をしませんか」
「取引……?」
「私に一年間の猶予をください」
レオンは淡々と告げる。
「その一年で、あなたの気持ちを変えることができたなら。あなたの真名を、私に教えてください」
「……真名?」
「ええ」
一歩、距離が詰まる。
封印庫の空気が、わずかに冷える。
「私はただ、あなたの本当の名前が知りたいのです」
「……名前?ただ名前が知りたいだけですか?……そんなのが理由で……?」
「これ以上ないほど筋の通った理由でしょう」
レオンは微笑みも崩さずに返した。
「愛する者の本当の名前を知りたいと思わない人間が、どこにいるんですか」
「でも、そんな、いきなり……」
胸の奥が痛いほど熱くなる。
「あなたは自分の都合のために、私の記憶を消したんですよ?そんな人間のこと、信用できるわけないじゃないですか」
「もちろん、今すぐ答える必要はありません。ただ――」
レオンは視線を落とし、静かに続けた。
「あなたは、私なしでは元の世界には戻れない。そして私も、ミナの意思なしには、あなたの真名を知ることはできない」
封印庫の空気が、重く沈む。
「この状況で、お互いの望みを少しずつ譲り合った形が、さっき言った『一年』です」
「譲り合った形……」
心の底から彼を信用なんてできない。
利用されるかもしれない。術式を組むと言っておいて、真名を取り戻した瞬間に縛りつけられるかもしれない。
「ミナ。これは変わらない事実です」
たしかに、彼の言う通りだ。
今の私が元の世界へ戻る手段は――目の前の男の力を借りる以外にない。
(でも他に何か方法が……)
考える。必死に。
それでも、何も浮かばなかった。
真名を使う禁忌魔法を扱える人間は、この世界でも限られている。
この国でそれが可能なのは、おそらく彼だけ。私自身にできるはずがない。
(……でも、よく考えたら)
レオンの提案は、悪くないのかもしれない。
一年という時間はかかる。
それでも一年後、私が「帰りたい」と言えば彼は帰す、と言っている。
(なら、今の私ができる最善は……)
私は唇を噛み、覚悟を決めた。
「……分かりました。その条件、飲みます」
彼の誘いに乗ってやる。
現段階で、元の世界に帰れる可能性が最も高いのは、この方法しかない。
それに、この一年で別の方法が見つかる可能性だってある。
レオンは、私がこう答えるのを最初から知っていたみたいに、余裕の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「ただ、私も一つ条件があります」
レオンは一瞬、笑顔を崩した。
「何でしょう?」
「契約魔法を結んでください」
レオンの眉が、わずかに動く。
「契約魔法、ですか」
「はい」
私は言葉を選びながら、はっきり告げた。
「一年後、私が帰ると言ったら、あなたは必ず術式を組む。逆に、この一年の間、私はあなたから逃げない。その約束を、魔法で固定してください」
契約魔法とは、互いの誓約を術式として刻む禁忌寄りの魔法だ。
口約束では、いくらでも言い逃れができる。けれど契約魔法なら、嘘をつく以前に、誓約に反する行動そのものができなくなる。
沈黙が落ちた。
やがてレオンは、ため息にも似た息を吐き、微笑んだ。
「いいでしょう。それであなたが『一年』という条件を飲んでくれるなら、お互いに都合がいい」
「……本当ですか?」
「ええ。私から逃げないと誓えるなら、私も誓いましょう」
その言葉が、やけに優しい。
「では、契約の内容を確認します」
私は震えそうになる声を押さえ込む。
「一年後、私が帰還を望んだ場合。あなたは真名回復と帰還の術式を組み、妨害をしない。私は、この一年間、あなたの管理下から無断で逃亡しない。それでいいですね」
「はい」
レオンは、差し出した手をわずかに上げた。
「では、契約を」
その指先が、ほんの少しだけ私の親指を指す。
「……血で、ですか」
「ええ。誓約を術式として刻むには、媒体が要ります。いちばん確実なのが、血です」
レオンは懐から小さな銀の針――飾り気のない、儀式道具のようなものを取り出した。躊躇もなく、自分の親指の腹を浅く裂く。
赤が、静かに滲む。
(逃げ道は、もうない)
私は息を飲み、同じように親指を傷つけた。
レオンの親指が、私の親指に触れる。
血と血が交わった瞬間――皮膚の内側に熱い糸が走り、見えない鎖が互いを結んだ。
これで、嘘をつく以前に誓約に反する行動そのものが、選べなくなった。
*作者より*
第3章までお読みいただきありがとうございます。
次話から第4章。二人の関係が動き始めます。
よろしければ、いいね・お気に入りで応援いただけると嬉しいです。
(愛してる⋯⋯?)
思考が止まる。
「ミナは、どうして元の世界に帰りたいんですか」
レオンの声は静かだった。けれど逃げ道を塞ぐように、淡々と続く。
「一年前、よく言っていましたね。家族とうまくいっていない。友達もいるようでいない。頑張っても報われない。あなたは、元の世界のことをそんなふうに話していました」
「それは……」
言葉が詰まる。静かな指摘が、背中を壁に押しつけてくる。
「こちらの世界では、あなたは魔力を持ち、大学で学び、友達もできた。そして、私はあなたを必要としている。ミナの願いなら、なんでも叶えて差し上げられる」
レオンは首をわずかに傾けた。
「それでも、帰りたいですか?」
問いかけは優しい。
けれどその優しさの奥にあるのは、明らかな誘惑だった。
正直、彼の言う通りだ。こっちの生活のほうが、はるかに楽しい。充実もしている。けれど――
私は息を吸い、はっきり言った。
「たしかに元の世界にも大変なことはたくさんありました。でも、ここにいるよりはずっとマシです」
言い切った瞬間、自分の声が少し震えた。
「あなたみたいに嘘ばかりの人のそばに無理やり置かれて、飽きられたらどうなるか分からない。そんな場所で、平気な顔して過ごせるわけないじゃないですか」
「そうですね」
レオンは、あっさり肯定した。
「分かりました。では、もし本当に帰りたいのなら」
すっと、片手が差し出される。
「私が助けて差し上げます。真名を取り戻す術式なら、私が組みましょう」
「どういうことですか……」
「ミナ。ひとつ、取引をしませんか」
「取引……?」
「私に一年間の猶予をください」
レオンは淡々と告げる。
「その一年で、あなたの気持ちを変えることができたなら。あなたの真名を、私に教えてください」
「……真名?」
「ええ」
一歩、距離が詰まる。
封印庫の空気が、わずかに冷える。
「私はただ、あなたの本当の名前が知りたいのです」
「……名前?ただ名前が知りたいだけですか?……そんなのが理由で……?」
「これ以上ないほど筋の通った理由でしょう」
レオンは微笑みも崩さずに返した。
「愛する者の本当の名前を知りたいと思わない人間が、どこにいるんですか」
「でも、そんな、いきなり……」
胸の奥が痛いほど熱くなる。
「あなたは自分の都合のために、私の記憶を消したんですよ?そんな人間のこと、信用できるわけないじゃないですか」
「もちろん、今すぐ答える必要はありません。ただ――」
レオンは視線を落とし、静かに続けた。
「あなたは、私なしでは元の世界には戻れない。そして私も、ミナの意思なしには、あなたの真名を知ることはできない」
封印庫の空気が、重く沈む。
「この状況で、お互いの望みを少しずつ譲り合った形が、さっき言った『一年』です」
「譲り合った形……」
心の底から彼を信用なんてできない。
利用されるかもしれない。術式を組むと言っておいて、真名を取り戻した瞬間に縛りつけられるかもしれない。
「ミナ。これは変わらない事実です」
たしかに、彼の言う通りだ。
今の私が元の世界へ戻る手段は――目の前の男の力を借りる以外にない。
(でも他に何か方法が……)
考える。必死に。
それでも、何も浮かばなかった。
真名を使う禁忌魔法を扱える人間は、この世界でも限られている。
この国でそれが可能なのは、おそらく彼だけ。私自身にできるはずがない。
(……でも、よく考えたら)
レオンの提案は、悪くないのかもしれない。
一年という時間はかかる。
それでも一年後、私が「帰りたい」と言えば彼は帰す、と言っている。
(なら、今の私ができる最善は……)
私は唇を噛み、覚悟を決めた。
「……分かりました。その条件、飲みます」
彼の誘いに乗ってやる。
現段階で、元の世界に帰れる可能性が最も高いのは、この方法しかない。
それに、この一年で別の方法が見つかる可能性だってある。
レオンは、私がこう答えるのを最初から知っていたみたいに、余裕の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「ただ、私も一つ条件があります」
レオンは一瞬、笑顔を崩した。
「何でしょう?」
「契約魔法を結んでください」
レオンの眉が、わずかに動く。
「契約魔法、ですか」
「はい」
私は言葉を選びながら、はっきり告げた。
「一年後、私が帰ると言ったら、あなたは必ず術式を組む。逆に、この一年の間、私はあなたから逃げない。その約束を、魔法で固定してください」
契約魔法とは、互いの誓約を術式として刻む禁忌寄りの魔法だ。
口約束では、いくらでも言い逃れができる。けれど契約魔法なら、嘘をつく以前に、誓約に反する行動そのものができなくなる。
沈黙が落ちた。
やがてレオンは、ため息にも似た息を吐き、微笑んだ。
「いいでしょう。それであなたが『一年』という条件を飲んでくれるなら、お互いに都合がいい」
「……本当ですか?」
「ええ。私から逃げないと誓えるなら、私も誓いましょう」
その言葉が、やけに優しい。
「では、契約の内容を確認します」
私は震えそうになる声を押さえ込む。
「一年後、私が帰還を望んだ場合。あなたは真名回復と帰還の術式を組み、妨害をしない。私は、この一年間、あなたの管理下から無断で逃亡しない。それでいいですね」
「はい」
レオンは、差し出した手をわずかに上げた。
「では、契約を」
その指先が、ほんの少しだけ私の親指を指す。
「……血で、ですか」
「ええ。誓約を術式として刻むには、媒体が要ります。いちばん確実なのが、血です」
レオンは懐から小さな銀の針――飾り気のない、儀式道具のようなものを取り出した。躊躇もなく、自分の親指の腹を浅く裂く。
赤が、静かに滲む。
(逃げ道は、もうない)
私は息を飲み、同じように親指を傷つけた。
レオンの親指が、私の親指に触れる。
血と血が交わった瞬間――皮膚の内側に熱い糸が走り、見えない鎖が互いを結んだ。
これで、嘘をつく以前に誓約に反する行動そのものが、選べなくなった。
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