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第5話「告白未遂と涙の夜」
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春の風が心地よく、騎士団詰所の庭には小さな花々が揺れていた。
私は、静かな朝に目を覚まし、天窓から差し込む光の優しさに、そっと微笑みかける。
誰かのためだけでなく、少しは自分のためにも生きてみたい――そんな小さな願いが、毎日心の中で芽吹いている。
朝の仕事を始めると、ナリスが元気よく治療室に飛び込んできた。
「フィアさん、おはようございます!」
「おはよう、ナリス君。今日も早いわね」
「はい! だって昨日、団長が“明日は大事な日だから”って言ってましたから」
大事な日――。
私は少し首を傾げながらも、ナリスと並んで薬草の準備に取りかかる。
騎士たちが稽古で負った小さな怪我を、ふたりで手当てしていく。
彼らの屈託のない笑顔に、私は何度も救われてきた。
午前の仕事が落ち着くと、レオン団長が治療室に顔を出した。
彼の目は、どこか真剣で、私の胸の奥を不思議と温かくさせる。
「フィア……少し、時間をもらえるか?」
私がうなずくと、レオンはいつものように無駄のない動きで私を庭へと誘った。
日差しの下で咲く白い花を見つめながら、彼は静かに言葉を選ぶ。
「最近……お前が、少しずつ元気をなくしているのが分かる」
私は、ごまかすように花に触れた。
「そんなこと……」
「俺は、エルフィア。お前のことを、ずっと見てきたんだ」
その呼び名に、私は胸が熱くなった。
レオンが誰よりも早く、フィアが元聖女エルフィアだと気づいていたことは、今ではもう、私たちの間で確かな真実だった。
「昔のこと、思い出すな……神殿で初めて会った日も、戦場で救われた夜も。あのときもお前は、誰より人の痛みを自分のことのように思っていた」
「でも、今の私は……ただの元聖女よ。奇跡も起こせないし、みんなの役にも立てない」
「そんなことはない。お前がいるだけで、救われている人間がいる。俺も、そのひとりだ」
私の胸がじんわりと熱くなった。
レオンは、私がこの場所にいていい理由を、何度も繰り返し与えてくれる。
そのとき、ふいにレオンが、いつになくまっすぐな視線で私を見つめた。
「エルフィア……いや、フィア。お前に、どうしても伝えたいことがある」
「な、なに……?」
「俺は……」
言いかけて、レオンは言葉を飲み込む。その瞳が、一瞬だけ揺れた。
「……いや、何でもない」
私は、胸が締め付けられる思いだった。
きっと彼が言おうとしたのは、私が一番聞きたくて、でも一番怖い言葉だ。
「ありがとう、レオン。あなたのそばにいられて、私は幸せよ」
「俺の方こそ、だ。……もう少しだけ、この日々が続けばいいと思う」
淡い春の日差しが、ふたりの間に静かに降り注いだ。
***
その夜。
仕事を終えて部屋に戻った私は、寝台の上で膝を抱えていた。
レオンの言葉が頭の中で何度もこだまする。
(……もし、あのとき、彼が本当の気持ちを告げてくれていたら、私はどうしていただろう)
でも、私は“もうすぐいなくなる人間”だ。
レオンがそのことを分かったうえで、それでも私に想いを告げてくれるなら、私はきっと、もう一度恋をしてしまうだろう。
それが怖いから、私は自分から距離を取るしかなかった。
「……こんなに好きになるつもりじゃなかったのに」
小さくつぶやく声が、夜の静けさに溶けていく。
ふいに、胸の奥に痛みが走った。
熱いものがこみあげ、私は咄嗟に口元を押さえる。
指先に触れたのは、かすかな血の色――吐血だった。
(また……)
涙がこぼれそうになるのをこらえながら、私は静かに呼吸を整える。
(でも、私はまだ、ここにいたい)
痛みを抱えながらも、私はレオンの言葉を思い出す。
“お前がいるだけで救われている人間がいる”。
その言葉が、命の残り火を、そっと灯してくれる。
***
翌朝。
仕事をしていると、ナリスがそっと私の袖を引いた。
「フィアさん……昨日、団長がすごく寂しそうな顔をしてました」
「そう……」
「フィアさんも、無理しないでくださいね。ぼく、いつも味方ですから」
その素直な言葉に、私は優しくナリスの頭を撫でる。
「ありがとう。ナリス君がいるから、私は頑張れるわ」
どんなに切なくても、こうして優しい日常がそばにある。
私はもう一度、今日という一日を大切に生きようと思った。
***
日が暮れるころ、レオンが静かに私の部屋を訪ねてきた。
扉を開けると、彼の目には戸惑いと決意の入り混じった色が浮かんでいた。
「エルフィア、話がしたい」
「……いいわ」
部屋の窓辺に並んで腰掛ける。外はゆったりとした春の風が吹いていた。
「俺は……お前に、生きてほしい。どんなに短くても、俺はお前と一緒に生きたい」
「私は、もう長くないのよ」
「分かってる。それでも、今だけでもいい。……どうか、俺のそばにいてくれ」
私は言葉に詰まった。
それは、私がずっと望んでいたことだった。
でも、それは彼を悲しませてしまうことでもある。
「私は、これでよかったの。誰にも悲しまれず、静かに消えるのが一番だと思ってた。でも……レオン、あなたが優しくしてくれるたびに、私はもう少しだけ、ここにいたいって思ってしまうの」
「お前が生きているだけで、俺は十分幸せだ。たとえ明日いなくなったとしても、俺はお前と過ごした日々を一生忘れない」
レオンの手が、そっと私の頬に触れた。
その温もりに、私はこらえていた涙がこぼれ落ちる。
「……ごめんなさい」
「謝るな。泣きたいときは、泣け。俺は、どんなお前も全部受け止める」
レオンの腕にそっと包まれて、私は声を殺して泣いた。
この温もりが、奇跡でも何でもなく、ただ“私”という人間として与えられた贈り物だと思えた。
***
夜が更けて、静けさが戻る。
(私は、明日も生きてみよう)
騎士団詰所のささやかな灯りが、私の命をそっと照らしてくれる。
短い命でも、こんなにも愛されている。
この幸福を、最後まで大切にしたい――そう強く思いながら、私は目を閉じた。
私は、静かな朝に目を覚まし、天窓から差し込む光の優しさに、そっと微笑みかける。
誰かのためだけでなく、少しは自分のためにも生きてみたい――そんな小さな願いが、毎日心の中で芽吹いている。
朝の仕事を始めると、ナリスが元気よく治療室に飛び込んできた。
「フィアさん、おはようございます!」
「おはよう、ナリス君。今日も早いわね」
「はい! だって昨日、団長が“明日は大事な日だから”って言ってましたから」
大事な日――。
私は少し首を傾げながらも、ナリスと並んで薬草の準備に取りかかる。
騎士たちが稽古で負った小さな怪我を、ふたりで手当てしていく。
彼らの屈託のない笑顔に、私は何度も救われてきた。
午前の仕事が落ち着くと、レオン団長が治療室に顔を出した。
彼の目は、どこか真剣で、私の胸の奥を不思議と温かくさせる。
「フィア……少し、時間をもらえるか?」
私がうなずくと、レオンはいつものように無駄のない動きで私を庭へと誘った。
日差しの下で咲く白い花を見つめながら、彼は静かに言葉を選ぶ。
「最近……お前が、少しずつ元気をなくしているのが分かる」
私は、ごまかすように花に触れた。
「そんなこと……」
「俺は、エルフィア。お前のことを、ずっと見てきたんだ」
その呼び名に、私は胸が熱くなった。
レオンが誰よりも早く、フィアが元聖女エルフィアだと気づいていたことは、今ではもう、私たちの間で確かな真実だった。
「昔のこと、思い出すな……神殿で初めて会った日も、戦場で救われた夜も。あのときもお前は、誰より人の痛みを自分のことのように思っていた」
「でも、今の私は……ただの元聖女よ。奇跡も起こせないし、みんなの役にも立てない」
「そんなことはない。お前がいるだけで、救われている人間がいる。俺も、そのひとりだ」
私の胸がじんわりと熱くなった。
レオンは、私がこの場所にいていい理由を、何度も繰り返し与えてくれる。
そのとき、ふいにレオンが、いつになくまっすぐな視線で私を見つめた。
「エルフィア……いや、フィア。お前に、どうしても伝えたいことがある」
「な、なに……?」
「俺は……」
言いかけて、レオンは言葉を飲み込む。その瞳が、一瞬だけ揺れた。
「……いや、何でもない」
私は、胸が締め付けられる思いだった。
きっと彼が言おうとしたのは、私が一番聞きたくて、でも一番怖い言葉だ。
「ありがとう、レオン。あなたのそばにいられて、私は幸せよ」
「俺の方こそ、だ。……もう少しだけ、この日々が続けばいいと思う」
淡い春の日差しが、ふたりの間に静かに降り注いだ。
***
その夜。
仕事を終えて部屋に戻った私は、寝台の上で膝を抱えていた。
レオンの言葉が頭の中で何度もこだまする。
(……もし、あのとき、彼が本当の気持ちを告げてくれていたら、私はどうしていただろう)
でも、私は“もうすぐいなくなる人間”だ。
レオンがそのことを分かったうえで、それでも私に想いを告げてくれるなら、私はきっと、もう一度恋をしてしまうだろう。
それが怖いから、私は自分から距離を取るしかなかった。
「……こんなに好きになるつもりじゃなかったのに」
小さくつぶやく声が、夜の静けさに溶けていく。
ふいに、胸の奥に痛みが走った。
熱いものがこみあげ、私は咄嗟に口元を押さえる。
指先に触れたのは、かすかな血の色――吐血だった。
(また……)
涙がこぼれそうになるのをこらえながら、私は静かに呼吸を整える。
(でも、私はまだ、ここにいたい)
痛みを抱えながらも、私はレオンの言葉を思い出す。
“お前がいるだけで救われている人間がいる”。
その言葉が、命の残り火を、そっと灯してくれる。
***
翌朝。
仕事をしていると、ナリスがそっと私の袖を引いた。
「フィアさん……昨日、団長がすごく寂しそうな顔をしてました」
「そう……」
「フィアさんも、無理しないでくださいね。ぼく、いつも味方ですから」
その素直な言葉に、私は優しくナリスの頭を撫でる。
「ありがとう。ナリス君がいるから、私は頑張れるわ」
どんなに切なくても、こうして優しい日常がそばにある。
私はもう一度、今日という一日を大切に生きようと思った。
***
日が暮れるころ、レオンが静かに私の部屋を訪ねてきた。
扉を開けると、彼の目には戸惑いと決意の入り混じった色が浮かんでいた。
「エルフィア、話がしたい」
「……いいわ」
部屋の窓辺に並んで腰掛ける。外はゆったりとした春の風が吹いていた。
「俺は……お前に、生きてほしい。どんなに短くても、俺はお前と一緒に生きたい」
「私は、もう長くないのよ」
「分かってる。それでも、今だけでもいい。……どうか、俺のそばにいてくれ」
私は言葉に詰まった。
それは、私がずっと望んでいたことだった。
でも、それは彼を悲しませてしまうことでもある。
「私は、これでよかったの。誰にも悲しまれず、静かに消えるのが一番だと思ってた。でも……レオン、あなたが優しくしてくれるたびに、私はもう少しだけ、ここにいたいって思ってしまうの」
「お前が生きているだけで、俺は十分幸せだ。たとえ明日いなくなったとしても、俺はお前と過ごした日々を一生忘れない」
レオンの手が、そっと私の頬に触れた。
その温もりに、私はこらえていた涙がこぼれ落ちる。
「……ごめんなさい」
「謝るな。泣きたいときは、泣け。俺は、どんなお前も全部受け止める」
レオンの腕にそっと包まれて、私は声を殺して泣いた。
この温もりが、奇跡でも何でもなく、ただ“私”という人間として与えられた贈り物だと思えた。
***
夜が更けて、静けさが戻る。
(私は、明日も生きてみよう)
騎士団詰所のささやかな灯りが、私の命をそっと照らしてくれる。
短い命でも、こんなにも愛されている。
この幸福を、最後まで大切にしたい――そう強く思いながら、私は目を閉じた。
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