【完結】余命半年の元聖女ですが、最期くらい騎士団長に恋をしてもいいですか?

金森しのぶ

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第8話「奇跡の代償と決断」

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 春の朝、窓から射し込む光の温度が少しずつ高くなってきた。
 目を覚ますたび、体がどこか重い。でも、こうして迎える日常の一瞬一瞬が、私には何よりも大切なものになっていた。
 もう聖女だった頃の力は、かすかな残り火しかない。それでも、レオンやナリス、みんなと過ごせることが嬉しくて――
 私は「生きている」と、確かに実感できていた。

 昨夜、レオンに抱きしめられた温もりがまだ胸の奥に残っている。
 「明日も、あなたのそばで朝を迎えていい?」
 その言葉に救われて、私は今日も、また小さな一歩を踏み出すことができた。

***

 治療室の扉を開けると、ナリスが窓際で薬草をちぎっていた。
 明るい朝の日差しが彼の横顔に差し込んでいる。

「おはよう、フィアさん。今日もよろしく頼みますよ」

「おはよう、ナリス。ずいぶん早いのね」

「だって、最近はぼくのほうが寝坊してたでしょ? たまにはちゃんと先に来てみたかったんです」

 少しだけふざけて肩をすくめる彼の仕草に、私はつい笑ってしまう。

「今朝も調子悪そうなら、遠慮なく言ってくださいね。……本当に、顔色、昨日より少し……」

「大丈夫よ。ナリスがいてくれるだけで、元気が出るもの」

「そりゃ良かった。でも、無理だけはしないでください。フィアさんは、すぐそうやって我慢するから……ぼく、ちゃんと見てますからね」

 気づかいを隠さず、でもどこか照れくさそうなナリス。
 私がなにか隠していること――たぶん「時間がない」ことを、彼なりに感じているのだろう。
 だけど彼は、「余命」のことを口に出すことはしない。
 ただ、できるだけ普通に、いつも通り接してくれる。
 それがどれだけ有難いか、私は知っている。

「ナリス、本当にありがとう。あなたがいると、私も安心するの」

「……変なこと言わないでくださいよ。ぼく、フィアさんの弟子ですから!」

 ほんの少し赤くなった頬に、私はまた心を救われる。

***

 そのとき、詰所の扉がノックされる。

「王宮からのお届けものです」

 差し出された封筒には、見覚えのある優美な紋章――エリス王女だ。
 私は少し手を震わせながら封を開け、ナリスの前で中身を広げた。

『エルフィア様
 どうしてもお伝えしたいことがございます。
 本日、西の小聖堂でお待ちしています――エリス』

「王女様から……?」

「ええ、たぶん、大事な話だと思うの」

 ナリスは一瞬、不安げな顔をしたが、すぐに真面目な表情に戻る。

「気を付けてくださいね。……それと、困ったことがあったら、ちゃんと頼ってください」

「うん、ありがとう。ナリスがいてくれて、本当に心強いわ」

「そりゃそうです。……ぼく、いつだってフィアさんの味方ですから」

 心の奥で何かが温かく溶けていくような、優しい朝だった。

***

 王都の西の小聖堂は、春の光に包まれて静まり返っていた。
 扉を開けると、エリス王女が待っていた。

「エルフィア様……やはり、あなたでした」

「どうして、私のことが分かったの?」

 エリスはほほえむ。

「神殿からあなたが消えた日から、ずっとあなたを思い出していました。
 この王都で“フィア”という治療師が人々を癒やしている、という噂を耳にした時、なぜかすぐにピンときたのです。
 そして花祭りの夜、広場の端で誰より優しい眼差しを浮かべるあなたを見て、確信しました」

「……エリス、さすがね」

「私、聡明だとよく言われますから」

 二人で微笑み合ったあと、エリスが少し真剣な顔で話し始めた。

「本当は、あなたを探し出して呼び戻したいわけじゃなかった。ただ、神殿の禁書庫で、あなたに伝えなければならない記録を見つけたの」

「禁呪のこと?」

 エリスは静かにうなずく。

「ええ。あなたのように、聖女の力がほとんど消えかかっている者でも発動できる禁呪。
 “命を繋ぐ儀式”――それは、残る命を燃やして奇跡を起こし、自分の寿命や健康、場合によっては大切な記憶をも犠牲にする力。
 完全に癒やすことはできなくても、もし願いが叶えば――短いけれど新しい日々を手に入れることができる。
 でも、成功しても寿命は大きく縮むし、身体も弱くなり、過去の大切な思い出さえ薄れてしまうかもしれないって」

 私は息を呑んだ。
 それでも、今この瞬間、「もう少しだけ生きてみたい」と強く思う自分がいる。

「私は……聖女でなくなってもいいの。もう“奇跡”はいらない。ただ、大切な人たちと、あなたと、今を分かち合いたい」

「エルフィア様の幸せが、私の願いです」

 エリスのまなざしに背中を押されて、私は静かに頭を下げた。

***

 詰所に戻ると、レオンが待っていた。
 私はエリスとのやりとり、禁呪のこと、その代償――
 寿命や健康や記憶すら失うかもしれないこと――をすべて話した。

「レオン、怖いの。もし、あなたのことも全部忘れてしまったら、どうしようって……」

「お前がどんな姿になっても、俺はずっとそばにいる。どんなに短くても、今日だけでも――お前と一緒に生きたい」

 私は胸がぎゅっと痛くなる。

「ありがとう。私、あなたの隣で最後まで生きてみたい。もし全部失ってしまっても……ごめんなさい」

「いいんだ。奇跡なんていらない。お前と生きる、それだけでいい」

 レオンは優しく私を抱きしめてくれた。

***

 夜、部屋に灯りをともす。
 レオンが手を握りしめてくれている。

「これが、私の最後の奇跡。もし目覚めなかったら……ありがとう、レオン」

「何度でもお前を迎えに行く。何があっても絶対に離れない」

 小さく呪文を唱え始めると、胸の奥がじんわりと熱くなって、
 意識が遠のいていった。

***

 ……春の朝、私は再び目を覚ますことができた。
 身体は重く、視界も少しぼやけている。
 思い出せないことが増えている気がするけれど、
 レオンの声と温もりだけは、何よりはっきりと心に残っていた。

「フィアさん、目、覚めましたか?」

 ナリスが、驚いたような、そしてどこかほっとしたような顔でベッドのそばにいた。

「ナリス……心配、かけてしまったわね」

「本当に……もう、びっくりさせないでくださいよ。……でも、戻ってきてくれて、良かったです」

 ナリスは言葉を選びながら、けれどはっきりと敬意を込めて私を見つめている。

「ありがとう、ナリス。あなたには、本当にたくさん助けられたわ」

「フィアさんに教わったこと、全部ずっと覚えています。ぼく、これからもフィアさんに負けないくらい、立派な薬師になりますから」

 そのまっすぐな言葉に、私は思わず涙ぐんでしまった。

***

 日常に戻ると、薬草の匂いや仲間たちの声が少し遠く感じられる。
 でも、温かさだけはちゃんと伝わってくる。

「ただいま、ナリス」

「おかえりなさい、フィアさん」

 たとえ過去が曖昧になっても、
 この場所で誰かと「おかえり」と「ただいま」を交わせる――
 その奇跡だけが、私の宝物になった。

「レオン、ありがとう。これからも、あなたの隣で生きるね」

「お前がどんなふうになっても、絶対に離れない」

 やわらかな春の光の中、私は深く安堵した。
 たとえ命の残り火が小さくても、今日という一日を抱きしめていく。
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