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第10話 声の特訓
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咲良の世界は、静かに色と光を失っていった。
昨日までは何となく分かっていた教室の輪郭や、母親の顔の輪郭さえ、今はぼやけて心許ない。
それでも、咲良は学校に通い続けていた。母も先生も「無理しなくていい」と言ってくれるが、咲良にとって「みんなと同じ日常」は、かけがえのない勇気の源だった。
朝、教室の席に座ると、奏人がすぐにやってくる。
「おはよう」
彼の口の動き、そして指先での手話。
最近は、奏人の表情や手話の動きを肌で感じとることで、安心感が得られるようになっていた。
咲良はノートを広げて、「おはよう」と書き、奏人の手にそっと触れる。
そのやりとりが、いつしか二人の朝の合図になっていた。
*
ある昼休み、健太が席にやってきた。
「咲良ちゃん、今日はどう?」
咲良はうっすらと健太の声の方向を頼りに顔を向け、微笑んだ。
「うん、みんなのおかげで、学校が楽しいよ」
健太はほっとしたように頷き、「何か困ったことあったら、絶対言ってよな!」と大げさなジェスチャーで手を振る。
そのやりとりに周りのクラスメイトも笑い、優しい空気が流れる。
*
放課後、咲良は音楽室でピアノの練習をしていた。
もう楽譜は見えない。
でも、手の感触と音の響きだけを頼りに、何度も何度も指を鍵盤の上に滑らせる。
音楽室には奏人がそっと寄り添い、咲良の指の動きや表情をじっと見つめていた。
休憩のとき、咲良はそっと言う。
「奏人君。もうすぐ本当に全部見えなくなるんだって。昨日、先生にも言われた。……正直、こわい」
奏人はゆっくりとうなずき、ノートを取り出して言葉を綴る。
『こわいときは、そばにいる。ぼくも、耳が聞こえない世界はこわい。でも、咲良ちゃんがいるから大丈夫』
咲良は何度もうなずいた。
その温かなやり取りに、音楽室の窓から差し込む薄曇りの光が二人を包み込んでいた。
*
その日の夜、奏人は家で考え込んでいた。
「声」というもの——
彼は生まれつき耳が聞こえないので、声の出し方も、どんな声になるのかも知らない。
でも、最近の咲良とのやりとりの中で、どうしても「自分の声で気持ちを伝えたい」と思うようになっていた。
姉の真帆がリビングにやってきて、心配そうに奏人を見つめた。
「どうしたの?」
奏人は手話とノートで気持ちを伝えた。
『僕の声で、咲良ちゃんに伝えたいことがある。でも、どうすればいいか分からない』
真帆はしばらく考えて、「声を出す練習、少しずつやってみようか。家族みんなで協力するよ」と微笑んだ。
それからというもの、奏人は家族の前で「声を出す」練習を始めた。
最初は小さな「あ」と「う」しか出せず、喉も苦しかった。
真帆や母親は、正しい口の形や呼吸の仕方を丁寧に教えてくれた。
家族の応援と温かな励ましが、奏人の「伝えたい」という想いを後押しする。
奏人の声は、少しずつ形になっていった。
*
数日後、学校で。
奏人は健太やクラスメイトに「何してるの?」と聞かれると、
「咲良ちゃんに、声で“好き”って伝えたいんだ」と打ち明けた。
健太は目を丸くし、
「それ、絶対カッコいいじゃん!手伝う!」
とやる気満々だ。
クラスの女子たちも「応援するよ!」と奏人を励ます。
放課後、教室の隅で健太や女子たちが小さな発音練習会を開いた。
「カ」「サ」「ラ」「すき」
みんなが手話で指導し、奏人は真剣な表情で声を出そうと努力した。
笑い声が教室に広がり、いつしかみんなの輪が一つになっていった。
*
ある雨の日の帰り道。
咲良と奏人は二人きりで東屋に寄った。
「最近、ピアノも難しくなってきた。でも、音があれば大丈夫。怖いこともあるけど、前より少しだけ強くなれた気がする」
咲良はそう言い、そっと奏人の手を握った。
奏人はしばらく黙ってから、ノートにこう書いた。
『ぼく、いま声を出す練習をしてる。咲良ちゃんに、声で伝えたいことがある』
咲良は目を丸くし、やがて穏やかな微笑みを浮かべた。
「きっと、奏人君の声なら、どんな声でも私に届くよ」
雨音が東屋の屋根を優しく打ち、ふたりは静かに寄り添った。
*
家に帰ると、奏人はまた家族と声の練習を続けた。
毎日少しずつでも声を出すことで、思いは確実に前進している気がする。
咲良もまた、母親や先生、健太、クラスのみんなの温かさに支えられながら、「見えない世界」で新しい一歩を踏み出し始めていた。
「怖くても、大丈夫。みんながいるから」
咲良のその言葉は、確かに奏人の胸にも届いていた。
——伝えたい想いがある限り、きっと何度でも声は届く。
——失われるものの中で、変わらず残る絆と、前を向く勇気。
そんな思いを胸に、二人はまた新しい一日を迎えようとしていた。
昨日までは何となく分かっていた教室の輪郭や、母親の顔の輪郭さえ、今はぼやけて心許ない。
それでも、咲良は学校に通い続けていた。母も先生も「無理しなくていい」と言ってくれるが、咲良にとって「みんなと同じ日常」は、かけがえのない勇気の源だった。
朝、教室の席に座ると、奏人がすぐにやってくる。
「おはよう」
彼の口の動き、そして指先での手話。
最近は、奏人の表情や手話の動きを肌で感じとることで、安心感が得られるようになっていた。
咲良はノートを広げて、「おはよう」と書き、奏人の手にそっと触れる。
そのやりとりが、いつしか二人の朝の合図になっていた。
*
ある昼休み、健太が席にやってきた。
「咲良ちゃん、今日はどう?」
咲良はうっすらと健太の声の方向を頼りに顔を向け、微笑んだ。
「うん、みんなのおかげで、学校が楽しいよ」
健太はほっとしたように頷き、「何か困ったことあったら、絶対言ってよな!」と大げさなジェスチャーで手を振る。
そのやりとりに周りのクラスメイトも笑い、優しい空気が流れる。
*
放課後、咲良は音楽室でピアノの練習をしていた。
もう楽譜は見えない。
でも、手の感触と音の響きだけを頼りに、何度も何度も指を鍵盤の上に滑らせる。
音楽室には奏人がそっと寄り添い、咲良の指の動きや表情をじっと見つめていた。
休憩のとき、咲良はそっと言う。
「奏人君。もうすぐ本当に全部見えなくなるんだって。昨日、先生にも言われた。……正直、こわい」
奏人はゆっくりとうなずき、ノートを取り出して言葉を綴る。
『こわいときは、そばにいる。ぼくも、耳が聞こえない世界はこわい。でも、咲良ちゃんがいるから大丈夫』
咲良は何度もうなずいた。
その温かなやり取りに、音楽室の窓から差し込む薄曇りの光が二人を包み込んでいた。
*
その日の夜、奏人は家で考え込んでいた。
「声」というもの——
彼は生まれつき耳が聞こえないので、声の出し方も、どんな声になるのかも知らない。
でも、最近の咲良とのやりとりの中で、どうしても「自分の声で気持ちを伝えたい」と思うようになっていた。
姉の真帆がリビングにやってきて、心配そうに奏人を見つめた。
「どうしたの?」
奏人は手話とノートで気持ちを伝えた。
『僕の声で、咲良ちゃんに伝えたいことがある。でも、どうすればいいか分からない』
真帆はしばらく考えて、「声を出す練習、少しずつやってみようか。家族みんなで協力するよ」と微笑んだ。
それからというもの、奏人は家族の前で「声を出す」練習を始めた。
最初は小さな「あ」と「う」しか出せず、喉も苦しかった。
真帆や母親は、正しい口の形や呼吸の仕方を丁寧に教えてくれた。
家族の応援と温かな励ましが、奏人の「伝えたい」という想いを後押しする。
奏人の声は、少しずつ形になっていった。
*
数日後、学校で。
奏人は健太やクラスメイトに「何してるの?」と聞かれると、
「咲良ちゃんに、声で“好き”って伝えたいんだ」と打ち明けた。
健太は目を丸くし、
「それ、絶対カッコいいじゃん!手伝う!」
とやる気満々だ。
クラスの女子たちも「応援するよ!」と奏人を励ます。
放課後、教室の隅で健太や女子たちが小さな発音練習会を開いた。
「カ」「サ」「ラ」「すき」
みんなが手話で指導し、奏人は真剣な表情で声を出そうと努力した。
笑い声が教室に広がり、いつしかみんなの輪が一つになっていった。
*
ある雨の日の帰り道。
咲良と奏人は二人きりで東屋に寄った。
「最近、ピアノも難しくなってきた。でも、音があれば大丈夫。怖いこともあるけど、前より少しだけ強くなれた気がする」
咲良はそう言い、そっと奏人の手を握った。
奏人はしばらく黙ってから、ノートにこう書いた。
『ぼく、いま声を出す練習をしてる。咲良ちゃんに、声で伝えたいことがある』
咲良は目を丸くし、やがて穏やかな微笑みを浮かべた。
「きっと、奏人君の声なら、どんな声でも私に届くよ」
雨音が東屋の屋根を優しく打ち、ふたりは静かに寄り添った。
*
家に帰ると、奏人はまた家族と声の練習を続けた。
毎日少しずつでも声を出すことで、思いは確実に前進している気がする。
咲良もまた、母親や先生、健太、クラスのみんなの温かさに支えられながら、「見えない世界」で新しい一歩を踏み出し始めていた。
「怖くても、大丈夫。みんながいるから」
咲良のその言葉は、確かに奏人の胸にも届いていた。
——伝えたい想いがある限り、きっと何度でも声は届く。
——失われるものの中で、変わらず残る絆と、前を向く勇気。
そんな思いを胸に、二人はまた新しい一日を迎えようとしていた。
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